宮本浩次から君へ!「Easy Go」Short ver.
→ 『俳優の池松壮亮さん主演の連続ドラマ「宮本から君へ」(テレビ東京ほか、金曜深夜0時52分)の第8話が25日に放送される。大手製薬会社との取引を巡り、ライバル会社・ニチヨンの営業マン、益戸景(浅香航大さん)に思わずつかみかかってしまった宮本浩(池松さん)。営業マン失格の烙印を押されると、自分に対する憤りから、同僚の田島(柄本時生さん)の目の前で、頭をバリカンで丸刈りにする……。
商品説明会で、宮本と先輩社員の神保和夫(松山ケンイチさん)が用意したマルキタの見積価格が、ニチヨンの益戸に漏れていたことが発覚する。益戸に情報を流したのはワカムラ文具の島貫部長(酒井敏也さん)。そのやり方に納得できない宮本は、神保に加えて、取引先の文具問屋ハタダの安達(高橋和也さん)にまでたてつくと、怒りを抑えられず、その場に現れた益戸につかみかかってしまう。
ドラマは、1990年代前半に多くの若者を魅了した新井英樹さんの同名名作マンガが原作。文具メーカー「マルキタ」の新人社員で、恋と仕事に不器用な宮本浩が、営業マンとして、人間として成長していく青春ストーリー。/商業映画デビュー作「ディストラクション・ベイビーズ」(2016年)で高い評価を得た真利子哲也監督がメガホンをとり、脚本も執筆。主題歌は、原作の新井さんが大ファンと公言し、主人公の名前の由来(ボーカルの宮本浩次さんから取られている)にもなっているロックバンド「エレファントカシマシ」の新曲「Easy Go」。』
ひたすらリピートしてしまう昨今の深夜の過ごし方よ。。。
●エレファントカシマシ「Easy Go」Short ver.
※何だろう、この古臭いのが一周回って新しく生まれ変わったような感覚!
「エレカシの初期の頃の隠れた傑作です」などと説明されたら、ニワカの
ファンは信じそうな勢いなんじゃね?
→ 『「宮本から君へ」は、正直嫌いな漫画だった。連載されていたのは’90年から’94年。ちょうどその頃に社会人になった自分は、宮本の暑苦しいキャラクターや泥臭い働き方をみて、「ああいうサラリーマンにはなりたくない」と思ったものだった。’09年に久しぶりに復刻された時、帯には「バブル期の日本で最も嫌われたマンガ」と書かれていた。実際、拒絶反応を示すアンチが連載時には相当いたという記憶がある。しかし、一方では熱狂的なファンも確実に存在した。/連載から20年以上経った今、『宮本から君へ』(テレビ東京)は深夜ドラマとなって放映されている。これが実に原作に忠実な実写化で、原作愛に溢れた人たちが集まり、全体重を乗せて制作しているということがよくわかる。登場人物のセリフや各場面の構図、空気感に至るまで、驚くほど原作そのまま。主人公の宮本を演じる池松壮亮には、完全に宮本が憑依している。大人たちが本気で作るドラマは、好き嫌いの壁を越えて迫ってくるものがあり、毎週金曜の夜、30分間釘付けになっている。(中略)
益戸に篭絡された取引先の部長に印鑑をもらうため、実に30ページ以上にわたって延々と続けられる土下座シーンは強烈だった。逃げる相手を這いつくばりながら追いかけまわし、根負けさせようとする、攻撃としての土下座。ドラマでも、恐らくここが最大の山場になるだろう。自分は仕事で土下座なんてしたくないと思ったし、宮本の働き方は当時ですら相当古臭く見えた。社員同士で頻繁に酒を交わし、裸で一緒にサウナに入り、会社は濃密な疑似家族で、評価軸は人情と根性。完全に高度経済成長期のサラリーマン像だ。それよりも益戸のドライでコスパのいい働き方のほうが筋が通っていたし、リアリティがあった。ただ、「俺がカッコいいと思っているものをそうじゃないって言う人間に認めさせたいです」という、宮本の青臭い反抗心は嫌いじゃなかった。自分も当時のバブル景気の浮ついた世相に馴染めない人間のひとりだったからだ。
「宮本から君へ」という作品は、アンチ島耕作である以上に、「アンチ・バブル」という情念に貫かれていた。バブル景気という時代そのものを敵視し、挑発していた。当時カッコいいとされていた、ディスコ、高級レストラン、デートカー、トレンディドラマ、スキー・ブーム、DCブランド、そうした文化に浸って明るく消費を楽しんでいた軽佻浮薄なサラリーマン。それらバブル的な作り笑顔の世界に対する憎しみから生まれた渾身のカウンターパンチ、それが宮本浩という存在だった。/自分の場合は、ポストパンクやゴスや特撮やプロレスやホラー映画という、バブルの光の当たらない暗がりに避難することで、あの喧騒をやり過ごすことが出来たけれど、宮本は真正面から感情を爆発させて突破しようとしていた、ということだろう。そんな彼のいら立ちに、今思うとどこかで共感はしていたのかもしれない。そして現在。宮本があれだけ憎んだバブル景気はとっくの昔に崩壊し、島耕作も年老いて、宮本の仮想敵はいなくなった。この20年で働き方も大きく変わり、昭和のサラリーマン像もさすがに賞味期限切れだ。それでも深夜ドラマの宮本は、青臭いままの年齢で、あの頃のままの生きざまを暑苦しく晒している。エンディング曲にかぶさる映像には「わたし、皆さまの敵でございます」という手書き文字。時代に合わせる気はさらさらない、というやせ我慢宣言のようにもみえる。それはそれで、非常に宮本らしい。/深夜ドラマの中の宮本と同世代の、今20代前半の若者たちは、宮本のアナクロな働き方を見て、なにを感じとるだろうか。自分はサラリーマンを続けて管理職の年齢になり、ドラマの中の宮本の年齢とは大きくズレてしまったからなのか、懐かしい戦友が遠くで闘い続けている姿を見守るような気持ちでテレビを眺めている。嫌いだったのに。<文/真実一郎>』
『人の巧を取って我が拙を捨て、人の長を取って我が短を補う。』 |
出展:? |
発言者:木戸孝允(幕末の武士 政治家 1833年8月11日~1877年5月26日) |
→ 『解説:人には一長一短がある。自分にも短所、未熟さがあり、それを正しく認識して、人の長所によって補う。できるようで、これがなかなかできない。さすがに地位や立場に関係なく有能な若手を抜擢して明治維新をリードした長州の指導者だ。「維新の三傑」の西郷隆盛、大久保利通と比べ、やや地味な印象だが、木戸の評価は高い。もしかしたら有能な幹部というのは自分より有能な部下をたくさんもつ人物なのかもしれない。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):開国問題を機に、それまで政治の蚊帳の外におかれていた天皇の権威が急速に高まった幕末。長州藩の若手リーダーとなった桂小五郎(木戸孝允)は、いかにして動乱の時代に向きあい、新時代への道を模索していったのか。ある時は「勅」を利用し、またある時は「勅」により追いつめられる日々。朝敵の烙印を押された長州藩を復権させ、維新の栄光を背負わせた「勤王の志士」の生涯とは。/■登録情報:/単行本 87ページ /出版社 山川出版社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4634548704 ISBN-13: 978-4634548701 /発売日 2010/7/1 /梱包サイズ 21 x 14 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5 /■カスタマーレビュー:noe 5つ星のうち4.0 「木戸孝允の入門書」2011年9月26日・・・90ページ弱の薄い本に木戸孝允の果たした役割がまとまっています。簡潔で非常に読みやすいです。長州そして桂小五郎を巡る時勢の目まぐるしさがよく分かります。やや特徴的なのは、木戸の働きについて述べる一方で、木戸がかつては藩内の攘夷派を煽る立場だった事、維新後の脱退兵への処罰や河上彦斎の抹殺などにも触れ、功罪両面を取り上げている所でしょうか。』
→ 『【なぜ逃げの小五郎と呼ばれたのか?】・・・長州藩のリーダーであり、明治維新には欠かせない大仕事を成し遂げた人物とは思えないあだ名です。桂小五郎は剣術の腕前が超がつくほどの一級品であったことはご存知の方も多いと思います。/神道無念流練兵館の塾頭まで務めました。新選組局長の近藤勇は小五郎に対して、恐ろしくてかなわないという主旨の言葉で評価しています。それだけでも相当な強さであったことは十分にわかります。/そのあだ名がつくには当然理由があります。実際のエピソードをご紹介させていただきます。池田屋事件、新選組の奇襲を受け、長州藩、土佐藩、肥後藩を中心に多くの志士が倒れます。事件当日、小五郎は池田屋に早く着いたために外出しており、戻るのが少し遅れたために難を逃れたという説と、屋根をつたって早々と逃げだしたという説があります。いずれにしても小五郎はその奇襲をうまくかわして逃げ延びます。続いて、禁門の変(蛤御門の変)の時も命を落としませんでした。
事件の直後に一度は会津藩、新選組に捕えられます。それでもトイレに行きたいと言って、その隙に逃走して藩邸に逃げ込みます。その後も幕府側はかなりの兵力をもって攘夷派を追い込んでいきます。その主犯であった長州藩、そのリーダー格の小五郎への捜査は厳しいものでしたが、小五郎は乞食などに変装するなどして何とか生き延びます。このように、小五郎は執念とも言えるように逃げまくり、そして生き延びました。それが「逃げの小五郎」と呼ばれた理由です。
※ある意味「元祖・逃げ恥」なのかもw
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「虞美人草」「ブーム」で動画検索してみました!!)
※五木ひろしの良さが、ちょっとは解る年代になったのかなぁーー。