磯丸水産が姫路に!時代に逆行する24時間営業居酒屋

姫路の種
→姫路の人気店の情報はコチラが最良!!

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●【姫路】磯丸水産オープン初日にいってきた!まさかのサプライズ


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※いまどき24時間営業の居酒屋さんってアリ!?しかも、早ぉ~~に店閉まってまう
姫路という土地柄で・・・。チャレンジャーすぎる。ちゃんとリサーチしたんでっか?

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※とかまぁ、茶化すようなこと書いてしまったが、深夜にも利用できるのは
有り難い!!!末永く続けていってほしいものだが・・・(大丈夫かいな?)

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イカ浜焼き!クセになる味でゲソ!
 とりあえず、500円割引券貰ったので、それがなくなるまでは頻繁に来させて
 もらいまひょっ!!w

ついでにもう2店ほど。飾磨の、遅くまで開いてる中華屋さんを開拓~♪


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※老舗みたい。「上州亭」という風流な名前が宜しおすなァ~。

クックドア らーめん上州亭飾磨本店
『☆口コミ:/J8035 さん・・・山陽電車飾磨駅近くにあるお店らーめん上州亭飾磨本店です。とんこつがベースのラーメンで味もしかっり付いています。ホルモンラーメンが特においしくサイドメニューの炒め物もとてもおいしいのでお勧めです!/B2218 さん・・・先日友達と初めて行ったのですが、ホルモンラーメンがとても美味しくて驚きました!他にもラーメンの種類がたくさんあるので、おすすめのラーメン屋さんです!サイドメニューも豊富で、特にチャーハンが美味しかったです!/K8887 さん・・・らーめん上州亭飾磨本店は仕事場から近くよく、先輩や後輩と一緒に利用してます!ここのオススメはチャーハンセットのホルモンラーメンです!ここへ行くと毎回頼んでしまうほど、とにかく美味しいです!駐車場もあり、夜も営業してますので、近くまでいった際は是非!!!』

●らーめん上州亭 飾磨本店 綾花(りょうか)ちゃん!


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※豚足、餃子、野菜炒め。豚足って初めて食したかも・・・。

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※海老チャーハン&玉子スープでおま!
 多分夜にしか行かないから綾花ちゃんに会える機会はなさそうだ・・・。
 ていうか、この動画、4年前のやし、もう辞めてるかもねー。
 因みに、深夜はけっこう不愛想な男の店員しかおらんゾナモシ(´・_・)

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※デザートまで頼んでもうた。スジャータシルクアイスのさつまいも味!
 次はホルモンラーメンやな。

こちらは、北条にある「鶏焼ダイニング とりごぜん」


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※「食べ放題!」の看板が目立つお店だ。。。

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※団体さんの貸し切り、とかがメインのような小じんまりしたお店。
 ツウが好みそうな店の佇まいだー。

ホットペッパーグルメ 鶏焼だいにんぐ とりごぜん
『★お店のこだわり:「国産食材と手作りにこだわる!」・・・★60種類以上★食べ放題!!厳選国産鶏とこだわり逸品食べ放題コース♪大好評の食べ放題は、新鮮な国産若鶏から、一品もの、ご飯もの、デザートまでどーんとお楽しみ頂けます!!詳細はコースページをチェック!!/「醤油、味噌、塩をはじめ、調味料にもこだわりを♪」・・・お客様により満足して頂くために・・・食べ放題コースでは量はもちろんのこと、質にもこだわり、ご提供させて頂いております。特に調味料は1つ1つこだわって、お客様に満足して頂けるものを使用しております。ぜひ量も質もお楽しみください♪』

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※やはり、手羽先にはハイボール

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※釜飯は、時間がかかる分、「ウンマーーーイ」のでした!

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※そいでもって、すぐ近くにある「スシロー」へデザートだけ食べに行ったw

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※イチゴふんだんに入りまくりの「ミルフィーユパフェ!!」980円なり!!

はいじぃ迷作劇場 デカすぎメニュー(パフェは8分あたりから)

※本格海鮮の「磯丸水産」も、なんちゃってお寿司の「スシロー」も、
 味の面では互角互角!もぅ美味けりゃあなんでもえーのじゃっ!




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月22日(金)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【2009年・新日本】
カテゴリー【快挙】
見出し:『後藤洋央紀ニュージャパンカップ優勝で史上初の夏春連覇
『解説:G-1クライマックスがリーグ戦であるのに対し、春の本場所NJCははシングルトーナメント。後藤は決勝でジャイアント・バーナードを下し、夏春連覇。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

●GOTO vs BERNARD


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※後藤って「運動神経のいい笑い飯の西田」っていう感じでオモロイなぁーw

★同じ年の12月のインタビュー記事だ。
2009.12.27#Topics 後藤洋央紀スペシャルインタビュー/「自分にいい風が吹き始めている!」
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『Q:後藤選手にとって、2009年はどんな1年だった?/後藤:3月に「NEW JAPAN CUP」を獲って、(2008年のG1 CLIMAXから続いて)“夏春連覇”できたのですけど、その事を見ている人の記憶から抜き去るくらい、「G1」以降、負け過ぎた。期待を裏切り過ぎたなと。ただ、何も残っていない1年かもしれないけど、それは結果としてで。俺の中では色々な経験をする事ができたし、以前よりも大きくなったと思っています。あとは、これが結果に繋がっていけば。2010年の初っ端でチャンスが来ていますから。いい風が自分に吹き始めていますので、その風に乗りたい。/Q:ターンニングポイントとなった事は?/後藤:やっぱり(6月20日と8月15日の)杉浦戦で(負けた事で)しょう。そこからガタガタときちゃっているので。次こそは勝ちますよ。あとは結果を出すだけです!』
※どのレスラーにも旬はある!ピックアップ月間とか、年間とかがある!
 そこでそれだけファンに印象付けられるかで、そのレスラーの賞味期限は
 決まる気がする。。。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「どうせ死ぬなら舞台の上で死のう」――川上音二郎

【解説】
役者にとって舞台の上で死ぬのは本望--これは誰が言い出した台詞であったか。川上音二郎はそれを地で行った。大阪・北浜に自らが築いた小劇場「帝国座」の舞台中央で、明治44年(1911)11月11日に没したのである。

といっても、上演中ではない。川上は少し前から体調を崩し、数日前、腹にたまった4升もの水を抜く手術をした。だが、経過ははかばかしくない。もはや助からぬ命ならば、せめて舞台の上で死なせてあげたい。そう考えた妻で女優の川上貞奴の計らいで、入院中の病院から瀕死の状態のまま担架で運び込まれ、舞台上で果てたのである。

翌日の東京朝日新聞は、その臨終の模様をこう伝えた。「川上はパチリと眼を開き、数珠持つ手を二三度振り、何か指図するよと見る間に遂に、ニッコと笑いし儘(まま)、眠るが如く長逝せり」

川上は若い頃には自由民権思想に傾き、政府や官憲を批判する演説をぶって、自称184 回も投獄された。その後、「権利幸福嫌いな人に、自由湯(とう)をば飲ましたい。オッペケペッポペッポッポ」と歌うオッペケペ節で一世を風靡したかと思えば、芝居の道に入り、一座を率いて欧米へ渡った。

やがては各地で評判をとり、最後はフランス政府から勲章を授与されるのだが、初めから思惑通りに運んだわけではない。一時は餓死寸前の危機にも瀕した。飢えて痩せ衰えた体に鎧兜をまとい、ホラ貝と陣太鼓のデモンストレーションまでして劇場に繰り込んだ起死回生のシカゴの舞台の前、川上は一座の者たちに、掲出のことばで檄を飛ばしたという。そして、やがて、そのことば通りの死を全うしたわけである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「川上音二郎」でいろいろ検索してみました!!)

川上音二郎(作)・オッペケペー節 / 土取利行(唄・演奏)

オッペケペー節は自由演歌の時代に、演説つかいの川上音二郎が演説弾圧の時世で飯の食い上げとなり、東京で滑稽演説をやるもさっぱりうけず、大阪で落語家の桂文之助の弟子桂藤兵衛がオッペケペーという囃子をはじめ人気をえており、これに滑稽風刺演説本を種本とし、壮士演歌師のダイナマイトドン流の文句をつらねて歌詞にオッペケペーを付加し、音二郎のオッペケペー節となったが、明治21年に東京で芝居の幕間に公開するも失敗し、大阪に帰り例の陣羽織に日の丸軍扇姿の出で立ちで人目をひき人気を博すようになり明治24年頃に爛熟期となる。

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※「明治東亰恋伽」(メイコイと略するらしい)のキャスト川上音二郎の中の人

KIRIN 近代芸能にビール文化を持ち込んだ演劇界の立役者・川上音二郎
→『「オッペケぺ節」に、次のような一節がある。“ビールにブランデーベルモット 腹にも馴れない洋食を やたらに食ふのもまけをしみ 内証でそーッと反吐ついて 真面目な顔してコーヒ飲む をかしいねえ オッペケぺー オッペケペッポーペッポーポー (松永伍一著『川上音二郎』)”
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馴れないビールなどの洋食を食してもこっそり吐いてしまうくせに、平然とコーヒーをすすっているのだからおかしいものだ、という意味である。新しいもの好きの音二郎のこと、彼はもちろんビールをはじめとした西洋の飲料を批判しているわけではなく、急激なうわべだけの西洋化は日本人には滑稽であると揶揄しているわけだ。音二郎は政治活動を始める前には洋傘修理業に従事していた。洋傘は当時流行していたファッションで、文明開化の波に乗ったいわゆる洋風志向のものであった。彼はハイカラな文化に影響を受けながらも、西洋化する社会や人々を冷静な目で観察し、自分の芸へと昇華させていったのだろう。
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「オッペケぺ節」で名を挙げた音二郎は芝居活動を続け、1896(明治29)年には自分の劇団「川上座」を創設する。一座の公演の際には、観劇料や注意書きが書かれたチラシが配られた。それまでの劇場にはこのようなチラシは存在しておらず、音二郎が日本で初めて行った観客へのサービスといわれる。そのチラシには売店の品目も記載されており、その一つとしてビールが売られていたことに注目したい。弁当が上等で12銭、寿司が上等で5銭、コーヒーが3銭、日本酒が上等で1合4銭5厘の中、ビールが24銭だったというからまだまだ高価な飲料ではあった。しかし、庶民が楽しむ娯楽の場で販売されるということは、ビールが一般に親しまれてきた証拠ではないだろうか。音二郎はそれを敏感に感じ取っていたのかもしれない。そんな観客に対する気配りもあり、当初は好評を博した「川上座」だったが、衆議院選挙に立候補し、落選したことにより新聞にたたかれ、しだいに落ち目となり、最終的には劇団を債権者へと手放してしまう。こうして精神的にもふさいでいた音二郎の下に、海外公演の依頼が舞い込んだ。欧米をまわった起死回生の巡業ツアーでは各地で注目を集め、特に1900(明治33)年のパリ万国博覧会では、音二郎の妻であり主演女優でもあった貞奴が大人気となる。エキゾチックな貞奴の演舞をロダンピカソも絶賛し、ヨーロッパに「貞奴旋風」を巻き起こした。その後も日本での評判は芳しくなかったが、一座はヨーロッパを中心とした海外で公演を続けた。(後略)』

ジョニーAのつぶやき:・・・っちゅうわけでぇーーー、ビールで話が繋がりました、はい。一件落着!ではでは、サクッと磯丸水産でビールでも飲んでまいりましょっかねぇーーーー( •̀ω•́ )/イザ!