【子供のころ信じてたこと】言い伝え系や言葉間違い系など

ミクシィで、「子供の頃信じていた伝説・紫鏡」という話題が出て、ネットで調べていたら、

面白い掲示板を見つけたので紹介したい。身に覚えのある項目がきっとあるはず~♪

♬~共感~共感~~~共感してくださぁ~~~い♪(みちゃこの歌)


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フィクション混同系

宮崎駿さんの「魔女の宅急便」のキキみたいに、ほうきで空を飛べるって、本気で信じてました。

 今思うと、ありえないですけど、子供の頃は頑張って練習すればなんとかなるって、友達と一生

 懸命練習したことを覚えています。

・テレビなどで人が死ぬ場面。死にたい人を募集してホントに死んでいると思っていました。

 高いところから人が落ちる場面、刑事モノで人が撃たれる場面など。

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ウルトラマンや怪獣の存在も信じてましたね、幼稚園あがる前までは・・。自分の住んでる所は平和でいいなぁ・・って思いましたよ(笑)怪獣でたらどうしよう?ウルトラマン来てくれるかなぁ?って本気で考えてました(笑)

・テレビの念力番組。ユリ・ゲラーのスプーン曲げと、壊れた時計が直るというもの。大橋巨泉が真面目な顔して解説してたんですっかり信じ込まされてました。

ユリ・ゲラーはほとんどの人が信じてましたよねー。今になって考えれば、古い時計を引っ張り出してきてちょっとショックを与えれば、何%かの時計は動き出して当然だろうってことぐらい、すぐ解るんですけど。

・小学校のころ‥①かめはめ波が本当に出せると思っていて、一生懸命練習しました。②入道雲をみると、「あの雲の峰のむこうにラピュタがあるんだ」と本気で思っていました。

・主人が信じていた物はかなり面白いので書かせてください!まずは、ドラえもんのび太くんの様に自分の所へも来てくれると信じて、小学4年生の元旦の朝から、ずっと学習机の前で待っていたそうです。(ドラえもんのび太くんの所へ来た日が小学4年の元旦という設定だったらしいです)


怪談系

・「合わせ鏡」信じてましたっ。「合わせ鏡で映った13番目の自分が笑っている」とかいうのでした

よね?!私も怖くて見れませんでした。あと、「夜中の2時に鏡を見たら、自分の死ぬ時の姿が映る」

なんて話も、私の地元では出回ってました。

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・「お化け」ときくと必ず思いだす子供の頃本気で怖がったある絵本を思い出します。「ねない子だあれ?」という絵本なのですが、とにかくあの典型的なお化けが怖くて怖くて…。

・「音楽室のベートーベンの目が光る。」「体育館の鏡には4時44分にお化けが映る」「校長室の戸棚(昔教育勅語をいれて天皇陛下の写真を飾っていた棚)にはスイッチが隠されていて・・・」「理科室の人体人形が動く」「廊下の床下には防空壕の入り口があって今もその中に当時のまま人が眠っている」これらのことを19歳までに忘れないと20歳の誕生日の前日に死ぬ。というものでした^^

・「もったいないオバケ」信じてましたっ!!小さい頃、食べ物を残すと「もったいないオバケがでるよ~」と母に言われ、泣く泣くピーマンを食べてた気がします。

 ☆もったいないお化け

 


赤ちゃんはどうしてできるの?系

・子供のころ「赤ちゃんはどうしてできるの?」とおばあちゃんにきくと、「人を好きになるとできる

 んだよ」とおしえてくれました。そのころ仲良しの男の子はいたのですが、自分は赤ちゃんができな

 いから、多分これはほんとに好きというわけではないのだろう、と思っていました。でも小三になっ

 て初めて男の子に恋をしたときには、(このままもっと好きになったら、私に赤ちゃんができて、学

 校に行けなくなっちゃうどうしよう!?)とマジで悩みました。だいたいみんな「○○君が好きっ」

 とかいってるわりになんで赤ちゃんができないのだろう?と不思議でした。(きっと本当に人を愛し

 たことがないんだっ!)おばあちゃんの一言のせいで、愛とは何かを追求する小さな哲学者になって

 いました。

・主人も、キスすると赤ちゃんができると思い込んでいたそうです。これも(プロセスとしては)間違い

 ではないとおもうし、ロマンチックですよね。小学校の林間学校が近づくと女子だけ視聴覚室に集めら

 れていろいろ教えてもらえたけど、男子はずっとそう思っていた人多いですよね。あの日から女子は何

 も知らない男子を見下すようになりました。クラスで一番頭のいい男子が、赤ちゃんはお母さんのお腹

 を切って生まれてくる(彼は帝王切開だったんですが)と言い張って、女子たちからからかわれていた

 のを思い出します。コウノトリが口でくわえる部分のあの風呂敷の結び目は誰が結んでくれるんだろう?

 と不思議でした。

 ※コウノトリw。゚(゚^ヮ^゚)ワロタww

  

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言い伝え系

・「食べてすぐ横になると牛になる」というのを信じていました。

うっかり横になってしまい、あわてて頭を触って角が生えてきていないか確認しましたねぇ。

・「寝言に返事をすると、その人が死ぬ」「夜中に口笛を吹くと泥棒が来る」

「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」「夜に新しい靴を下ろすといけない」

 何だか大抵「死」に関することばかりで根暗な人みたいですけど(笑)

・魚や肉のこげを食べると死ぬ(あながち間違ってもいないような)

三浦綾子さんは、子供の頃「赤い石を拾うと母親が死ぬ」という言い伝えにビビってたそうです。


言葉の間違い系

・ニュースで「東名高速道路が・・・」って言うのを聞いて、SFアニメに出てくるみたいな「透明」な

道路(チューブ?)の高速道路があると思って、行ってみたいなーと思ってた。

・会社などから解雇されることをよく「首になる」って言いますよね?うちの両親はそのことを

「首を切られた」と言うんです。子供の頃、首を切られた人は文字通り本当に切られて死ぬのだと信じ

 ていました。

・足を洗うという言葉→やくざ漫画で読んだのですが結局指をつめるシーンなどでてこなくて正解がわか

 らなかったので足を洗うという儀式はみんなの前でタライに足をつっこんで洗う事だと思っていました。

・仮病→これも漫画で女の子がすごく恥ずかしそうに「ケビョウなの」というシーンがあったので毛が生え

 てくる病気だと思っていました。

・漢字をまだよく読めなかった小学生のころから「割烹料理」を「わりかん(割り勘)料理」と読むのだと

 思い込んでいました。レジの前で「ここは私が出します」「いやいや、私が」「そんなと言わずに」「ま

 ぁまぁ」ってやりだすとお店の人に「当店は割り勘料理なので割り勘でお願いします」って注意されるん

 だと思ってました。


その他

・太陽と月が各都道府県に一つずつあると信じてました。大阪に一個、東京に一個と・・

 だってあまりにも近くに大きく見えるので。今でも時々錯覚します(笑)

 ※太陽と月がおんなじモノだと思っていた、オセロの松嶋尚美チャンにはかないませんなーww

・小学校低学年の頃まで雨の中を傘をささずに移動する場合、歩いたほうが雨にぬれないと思っていました。

 走ると自ら雨に当たりに行くから、という理由です(笑)何度姉に「走る方が短時間だからぬれない」と

 説明されても意味が分からず、姉はバカじゃないかと思っていました。

・幼稚園くらいのころ、友達の姉に「指から入ったトゲは出さなきゃいつか心臓に刺さって死ぬ」といわれ、

 最近まで本当に信じてました。

・ピアスの穴を開けようとしたら 穴から白い糸が出てきてそれを切ったら目が見えなくなるという都市伝説。

・小学生頃まで、世界は私を中心に動いてると信じてました。他のみんなは全部知っていて私だけが知らない。

 ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショウ」状態です。たまーに今でもそうなんじゃないかって思うときが

 あります。ヤバイですねー(^^;

 ※あ、コレは時々思った。周りの皆が自分をだましてるんじゃないかって。あの角を曲がって見えなくな

 った人は、歩くのをやめ、「お疲れ様~」とか言って休んでるんじゃないのか?とか・・・

 

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・『人は死んだらどうなるの?』ときくと『人は死んだら星になるんだよ』とおばあちゃん。

 『空から生きてる人たちをずっとみてる』 星って、直径1、2メートルくらいの大きな球がお空に浮いて

 て、夜になると照明みたいに光るものだと思ってました。私は想像の中で勝手にお星さまの下にブランコを

 つけました。死んだ人はそのブランコにぶら下って、お星さまの光を頼りに生きてる人を見てる。ちょうど

 二人でお風呂に入っているときにおしえてもらったことなので、私の中での死んだ人は『裸でブランコ』の

 イメージでした。なんかちょっといやらしいですね。

・親から聞いたのでは、スイカの種を飲み込むとおなかの中でスイカが育つというのを、一時期信じてました。

 あと幼稚園の頃、信じてたというのとはちょっと違うかもしれませんが、花火で星が壊れてしまうのではな

 いかと思ってました(^_^; )

・北海道にすんでいた4歳のとき、電車に乗って、連絡船に乗って、東京へ行って、飛行機で帰ってきたんだ

 けど、東京は夜空に輝く月にあると思っていた。そんで、東京からみた月に、北海道があると思っていた。

 ※なんかめっちゃメルヘンな思い込みやなぁ~~~。ある意味、感性豊かなんでしょうねーーー。


ジョニデ語録(ジョニー自身の発言は赤字、他者のジョニーへの発言は青字、その他は黄字で)

ジョニデ語録解説

エドは言った。「私が百万長者になりたがってると思うか?答えはノーだ、バルダ。私は世間の残酷さに傷ついている。何かと笑いものにしてやろうという態度に。彼らは私を引きずり下ろし、あざ笑いたいのだ。私はただ自分が一番いいと思うことをしようとしているだけなのに。私の目にはクズとしか映らないものを彼らは誉め、私の作品に対してはーーバカにするのを楽しんでいる」

(「ザ・ジョニー・デップ」第四章より。ルドルフ・グレイの『エド・ウッドー史上最低の映画監督』<1991>より抜粋)