ブログ移行期間 /ポンセがユーチューバーに!!
プエルトリコ出身。1985年、ミルウォーキー・ブルワーズでメジャーリーグデビュー。1986年から1990年まで横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に所属。本塁打王1回(1988)、打点王2回(1987, 1988)、最多安打1回(1987)。勝負強いバッティングと、スーパーマリオに似た陽気なキャラクターでファンに愛される。1991年引退後はマイナーリーグの指導者となり、モントリオール・エクスポズ、フロリダ・マーリンズ、ミルウォーキー・ブルワーズで、打撃コーチ、スカウト、GM補佐などを歴任。以後は現在まで米国フロリダ州を拠点に、高校野球チームやアマチュアチームの監督・コーチを務めている。
→ 『カルロス・ポンセ選手といえば、1986年から1990年まで5シーズンにわたって横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に在籍した強打者だ。本塁打王(1988年)、打点王(1987年、1988年)を獲得したバッティングに加え、口ひげをたくわえたラテン系のルックスから”スーパーマリオ”と呼ばれて親しまれた。当時の少年ファンなら、「バモス、ポ〜ンセ♪」という応援歌がちゃんと聴き取れずに「ポポポ、ポ〜ンセ♪」とテキトーに歌っていた思い出もあるかもしれない。そんな横浜のレジェンドであり、ホエールズ〜ベイスターズのオールドファンには忘れられない存在の彼が、なぜ今になって日本向けのYouTubeチャンネルなのか? 気になってしかたないので、Twitterからコンタクトをとり、本人を直撃してみた。動画のタイトルにも「カルロス・ポンセ(本人)です!」と書いてあることだし……。
──ポンセさん、なぜYouTubeを、しかも日本語ではじめたのですか?「はい、ポンセです。このチャンネルは、私が若い選手を指導していたバッティングの練習方法を見て、気に入ってくれた日本人の友人に勧められて3月に開設しました。現役を引退したあと、私がモントリオール・エクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)、フロリダ(現マイアミ)・マーリンズ、ミルウォーキー・ブルワーズのマイナーで、監督や打撃コーチを7年間務めたことを知らない日本人ファンも多いでしょうからね。自分がずっと野球にたずさわっていることを日本のファンにも伝えたかったのです」/──ポンセさん、なぜYouTubeを、しかも日本語ではじめたのですか?「はい、ポンセです。このチャンネルは、私が若い選手を指導していたバッティングの練習方法を見て、気に入ってくれた日本人の友人に勧められて3月に開設しました。現役を引退したあと、私がモントリオール・エクスポス(現ワシントン・ナショナルズ)、フロリダ(現マイアミ)・マーリンズ、ミルウォーキー・ブルワーズのマイナーで、監督や打撃コーチを7年間務めたことを知らない日本人ファンも多いでしょうからね。自分がずっと野球にたずさわっていることを日本のファンにも伝えたかったのです」(中略)
──日本でプレーしていた頃、いちばんうれしかったことは何ですか?「横浜大洋ホエールズの一員になったとき、ファンのみなさんが、私のことをすぐに受け入れてくれたことです。とても光栄に思っています。それと、やはりホームラン王と打点王のタイトルを獲得できたことかな。私が獲るなんて、きっと誰も予想していなかったでしょうから(笑)」──各動画の紹介文には、「ずっと『横浜でカントクをしたい』と思い続けており……」とも書いてありますが、その真意は?「私は横浜で5年間プレーしました。今でもあのすばらしいチームの一員だと感じています。彼らは未来に向けて、エキサイティングなアイデアを持っています。そして、私もそれに貢献したいのです」──アメリカにいても、ベイスターズの様子をチェックしているのですか?「はい。今はネットを使って横浜DeNAベイスターズや、ほかのチームのこともチェックしています。ベイスターズは、たくさんの若いすばらしい才能とともに、チームとして正しい方向に向かっていると信じています。ただ、最近はラインナップが頻繁に変わるので、そのこともとても興味深く見ています」
──では、プロ・アマを問わず、もし日本から指導者としてのオファーがあれば、引き受ける可能性はありますか?「私は人生のなかで、そして現役生活を通じて、たくさんの夢を実現してきました。だからこの先、それ以上のことが何も起こらなかったとしても、いつも全力の私を支えてくれた妻と一緒に幸せにリタイヤすることができるでしょう。でも、もし指導者のオファーがあれば、そしてそれが私にふさわしいものであれば、もちろん引き受けます。ただ、それがアマチュアのポジションだとしたら、少し時間をかけて考えないといけませんが(笑)」──今でも多くの日本のファンにとって、ポンセさんはヒーローであり続けています。「日本にいるすべてのファンのみなさん、ありがとう! あなたたちは私にとって、いつでも特別な存在です!!」/昭和から平成に変わる頃、スタジアムを沸かせたあのカルロス・ポンセが、平成から令和に変わる今、ユーチューバーとして再び身近な存在となった。いったい、どのような動画がアップされていくのか。はたして、日本で指導者になる夢は実現するのか。フロリダ在住、60歳になったスラッガーの今後の展開に注目したい。』
動画を教科書にして、練習に励んだ方がいいような気がしますーー。
不調のT岡田も、この動画をよーく観るが宜しい~。精神論なんてめった
にしてくれる人おらんよぉ~~~~ぅ。
年度・団体【1999年・WWF】 |
カテゴリー【海外】 |
見出し:『PPV生中継中にオーエン・ハートが高所から落下し死去』 |
→ 『解説:マスクマンのブルー・ブレイザーとして出場。天井から吊るされた入場シーンでワイヤーが切れ転落、リングに叩きつけられるアクシデントだった。』
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「行くに径(こみち)に由(よ)らず」――諸橋轍次 |
【解説】
辞書や事典の編集というのは、時日を要する仕事である。こつこつと地道に進めるしかない。私自身、かつて、20世紀に話題となった「時の人」6千人余りを収録する『現代日本人物事典』の編集に携わったことがある。関連人物まで含めると、登場するのは約2万人。ページ数1300余。執筆者数250 人以上。なかなか手応えのあるプロジェクトだった。
→『大漢和辞典デジタル版 諸橋轍次[著] 鎌田正・米山寅太郎[修訂増補] USBメモリ1本・化粧函入 通常価格:本体130,000円+税 発売記念特価(2019年3月末まで):本体100,000円+税 発売日:2018年11月28日(水) ~漢和辞典の最高峰、ついにデジタルの海へ乗り出す~構想から70年あまりの歳月をかけ、2000年に完結した、漢和辞典の最高峰『大漢和辞典』。親字5万、熟語53万を収録したこの"諸橋大漢和"のデジタル版がついに登場。書籍では巻数にして13巻、ページ数にして1万ページを優に超える情報が、PC1台に収まります。
【主な特長】1. 引きやすい検索機能・・・検索対象は『大漢和辞典』の全親字(51,110字)*。さまざまな検索方法で、すばやく検索ができます。2. 読みやすいページビューア・・・本文情報は画像で用意。巻1~12、補巻の本文に加え、索引巻「補遺」まで、読みやすく使い勝手のよいビューアで閲覧できます。本文情報は、書籍の約4倍まで拡大して表示可能です。』