【カラスの親指】映画公開も間近

直木賞作家・道尾秀介さんの『カラスの親指』読了~~。


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Amazon.co.jp カラスの親指 by rule of CROW’s thumb (講談社文庫)

☆内容(「BOOK」データベースより)・・・人生に敗れ、詐欺を生業として生きる中年二人組。ある日、彼らの生活に一人の少女が舞い込む。やがて同居人は増え、5人と1匹に。「他人同士」の奇妙な生活が始まったが、残酷な過去は彼らを離さない。各々の人生を懸け、彼らが企てた大計画とは?息もつかせぬ驚愕の逆転劇、そして感動の結末。「このミス」常連、各文学賞総なめの文学界の若きトップランナー、最初の直木賞ノミネート作品。第62回日本推理作家協会賞受賞作。

【登録情報】/文庫: 520ページ /出版社: 講談社 (2011/7/15) /言語 日本語 /発売日: 2011/7/15 /商品の寸法: 14.8 x 10.6 x 2.4 cm /おすすめ度: 5つ星のうち 4.0

※最後の最後にわかる真相のラッシュにクラクラする・・・

やや、文体などには、不満な面もある本作だが、脚本でブラッシュアップしたら、もしや映画は

傑作に仕上がるのでは?なーんて、期待している~


eiga.com 阿部寛主演「カラスの親指」公開日決定 ボブヘアの石原さとみにも注目!

→『阿部が村上ショージとともに中年詐欺師コンビを演じるという異色の初共演が実現した本作は、ハリウッドメジャー、20世紀フォックスの本格邦画プロジェクト第2弾。昨年9月のクランクアップ後、今年2月に再撮影を敢行し、2時間を超える大作となっている。(中略)阿部寛演じるサギ師・タケのもとに集まる3人のわけあり詐欺師には、石原さとみ能年玲奈小柳友。本作で美人姉妹の姉を演じる石原は、ボブスタイルの髪型で出演し、新たな魅力をふりまいている。/そのほか、鶴見辰吾ベンガル、戸次重幸、なだぎ武古坂大魔王ら個性派役者陣が脇を固め、カメオ出演としてユースケ・サンタマリアも登場する』


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ウォーカープラス・ニュース 阿部寛主演作『カラスの親指』で石原さとみとの共演シーンの現場を直撃!

→『阿部は伊藤監督について、「妥協しない監督」と敬意を込めてこう語った。「妥協しない人って周りからの風当たりはすごく強いだろうけど。僕なんかは伊藤監督みたいな監督だと“守ってもらってる”ことになるんです。“あ、今のもう1回やりたいな”と思った時、特に若い役者が『もう一回やりたい』って言うと、わがままに見られる。でも監督が言う分には、助かるので。だから今回、役者はすごく守ってもらったと思います」。伊藤監督は、阿部の粘り強さを強調する。「どこまでも手を抜かないので、僕もヘトヘトでした(笑)」と言いながらも、「阿部さんは何度も繰り返していく中で、確実にどんどん精度を上げていってくれる。そして最後、OKになった時は、阿部さん自身も満足したような表情をしてくださったりするんです」と、阿部への信頼度の高さを語った』


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●映画 特報


※映画の出来が良かったら良かったで、原作を読んでしまってるのでオチがわかっているのが

残念に思えるかもしれないなー。いっそ、映画オリジナルの展開にでも創り直してもらえると

有難いんだが・・・


今日のおもな出来事

今日は何の日?


●野球の日・・・「や(8)きゅう(9)」の語呂合わせと、全国高校野球大会の期間中であることから、

   スポーツ用品メーカー・ミズノの直営店・エスポートミズノが記念日に制定しました


●長崎原爆の日,長崎原爆忌・・・1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」

   がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発しました

 

●ハリ・灸の日・・・「はり(8)きゅう(9)」の語呂合せ。全日本鍼灸マッサージ師会が2003(平成15)年に制定


ムーミンの日・・・トーベ・ヤンソン作の「ムーミン」を記念する日。「は(8)ぐ(9)」の語呂合せ


●パークの日(駐車場の日)・・・貸し駐車場管理会社・パーク24が制定。「パー(8)ク(9)」の語呂合せ


・1948年・・・戦時中に供出された渋谷駅前の「忠犬ハチ公」像が再建 → 忠犬ハチ公のお話し

・1970年・・・NHKがテレビのステレオ実験放送を開始


イチローの言葉

人に勝つという価値観では野球をやっていない


★今日生まれの有名人


1933年 黒柳徹子(俳優)

1935年 吉行和子(俳優)

1941年 石橋蓮司(俳優)

1944年 佐藤蛾次郎(俳優)

1960年 桂雀々(落語家)

1961年 リンゴ(漫才師)


黒柳徹子さんの言葉

子供の幸せを考える時、私は与えることよりも、奪わないことだと思うのです。何かを与えることは簡単にできる。でも与えると同時に、何かを奪い取っているような気がするのです