【山本正之の世界】
1974年、「燃えよドラゴンズ!」で作詞・作曲デビュー。翌1975年、「ドラゴンズよありがとう」で歌手デビューを果たす。その後テレビアニメタイムボカンの音楽を担当したのが切っ掛けで、1970年代後半から1980年代前半にかけて、テレビや企画物の曲を数多く世に送り出した。実はタイムボカンの主題歌は小林亜星と競作で、本人はダメだと思い込んでいたが、当時のタツノコプロの社長が周囲の反対を押し切り、山本に決定したそうである。この決定を聞いた時、嬉しいよりも「大丈夫なのか?(あんな大御所を敵にまわしてしまうのではないかという懸念から)」と思ったそうだ。音楽以外では、劇団「山本正之プレゼンツ」での舞台演出も手掛けている。
主に歌手としてはやまもとまさゆき、山本まさゆきなどの芸名を使用し、作詞、作曲家としては本名、または遠田美穂等を使用している。
シングルセールスは、「燃えよドラゴンズ!」(1974年)が約40万枚、「ひらけ!チューリップ」(1975年)が約100万枚、「うぐいすだにミュージックホール」(1975年)が約20万枚、「ヤッターマンの歌」(1977年)が約50万枚である。
その他、タイムボカン・シリーズ以外では「究極超人あ~る」や「J9シリーズ」「未来放浪ガルディーンシリーズ」などが有名。オリジナルのアルバムもクオリティタカスクリニックで、独特の世界を形成している。
中日ドラゴンズはじめ、名古屋支援分野
やはり1974年に坂東英二サンが歌った、初代「燃えよドラゴンズ」が圧巻だった!僕は当時巨人ファンだったが、こういうテーマソングがあったらなぁ~、と憧れていたもんである♪
その後、様々にバージョンアップを繰り返し、水木一郎バージョンあり、燃えドラガールなる女の子に歌わせるバージョンあり、と裾野は広がっている♪↓コチラで山本正之バージョンの試聴ができるゾ。
→ 「少年の夢は生きている」「涙のカレーライス」「アニメがなんだ!」
あ、もう一個、好きな楽曲、これは見つかった♪ウ~レスィ~~~!「究極超人あ~る」の挿入歌で、『飯田線のバラード』!!!好きなあの娘(こ)に、恋心をなかなか、言い出せない、言い出せぬ、言いだせん、、飯田線のバラード、と。。。駄洒落なんだけどネ。でもイイのよ。メロディが、心に染みます。
「タイム・ボカン・シリーズ」op(オープニング)とed(エンディング)、怒涛の20連発!!!
同世代の諸君!一気見して童心を呼び起こそう!!因みに、3番目の、「ヤッターマンop」はオイラのカラオケの十八番なのじゃっ!!自信あるゾイ!オイラを姫路の山本正之と呼んでくれぃ!www
そしてイタダキマンでいったん途切れたボカンシリーズが、再開しかけたのがコレ↓
悪の方を主役に持ってくるという、マンネリ打破を図る企画だったが、却ってこれまでの良さを出せず・・失敗(?)やっぱ、タイムボカンは偉大なるマンネリの手法が良かったんだわナァ~~~♪