【セデック・バレ(太陽旗編/虹の橋編)】イデオンとの類似
■スタッフ:/監督 ウェイ・ダーション /製作 ジョン・ウー テレンス・チャン ホアン・ジーミン /脚本 ウェイ・ダーション /撮影 チン・ディンチャン /美術 種田陽平 赤塚佳仁 /音楽 リッキー・ホー /アクション監督 ヤン・ギルヨン シム・ジェウォン
■キャスト:リン・チンタイ(モーナ・ルダオ《壮年》) マー・ジーシアン(タイモ・ワリス) 安藤政信(小島源治) 河原さぶ(鎌田弥彦) ビビアン・スー(高山初子《オビン・タダオ》) ダーチン(モーナ・ルダオ《青年》) 木村祐一(佐塚愛佑) 春田純一(江川博道) シュー・イーファン(花岡一郎《ダッキス・ノービン》) スー・ダー(花岡二郎《ダッキス・ナウイ》) ルオ・メイリン(川野花子《ナビン・タウイ》) ランディ・ウェン(マホン・モーナ) ティエン・ジュン(タダオ・モーナ) リン・ユアンジエ(パワン・ナウイ) 田中千絵(小島の妻)
■作品データ:/原題 Warriors of the Rainbow I : Sun Flag /製作年 2011年 /製作国 台湾 /配給 太秦 /上映時間 143分 /映倫区分 R15+
※この5分ヴァージョンの予告だけで、そのただならぬ重厚感は伝わってくるだろう(SFXはチョトショボイケド)
→''' 『日本の圧政にたまりかねたセデック族の長モーナ・ルダオは、一族の若者約300人を率いて武装蜂起した。学校の運動会で日本人を襲い、女性や子供も惨殺。日本側も徹底的な鎮圧作戦に出た。日台間にとげのように残る負の記憶を、果たして日本人がどうみるか。監督は「実は不安だった」と打ち明ける。日本初上映となった昨春の大阪アジアン映画祭。監督はスクリーン脇から、そっと場内をうかがった。上映が終わって一斉に拍手が上がる。ロビーでポスターを写真に収める観客を見て、やっと肩をなで下ろしたという。 /当時の状況説明から暴力シーンまで、描写はリアルに徹した。セデック族が伝統とする首狩りの儀式。反旗を翻された日本軍の容赦ない鎮圧作戦。繰り返される殺りくシーンには、台湾でも批判の声が上がった。監督は「周囲から“もう少し控えめに描いて”との意見も出たが、できなかった。霧社事件は血なまぐさいものなのだ。だからこそセデック族の『首を狩って、魂を血で洗い清め、虹の橋を渡る』信仰をきちんと紹介する必要があった」と話す。
民族と民族、文化と文化が出合った時、時に衝突が起きる。監督は「文化の強弱」と表現した。「一般に文化の力が強いことが『文明的』で、弱いことが『野蛮』だとされる。しかし、力で文化を強制してはならない」と強調する。 「たとえば私の服が時代遅れで、格好が悪ければ批判して構わない。しかし、私の存在を否定してはだめだ。他者の価値観や信仰を否定した時、衝突が起きる。映画には完全な善人、完全な悪人は出てこない。絶対的に良い文化などない。異なる価値観を認め、真摯に向き合った時、互いを理解できるのではないか」 /4月19日、早稲田大学で開かれた試写会。満場の客席を前に、監督は語りかけた。「時代はさまざまな過ちを犯します。何が正しく、何が悪く、何が良く、何が悪いか。歴史の上では断言できません。二つの民族の憎しみを解消するために、この映画をぜひ受け入れてほしいと思います」(文・阿部陽子) 』 '''
※観終わった後、いろいろと考えさせてくれる、史実を基にした骨太ストーリーながら、ちゃんと血沸き
肉躍るエンターテイメントにもなっているところがスゲエー。
■スタッフ■キャスト・・・上記に同じ
■作品データ:/原題 Warriors of the Rainbow II: Rainbow Bridge /製作年 2011年 /製作国 台湾 /配給 太秦 /上映時間 131分 /映倫区分 R15+
※異文化が接触することによって起こる軋轢、そして諍い、戦争・・・。二部構成の後半がほぼ戦闘シーン
である点、などで、ふと思い浮かんだのが、『劇場版イデオン 接触編/発動編』である。あの作品も、ちょ
っとした思いの行き違いから生まれた不信感が、重なり合い、増幅して、異種俗同士の全面戦争になっていく
という展開であった。ラストで輪廻の概念も登場するが、セデック族の死生観と通じるところがあるー。
→ 『評価:当時の日本社会においては台湾原住民の存在自体が熟知されておらず、雑誌等に興味本位にその風俗などが描かれる程度であった。霧社事件は台湾総督府に対しては強い衝撃を与え、原住民統治の抜本的な改革を迫るものであった。第二次世界大戦後、日本にかわって中国国民党が台湾を統治するようになると抗日教育が行われるようになった。そのため、霧社事件は日本の圧政に対する英雄的な抵抗運動として高く評価されるようになり、蜂起の指導者たちは「抗日英雄」と称されるようになる。霧社にあった日本人の殉難記念碑は破壊され、蜂起の参加者らを讃える石碑が建てられた。霧社では毎年、霧社事件被害者の遺族らが参加して、犠牲者を追悼する「追思祭典」が開催されている。1990年代以降、民主化の過程の中で台湾史への再認識がブームとなり原住民文化への再評価が行われるようになると、今度は霧社事件は原住民族のアイデンティティーを賭けた戦いとして位置づけられるようになった。この文脈の中で日本による統治は台湾の近代化に対して一定の役割を果たしたと捉えられるようになった関係か、霧社事件に関しても抗日教育時代ほどには日本人は悪者として描かれない傾向がある』
→ 『日本映画美術界の第一人者として知られ、本作の美術監督として現地に壮大なセットをつくり上げた種田陽平氏に話を聞いた/台北近郊の山を切り開いてセットをつくったというスケールの大きさにも驚かされる。このような大掛かりな装置を手がけることは、海外の作品では珍しくはないという。「悪いことではありませんが日本では安全性をより重視するので、それによって映画のケレン味や醍醐味、スケール感が失われることがある」と指摘し、「日本でも黒澤明監督の時代はリスクを恐れず撮影をしていただろうし、山を切り開いて村を作ったりもしていた。黒澤組には参加できなかったが、今回の『セデック・バレ』ではそういう映画づくりの原点のような場所に立ち戻る喜びがありました」と振り返る。
その見事なセットも、劇中のセデック族の暴動によって次々と破壊されてしまい、そのリアルな惨状は息をのむほどだ。「きれいなセットを作って映画の中でそのままというよりも、闘いがあって破壊されたり、『キル・ビル Vol.1』の青葉屋のセットのように殺し屋がやってきて血だらけになったりと、役者が使って撮影で変化していく映画的なカタルシスがあるセットをつくるのが好きですね。それだけ、映画にドラマが生き生きと存在する、ということでもあるので。人の生き死にと同じようにセットにも生きざまがある。それを見届けられるのはこの仕事ならではの醍醐味」と語る』
※実話だというところが、かなりキツいなぁ。ウィキに載ってる写真とかもう・・・直視でけん
彼の魂は天皇陛下の赤子として靖国神社に帰るのか、それとも虹の橋を渡って先祖と同じ魂の故郷に帰るの
か・・・。この問いは台湾の状況そのものを暗示しているように思われる。
イデオンで言うと、地球人女性シェリルと愛し合った、バッフクラン兵士ギジェ・ザラルの立場に酷似し
ているように思われるー
→『2部構成の映画って、中学生の時に見た『伝説巨人イデオン』以来だな、と思っていたら、内容もイデオンそのものでしたね。正に1部が「接触編」2部が「発動編」と言い換えても、全く違和感が無いくらい。異文化との接触。その後、両者が和解できず、殲滅戦がはじまる。』
※妊婦さんがいっぱい出ていたし、最後はメシアが誕生するのかと思いきや・・・。愕然とする末路を
辿るんですねーーー。ズシン!と魂にアッパー食らった気分。グロいの駄目な人以外、お勧めデッス!