ブログ移行期間 /人生初もんじゃ
そして、人生初の「もんじゃ焼き」を食べてみた。まぁー、、、姫路の
どろ焼きで慣れているので、ああいうドロドロ粉物は、さほど新鮮には
感じなかったけどーーー。
→ 『☆人気のもんじゃ焼!特製もんじゃソースで仕上げる京風塩もんじゃ!!イカがなもんじゃ/梅おかか等多数ご用意♪660円(税抜)~
◎心をこめたおもてなし:京都発祥“お好み焼きはここやねん”のおいしい理由!!お好み焼き生地はオリジナルブレンドの粉を毎日必要な分だけ練り上げます。おいしいお好み焼きの為に、コストと手間を惜しみません。 独自開発の極太生麺を、お客様からご注文を頂く都度、茹で上げてから焼きそばにしています。各店しのぎを削るお好み焼きソース。ブレンド内容は当然秘密ですが、有機野菜を主原料に自然の旨みにこだわり。』
※ここやねんサラダ、キュウリの浅漬けスティック、枝豆
※たいしたもんじゃ。
※ふうわり焼きハーフ 海鮮
遅くまで開いているので、今後利用する機会は増えそう。。。
年度・団体【1955年・NWA】 |
カテゴリー【海外】 |
見出し:『ルー・テーズの連勝が「936」でストップ』 |
→ 『解説:48年7・20にビル・ロンソンを破って以来続いていた連勝は、レオ・ノメリーニ戦に反則負けを喫し、936でストップ。もちろん、現在も破られていない不滅の記録だ。』
→ 『【第36回】アニマル浜口が語る「国際プロレスとはなんだ?」国際プロレスでのデビュー戦で、グレート草津をバックドロップで失神KOさせたルー・テーズ。アニマル浜口は「鉄人」から発せられる殺気に、勝負の怖さ、プロレスの厳しさを感じたという。ルー・テーズの目の前で初めて試合をしたとき、アニマル浜口はどんな思いでリングに立ったのか――。/「坂口さんや猪木さんに極(き)めた伝家の宝刀バックドロップ――。テーズさんが『ヘソで投げる』を極意としていることは有名でしたが、ドンピシャのタイミングでスピードがありました。いくら教わっても、ちょっとやそっとではマネできない。
僕がテーズさんを見るようになったのはピークを過ぎた晩年でしたが、それでもプロレスラーが惚れ惚れするような肉体でした。筋(すじ)ばっていて、ボディビルでいえば、『バルク型』ではなく『ディフィニション型』というんですがね。鍛え抜かれていて、ぜい肉もまったくなく、筋肉と鋼鉄のワイヤーのような筋でつくられた身体。あの肉体を見ただけでも、僕にとっては財産でした」「僕とベン・アレキサンダーの試合で、たしか僕がエアプレーン・スピンで勝ちました。あの技は吉原功(よしはら・いさお)社長から『この技をやれ! おまえの必殺技にしろ!』と言われていて、もともとはテーズさんの得意技でした。何か縁みたいなものを感じます。ルー・テーズ杯争奪戦は若手の登竜門で、アピールの場でした。テーズさんがレフェリーをしてくださったり、リング下から見ていてくれると、僕たち若手は『よし、俺もルー・テーズに認められてやる!』と気合が入ったもんです。雲の上の、偉大なレスラーでしたからね」
「今回のルー・テーズをはじめ、ビル・ロビンソン、カール・ゴッチ、モンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)、バーン・ガニアなど、これまで国際プロレスにゆかりの深い外国人レスラーを紹介してきましたが、国際プロレス16年の歴史のなかでは他にも多くの外国人レスラーがリングに上がって活躍しました。ラッシャー木村さんが最強の男と評した「岩石男」ジョージ・ゴーディエンコ、アクロバットプロレスを日本に広めたエドワード・カーペンティア、AWA世界王者のニック・ボックウィンクル、「人間台風」ドン・レオ・ジョナサン、狂乱ファイトで流血必至のマッドドッグ・バション、国際の外国人エースとして君臨したジプシー・ジョー、ラッシャー木村さんの足を折ったオックス・ベーカー、「南海の殺し屋」ワイルド・サモアンズ……。そのほか、スーパースター・ビリー・グラハムやダイナマイト・キッド、リック・フレアー、そうそう、美人レスラーのビッキー・ウイリアムスやジョイス・グレーブルもいましたね。みんな個性的で、高度なテクニックや爆発的なパワーがあり、プロレスラーとして華があった。/吉原社長がアメリカ、カナダ、ヨーロッパなど世界中に独自のルートを築いて彼らを招聘してきたわけですが、国際プロレスの状況を考えると、苦労して契約した選手も多かったことでしょう。今、改めて思うのは、吉原社長のお考えです。きっと社長は、『いいか、お前ら! 世界のトップ選手、スター選手たちと接し、よく観て、肌で感じて、勉強しろ、何でも盗め! 自分たちも一流レスラーになって、世界へ羽ばたけ!』と僕たちに言いたかったんでしょうね。/それにしても、74歳まで6000試合、ほとんどストレスとプレッシャーのかかるメインイベントを務め、80歳のときに50歳の女性と再婚したエネルギーは、やっぱり人間を超えて鉄人ですね」』
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「健康な人間などというものは、恐らく一人もいないにきまっている。何等かの意味で、自分の人生に絶望を持たないで生きて来た人間は、一人もないにきまっている」――林芙美子 |
【解説】
『放浪記』というと、近年は作者の林芙美子の名前より先に、女優の森光子や仲間由紀江の名を頭に思い浮かべる人が多いのかもしれない。舞台化された作品が、それだけ長く受け継がれている証左であるから、地下の林芙美子も案外ご機嫌なのかとも想像される。
→『小説「放浪記」「浮雲」などで知られる女流作家・林芙美子の母親は桜島の古里町で暮らしたことがあり、芙美子も幼いころの一時期を鹿児島で過ごしたといわれます。「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」芙美子がとても好きだったこの言葉が碑に刻まれています。
毅然とした芙美子の姿と、母親に想いをはせているかのような幼少期の銅像から、波乱の生涯であった女流作家・林芙美子を偲ぶことができます。文学碑の近くにはお土産屋さんには、林芙美子関連の本や、森伊蔵・魔王のグッズなどがあります。そして鹿児島市街地でもなかなか手に入らない、長渕剛さんの関連商品を展示、販売。明るく優しいおばあちゃんが応えてくれます。林芙美子ゆかりの"古里"です。』