訃報
平幹二朗さん
→ 『急逝した平幹二朗さんの長男で俳優の平岳大さんは24日、所属事務所のホームページにコメントを発表し「22日より本人と連絡が取れなくなり、翌日自宅を訪ねたところ、浴槽で穏やかに眠っている父を見つけました」と経緯を記した。/また「子供の頃、長い間、父と会わないでいる時間がありました。私が俳優になってからは、その失われた時間を取り戻すように、先輩として、演技の師として、そして父として濃密な時間を過ごすことができました」と振り返った』
→ 『22日に亡くなった俳優平幹二朗さん(享年82)の通夜が27日、東京・青山葬儀所で営まれた。平さんの長女と同級生という和泉元彌(42)は「友達のお父様として知り合って、勉強することも多く、あのご年齢なのに若者を引っ張っていらっしゃった」と振り返った。また「微力だけど何かできることがあれば、ご子息に恩返しをしたい。自分も父を失って、周りで支えてくれる人をありがたいと思ったので」と話した。母和泉節子(74)は「(平さんの元妻の)佐久間さんが、一歩下がったところで2人を見守りながらお送りされていた。毅然(きぜん)としていた」と、会場の様子を明かした』
印象深いーーー
→ 『22日に亡くなった俳優平幹二朗さん(享年82)の通夜が27日、東京・青山葬儀所で営まれた。舞台「イリアス」などで共演した俳優内野聖陽(48)は「芝居に打ち込む姿、大きな背中を常に見せてくれた。天国でも演劇の神様に肩をたたかれて、おいしいお酒を飲みながら、後輩の芝居を見てくれていると思う」と話した』
肝付兼太さん
●ドラえもん 先代声優の最後のメッセージ
※大山さんが具合悪くなったのは、ドラえもんから降ろされたせいってのも
ちょっとはあるんじゃないのかなーーーー?
→ 『テレビ朝日のアニメ「ドラえもん」の骨川スネ夫役などで知られる声優の肝付兼太(きもつき・かねた、本名兼正=かねまさ)さんが20日、肺炎のため死去した。80歳。鹿児島市出身。24日、所属事務所が発表した。葬儀・告別式は近親者で執り行った。/公式サイトは「弊社所属俳優 肝付兼太 儀 病気療養中のところ、平成28年10月20日、肺炎のため80歳にて永眠致しました。 ここに生前中のご厚誼を深謝し、謹んでご報告申し上げます」と伝えた。当初は俳優として活躍。独特のかれた高い声で、裕福で要領の良いスネ夫を25年余にわたって演じた。
声優としてデビューした後もしばらくは食っていけなかったため、旅行会社の添乗員や靴磨き、歯科医などでアルバイトをしていた経験もある。/映画デビューは1956年公開の「こぶしの花の咲くころ」(家城巳代治監督)であり、当時はまだ劇団の研究生で本名の「肝付兼正」として床屋の青年役で出演した。アフレコデビューは海外ドラマ「地方検事」(TBS)での暴走族の役。/1965年の30歳直前にマネージャーが藤子作品のキャスティングを担当することもあり、TBS版の「オバケのQ太郎」のゴジラ役でアニメのレギュラーを獲得。第4話収録時に開き直ってアドリブを入れまくったところ、見学に来ていた藤子不二雄が手を叩いて喜び気に入られた。これ以降、藤子不二雄作品には原作者指名で役を貰い、必ずと言っていいほど出演するようになった。
テレビ朝日版の『ドラえもん』では骨川スネ夫役を1979年の放送開始以来26年間に亘って担当。/2012年、第六回声優アワード「功労賞」を受賞/2016年10月20日、肺炎のため死去。80歳没』
・アニメ「ドラえもん」のスネ夫役を務める声優の関智一(44)が24日、
ツイッターを更新。20日に死去した声優の肝付兼太さんを悼んだ。
肝付さんが1979年から2005年までスネ夫役を務め、関は肝付さんの
後を継ぎ05年から担当。「尊敬する先輩が旅立たれました。役を継がせて
頂いたあの時、あたたかい言葉で背中を押して下さいました」と、当時を振
り返った。/「以前拝見したマイク前のあの背中。僕には間違いなく無邪気
な子供のそれに見えました。以来、憧れの背中に指先だけでも触れられるよ
う大きな目標になっています。肝付さんお疲れ様でした」とスネ夫そのもの
だった大先輩を懐かしんだ。
→ 『1979年から2005年まで26年もの長い間、“骨川スネ夫”の声優を務めていただいた、肝付兼太さんがお亡くなりになりました。多くの子どもたちに夢と希望を届けて下さった肝付兼太さんのご冥福を心からお祈りいたします』
※「ドラえもん」の旧声優陣が、ジャイアン、スネ夫、とお亡くなりになりましたねー。
もしや、脇役からお亡くなりになる法則・・・!?なんだかんだで、病気と闘いながら
も、大山のぶよさんが一番長生きするのかも知れませんねーーー。
→ 『この(↑)ツイートに対して読んでみたい!何の本だか分からない…などのコメントあったので今更だけど紹介しときますコロコロ文庫のドラえもん[スネ夫編]というスネ夫くんのお話を集めた本の巻末に肝付さんによる解説があり、そちらから抜粋したものです。漫画も解説もとても面白いので是非どうぞ~』
・プーツィー・コリンズ(1951)/ナタリー・マーチャント(1963)/野村義男(1964)/キース・アーバン(1967)/ヴィジェイ・アイヤー(1971)/向井秀徳(ZAZEN BOYS:1973)/スクールボーイQ(1986)/平賀さち枝(1987)/飯田里穂(1991)
・桑名正博(2012)/佐藤博(2012)
・野村義男の膨大なギター・コレクションを一冊にまとめた写真集。
総数300本以上をA to Z方式でブランドごとにファイルします。
大のギター好きとして知られる彼のコレクションは世界中のギター
をカタログ化したと言えるほどバラエティに富み、とびきりポップ。
ギブソン、フェンダー、グレッチなどコレクター垂涎のビンテージ
はもちろんのこと、ダンエレクトロ、バーンズなどのビザール、伝
説のビルダーによるハンドメイドもの、国籍も年代も不明なアヤシ
イもの、そして自ら改造を施した実戦向きの逸品などあらゆるギタ
ーを詰め込んだ宝石箱です。えーっ! こんなのあったの?と思わず
検索したくなる魅惑のコレクション!!
※パねえなー、よっちゃん!地獄の底でチャーとギター対決してた
シーンが脳にこびりついてるわ!(『トゥー・ヤング・トゥー・ダイ』)
☆本日の、「ムーミン谷の“毎日のことば”」は・・・
気持ちよくねむれるあなぐらを見つけて、ねむってしまうことだ。そのあいだに、世の中は世の中で、かってにどんどん日がたっていけばいいのだ。そうして目がさめたときには、もうなにもかも、ちゃんと、そうでなければいけないようになっているはずだ(スクルッタおじさん) |
☆出典:『ムーミン谷の十一月』
・・・びっくりするくらい小さい百歳のおじいさん。ムーミン谷近くの入り江にある一軒家にひとりで住んでいる。ものわすれがはげしく、自分の名前もわすれて、自分で自分にスクルッタおじさんと名をつける。
→ 『ちっとも困ることなんてないのだ。まるっきりないのだ。気持ち良く眠れるあなぐらを見つけて、眠ってしまうことだ。その間に、世の中は世の中で、勝手にどんどん日が経っていけばいいのだ。そうして目が覚めたときには、もう何もかも、ちゃんと、そうでなければいけないようになっているはずだ。
引用の文章は、スクルッタおじさんが冬ごもりに入る場面のものである。冬の長い地方で生きる人たちにとって、冬ごもりというのは本当に永遠の夢なんだろう。そんな国の物語だからこそ、北海道の季節と重ね合わせてしまうのかもしれない』
→ 『 秋がムーミン谷に近づく。そろそろ雪に閉ざされ、みんな家に閉じこもることになるのだ。そのようなある日、谷の人々が突然、人恋しくなった。/スナフキンは旅の途中、「雨の曲」を作ろうとしたが、どうしてもメロディが生まれてこなかった。雨にふさわしい五音がつかめそうでつかめない。そこでムーミン谷に戻ってくることにした。/ちびっこホムサ・トフトはヨットの下に住んでいて、雨を聞きながらお話を作るのが好きだった。ムーミン一家の家の近くに来ることはあったが、ドアをたたけなかった。でも、そのままじゃいけないと思い直して、ノックすることにした。/ひとりぼっちのフィリフヨンカは家の掃除に、炊事にといつも大忙し。あるとき、屋根を修理しようとして、あやうく落ちそうになる。ようやく助かった時、フィリフヨンカは「生活」が美しいことに気付く。なので、初めて外に出て人に会おうとする。評判のよいムーミン一家を訪問するのがよいだろう。/ヘムレンさんは一人暮らしのちょんがー(死語なんだろうな)。自分が自分であることが嫌い。今の暮らしが大嫌い。昔、楽しかったことを思い出せば、ムーミン家に泊まったときだった。だから、彼らに会えば楽しくなるだろう。
100歳になったスクルッタおじさんは、もう過去を覚えていないし、今もすぐ忘れてしまう。彼の周りには孫やひ孫や玄孫がいるけど、うるさいだけ。なので、家を出てしまうことにした。徘徊しているうちにムーミン谷に来てしまった。/ミムラねえさんはちびのメイの様子を見に行こうとした。ムーミン一家の養子になったメイがなにか悪さをしていないかと思って。しかし、ムーミン一家は留守だった。さてどうしよう、というわけで、かれらは一家が帰るのを待つことにする。(後略)』
※うわー、なんか大好きな群像劇の冒頭としてはカンペキですぁ~ねぇ~~♪
読んでみたくなってキタキタァ~~~~!!