『しゃぼん玉』市原悦子さん出演作
■解説:直木賞作家・乃南アサの同名ベストセラーを、「荒川アンダー ザ ブリッジ」の林遣都とベテラン女優・市原悦子の共演で映画化。テレビドラマ「相棒」の東伸児監督が劇場映画初監督を務め、犯罪に手を染めてきた孤独な青年が、逃亡先の村で出会った人々との交流を通して再生していく姿を描く。親に見捨てられて人生を諦め、女性や老人ばかりを狙った通り魔や強盗傷害を繰り返すようになった青年・伊豆見。逃亡の末に宮崎県の山深い村にたどり着いた彼は、怪我をした老婆スマを助け、彼女の家に世話になることに。当初は金を盗んで逃げるつもりだったが、スマや村人たちの温かさに触れるうちに、伊豆見は失いかけていた人間性を取り戻していく。そんな中、ある事件をきっかけに10年ぶりに村に帰ってきた美知と知り合った伊豆見は、自分が犯してきた罪の重さを自覚するようになり、人生をやり直すことを決意する。
■スタッフ:/監督 東伸児 /原作 乃南アサ /脚本 東伸児 /エグゼクティブプロデューサー 近藤雅信 /企画プロデューサー 豊山有紀 /プロデューサー 豊山有紀 /撮影 宮本亘 /D.T.I. 佐々木基成 /照明 佐々木貴史 /録音 坂上賢治 /整音 室薗剛 /装飾 松田光畝 /衣装 宮本まさ江 斉藤育子 /ヘアメイク 山本理恵 浅見順子 /編集 只野信也 /音楽 奈良悠樹 /主題歌 秦基博 /助監督 桑島憲司 /製作担当 守田健二
■キャスト:林遣都(伊豆見) 市原悦子(スマ) 藤井美菜(美知) 相島一之(スマの息子) 綿引勝彦(シゲ爺)
■作品データ:/製作年 2016年 /製作国 日本 /配給 スタイルジャム /上映時間 108分 /映倫区分 G
公式HP 新着情報 2019/01/14(月) 市原悦子様の訃報に際して
→『◎本当に残念でなりません。市原さんは、上品で気さくで、スタッフや地元(宮崎県椎葉村)の皆さんとも気軽に話しながらも、どこか孤高の人でした。たぶん、僕らには見えてない景色を、市原さんは見ているんだろうなあ、と感じていました。それを一生懸命探るのが、僕の現場での日々でした。どんな芝居がでてくるのか、楽しみでもあり、怖くもありました。映画をご一緒させてもらったことを、大切にしていこうと思います。心よりお悔み申し上げます。東伸児(脚本・監督)
◎療養中とお聞きしておりましたが、突然の訃報にとてもびっくりしております。市原さんとは映画『しゃぼん玉』でご一緒させて頂きました。俳優という仕事を志す上で必要な覚悟、重み、面白み、そして、演じることの厳しさなど、沢山のことを教えてくださいました。短い期間でしたが、市原さんのそばで過ごした時間は、今もこの先もずっと僕の宝物です。一緒に過ごせた貴重な時間に感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。林遣都(俳優)
◎ご逝去の報に接し、悲しみにたえません。映画の現場で市原さんとご一緒したすべての時間が、私の中でかけがえのないものになっています。普段の市原さんは優しく可愛らしい雰囲気に包まれていて、しかし現場に入られると、明らかにそこの空気が変わり、その佇まいが表現者としての圧倒的な存在感を放っていました。その光景は今もはっきりと覚えています。また映画でご一緒させて頂きたいと願っておりましたが、それは叶わなくなってしまいました。本当にありがとうございました。どうぞ安らかな旅立ちでありますよう、お祈り申しあげます。豊山有紀(プロデューサー)』
※女優としての市原悦子さんを、あまり知らなかったなーー、という思いで、
少し出演作を鑑賞してみようと思い立った。。。まずはブロ友のまころうさ
んが記事に挙げておられた『しゃぼん玉』から。
※優しい口調に癒される・・・。市原さんの遺作、いざ、鑑賞スタート!
→ 『俳優の林遣都と女優の市原悦子が共演した映画「しゃぼん玉」が3月4日、東京・シネスイッチ銀座で公開された。市原は自己免疫性せき髄炎で入院中、綿引勝彦が風邪のため欠席したが、林と藤井美菜、相島一之、主題歌「アイ」を提供した秦基博、東伸児監督が初日舞台挨拶を行った。
直木賞作家・乃南アサさんの同名小説の映画化で、犯罪を繰り返しながら生きる青年が、逃亡先で1人の老婆と出会ったことで人として生きることの意味を問い直していく物語。撮影は宮崎・椎葉村で全編ロケが敢行され、林は「パッと浮かぶのは現地の人。泊まっていた民宿のお母さんや、村の人たちが毎日現場に来てくれて“大変だねえ。頑張ってね”と差し入れしてくれたのが力になった」と振り返った。/映画デビュー作「バッテリー」の公開が2007年3月17日で、間もなく俳優生活10周年を迎える。「今、これだけの人の前で話せ、仕事ができる幸せを感じている。間もなく10年というタイミングで、市原さん、綿引さんら偉大な役者さんとひとつの作品を残せた。生涯、心に強く残る作品になりました。宝物です」と感慨深げだ。
53歳にして監督デビューを果たした東監督も、「ここまでたどり着くことができてうれしい」と感激の面持ち。撮影中、市原から「こんな地味な話を地味な役者で、主役はちょっとハンサムだけれど、誰が見るんですか?」と言われたそうだが、満場の客席を見渡し「市原さんに伝えます」と話した。そして、東監督が感謝の意味を込めて、登壇者にしゃぼん玉をかたどった特製のブローチをプレゼント。市原の分も用意され、代理で受け取った所属事務所代表の熊野勝弘氏は「まだ入院中ですけれど、今リハビリを元気にやっています。大丈夫です。安心してください」と、復帰予定の5月に向けて順調であることを明かした。』
※市原さんのセリフ「坊はええ子じゃ」が、やはりどう聞いても「まんが日本昔話」のオープニング曲の歌詞「♪坊や~~よい子だ(ねんねしな)」に聞こえてしまって困ったw
→ 『Q:林さんは、本作で市原さんという素晴らしい女優さんと共演されましたが、市原さんの印象をお聞かせください。/林:俳優をやっていくうえで「武器」となるような、「武器」として残るような役になりましたね。撮影中、市原さんは常に僕を“翔人”として接してくださっていました。僕がずっと感情をこめ続けていられるよう、本当に<スマ>おばあちゃんとして接してくれて。最初は緊張してたんですけども、市原さんのおかげでぶつかっていくことが出来ました。現場では、ちょっと離れたところで市原さんのお芝居を見ているだけでも圧倒されて、感動してしまうというか・・・貴重な時間でした。
Q:林さんの実のおばあさまと、映画に出てくる<スマ>というおばあちゃんとでは、どこかに通っているところはありましたか?/林:母方も父方のおばあちゃんも亡くなっているんですけど、母親がやっぱり子供というのは、どんなに辛いことがあっても救いで、特別なものだと言っていて。僕は愛情深い家族で育ったんだなと思いました。今回、椎葉村の方たちや、スマおばあちゃんと接していると、家族のことを自然に思い出していました。/ここでサプライスが起こる。病気療養中でこの舞台挨拶に参加できなかった市原悦子さんから生声メッセージが届いたのだ。
予想もしていなかった市原からのメッセージに、林の目から涙があふれだす。/林:(涙目で)正直、自分に何を言われるのかとドキドキしていて、他の方のことは聞いていなかったですけど。現場では「坊、坊」と翔人として接していただいたので、今初めて「林さんとの時間」と言っていただけ、ただただ嬉しいです。/監督:市原さんに名前を言われると、本当に背筋がすっと伸びる感じがします。今日は劇場のロビーで市原さんにメッセージが書けるようになっています。市原さんは、ああ見えて結構乙女なので、みなさんから「映画が面白かった」とか、「市原さん素敵でした」と書いていただけると、すぐ元気になると思いますので、市原さんへの応援のメッセージをよろしくお願いします。(後略)』
『あん』ももう一回、観直してみようかしらん~?
→ 『2017年3月公開の本作だが、実は現在、成人の刑務所や少年院などで上映会が行われていることをご存じだろうか? 本作プロデューサーの豊山さんに話を聞いた。「企画段階からずっと、映画『しゃぼん玉』を刑務所や少年院などの施設で上映できないかと考えていました。京都での舞台挨拶の時、京都刑務所の所長さんや刑務官の方々とお会い出来、この話をしたことがきっかけとなって、京都刑務所で初めて本作の上映会を開催して頂くことになったのです。/上映会では、皆で一緒に映画を鑑賞した後、私が製作について話し、受刑者の方々との意見交換を行っています。この活動を通じて、一人でも多くの方々に自分自身と向き合い、居場所を見つけることの大切さを感じて貰えれば、そしてそれが彼らの改善更生の意欲や贖罪の気持ちに繋がればと思っております」
豊山さんによると、これまでに9カ所の刑務所や少年院で上映会を行い、実際にこの映画を鑑賞した受刑者からは、感動の手紙も寄せられているという。「受刑者の方たちや少年たちからは“更生は自分自身が行う以外前へ進めないと感じた”“私にも待ってくれている人がいる。そのことを忘れずに頑張っていきたい”“自分も被害者に対して、贖罪の気持ちを持って生活していこう”といった感想文が届いています。そんな感想文を読むたびに私は、彼らにとって更生のきっかけになればと思います。
市原悦子さんのご逝去は、あまりにも突然すぎて言葉がありません。普段の市原さんは優しく可愛らしい雰囲気に包まれています。そんな市原さんが現場に入ると、空気が変わり、表現者として圧倒的な存在感を放っていました。市原さんが演じているからこそ、スマお婆ちゃんの一言一言が受刑者の方々や少年たちの心に届いているのだと思います。これからもこの上映会という活動を全国で続けていく予定です」/突然の訃報に未だ悲しみは尽きないが、市原悦子さんが遺した数々の作品は、今後も人々に希望を与え続けるに違いない。』
※説得力のある実力派女優が、次々といなくなって、日本の映画界が
本当に心配であるーーー。
年度・団体【2006年・DDT】 |
カテゴリー【事件】 |
見出し:『高木三四郎が社長争奪ロイヤルランブルを制し、DDTの社長に』 |
→ 『解説:旗揚げからリング内外で中心を担いながら、社長にはならずにきた高木だったが、長女が生まれたことで「娘が小学生になってお父さんの仕事を聞かれたら、“社長”と言わせたい」と決意。ただしすんなりと就任するのではなく、リング上の試合に社長職をかけるあたりがDDTならでは。/大鷲透を場外へ落とし失格させ、高木はその座に就いた。このランブル戦にはヨシヒコも出場しており、優勝したら人形がプロレス団体の社長として会社を経営していくところだった。』
・曲 Fire
・アーティスト Scooter
・アルバム Rebel Yell / Fire
・作詞 / 作曲 H.P. Baxxter, Ferris Bueller, Rick J. Jordan, Jens Thele
→ 『今、プロレスが熱い。棚橋弘至や真壁刀義といった人気レスラーが連日のようにメディアに露出し、「プ女子」といわれる女性ファンも増えている。現在のプロレスブームのずっと前から、独自のスタイルで新しいファン層を開拓してきたのがDDTプロレスリング(以下、DDT)。その最大の魅力は、ずば抜けた「演出力」だ。個性的なキャラクターが会場を爆笑に包んだかと思えば、プロレスラーの強さを存分に味わえる激しい試合が繰り広げられる。/2017年に20周年を迎えたDDTを率いるのが、「自分はプロレスに自信がない」と言い切る“大社長”高木三四郎さん。経営とプレイヤーの両面からDDTを支える社長レスラーに、観客の期待を超えるアイデアの出し方やレスラーのキャラクター作り、そして、これからの団体運営について伺った。
──本屋さんやキャンプ場でもプロレスをしてますね。リングもないのに車の上からムーンサルトアタックを決めたり……。びっくりしました。/高木三四郎さん(以下、高木):「路上プロレス」ですね。あれは、いわば場外乱闘の拡大版。たしか90年代のアメリカで、入場通路でも客席でも、リング以外のどこでフォールしてもいい「エニウェアルール」というのが出てきたんですが、それなら「別にプロレス会場じゃなくてもいい」と思って始めたんです。──他団体のプロレスとはかなり違いますね。/高木:「文化系プロレス」と言われていますが、お客さんが面白いと思うことを最優先したエンタメ性重視のプロレスっていう感じです。そもそもはWWF(現WWE)というアメリカの団体のショーアップされたエンタメ系プロレスを日本風にアレンジして取り入れたんです。──もともとはアメリカの団体のやり方なんですね。/高木:試合に笑いの要素を取り込むだけじゃなくて、社長と選手のもめごとを演出したり、バックステージの様子やリングに立つまでのストーリーを試合会場のスクリーンで流したり、お客さんに楽しんでもらう方法を常に考えています。自分が社長になったのも、「社長争奪ロイヤルランブル」っていう試合で決めたんです。──社長も試合で決めるんですか!?/高木:当時、実力至上主義を打ち出した新日本プロレスのストロングスタイル、「明るく、楽しく、激しいプロレス」を掲げた全日本プロレスの王道プロレスみたいに団体ごとのスタイルがあって、差別化するにはエンタメ路線しか残されていなかった。インディーズの僕らは他と違うことをやらなきゃ生き残れなかったんです。
──メディアやファンからの反響はどうだったのでしょうか。/高木:他団体のファンには「お前らのせいでプロレスが馬鹿にされる」なんて言われました。当時は『週刊プロレス』や『週刊ゴング』、『週刊ファイト』といった専門誌がたくさんあって、スポーツ新聞もプロレスネタを大きく扱っていた時代だったけど、どこも取材にすら来てくれませんでした。──厳しいですね……。/高木:だからネットを使った情報発信には早くから取り組んでいました。それに、試合を観た人の感想を知りたいから、プロレス関連のネット掲示板を見たり、一般の人が書いたネットの観戦記を検索して読んだり。それで、良かったという感想と悪かったという感想の「数」を集計していましたね。──まさにエゴサーチじゃないですか! 先進的だったんですね。/高木:実際、今もチェックしています。Twitterで「しょっぱい試合だった」とつぶやいている人がいたら、その人の過去のツイートを遡って趣味嗜好まで調べた上で、なぜ受け入れられなかったのかを考えます。そうやって継続的にリサーチしていると、旬な選手や旬なスタイルといった「プロレスの旬」が見えてくるんです。──徹底してますね。でも、ネガティブな意見を読むのはつらくないですか?高木:そうでもありません。長くやってきてわかったことですが、一定数のファンは多かれ少なかれ入れ替わっていくものですから。ただ、なるべくそうならないように、批判的な意見にも耳を傾け、試合内容がファンの好みとズレてきたり、路線が合わなくなってきたりしてないか、把握しておくことが大切と考えています。(後略)』
※
→ 『■内容紹介:新時代のエンタテインメントとして蘇る、新しいプロレスの楽しみ方!!「はっきり言ってしまうと、俺よりも強く、身体能力に優れ、スター性のある選手はいくらでもいる。そんな俺がなぜDDTという団体を率いながら、ここまでやってこられたのか? それは俺が、この体育会的な考え方が根強いプロレス界において、常に文化系的な発想を武器にしてきたからである」――「まえがき」より
/■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 256ページ /出版社 太田出版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4778310950 ISBN-13: 978-4778310950 /発売日 2008/4/11 /梱包サイズ 19 x 13 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.7 /■カスタマーレビュー:かい、 5つ星のうち3.0 「プロレス企業書」2012年10月15日・・・マッスル坂井の「八百長★野郎」がプロレスそのものの構造をアングラなやり口でケレン味たっぷりに暴く『魔導の書』であるとするならば、本書はDDT社長、高木三四郎が、「興行としてのプロレス」、自身が信じた「売れるプロレス」の作り方を、己の半生記として明るく綴った『教典』である。大学生にしてテレビ業界に太いコネを持つイベンターとして活躍する企画力を備えた逸材でありながら、プロレスラーになりたいと一念発起し、紆余曲折を繰り返しながらも、このご時世に売り上げを伸ばしながら、団体『DDT』を支える日々を語る。木村浩一郎の発言と客の反応をシュートアングルとして用いて好転させたストーリー作りの様子や、坂井、ディーノという軍師を手に入れ、団体が加速する様子、澤田、飯伏、メカマミーなどの、時代を彩るレスラーの誕生ほか、どれが欠けても今はなかったかもしれない要所が連なり続ける流れは、ドラマティク以外の何物でもない。これをベンチャーと言わずして何をベンチャーと言おう、という成功体験は、業界初のプロレス起業書とも言える。』
※
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「木瓜(ぼけ)咲くや漱石拙(せつ)を守るべく」――夏目漱石 |
【解説】
夏目漱石が明治30年(1897)、熊本で英語教師をしていた頃に詠んだ俳句。「拙を守る」とは、目先の利に走らず不器用でも愚直に生きることを意味する。これが、漱石の目指すひとつの生き方だった。
ひたすらで、だから機転もきかないし融通もきかない。
世俗の人から見れば、どうにももてあますような人。
そんなしかし、正直すぎるのはいけないことなのか。
機転がきかなくて融通がきかないのはいけないことなのか。
よく考えてみれば、どれ一つとして非難すべきことはない。
むしろ、りくつばかりまくし立てて、いわゆる賢い人ばかりが
多くなったきょうこのごろ、こんな愚直な人は珠玉のような人で
あるとも言えよう。
あったのかも知れない。
愚直もまたよし。
この波らんの時にこそ、
自分に真実な道を、正直にひたすらに、
そして素直に歩んでみたい。