【内田けんじ監督について】インタビュー、CMなど
内田 そうですね。多分、天才だったらメモ一枚で撮りはじめる人もいるんでしょうけど、僕は脚本の段階で確実に「面白い」と思えるものを作ってからじゃないと、撮る度胸がないんです。
あと、大学時代に観た仲間うちの学生映画が、たるいものばっかりだったんです。映画を撮りたい学生って、脚本よりも映像ありきの人が多くて、一本も面白いと思えるものがなかった。そういう自主製作映画ノリへの対抗意識は、すごくありました。
──大学は、サンフランシスコ州立大学の芸術学部映画科に留学されたんですよね。
内田 はい、日大芸術学部の受験に落ちて。そこは入学試験がなかったから、バブル末期の留学ブームに乗って行ったんですけど。アート系の学生が特に多いところだったんですよ。
──脚本の作り方として、二作品とも、時間軸を複雑に操作していますね。
内田 この手法にこだわっているわけではないんです。『WEEKEND BLUES』の場合は、18歳の時にバイト先の先輩に聞いた、ヤクザにもらったドラッグをタバコに湿らせて吸ったら、知らない間に二日経ってた、という話を使いたかったんです。まず着想ありきなんです。『運命じゃない人』の場合は、携帯電話がヒントになりました。僕がアメリカに行ったのは92年で、日本に帰国したのが98年。するとその間に、携帯電話が一気に普及していて。新宿を歩いているおじさんが、「もしもし、いまどこ?」って携帯電話をかけたことに衝撃を受けたんです。いまは当たり前なんですけど、電話をかけた相手の場所がわからないって、昔はありえない。これってミステリアスというか、電話をかけた相手も、自分とは別の時間を生きているんだっていう面白さがありますよね。この着想から、またもや時間軸を操作する作劇につながっていったんです。
──レストランで神田と宮田が真紀をナンパするところとか、時間軸の核(求心点)になるシーンがいくつかありますよね。
内田 その構成が苦労するんですよ。プロットをパズルみたいに組み立てていくんですけど、今回は一年くらいごにょごにょやってました。つじつまを合わせるのに疲れてきて、このキャラクター殺そうかなと思うこともありましたから(笑)。設計図が完成してからは、実際に執筆したのは十日間だけなんですけど。まさに “構成命”の映画でした。参考になったのは、クラシック音楽のソナタ形式です。一楽章あたり二つの主題があって、展開部を挟みながらその主題を繰り返していく、という発想を応用しています。
※あ~!!デビュー作の『ウィークエンドブルース』ていうのも、早く観てみてぇなぁ~~~~。
では、ここで、三池崇史監督がmこの作品に向けて出したコメントをご紹介しよう♪( ^ω^)つ
あなたが思っているより、遥かに美しい、小さな作品です。この作品から、日本は映画をやり直してみてはどうだろうか by 三池崇史
→一部引用~♪
『Q-着想から2年間はひきこもり期間だった、とご自身で表現されるほどシナリオ作りに長い時間をかけられてますよね。その間、あきらめずに創作に励めたモチベーションはなんだったのでしょう?A-自分から2年かけたわけではなく、結果的に2年かかっちゃったんですよね。脚本の締切があるので本当はいけないことなんです(笑)途中でもうだめだと思ったことは何度もあります。ただ、苦しんで何度も書き直したほうが初稿より全然良いものができるということを前作でも学んでいたんです。ひどい脚本を書いて評価もひどかったという経験と苦しみ続けていてもいつか光が見えるんだという経験を学んでいたので。/Q-中学時代の同級生のその後を描いた緻密なシナリオだと聞いています。ご自身が学生時代に好きだった本や、影響を受けた作家を教えてください。Aー10代のころまではジャンプなどマンガばかり読んでいたのですが、20歳をこえたとたんに読めなくなってしまって。それからは小説の方に行きました。好きな作家はたくさんいますが、時期によってはまる作家が違うんですね。夏目漱石とか三島由紀夫、村上龍や春樹、司馬遼太郎にもはまりました。20歳のときに夏目漱石を初めて読んで、本というものの凄さに感動し、新宿の紀伊国屋書店に行ったんですよ。その文庫コーナーを見て発狂しそうになったんですね。「オレはなんにも読んできてない!」って。映画でいえば、ゴットファーザーなどの名画をほとんど観た事がないのと同じ状態。この棚を全部読むまで死ねないなって思いました。』
●コチラは、アジア・パシフィック広告賞で、銀賞に輝いた、「高橋酒造 白岳」のCMサイトだ。
※「本当のことは一回しか言わない」のコンセプトだけで、これだけ量産できるとこが凄いよなーwww
で、なにげにキャラクターつながってるみたいだし・・・凄い凄い、 アッ(シマッタ!w)