『止められるか、俺たちを』 井浦新、新境地?

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eiga.com 作品情報 『止められるか、俺たちを』
■解説:2012年に逝去した若松孝二監督が代表を務めていた若松プロダクションが、若松監督の死から6年ぶりに再始動して製作した一作。1969年を時代背景に、何者かになることを夢みて若松プロダクションの門を叩いた少女・吉積めぐみの目を通し、若松孝二ら映画人たちが駆け抜けた時代や彼らの生き様を描いた。門脇むぎが主人公となる助監督の吉積めぐみを演じ、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」など若松監督作に出演してきた井浦新が、若き日の若松孝二役を務めた。そのほか、山本浩司が演じる足立正生岡部尚が演じる沖島勲など、若松プロのメンバーである実在の映画人たちが多数登場する。監督は若松プロ出身で、「孤狼の血」「サニー 32」など話題作を送り出している白石和彌
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■スタッフ:/監督 白石和彌 /製作 尾崎宗子 /プロデューサー 大日方教史 大友麻子 /脚本 井上淳一 /音楽 曽我部恵一 /撮影 辻智彦 /照明 大久保礼司 /美術 津留啓亮 /衣裳 宮本まさ江 /ヘアメイク 泉宏幸 /編集 加藤ひとみ /録音 浦田和治 /音響効果 柴崎憲治 /キャスティング 小林良二 /助監督 井上亮太 /制作担当 小川勝美 /タイトル 赤松陽構造
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■キャスト:門脇麦(吉積めぐみ) 井浦新若松孝二) 山本浩司足立正生) 岡部尚沖島勲) 大西信満大和屋竺) タモト清嵐秋山道男) 毎熊克哉(小水一男) 伊島空(高間賢治) 外山将平(福間健二) 藤原季節(荒井晴彦) 上川周作斎藤博) 中澤梓佐 満島真之介(ミキサー助手福ちゃん) 渋川清彦(松田政男) 音尾琢真赤塚不二夫) 高岡蒼佑大島渚) 高良健吾(吉澤健) 寺島しのぶ(前田のママ) 奥田瑛二葛井欣士郎) 柴田鷹雄(磯貝一) 西本竜樹(伊東英男) 吉澤健(カプリコンマスター)
■作品データ:/製作年 2018年 /製作国 日本 /配給 若松プロダクション、スコーレ /上映時間 119分
オフィシャルサイト
※まさか、若松組のスタッフの中の、助監督の女性を主役に据えているとは・・・
思いもしない展開だった。内容は王道の青春群像劇。空気感がちゃんと昔を
想起させてくれる、丁寧なつくりの小品だった。

●予告編

※監督は『サニー』で門脇麦を無駄遣いしてしまってたが、今回の映画の
予行演習だったと思えば、それはそれで意義があった、と言えるのではな
いか。。。

eiga.com インタビュー 若松孝二監督へ捧ぐ 白石和彌監督×門脇麦×井浦新、三者三様の答え
若松孝二監督の遺志を継ぐ者と、新たな息吹をもたらす者。白石和彌監督は衝動に駆られて師匠と向き合い、井浦新は恩師を演じることで存在を再確認。門脇麦は全霊を込めて、生前に会うことがかなわなかった巨匠の背中を追いかけた。三者三様の思いは映画作りに純粋すぎるほどの情熱を傾けた時代を活写し、普遍的な青春群像劇として結実した。それが「止められるか、俺たちを」だ。(取材・文/鈴木元、写真/根田拓也)
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/主人公の吉積めぐみさんは1969年春に若松プロダクションの門を叩き助監督となったが、71年9月に急死。若松監督の著書「俺は手を汚す」にも記述があり、今も事務所には写真が飾られている。当然、白石監督も存在は知っていたが、亡くなった際にスタッフが作っためぐみさんの写真集を見た瞬間がすべての始まりだった。「めぐみさんの簡単な略歴が載っていて、彼女の具体を知った時にいろいろと想像できて居ても立ってもいられなくなっちゃったんです。めぐみさんを主人公にすれば若松プロを描ける。それは早い段階で気づいたけれど、具現化するにはいろいろと言う人もいるだろうし問題はいっぱいあった。でも沸き上がった衝動はどうしようもないから、いろいろな人に話をしてみたら皆が面白がっちゃった。それが運の尽きです(苦笑)」
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テアトル新宿の展示スペース リアル吉積めぐみの写真集のコピー》
あまたある問題の中で、若松監督を誰が演じるかを決めなければ先に進めない。井浦を念頭に置いていた白石監督は、若松プロから所属事務所に連絡を入れる正攻法でアプローチ。だが、オファーを受けた井浦はその後約1カ月“音信不通”になったという。/「まず、若松プロから事務所を通して仕事が来たのが初めてだったので、最初はふざけているのかと思った。再始動します、監督は白石さんですというから、それは筋が通っていて最高だねという話をして、内容を聞いたら60年代の若松プロだと。だんだん不安になってきて、一番聞きたくないワードが出てきた。僕はそこで本当に止まっちゃいました」/しかし、依頼のあった時点で覚悟は決めていたという。1カ月は決意を固める雌伏の期間であるとともに、若松プロへの意趣返しの思惑もあった。
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「若松監督はただでさえ代役のきかない人。具合が悪くもなりましたけれど、演じられるのは自分しかいない、自分しかやっちゃダメだ、他の人が演じて迷惑もかけられないし、この“罰ゲーム”は全部自分が受けてやろうと思って。あとはどう若松プロと白石監督に言おうかと思った時に、この苦しみを少しでも味わってもらいたい、不安がらせようと思って音信不通になりました」/めぐみ役は、「サニー/32」などで絶大な信頼を寄せる門脇を迷わず指名。当然、生前の若松監督と面識はなく、映画に対するイメージは「エネルギーの出方がおかしい」という独特なもの。若松プロに初参加の不安を抱えながら撮影に臨んだが、めぐみさんとの共通項を見いだすことで活路を開いた。「冷静に考えた時に、めぐみさんも若松プロを深く知らずに映画に携わりたくてポンッと入った女の子なので境遇は似ている。私が皆さんの絶対に届かないものに追いつこうという気持ちと、めぐみさんが若松監督の絶対に届かない背中を追い続けていたこともリンクする。その気持ちを通せば、成立させられるかもしれないと思いました。あとは、めぐみさんの写真を毎日見て、どうか私に力をくださいと祈っていました」
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2008年「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」以降、晩年の若松監督作品の常連だった井浦も、白石監督の下であらためて若松プロの流儀を味わうことになる。「若松監督役としてのファーストシーンが、ト書きだけのセリフのないシーンだったんです。これならスローで徐々に慣らしながらできると思っていたんですけれど、白石監督が『ちょっとこっち向け、そこ、入っているからどけっ』って言ってもらえますと。うわっ、いきなりセリフきたってなりました。若松監督は本当に心の準備をさせないんですよ。若松プロの人たちはさすがだなと(苦笑)。いきなりギアをトップに入れられた感じで、引くに引けない状況。そこからのスタートで、それ以上のものを積み重ねていくことになりました」/それでも当時33歳の若松監督を体現したことで、あらためて気づくことも多かったようだ。「僕が出会った頃と当時も映画作りの根本は変わっていなくて、ブレていない。カメラの前に出て自分が映っちゃうくらいのことを普通にしていたので、あれをやれるんだと思うとだんだん喜びになっていきました。役を通して現場が楽しくて大好きでしようがないという気持ちになれましたし、そういう現場は無条件でひとつになっていきますよね」
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白石監督もめぐみに自身を重ね合わせ、若松孝二を演出する重圧と闘いながら完成させ、今年七回忌を迎えた師匠への思いを巡らせる。「現場で困った時に、若松さんだったらどう切り抜けるかということなどはいつも考えています。映画は本来、圧倒的な自由を持って作るべきだということですよね。劇中で若松さんが『客に刃(やいば)を向けるような映画を作りたい』というセリフがありますが、僕は果たしてその刃を持っているのだろうかということを、この映画を通して確認したかった。それはまだまだやれるなというものにつながっていくし、こういう若松さん的な映画作りはこの先何年かブランクはあってもできるなという自信にはなりました」/一方の井浦は現在、若松監督の存在をどのように受け止めているのだろうか。「乗り越えられたということではないのですが、6年たって自分の中にいてくれる若松監督をしっかり確かめることができました。2週間くらいの撮影でしたけれど、本当にいい夢をみたなあって思っていて、自分の中に監督を実感できたのはこれからの僕にとってすごく大きな時間、役だったと感じています」
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対する門脇は若松プロの現場に身を投じ、70年頃の若松組の撮影を疑似体験したからこその観点で、自身の成果を明かす。「熱量がまず先行して走っていける感じは本当に憧れます。舞台は映画製作で若松さんの話でもあるんですけれど、今の人が見てもいろいろなことを感じ取れる青春映画だと思うんです。私はこういう青春映画の方が格好いいと思う。しゃかりきに生きるのって格好いいなと思ってもらえたら、私もすごく格好いい仕事をしちゃったなって感じがします」/天国の若松監督も「バカたれっ」と毒づきながらも、ほおを緩めているに違いない。』

◎レビューブログ紹介
RAINY ON THE SEA 止められるか、俺たちを【日本映画】
『 3月まではドラマ「アンナチュラル」にはまっていましたが、4月以降はドラマ「半分、青い」にはまっていました。その「アンナチュラル」に出演していた井浦新さんが若松監督に扮した映画。若松監督ももちろん出て来ますが、主に門脇麦さんが演じる助監督・吉積めぐみ目線で彼女を中心に描かれています。
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めぐみの心情に「半分、青い」の主人公・鈴愛に通じる部分を感じてしまって思い入れが強くなりました。めぐみ「若松監督に、ヤイバを突きつけないと」鈴愛「秋風羽織を超えてみせる」/スタッフが辞めるなどして、わずかの期間で助監督になっためぐみ。脚本を書こうとするが、上手く書けない。後から入って来た人が脚本を書きあげる。めぐみ「監督になりたい。でも、何を撮りたいかは分からない」鈴愛「漫画家になりたい。でも、何を描けばいいのか分からない」二人の姿が重なる。
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鈴愛は、心身が引き裂かれる想いをしながら漫画を描き、結局は漫画を辞めた。鈴愛「私は飛べない鳥。空を飛ぶ鳥(秋風羽織)を見て羨ましいと思いながら生きたくない」。そして、紆余曲折の末、「そよ風の扇風機」を開発する。一方のめぐみは…監督になれないまま(正確には短編は撮影したが、長編は撮影できなかった)、人生を終わってしまった。創作活動という「魔物」に憑りつかれてしまった二人の行く末の違いを見て、感情移入してしまいました。』
※「半分、青い」、未見です・・・。またDVD鑑賞してみよっかしらーん。

●主題歌 曽我部恵一 「なんだっけ?」

※最後は音楽で、、、締めくくる。




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日4月5日(金)の、「プロレス記念日」は~?

年度・団体【2002年・新日本】
カテゴリー【快挙】
見出し:『永田裕志がIWGPヘビー級初奪取』
『解説:総合格闘技の波が押し寄せた暗黒期に安田忠夫を破り初戴冠。1年間防衛を果たし、新日本を支えるミスターIWGPと称された。10度防衛は棚橋弘至に抜かれるまでの最多記録。』

◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。

永田裕志 白目式腕固めペイ連発


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※永田さんといえば、この白目式腕固めが代名詞!
なすなかにしの中西さんにも似てるなぁ~。

☆ご本人が、ブログで「ミスターIWGP」について言及されてる・・・
永田裕志公式ブログ Mr.IWGP 2011年11月23日
『俺がMr.IWGPと呼ばれるようになったのはいつの頃からだったろうか?IWGP王座の連続防衛記録を樹立した時からだとかなりの人達が思っているようだが、そうではなかった。ではいつからなのか? それはノアの小橋建太選手のGHG王座に挑戦した時に小橋さんの口から出た言葉だった。2002年に新日本プロレスから選手が大量離脱した時に僕がIWGP王者として新日本を守っていたことを評価してくれて言ってくれたのだった。
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まあ小橋さんは自分の王座に挑戦してくる相手をそう表してタイトルマッチを盛り上げようとして言ったのだろう。それからプロレスマスコミは自然に僕をMr.IWGPと呼ぶようになっていった。まあ防衛記録保持者だからMr.IWGPって言われているように思われていることへのちょっとした反論かなこれは(笑)。』

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ウィキペディアより。

☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
漱石と明治人のことば目次

【今日のことば】「朝の来ない夜はない」――吉川英治

【解説】
吉川英治は苦労人だった。明治25年(1892)横浜の生まれ。父親の家業失敗により、11歳で小学校を中退し印章店の小僧となった。以降、印刷工、小間物の行商、港の船具工など、いくつもの職業を転々としながら、浮世の辛酸をなめた。そんな中で、雑誌の懸賞小説に応募・入選するなど文芸に意欲を燃やし、次第に小説家としての地歩を築いていく。

東西の朝日新聞の夕刊で小説『宮本武蔵』の連載が始まったのは昭和10年(1935)8月23日。回を重ねるごとに人気は高まり、夕刊の発行を待ちかねて読者が販売店に群がる現象が起きた。新聞社内の校閲部員や印刷工場の従業員も、われ先に小説欄をむさぼり読んだという。当初200 回をめどに開始された連載は圧倒的な好評を得て引き延ばされ、途中、休載をはさみながら総計1013回にも及んだ。ここに至り、吉川英治は国民的作家にまでのぼりつめたと言っていい。

それでも、吉川は若いころの苦労を忘れなかった。「生涯一書生」や「吾以外皆吾師(われいがい、みな、わがし)」といった謙虚なことばを座右の銘とし、色紙などにもよく書きつけた。掲出のことばも、同じように好んで記したもの。作家の生きた足跡を重ね合わせるとき、自ずと胸の奥に響くものがある。

最後に、吉川英治が嫁いでいく娘(長女の曙美)に贈った詩も紹介しておきたい。「しあわせ何と人問わば/娘は何と答うらん/珠になれとは祈らねど/あくたとなるな町中の/よしや三坪の庭とても/楽しみ持てば草々に/人生植えるものは多かり」/一語一語が心にしみる。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「朝は来る」「吉川英治」で動画検索してみました!!)

●Amelie「朝は来る」

※「開けない夜はない」、誰もが言いたくなる名フレーズっす。故・白石冬美さんも
「ナチチャコパック」の中でよく繰り返されてましたっけー。

●何度でも立ち上がれ エレファントカシマシ


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♪~でも見てみなよ 太陽は昇りくる 何度でも立ち上がれよ 更に大きなぶざまを掲げていけ 何度でも立ち上がれ~♪

ジョニーAのつぶやき:「大きなぶざまを掲げていけ」のところ、好きダワー


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※関係ないけど、、、プルプル震えるみやじ、オマケでどうぞw