『のみとり侍』
■スタッフ:/監督 鶴橋康夫 /原作 小松重男 /脚本 鶴橋康夫 /製作 市川南 /共同製作 竹田青滋 山田裕之 井口佳和 岡田美穂 谷和男 吉崎圭一 大村英治 林誠 杉田成道 宮崎伸夫 広田勝己 安部順一 加太孝明 丹下伸彦 板東浩二 荒波修 /プロデューサー 秦祐子 臼井央 /ラインプロデューサー 梶原富治 柴田和明 /プロダクション統括 山内章弘 佐藤毅 /撮影 江崎朋生 /照明 高屋齋 /録音 白取貢 /美術 近藤成之 /装飾 極並浩史 /VFX 大澤宏二郎 /衣装デザイン 小川久美子 /衣装 松田和夫 /メイク 山下みどり /床山 山下みどり /結髪 北川真樹子 /編集 山田宏司 /音楽 羽岡佳 /スクリプター 永倉美香 /助監督 木ノ本浩平 /制作担当 百々勲 /音楽プロデューサー 杉田寿宏
■キャスト:阿部寛(小林寛之進) 寺島しのぶ(おみね) 豊川悦司(清兵衛) 斎藤工(佐伯友之介) 風間杜夫(甚兵衛) 大竹しのぶ(お鈴) 前田敦子(おちえ) 松重豊 (牧野備前守忠精) 桂文枝(田沼意次) 笑福亭鶴光(平賀源内) ジミー大西(望月屋秀持) オール阪神(根津屋文吾) 福本莉子(おみつ)
※女性とのまぐわいが下手糞な役を阿部寛がリアルに演じる時代劇・・・ですかな。
なんかいい雰囲気は醸し出しつつも、爆発的な笑いには結びつかない、ベテラン
漫才師のネタをひとつ見たような感想だワ。。。
→ 『「蚤とり侍」を映画化するにあたって、江戸中期、既に戦国乱世も終わり、商業主義に変わって、その時代を生きていた侍がどのように生きていたのか、調べ始めました。浮世絵、錦絵、春画と探すなか、新聞でみつけたのが、手塚治虫が描いた『猫・写楽』でした。いくら探しても資料が出てこない“蚤とり”について、偉人である手塚治虫も気にかけていたかと思うと非常に印象的で、随分と長い間変わらず、自分の真ん中に在り続けました。
その大事な絵が、今回、映画『のみとり侍』のポスターのきっかけとなったことは、とても驚いています。阿部寛さんと撮影でご一緒するのは、3度目ですが、こちらの期待以上に寛之進という侍の誇りや忠義心を表現してくれ、僕と彼の間には、互いに信頼があったように感じるし、喜劇でありながら不条理劇でもある『のみとり侍』を一緒に制作しているという意気込みがありました。ポスターで表現されているように、阿部さんが、この当時の浮世絵に描かれているような歌舞いた表情をしてくれたこともとても嬉しいです。僕たちが想像していた以上にこの作品を理解してくれているのではないかと感じ、「よくぞここまで表現してくれた!」と初めてポスターを見たときに思いました。映画本編は、現在仕上げ作業中ですが、寛之進と江戸の人々が互いに、友情、敬愛、愛情と気持ちを育む姿の裏には、原作者の小松先生が描いた「人は一人では生きていけない」というメッセージがあるのではないかと思っています。ぜひ、若い人をはじめ、幅広い方々にご覧頂きたいです。』
※この、スチール写真で創った漫画風ストーリー解説が解りやすいなー。
→ 『阿部の鶴橋監督作品の出演は、黒澤明監督の名作をリメイクしたテレビ朝日のスペシャルドラマ「天国と地獄」(2007年)で警視役を演じて以来、約10年ぶりだが、映画ではタッグを組むのは初めてだ。2人の出会いは、阿部のデビュー当時の30年前に遡る。それは阿部が所属する事務所社長がもうけた酒宴だった。2人は中央大学出身(阿部は理工学部、鶴橋監督は法学部)という共通点もあった。
俳優デビュー前は男性向けファッション誌「メンズノンノ」の専属モデルだった阿部。「事務所に入って2日目か3日目だったんですよ。それまでは集英社のお抱えの学生でしたから、俳優事務所がどういうものか分からなかったんです。その席には奥田瑛二さん、大竹しのぶさんがいらっしゃった。俳優さんにお会いするのも初めてで、その俳優さんたちが尊敬している鶴橋さんという雰囲気のある方がいらっしゃった。今、考えれば、当時の鶴橋さんは今の僕よりも年下なんですよね。その都度その都度、鶴橋さんの作品に出られるようになりたいと思いましたが、50を過ぎて、ようやく願いが叶いました」と振り返る。「僕は売れていない監督だったんで、隅っこにいた。彼がどんぐりまなこを光らせて長い足を組んでいたのを覚えている。最初の会話は大学が同じだということだった。長い間、一緒に仕事がやりたくて仕方がなかった。『天国と地獄』を経て、待ちに待って、誰もやってくれそうにない『のみとり侍』をお願いしてみた」と話す。(中略)
撮影したのは「新参者」シリーズの最終章である「祈りの幕が下りる時」の後。「(加賀恭一郎役は)繊細な役だったので、体重を絞っていました。少し痩せ過ぎていたので、体重を増やしました。最後に殺陣のシーンがあったので、その準備もありました。役にギャップがあった分、楽しく演じることができました」と阿部。鶴橋組の特徴を聞くと、「現場の居心地がいいんですよ。監督の『何か文句はあるか?』という言葉から始まっていき、和むんですよ。安心感が役者だけではなく、スタッフにもある。監督は温かみをもって、『のびのびやれ』という。『俺は編集がうまいから』と笑わせてくれるし、いつのまにか、そういうおおらかな監督の雰囲気に包まれて、仕事をしていました」と振り返る。
そんな中でも苦労したのは、寺島しのぶとの濡れ場という。「あそこまでのものは、やったことがなかったんで……。と言っても、豊川さんの真似をすればよかったんですが。豊川さんは鶴橋さんの作品を本当に分かっていてね、台本の清兵衛とは一味違うものを迷いなくやっておられていました。寺島しのぶさん、大竹しのぶさんといった鶴橋組の常連の方々にも嫉妬しましたね。すぐに間をつかんで、やられるんですよ」と明かした。/一方の鶴橋監督は、阿部の演技や魅力をどう見ていたか? 「俺は生きていないだろうけど、この先、彼は笠智衆さんみたいになっていくんだろうな。クソがつくくらい真面目で、勉強熱心だ。応用力もある。だから、楽な仕事をさせてもらった。彼には、ヒントだけ言っておけばよかった。後半の殿に諌言する庭のシーンではスタッフが泣いているんです。これは阿部さんの演技の勝利です。愚直な侍がひと夏の江戸探検でどんどん色っぽくなって、最後は怒りだけで生きられるようになる。出ずっぱりだけども、見ていてまったく飽きなかった」と褒め称えた。
''' この大学の先輩でもある名匠の大絶賛には、阿部も照れ笑い。「いやぁ、プレッシャーかけないでくださいよ。これを励みに、頑張りたいと思います。なにせ、ここまで30年かけて、やってきたことですから、自分なりに丁寧に、抑えながら演じました。監督は『のびのびやってくれ』とおっしゃってくれましたけど、面白くやってしまうので、監督と相談しました」と話した。鶴橋監督は「よく、ここまで(の完成度まで)来られたよね。気分が高揚していて、うれしくて仕方がない。これで、この作品は俺の手から離れて観客の評価を受けることになる。彼と覚悟を分かち合って生きてきた『のみとり侍』が、大きな怪物に化けてくれればいいのだが……」と期待する。阿部には「次に何をやるかを考えてくれ。俺も考える。阿部ちゃんがびっくりするような役をエントリーしたい。その前に、これを当てないとな。見捨てられるからね」。最後はまろやかな低音を響かせ、豪快に笑ってみせた。
』 '''
※監督ぅ~、ワチクシゃあ~、本人表稼業一本(猫を追いかけるドタバタシーン
満載!!)のつもりだったのに、人妻にやたら迫られて困惑する阿部ちゃん、
っていう構図のストーリーが観たかったッスわぁーーー!
→ 『阿部、斎藤、松重と身長180センチオーバーの役者が集った「のみとり侍」。鶴橋組初参加となった斎藤が「阿部さんが素晴らしいのは、役柄の心境によって、サイズ感が小柄に見える時もある。心情によって身長を自在にコントロールできるんじゃないかと思っています」と明かすと、阿部は「斎藤君と並んだ時は、身長を合わせるようにしていました(笑)」とジョークを飛ばして笑いを誘った。そして「斎藤君は、自分で監督もなさるし、その作品も素晴らしいんですが、いざ役者として現場に入ると、役者に徹する。その清らかさと潔さは素晴らしいと思った」と斎藤の才能を絶賛していた。
「松重さんと並んだ時はちょっと背伸びをして、少しでも上にいけるようにしました」という阿部の言葉を受けた松重は「鶴橋監督には自由にやらせてもらったんです。僕も“でかいおじさん”枠で呼ばれたのかな」と告白。「この時代に、180センチを超えるおっさん3人がそろうことなんて絶対ないんですよね(笑)。面白いと思う。そういうありえない設定で遊ばさせていただきました」と充実の日々を振り返っていた。/阿部にとって一番緊張したシーンは「山村紅葉さんとのシーン。つま先までピンと伸び切っています(笑)。あそこは見て頂けるとわかるんですが、芝居を忘れているようなところ」。寺島と豊川も「京都の撮影所に行った時に、スタッフの方々が『本当にすごかった』と騒然としていた」(寺島)、「あそこに阿部寛の役者魂を見た気がします。なんでもできちゃうんだっていう。スタッフがあれだけ喜んだシーンというのはなかなか体験したことがない。このシーンの面白さはずば抜けている」(豊川)と記憶に残っているようだ。』
※斎藤工がのみ取りになって裸体を披露してくれてたら、もっと別の層も
いっぱい動員できていたかもしれない。もったいない。原作は「のみ取り」
の話以外のストーリーも多く収録された短編集ということで、そのへんの
コラボの仕方にひと工夫あっても良かったんじゃないかなーー?
※松重さんのこういう演技は珍しいな~。。。
『万策尽きたと思うな!自ら断崖絶壁の淵に立て。その時はじめて 新たなる風は必ず吹く。』 |
出展:? |
発言者:松下幸之助 (パナソニック創業者 1894年11月27日~) |
→ 『解説:松下幸之助は9歳で丁稚奉公に出され、10代で電球ソケットを考案。自ら起業して、現在のパナソニックへと、一代で大企業へと築き上げていく。「経営の神様」「こけたら、立ちなはれ」など、名言も数限りなくあり、倫理教育を目的に設立したPHP研究所からも多数の著作が出されている。ここに紹介する言葉も有名だ。経営者から社員まで、彼の著書を読んで、生きる知恵と勇気をもらおう!』
→ 『●松下幸之助 夢を育てる 私の履歴書 (日経文芸文庫) /作者 松下幸之助 /出版社 日本経済新聞出版社 /出版日 2013年10月25日 /●解説:海外での経験から週休2日制の大切さを知り、日本に広めたのが松下幸之助だとご存知でしたか?このような事例に代表されるような、リアルで親しみやすい内容になっています。読み手は過去の出来事を振り返ったり、自分の今の考えとなったきっかけを思い返したりするキッカケにもなるでしょう。「あの松下幸之助でさえ、苦難の多い人生を送っていたのだ。自分もここが踏ん張りどころ!」と励みにもなります。また、彼の仕事に対する姿勢からは、学ぶことも多いでしょう。時代は違えど人に関わる仕事である以上、その本質も学べるはずです。仕事を始めたばかりの人なら今後の仕事に対する姿勢を、中堅以上の方には、今までの反省とさらなる発展を考えられる一冊です。「有名な松下幸之助の著書を試しに読んでみたい」「難しい言い回しは苦手」といった方でも読みやすい作品になっています。』
→ 『「松下幸之助の考え方はまだ生きている」、株式会社江口オフィス代表取締役社長の江口克彦氏は、そう語る。松下幸之助が亡くなってから30年がたつが、松下幸之助の考え方はいまだに語り継がれている。それは、幸之助の考え方には昔と今を貫くものがあるからである。(2018年5月31日開催日本ビジネス協会JBCインタラクティブセミナー講演「生き続ける松下幸之助の経営観」より、全12話中第1話)』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
“憐れなる子規は余が通信を待ち暮らしつつ、呼吸を引き取ったのである(『吾輩は猫である』中篇自序より)” |