【竹内義和氏のNIP始動!?】
→ 『種浦マサオさんのHPを見てると 「竹内さんと何するんやろ?」 とつぶやいた。 イベントのページを見ると確かに二人のイベントが書かれていた。 10数年前にはお互いが関西深夜ラジオでメインをはっていましたわ。サイキックと真夜かんかん。私のラジオ生活には欠かせない番組でした~』
ジャングルライフ 竹内義和の怒髪天を衝く! 怒の百十四 「アイドルのカタチ~ニッチアイドルへと……」
→ 『僕が、中学生の頃、高校生の頃、熱中していたアイドルは、(現在のパフォーマンス慣れしたアイドルよりも)もっともっとたどたどしかった。歌も振り付けも学芸会レベルで、アイドルは、そんなものと思い込んでいた。ただ、その可愛らしさは、半端ではなかった。浅田美代子、石野真子、倉田まり子、菊池桃子……彼女たちを表現するには、「アイドル」というしかなかったのである。/だから、僕は、そんなアイドルを復活させたいと思ったのだ。この時代に、流行らないかもしれない。単体で、申し訳程度の振り付けで、素人っぽく歌うアイドルなんて、お呼びでないのかもしれない。でも、僕は見たい。少なくとも、僕は、そんなアイドルを見たい。ニッチなアイドル。いわゆる、隙間アイドルと命名し、僕の作った歌を唄ってもらう。/僕だけが楽しくっていい。そんな気持ちで、僕だけのアイドルを生み出していく。名付けて「ニッチアイドルプロジェクト(NIP)」。ごく一部の人、楽しみにね』
プロデューサー」として、白羽の矢を立てたのが種浦マサオさんだった、ということらしいー。
※右手で闘志を、左手で無気力を、という対照的な心情表現ポーズを同時に見せる竹内さんw
→ 『Q:今日のイベントを行ってみて、お二人は何か手応えのようなものはありましたか?/竹内 うん。引き出しがやっぱり広いなと思いましたよ。頷けるような真面目な話から、ディープな吉原の話とかね。エロ話をしても下品にならないっていうのが不思議ですね。性格なんでしょうね。/岸部 こういう世界、ある種マニアックなところにも自分は受け入れられるんだというのが驚きでしたよ。今まで目がいってなかったですから。以前だったらこないようなところですよ。でもロフトプラスワンは昔のジャズ喫茶を彷彿とさせる雰囲気があって、懐かしく思ったし、話しやすかった。/竹内 今後ラジオとかテレビとか、発展はいくらでも考えられると僕は今日再度思いました。まだまだですよ。/Q:コンビという形でとらえてらっしゃるんですか?/竹内 コンビというかコラボレートって感じですかね。/岸部 大事にしていきたい人と思ってますよ。二人で引き出しながら一緒にやっていきたいですね。それに竹内さんはまだ謎めいたところがあるから、それを時とともに知っていったらいいとも思ってるし。僕にとっては驚きの連続の人ですよ』
※なんか、いろんな人とコラボしまくってる感のある竹内さん・・・。アノ人とのコンビは、きっと
固く禁じられているのであろうなー。その心の隙間を埋めるべく・・アノ人の幻影を追い求め続けて、
今後も竹内氏の相棒探しの旅は続いていくのであった。。。
・1793年・・・パリのルーブル美術館が一般に公開
・1960年・・・森永製菓がインスタントコーヒーを発売
・1989年・・・ 海部俊樹内閣が発足。初の昭和生まれの首相
テクニックは人から教わることもできる。でも、ハートは自分で鍛えるしかない by ラモス瑠偉
1955年 三波豊和(タレント)
1962年 筧利夫(俳優)
1965年 川田あつ子(歌手)
1968年 岩井小百合(歌手)
1975年 白鳥智恵子(俳優)
1981年 安倍なつみ(歌手)