【町田康の“こぶとりじいさん”】新感覚!

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ねとらぼエンタ 作家・町田康さんの現代語訳「こぶとりじいさん」がポップと話題に 「やっぱ、瘤、いこうよ、瘤」

『「ポップでフリーな即興の歌詞を歌いながら、珍妙な踊りを踊った」「ここまで言うんだからマジじゃね? やっぱ、瘤、いこうよ、瘤」「もう、いいよ。見てらんない。なんか、小便臭いし」「奇怪な鬼に瘤を除去される」が無料公開。/作家・町田康さんが現代語訳した「宇治拾遺物語」の一遍「奇怪な鬼に瘤を除去される」が9月29日にWebで無料公開され、話題を呼んでいます。河出書房新社創業130周年記念企画として2014年11月から刊行を始めた「池澤夏樹=個人編集 日本文学全集」シリーズ。町田さんは9月に発売された「日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集」で宇治拾遺物語の現代語訳を手掛けています。無料公開された「奇怪な鬼に瘤を除去される」は、いわゆる「こぶとりじいさん」のお話。町田さんのセンスにより登場するお爺さんや鬼たちの思考や行動が現代的な感覚で表現され、約800年前の物語とは思えないほどみずみずしいものとなっています。まさに、町田さんはその発想と表現の自由さで、これまで芥川賞(きれぎれ)、萩原朔太郎賞(土間の四十八滝)、川端康成文学賞権現の踊り子)、谷崎潤一郎賞(告白)、野間文芸賞宿屋めぐり)などを受賞しています。町田さんは新訳にあたり、以下のようなコメントを寄せています。「翻訳しているといまはどうしたって見たり聞いたりすることのできない昔の人の声や顔が見えたり聞こえたりするようで楽しくてなりません。現代の日本語が過去に広がっていくような感覚もあります。この感じを届けたいと思います。」(河出書房新社 池澤夏樹個人編集 日本文学全集 特設サイトより)』

町田康、世間でブレイクするかな?もしかして・・・


河出書房新社 町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)

『木の洞から少し顔を出して覗いて、お爺さんは驚愕した。お爺さんのいる木の洞に向かって歩いてくるのは捜索隊ではまったくなく、鬼の集まりであったからである。/その姿形たるやはっきり言ってムチャクチャであった。まず、皮膚の色がカラフルで、真っ赤な奴がいるかと思ったら、真っ青な奴もおり、どすピンクの奴も全身ゴールドというど派手な奴もいた。赤い奴はブルーを着て、黒い奴はゴールドの褌を締めるなどしていた。顔の造作も普通ではなく、角は大体の奴にあったが、口がない奴や、目がひとつしかない奴がいた。かと思うと目が二十四もあって、おまえは二十四の瞳か、みたいな奴もおり、また、目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴もいて、その異様さ加減は人間の想像を遥かに超えていた』

→「おまえは二十四の瞳か」は、明らかに町田さん、筆が滑ってるねw

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『「最高。今日、最高。でも、オレ的にはちょっと違う感じの踊りも見たいかな」。リーダーがそう言うのを聞いたとき、お爺さんのなかでなにかが弾けた。お爺さんは心の底から思った。踊りたい。踊って踊って踊りまくりたい。そう。私はこれまでの生涯で一度も踊ったことがなかった。精神的にも肉体的にも。こんな瘤のある俺が踊るのを世間が許すわけがない、と思うまでもなく思っていて、自分のなかにある踊りを封印してきたのだ。けれども、もう自分に嘘をつくのは、自分の気持ちを誤魔化すのは嫌だ。私はずっと踊りたかったのだ。踊りたくて踊りたくてたまらなかったのだ。いまそれがやっとわかったんだ!/そこでお爺さんは飛んで出て踊っただろうか。もちろんそんなことはできるわけがなかった。というのは、そらそうだ、そこにいるのはとてもこの世のものとは思えぬ異類異形。そいつらが宴会をやっているところへ人間が闖入するなどしたら瞬殺に決まっている。お爺さんは歯を食いしばって耐えた。ああ、踊りたい。でも殺されたくない。葛藤するお爺さんの耳に、カンカンカカーンカンカンカカカーン、と鬼が調子よく奏でるパーカッションが心地よく響いていた。ああ、やめてくれ。自然に身体が動いてしまう。一瞬、そう、思ったが、もう駄目だった。気がつくとお爺さんは木の洞から踊りながら飛び出していた』

※何という臨場感と説得力だ。昔話が単なる軽薄な若者たちの日常風景のようにさえ思えてくる!この手法を確立すれば、町田さんの未来は超明るくねえ~~?(語尾上げる、同意を求める表現)

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『「あ、お爺さんだ。リーダー、お爺さんが来ました」「マジい? あ、ほんとだ。ほんとに来てくれたんだね。ありがとう。じゃあ、とりあえず踊ってよ。あれからずっと見たいと思ってたんだよ」/言われてお爺さんは真摯に踊った。けれどもそれは、先般、踊ったお爺さんの踊りとは比べようもなく拙劣な踊りであった。というのは当たり前の話で、前のお爺さんは、踊りたい、と心の底から思って踊った。けれどもこのお爺さんは踊りは二の次、三の次で、瘤を取りたい、と思って踊っており、そうしたものは観客にすぐに伝わるものである。けれども、自分は真面目にやっている、真剣にやっている、と信じている隣のお爺さんにはそれがわからず、盛り上がりに欠けた一本調子の、おもしろくもなんともない独善的な踊りを延々と踊り続けた。/そして、前のお爺さんと同じレベルの芸を期待していた鬼たちは白けきっていた。特にリーダーの落胆ぶりは甚だしく、「ぜんぜん、駄目じゃん」と言って首を揉んだり、顔をしかめて頭をこするなどして、まったく踊りを見なかった。もちろん、別人なのだから能力が異なるのは当たり前なのだけれども鬼から見れば人間のお爺さんは、みな同じ人に見えた。/にもかかわらず、自分の瘤のことばかり考えていて、そうした観客の発する気配を察することのできないお爺さんは踊りをやめず、痺れを切らしたリーダーはついに、もう、いいよ、と言った。「もう、いいよ。見てらんない。なんか、小便臭いし。瘤、返して帰ってもらってよ」「了解」/やはりお爺さんの踊りに辟易していた、末席にいた鬼が袋からお爺さんの瘤を取り出し、踊るお爺さんめがけて投げた。ぶん。音がして瘤が飛んだ』


◎あと、「こぶとりじいさん」と聞くと、も一つ思い出すトピックが!

伊集院光さんのラジオで、「どうして二番目の爺さんは酷い目に遭うの?

なんか悪いことした?」と言ってるのが印象的でずっと記憶に残っていた

のだった。確かにあのおじいさん、別に「悪い爺さん」じゃあない!

その疑問も、、、この町田康の「新訳・こぶとりじいさん」によって、

解決したのではなかろうか。そう、欲をかいちゃあダメってことなのよ

ネン~。「無欲の勝利」、というか、「謙虚が一番の美徳!」みたいなこと

なのよネー、テーマは・・・。


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●【伊集院光】 こぶとりじいさんの話


※伊集院版の「こぶとりじいさん」もオモロイ!


ほぼ日手帳」より、“日々の言葉”

■12月6日の言葉:ぼく、評価される監督になりたいとか、そういうの、ぜんぜんないの。お客さんが満足してくれる、お客さんがよろこんでくれる野球をしたい。で、順位はあとでついてくるもんだし(中畑清さんが『中畑清は、監督になった。』の中で)



※今シーズンは、オールスターまでは1位をキープし、大いにセリーグ

盛り上げてくれたー。来年も継続!で良かったのにナァ~~~~~~~。


「今日の歴史出来事カレンダー」より、“今日も明日も歴史的一日”

飛鳥時代》持統8年(694年)12月6日:藤原京に遷都される

・・・飛鳥浄御原宮から藤原京に遷都されました。藤原京の時代は710年まで続き、この次の都が平城京となります。藤原京は調査によってかなり大規模な都だったと分かってきましたが、その全貌は未だ確定していませんー


細かすぎて伝わらない関連動画や雑学、感想など


◎関連動画

・現役時代「中畑清絶好調男が生まれたきっかけ ~雄たけびあり 編~



◎感想

※「ゼッコーチョーー!」は、中畑さんよりも、それをネタにしていた

バッファロー五郎木村の雄叫びのほうが印象に残っているヤーーー。