『ポテチ』松岡茉優さんに視点を置いて再鑑賞~♪

◎まずは、以前、岡山の映画館へはるばる観に行った時の日記がコチラ↓

拙ブログ 2012/6/9(土) の日記

『本日は、ポテチ求めて倉敷まで遠征してきたっ♪え?倉敷地域限定のポテトチップスがあるのかって?ちゃうちゃう。伊坂幸太郎原作/中村義洋親分・・じゃなかった監督作品の邦画「ポテチ」をMovix倉敷で観てきたってことなのだーーー!!』

※うわぁー、キャストも「濱田岳 木村文乃 大森南朋 石田えり 中林大樹」しか

書いてなくて、松岡茉優の「ま」さえ触れておらん!何の役やったかも定かじゃねえ

なー。よっし、今から、しっかり、マユちゃんだけを追って観直そう!岳&文乃のほ

のぼのシーンなんか、ザッピングしちゃうぞ、このやろぅ!!w


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News Walker 伊坂幸太郎×中村義洋の映画「ポテチ」の魅力を語る! 新鋭女優・松岡茉優に独占インタビュー 2012/05/10

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→『現在、宮城・仙台で先行ロードショーしている映画「ポテチ」が、5月12日(土)に全国ロードショーされる。この映画は、伊坂幸太郎原作の同名中編小説を映画化した物で、「アヒルと鴨のコインロッカー」('07)、「ゴールデンスランバー」('10年)のチームが再結集した話題作。中村義洋監督が、68分に思いを込めて、強く温かい家族の物語を描く。/今回、同作のキーマンとして登場するミユ役を演じた松岡茉優に独占インタビューを敢行し、撮影秘話や見どころについて語ってもらった。

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――台本を読んだ時の感想を教えてください/松岡:(規模的に)小さな世界の中でのお話で、劇的なドラマチックな事件が起こるわけではないんですが、なんでこんなにギュッっとしてるんだろうって思いました。登場人数が少ないのに、いろんな思いが込められていて全く飽きないなと。これ以上人はいらないし、これ以上時間もいらない。全部がギュっと詰まっていて、ちょうどいいなと感じて、「早くこれを映像で見たい!」と思いました。――伊坂幸太郎さん原作ですが?/松岡:伊坂さんの作品は本当に大好きで、オーディションの段階から伊坂作品だと聞いて、「オーディションに参加できるだけいいやっ!」って大喜びしたくらいです(笑)。この作品も読んだことがあったので「この作品のこの子か!」と興奮していました。だから、受かった時はうれしかったですねぇ~(しみじみ)。――そんな大好きな作品の登場人物を演じるわけですが?/松岡:もちろん大好きな作家さんの作品に出られるというのはうれしいです。でも、原作がある物ってファンの皆さんの目が厳しいというか…、私も本や漫画が好きなので、映画化することを耳にすると「この役は誰がやるんだろう?」って思っちゃいますもん! だから、ファンの方が思っているミユ像を壊さないように、原作は何度も読み返しました。

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――演じる上で気を付けたことを教えてください。/松岡:ミユちゃんはストーリーの展開上、「ある程度、かわいくないといけないな…」と思ったんです。だから、登場シーンは、か弱くて女の子らしい女の子に見えるように、心掛けました。――ミユは同せいしている設定でしたが?/松岡:そうなんです。こればっかりは分からないので、年上の友達の同せいしている子に話を聞いたりしましたね。同せいって「ラブラブなのかなぁ」って思ってたんです。そしたら…(相手がいることに)慣れちゃうんですって(驚)。友達いわく「もう家族みたいなもんだから」って…。だから、演じる時にもっとキャピキャピするつもりだったんですが、ちょっとした“慣れ感”を自分の中で絞り出しましたね(笑)。――ご自身は同せいしてみたい?/松岡:いつか結婚したいって思う男性ができたら、してみたいですね。一緒に生活してみることで分かることがたくさんあるだろうし、短い期間でもいいから一緒に暮らすということをしてから結婚したいです。

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――好きな男性のタイプは?/松岡:包容力のある人。一緒にいて幸せだと感じる人ですね。具体的にこういうタイプっていうのはなくて、一緒にいる空気が心地よければ。――撮影を振り返ってみていかがですか?/松岡:本当に勉強させていただきましたって感じです。現場の雰囲気も温かかったし、楽しかった。監督さんを中心に、チームが“仲間”って感じで「だから、ああいう温かい映画が作れるんだな」って感じましたね。幸せな空間でした。もし、またご一緒できることがあったら監督に「時がたったんだな」と感じてもらえるくらい成長していたいですね。――共演者の方々の印象は?/松岡:木村文乃さんは、雰囲気が柔らかい感じで「美人なのに、なんでこんなに近づきやすいんだろう」って不思議でした(笑)。濱田岳さんは、実は昔から母も私も大好きで、テレビでお見掛けするたびに親子で応援させていただいていたんです! 共演できることになって大興奮していたんですが、初共演のシーンでは緊張して、付いていくのに必死でした。大森南朋さんは、合間の時間に笑い掛けてくださったりして、優しい和やかな雰囲気の方。でも、本番中は本当に怖くて、心から叫び声を上げちゃったくらいです。

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――作品を見た感想は?/松岡:私って、好きなシーンを何度も見返すタイプなんですけど、この作品のラストシーンは、「DVDになったら何度も見るな!」と確信しちゃったくらいいい! 最後の最後に、この映画の全てが詰まっていると思います! 結末を知っているのに「私、何でこんなに興奮してるんだろう!?」って思ったんですよ。もう本当に「見てくださいっ!!」って感じです!(笑)――見どころをお願いします。/松岡:登場人物それぞれに見どころがあると思います。木村さん演じる若葉の過去と現在のギャップだったり、石田えりさんの「いいお母さん」像だったり、大森さん演じる黒澤の人間らしくないのになぜか引かれてしまう魅力だったり、濱田さん演じる今村に至っては、もう全部ですっ!(笑)』


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※美人局をする小狡い女なのだが、か弱い部分も持っていて、多角的な性格を

兼ね備えたミユという女性の役であった。プロ野球チーム(楽天がモデル)の

監督(桜金造)とベッドを共にするシーンが一瞬映るが、いろいろと妄想を働

かせると一段と楽しめるのではないか?


●『ポテチ』予告



ライブドアニュース 松岡茉優にオファー殺到 「あまちゃん」主人公だった可能性も

『「オファーが殺到しすぎて、事務所も処理するのが大変みたいですよ。弱冠19歳にして、その数は一時期の宮崎あおいさん以上だとか」(芸能事務所関係者)/映画『桐島、部活やめるってよ』や、NHK連続テレビ小説あまちゃん』での好演が話題を呼んだ女優の松岡茉優。「現在は映画にドラマにバラエティにと、八面六臂の活躍を見せています。20歳以下の女優では、ダントツでしょう。彼女と高畑充希さんは演技もしゃべりもいけるので、重宝されているようですよ。知名度も浸透してきているので、今後はCMも増えていくでしょうね」(テレビ局関係者)/やはり大きいのは、昨年「あまちゃん」で、主人公の能年玲奈と同じアイドルグループのリーダー役を務めたことだろう。

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(左写真:紅白出場する茉優&のん)「実は、彼女はその“あまちゃん”になる可能性があったんです。最終オーディションに残ったのは、能年さんと松岡さんだったと聞いています。甲乙つけがたかったようですが、最後は僅差で能年さんに決まったとか。ただ、松岡さんに対するNHKの評価は高く、同じアイドルグループのリーダー役に抜擢したんです。それ以来、NHKのドラマにもいくつも出ていますから、今後は大河でも名前が挙がるのは間違いないですよ」(NHK関係者)/事務所の先輩である宮崎あおい大河ドラマ史上最年少で主演を務めたが、その記録を更新するのは彼女かもしれない。』


※『ポテチ』公開当時、まだ無名だった木村文乃さんに目をつけ、

「ウン年後、絶対ブレイクするで~!」と豪語して、自分として

は相当先見の明があったなー♪と悦に入っていたが、松岡茉優さん

の存在には全く気付かなかったわけで・・・まだまだワチクシも

大したことはないな~~と、今回身に染みて解った次第。。。


●cameo yuko


※カメオの竹内結子さんのシーンを今回はしっかり確認!!


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※中村親分、要所要所でええ仕事してましたね、ハイ!




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日3月10日(土)の、「元気が出る言葉」は~?


『ぼくはまけたら 二度とやらない。人はまけたらくやしくて、もういちどというそうだ。ぼくは勝てばなんどでもやるが、負けるともうやる気がしない。』
出展:「日本ぶらりぶらり」(筑摩書房
発言者:山下清 (画家。1922年3月10日~1971年7月12日)

『解説:「裸の大将放浪記」でお馴染みのキヨッさん。彼の映像記憶力は並々ならぬものがあり、「花火」や「桜島」など、あの実に細かい描写の作品群が、スケッチブックもなく、記憶だけを基に再現しているのだから驚くばかりだ。彼はしばしば放浪した。この言葉は旅先で一度女性と腕相撲をして負けたことに関するものだが、彼らしく微笑ましい。無駄に争いをしないのも人生の知恵だ。夏になると、山下清のさまざまな花火の作品が思い出される。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


ADHD・発達障害ガイド 山下清さんも発達障害(自閉症・アスペルガー症候群・サヴァン症候群)だった?

サヴァン症候群という発達障害は、知的障害・自閉症のある者のうち、ごく特定の分野に限って、優れた能力を発揮する者の症状を指します。その能力は多種多様で、作曲、カレンダー計算、記憶等の能力が開花することがあるようです。その中の一つの能力に「眼前の風景を完全に記憶することが出来る能力」というものがあります。恐らくですが、山下清さんが現地では書かずに家に帰って貼り絵をしていた・・・というエピソードを聞くと、サヴァン症候群だったのでは?と推測されます。

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山下清さんは3歳の頃、重い消化不良になり一命は取りとめたものの後遺症で軽い言語障害、知的障害に進行されたそうです。その後色々と苦労されるものの、1940年から1954年まで、山下清さんはは学園を脱走しリュックひとつの放浪の旅へ出かけていったそうです。そしてその旅先で見た素晴らしい景色を貼り絵という技法を使ってキャンパスの上に再現し、それが海外でも評価を受けるまでになったのです。凄いですよね』


●放浪の画家 福島へ


※元阪神岡田彰布に似てるなぁーーーw


●「野に咲く花のように」ダ・カーポ


※「裸の大将放浪記」のテーマソング、ダ・カーポ最高!


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※我々世代では、山下清といえばこの方、芦谷雁之助さんでした!


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※新作ではドランクドラゴン塚地武雅がハマリ役だったみたいだね♬


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“文士保護は独立しがたき文士の言うことである。保護とは貴族的時代にいうべき言葉で、個人平等の世にこれを云々(うんぬん)するのは恥辱の極みである(『野分』より)”


【1909年3月10日の漱石】1000枚の奥付に検印を押して出版社に渡す


今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)の3月10日は、終日、冷たい雨が降り続いていた。春寒の一日だった。その雨の中を冒して、出版社春陽堂の社員が東京・早稲田南町漱石山房漱石の自宅)を訪れた。漱石はこの訪客を迎えて、自身の検印を押した『文学評論』の奥付、1000枚を渡した。奥付とは、本の巻末にある書名、著者名、出版元、発行日などを記した部分で、本の出生証明書のようなものである。


この頃、公刊する本の奥付には、1冊1冊、著者の検印が必要とされていた。別刷りにした奥付に著者が検印を押捺し、それを本の巻末に貼り付ける場合と、本の巻末に奥付を印刷しておいて、検印を押した小さな紙片を所定の場所に貼り付けるやり方と、ふた通りがあった。それをもとに発行部数を互いに確認し、出版社が著者に払う印税の金額を割り出すという出版契約にもつながる手続きだった。ちなみに漱石先生は、それまで未成熟な出版界で、ともるすとおざなりにされていた著作者の権利を確立していくために、重要な役割を担ったといわれる。『金色夜叉』で知られる文豪・尾崎紅葉は、明治36年(1903)に没しているが、単行本出版は発行部数や重版とは関係ない買い切りで、印税契約という仕組みとは生涯無縁で終わったらしい。


初版1割5分、第2版からは2割、さらに6版以降(のちには4版以降)は3割、というのが、漱石の「印税覚え帳」に記録される印税の割合である。現今は10パーセントが通り相場だから、漱石先生、なかなかの押し出しだ。欧米の契約社会に範をとりながら、文士たちの生活や地位の向上に少しでも貢献したいという思いを、胸の奥には抱いていたのだろう。それは健全なる言論界の育成にもつながり、近代日本の発展にも資するものと言えた。


漱石と同時代の評論家、斎藤緑雨(1868~1904)が、こんな言葉を残している。「筆は一本、箸は二本。衆寡(しゅうか)敵(てき)せず」/筆は1本だが、食べていくためには2本の箸を使う。その数の差からしても、文筆のみで生計を立てていくことは難しいというわけだ。そんな洒落っ気まじりの嘆息や、その裏の気概には一目置く。だが、それを後進の文士たちに強いていくのでなく、少しずつでも地盤作りをしなければならない。漱石は、そう考えていただろう。/検印は、著者や家族らが1枚1枚手作業で押捺した。検印が省略されるようになったのは、昭和も半ば以降のことである。この日、漱石春陽堂の社員に手渡した奥付も、漱石や鏡子、何人かの娘が交替で検印を押したものだったろう。あるいは、あそびにきた門弟の誰かが手伝う場面もあっただろうか。漱石山房のそんなひとこまを想像すると、ちょっとほほえましい。


『文学評論』は、東大における漱石の「十八世紀英文学」の講義を基礎として、加筆修正してまとめられたもの。講義録の下書きは、受講生でもあった森田草平と滝田樗陰が手伝ったという。発行日はこの6日後の3月16日。その後、増刷を繰り返し総発行部数は2000部に達したという。同じ年に春陽堂から刊行された漱石の小説『三四郎』の初刊本の発行部数が4600部だったと推定されているから、2000部というのは当時の学問書としてはちょっとしたベストセラーだったといえるのかもしれない。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「著作権」「奥付」で動画検索してみました!!)


●9割の著者がしらない、出版すると得られるもの



●【著作権フリーBGM】 映像用人気曲10選



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※音楽が壮大だと、映像も3割増しで凄く見えるなーーw


ジョニーAのつぶやき:守ろう著作権~~♪ by 山本正之