2019年4月GMH♂ランキング!(またまた簡易版)
第10位 イコ・ウワイス&ヤヤン・ルヒアン
※『ザ・レイド』の格闘コンビが、宇宙人を相手に殴る
蹴るのアクションを見せる!?というだけで、興味津々
ではないか!『スカイライン奪還』はその一点で、もう
勝ち組映画なのである♪
第9位 江頭2:50
※観客不在の形態に移行することを余儀なくされて
しまったとは言え、「ピーピーピーするぞ」の復活
は嬉しい出来事だった。
映画解説のコーナーも相変わらず、切り口が斬新で
面白いわ~♬
第8位 万城目学
※エッセイ「ザ・万字固め」を読み、他のエッセイ
も全部読みたい衝動に駆られている。
「ザ・万歩計」と「ザ・万游記」の2冊。
明石のジュンク堂に在庫があるところまでは突き止
めた。さて、いつ買いに行けるかな・・・。
第7位 ジェイソン・ステイサム
※『MEGザモンスター』で、サメ相手に死闘を繰り広げて「らしさ」
発揮。思えばこの人は、『ロック、ストック&トゥー・スモー
キング・バレルズ』で、お洒落なイメージから入ったものの、
いつしか肉体派に転向してましたネーーー。
第4位 内田裕也
※伝説のロケンローラー、没。安岡力也、ジョー山中を従えて
威風堂々と芸能界を渡ってきた、というイメージ強し。
プロレス界で悪徳マネージャー的な役割を演じさせても、絵に
なるキャラだったろうなー。あの杖でレスラーにちょっかいかけ
る展開なんて面白そうだ。。。
「どっちが先輩なんだ問題」で揉めているらしいが、それとは
関係ない。『ピーピー兄弟』という映画を、たまたまDVD
鑑賞したからだ。他意はない・・・
※後ろのダウンタウンは呆れ笑いしてる模様w
→ 『いつも挑戦を続ける”コメディアン”の“ぜんじろう”さん。今年はインド、マレーシア、タイとアジアツアーを慣行!『スタンダップコメディLIVE~こいつらを笑い倒せ!vol.2』も2018年5月11日(金)〜5月12日(土)開催。USTREAM「Zenjiro Show」は、もう2018年5月11日現在9年目へ、“ぜんじろうさんのご自宅”より毎週土曜日に生放送しているUSTREAM放送。今期で、第11弾のポスターを制作しました。世界で活躍するぜんじろうさんをイラストにしてみました!・受賞歴・・・世界22カ国のコメディアンが競う第1回タイ国際コメディフェスティバル 優勝(2015年)!』
※タイの大会で優勝してたんかーーい。んー、微妙ッスなーーー。
ぜんじろうは、わが姫路出身なので頑張ってほしい気持ち半分、
姫路南校で同級生だった知り合いの話では「性格むっちゃ悪かった」
ということで、積極的にはファンと言いたくない気持ちも半分w
やってたかと思えば、テレビ業界に背を向けて海外に活躍の場を求め
たり・・・と、師匠・上岡龍太郎の反逆精神を、弟子として受け継い
でいるのかも知れない・・。でも、風貌はだいーぶ悪くなっとるナァー。
第2位 安田顕
→ 『①フラニーさん / 2019年4月11日圧倒的作品 評価: 5.0 ・・・色んな意味で圧倒された。衝撃的すぎた。こんなに放送禁止用語を叫びまくる映画、初めてみた。人間の醜いところや美しいところがギュっと濃縮されたような作品。愛って難しいなあ…/②アサシンさん / 2019年3月6日 評価: 4.0 「安田のオマンゴさせろが耳から離れない」・・・一途なはずが、本当はしたいだけ。とにかくしたいから外国で嫁を買うところからおかしくなる。ヤクザの思い入れで殺しをすることまではわかる。その後から、まるで別人のようにやりまくるのはどうなんだろう。その気になれば、だれとでも出来るとゆこと?パチンコ屋の同僚はヤクザの妻らしいが、なんでこんなとこにいて、だれとでもしてるの、なんていう美人。迫られたら、前からしてたのになんて、安田次第なの。愛と言いながら、安田は最後まで、おマンゴー、と言いながらしたいだけにしか見えない。最後に雪が降る中で木にアイリーンて彫るけど。アイリーンが観てカタカナわかるの。安田が死んでからやたら長いんですが。母親の妄想。
愛とゆう割には、安田の性欲が爆発して、どう解釈して良いのかな、戸惑います。おもしろいが、後味が悪い。なんで、意味なく、安田や女優さんが、いろんなところでオナニーをするのか分かりませんでした。特に、雪が降る中で女の人がオナニーして、アイリーンにボコられるのはコメディとしか思えませんでした。ボコられながらパンツ上げてるし。』
※戸惑いながらも観てしまった、という感想多数。ま、人間なんていい面
だけじゃなく汚い部分も併せ持ってナンボの生き物やからネーーー。
→ 『■安田顕のコメント・・・試写を観た後、立ち上がれなくなりました。マイク・タイソンに思いっきり殴られた感じで、何なんだこの衝撃は、って。大いに期待してもらっていいし、たくさんの人に見てほしいけど、覚悟して観たほうがいいということは、お伝えしておきます。とりあえずすぐ2回目は観たくないと思ってしまうほど、人間の見たくないところ、痛いところをえぐってえぐって、えぐりまくる映画になってます。』
※「なんで2位やねーーーーーん!」
第1位 織田哲郎
※改めて、オープニングの素晴らしさに感動!特に前奏は神ですワ!
「ちびまる子ちゃん」のノスタルジィな部分を抽出したのがOPで、
作品を貫く馬鹿馬鹿しさのみを抽出したのがEDなのだと。目から
ウロコでございやすた・・・。
※なんと、このエンディングを、スタジオで生演奏(自身初の試みだったそう)
でやってくれたのだっ!こりゃむせないわけにはいかないジャマイカ!!
今回のGMH♂ランキングは、ギザ萌えランキングじゃなくって、「ギザむせ
ランキング」じゃぁーーーっ!
※レコード会社との契約の関係で「ボトムズ」の主題歌を手掛けるのは
本当はご法度だったそうな。でも、名義を変えれば大丈夫、ってことで
(しかもボトムズの認知度が低かったせいで許されたんだとかw)
外人風の偽名で行きましょう、という話になったらしい。で、蓋を開けて
みたら「TETSU」って!さすがにそれを知ってぶったまげたんだってサw
コントみたいなエピソードだぁな。でも、そういうのが、レコード会社を
超えての闇営業的な現在の慣習にも繋がっているのだから、ある意味、
エポックメイキングな“掟破り”だったとも言えるんだネーン。
→ 『学校は進学校というか、男子生徒は全員丸刈りという校則があるようなカタい学校でしたから、停学になった途端、半径5メートルが半径10メートルに広がった感じでした。そりゃあ、近寄ろうという人間はなかなかいません。/実は私は小学校の頃から“死”というものについてやたらと思案をめぐらす子供でした。父親がよく「人生大事なのは辛抱と努力だ」とそれはそれである意味普通のお説教をしているのを聞いて「だったら早く死んだほうが楽じゃね?」と思い、どうやって死ぬのが楽で、かつ死後に恥ずかしくなく迷惑が少ないかと妄想していました。本当に幼い部分とねじくれた部分のバランスが悪い子供だったと思います。
そしてついに中3の初夏、半径10メートル以内に誰も近寄らない(しつこいですがあくまで心象風景です)日々の中、いよいよもう今夜死のうと決心したのです。好きな音楽を聴きながら死にたいと思い、ラジカセとカミソリを持って寮の屋上に行きました。「これが最後に見る風景か」と思いながら、好きだった曲の入ったカセットを聴いていたら、突然、本当に突然、脳内で音楽がすべて光に変わったのです。その光の洪水が、脳内の黒々とした澱(おり)を洗い流していきました。この時聴いていたのはエルトン・ジョンでしたが、その数分間、とにかく光の洪水の中、延々と涙が出続けました。
そのわけの分からない現象、自分にとっては何かの本質に触れたと感じた数分間が終わったとき“自分で死んだりしては絶対にいけないんだ”と理屈ではなく、確信を持つに至りました。絶対に自殺をしてはいけない理由が、人間の論理や言語を超えたところに歴然とある。その後の長い人生で、鬱になっても、どんなことがあってもその確信だけは揺るぎません。その体験があるので、プロとして音楽を作るようになってから、もし1人でも本当に誰かの命を救うことができたなら、それだけで自分は音楽を作ってきた意味があるとずっと本気で思っています。(夕刊フジに連載中)』
※織田さんは、しょこたんパパの未来の姿のようでもあり、そしてそして、
こういった自殺未遂エピソードなどを読むにつけ、「ボトムズ」のネクラ
な主役、キリコ・キュービィにも似ているなーー、と漠然と感じたのでアリマシタ。
年度・団体【1994年・新日本・両国国技館】 |
カテゴリー【大会】 |
見出し:『「スーパーJカップ」初開催 サスケ、ハヤブサらが飛躍』 |
→ 『解説:獣神サンダーライガーが雑誌の対談で盛り上がった話を各団体に持ち込み、賛同を得て実現。全日本はこの日、チャンピオンカーニバル最終戦があり不参加だったものの(川田利明が初優勝)、ヘビー級では困難とされる交流戦が見られるとあって、ファンの期待は高まった。/ローカル団体としてまだ中央では認知されていなかったみちのくプロレスのザ・グレート・サスケ、TAKAみちのく(その場外ダイブを控え室のモニターで見ていた長州が「あいつは宇宙人か!?」と言った逸話はこの日生まれた)や、邪道のイメージを覆すFMWのハヤブサがこの大会で活躍。以後、Jカップはこれから飛躍する可能性を秘める選手たちの発掘の場として定着する。』
※ダイジェスト版は見易いね~。
→ 『この大会は、ジュニアの盟主である獣神サンダーライガーが企画・提唱して、実現したもので、新日3(ライガー、サムライ、大谷)、WAR1(外道)、FMW2(フジ、ハヤブサ)、みちプロ3(サスケ、デルフィン、TAKA)、SPWF1(茂木)、外人4(ペガサス、B・タイガー、D・マレンコ、カサス)の5団体14選手が参加し、ワンナイト・トーナメントが行われたのです。提唱者ライガーは1回戦の相手にFMWのハヤブサを指名、当時ハヤブサは国内ではまだ試合をしておらず、実力は全くの未知数であり非常に注目されてました。(*勿論、正体は皆知ってましたが・・・)
ライガーの自伝によると「ハヤブサ選手に関しては、FMWからのプッシュがあったんですけど、正直僕はハヤブサ選手の事を知らなかったんですけど、大仁田さんから『今、海外遠征に出してるエース候補を凱旋させるので、ぜひライガー選手と1回戦で当ててほしい』っていうお願いがあって、コッチとしてはヨソ様が大事に育ててる選手を出してくれるんだから、「何も問題ないですよ」っていう返事をして」-ハヤブサ選手の印象は?「いやあ、すごかった!奇襲しかけてきて、いきなり飛んでくるし(苦笑)。彼は身長があるのに加えてレスリングも器用だったんで、『スゲーな、コイツ』って思いましたね。僕相手にシューティングスタープレスを出してきたのも肝っ玉が座ってるというか、FMWさんが強く推してきただけの事はあるなって。あれが日本で初お見えだったわけで、お客さんもびっくりしたと思いますよ」-それだけに、ハヤブサ選手がのちに頸椎のケガでリングから離れることになったのは、プロレス界全体の損失というか・・・「ホント、そうですよ。まだまだこれからの選手だったし、もったいなかった。もし、ハヤブサ選手がまだ第一線で活躍してたら、日本を代表するスターになってたと思います。彼は技もさることながら、ビジュアルがよかったですよ。」』
※ハヤブサの飛び技は、なんだか全部危なっかしく見えちゃうんだなー。
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「先にお辞儀をするな。みんなが頭を下げるのを見渡してから、ゆっくりと頭を下げなさい」――向田敏雄 |
【解説】
向田敏雄は、昭和44年(1969)2月に満64歳で病没。逆算すると、おそらく明治37年(1904)生まれだったろう。高等小学校卒業後、保険会社に給仕として入り、誰の引き立てもなしに、会社はじまって以来といわれるほどの昇進をし、地方支店長をつとめていた。そのため転勤が多く、家族もついてゆくので、必然的に子供たちも転校を繰り返した。小学校だけで、宇都宮、東京、鹿児島、高松(香川)と4回変わったとは、後年の長女の弁。長女の下には、ふたりの妹とひとりの弟。4人姉弟だった。
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「向田邦子」「父」で動画検索してみました!!)
→『作家、脚本家の向田邦子が自分の少女時代の思い出を一人称でつづった随筆を原作としたドラマ。第24回プラハ国際テレビ祭プラハ金賞を受賞。原作:向田邦子脚本:ジェームズ三木語り:岸本加世子』
※おしゃれな父親は夏目漱石に似ていると思った、という一節あり。