『モリのいる場所』淡々とした日常 時々 シュール
■スタッフ:/監督 沖田修一 /脚本 沖田修一 /製作 新井重人 川城和実 片岡尚 鷲見貴彦 宮崎伸夫 佐竹一美 /エグゼクティブプロデューサー 永山雅也 プロデューサー 吉田憲一 宇田川寧 /撮影 月永雄太 /照明 藤井勇 /美術 安宅紀史 /装飾 山本直輝 /衣装 岩崎文男 /ヘアメイク 宮内三千代 /特殊メイク 百武朋 /録音 山本タカアキ /音響効果 勝亦さくら /編集 佐藤崇音楽牛尾憲輔VFXスーパーバイザー小坂一順スクリプター押田智子キャスティング南谷夢助監督安達耕平制作 担当 大田康一 /ラインプロデューサー 濱松洋一
■キャスト:山崎努(熊谷守一) 樹木希林(秀子) 加瀬亮(藤田武) 吉村界人(鹿島公平) 光石研(朝比奈) 青木崇高(岩谷) 吹越満(水島) 池谷のぶえ(美恵ちゃん) きたろう(荒木) 林与一(昭和天皇) 三上博史(知らない男)
■作品データ:/製作年 2018年 /製作国 日本 /配給 日活 /上映時間 99分 /映倫区分 G
→『映画史に残る黒澤明、伊丹十三監督作をはじめ、枚挙に暇のない傑作で唯一無二の存在感を見せ、日本を代表する名優のひとりとして知られる山崎努。13年ぶりとなる最新主演作「モリのいる場所」で、憧れの人と公言する画家、熊谷守一に扮した。(取材・文/編集部 撮影/松蔭浩之)
「守一さんに関する書物は全部読んでいます。30年間一歩も自宅から出なかったという生き方をしている人がいるというところに惹かれました。そして、もちろん作品も。それから、自伝を読んだりして、晩年だけではなく、絵描きになる前や、なってからの人生にも触れていきました」/沖田修一監督の作品への出演は「キツツキと雨」(12)に続き2作目。モリという愛称で呼ばれる熊谷守一が、樹木希林が演じる妻の秀子らと過ごす晩年のある1日を、ユーモラスに描いていく。画家の人生を追うのではなく、その人となりや生活模様を活写した。/「伝記映画ではないので、実際の守一さんとは全く違うキャラクターの、我々が作ったモリを演じました。沖田監督の最初の作品「南極料理人」は極地があって、そこにかかわる人物の話。どうも彼は、場所が作品の大事な要素になっていて、今回は、モリが極地なのだと思います。モリが南極で、それにかかわっていく秀子夫人をはじめ、お手伝いの美恵ちゃんなど、全てが描かれていく。だから、僕はその極地の役割だったと思うのです」/徹底した役作りで知られているが、重要なのは「その人の持っている歪みを見つけること」。「守一さんのファンである僕は、守一さんの素敵なところを楽しみますが、役を作るときは、欠点というか、その人の持っている歪みを見つけないと演じられない。だから、僕は、誰が見てもかっこよく、みんなに好かれる二枚目の役は少ないですし、そういう役はお断りしています。どこか歪みがあるのが人間。役者として、守一さんのファンである僕とは逆の作業をしなければならないのです。今回、それを見つけるのが大変といえば大変でした」
芸達者な役者陣が顔をそろえる今作、自身は「アドリブは入れば入るほどいい」という考えだ。「自然に出てくるものがいいです。以前、他の作品の取材で「庭を造るのと、役を作るのは似ている」と言ったことがありますが、一応、自分の中で役を、ここに花を、ここに木を植えて……と造園するようにセッティングします。でも、机の上で考えていたプランをそのままやってもちっとも面白くない。現場で自然に生まれてくるものが大事。庭で言えば、雑草です。自分が植えたのではない雑草が意図せず生えてきて、それがきれいだな、と思えるようになれば成功ですね。演技しているときも、大勢スタッフがいて、風が吹いてきて、陽が出てきて、曇ってきて……という中で、なにか自分の全く意図しない物が生まれてくるとよいのです」/そんな雑草のような美しさ、喜びが重なった映画になった。撮影日誌を綴った書籍「モリカズさんと私」(文藝春秋刊)では、「いつまでもアマチュアの心を持っていたい」という言葉を書き記している。
「昔から僕は、人のやらないことをやりたいんです。自分が思いついたことも、一度やったらやりたくない。それは、引き出しになってしまっているから。いつも、もっと新鮮なことをやりたいんです。いいことを思いつきたいし、いいことを感じたい。そういう意味では素人。積み重ねではなく、一回取っ払ってしまうのです。芸道や絵描きは、いつまでたっても先があるんだなんていうのを聞きますが、僕はあまりそういうのは好きじゃない」/俳優は天職か?と問うと「思いませんね」ときっぱり。「なんだか知らないけど、偶然いろんなものがあって、こうなって。なったら、なったなりに楽しいことも出てくるし、一生懸命集中してやってきたけれども、どこかで天職だとは思っていませんね。もっと別の自分もあるんじゃないかと感じます。これからも別に、俳優道を極めようなんていう気は全くないです。つまらなくなったら、いつでもやめてやるという気持ちでいますけど、でも、ほかにやることもない」と飄々と語る。
劇中で「もう一度人生を繰り返すことができるとしたら?」と妻に問うシーンがある。「僕は、同じ人生は選ばないね。これは、(天井を指し)あっちの人が決めてくれることだから。もし来世があれば、人間に生まれるのか、木か虫かわからないけど、自分が決めることじゃない。それは、役と一緒なんです。役も人が決めてくれるのものだから。今回の守一さんも、沖田さんが声を掛けてくださったからです」/若い映画製作者や表現者らに向けてのメッセージを依頼すると、「やはり、アマチュア精神で行くことだと思います。一度やったことは排泄物みたいなものだから、もう捨てちゃう。そういう心構えで。どんな職業もそうだと思いますが、10年やっているとそれなりに覚えていくことがあって、それなりに処理できてしまう。それをやっても、ちっとも面白くないから、何でもいつもゼロの状態から始めた方が楽しいと思いますよ」と穏やかに指南する。/今年で81歳。輝かしい過去のキャリアを回想することはないというが、「ただ、舞台の場合は、体力勝負だから50代が一番良かった。肉体的にも動けるし、役を作るときの考え方が、少しはわかって、自分なりに深まってくる。それが少しずつ増えてくると、体力がなくなっていく。その二つがバランス良く重なるのが、50代だったね」と振り返る。しかし、「俺は、何度でも生きるよ」と話す、劇中の94歳の守一にはまだ及ばない年齢だ。「最近はどんな作品でも回想シーンなんかで若作りのメイクをされるけど、そうですね、今回は珍しく老け役をやりましたね」と、はにかんだような笑みを浮かべた。』
※普段せかせか忙しくしてる人は絶対観るべきやね。あと、樹木希林ファンも!
→ 『☆長編映画・・・「このすばらしきせかい」(2006年) - 監督・脚本 /「南極料理人」(2009年) - 監督・脚本 /「キツツキと雨」(2012年) - 監督・脚本 /「横道世之介」(2013年) - 監督・脚本 滝を見にいく(2014年) - 監督・脚本 /「モヒカン故郷に帰る」(2016年) - 監督・脚本 /「モリのいる場所」(2018年) - 監督・脚本 /☆短編映画・・・「ライフ・シネマティック 映画的人生『進め!」(2006年) - 監督 /シティボーイズのFilm noir「俺の切腹」(2010年)- 脚本・監督 /「豆大福ものがたり」(2013年) - 監督 /☆ドラマ・・・「後楽園の母」(2008年、MUSIC ON! TV) - 監督・脚本 /「青梅街道精進旅行」(2008年、MUSIC ON! TV) - 監督・原案 /「リバーサイド入口」(2008年、関西テレビ) - 監督・脚本 /イロドリヒムラ「日村大岩」(2012年、TBS) - 監督・脚本 /ノーコンキッド「#8 バーチャファイター2」(2013年、テレビ東京) - 監督 /「永沢君」(2013年、TBS) - 監督・脚本 /「火花」 (2016年、Netflix)- 監督』
※沖田修一監督作品は、どれもあったかみがあって全部好きだなぁーーーー♪
『滝を見にいく』が地味にお勧め~~!!
→ 『「南極料理人」「横道世之介」「キツツキと雨」の監督、というだけで「何かやってくれそうだー」とワクワクさせてくれるものがあった訳だがーー。その期待に違わぬ面白さだったオ~♪』
※この動画を観て、劇場に足を運ぼうと決心した。映画推奨番組として貴重ザーンス♪
→ 『観てきました。こりゃこりゃ 面白そう!と。昨日からワクワク。映画みるのに、こんなに ワクワクしたことないわ。笑っ/樹木希林さんのサイン。その昔 アイドル時代、NHKの食堂でお見かけした 樹木さんはそれはそれは 素敵でしたわぁ。そして《モリのいる場所》ヤラレたー。裏切られたー。そうくるの?ほほほほぉー途中 2度ほど 寝そうになったー。でも 面白い。ただ今公開中。ぜひ ゆったりな時間のなかで焦らず 鑑賞してください。笑っ
/《居心地が良いと 人はそこにとどまりたくなる》夫婦がうまくいくのも人との関わりがうまくいくのも、きっと それだけ。たったそれだけでお互いがお互いを幸せにできる… そう、思うのです。良き映画でした!』
※ゆったりの時間の中で、、、「寝そうになった」んかぁーーーい!w(髭男爵風)
→ 『この映画を見て思ったのが、私自身の時間の使い方について。少し時間が出きてしまうと、なんだか怠けているようなそんな気がして、時間を埋めようとしている自分に気がつきました。/画家のモリ(熊谷守一)は94才。彼の世界は、自宅と、木々や緑が生い茂り池があり多くの生き物がいる庭だけ。そこから30年出ることがなく、毎日庭を散歩し、虫や蟻を眺め、地面に寝転がって昼寝をし、夜になると教室と呼ぶアトリエで絵を描く。それを支える妻や姪、近所の人やお客さん、彼の日常を撮るカメラマン・・そういう人たちとの日常を描いた映画です。
他人から見ると、著名な画家が身なりや地位や名誉に無頓着で、一日中、小さな蟻を眺めて何がおもしろいのか、飽きないのかと思うのですが、モリにとっては、蟻を眺めることで忙しいし、毎日発見と驚きに満ちているのです。その人にとって必要な情報や時間の使い方は違うし、だから人から見てどう思われるかなんて関係なく、目的が何のかを考えればいいのだと、気付かされました。本当に、モリは幸せそうなんです。「もっと生きたい」「もっと描きたい」自分たちの子供も死に、本人も94歳になってもそう思えることがとてもうらやましいです。/ぶれない自分を持つこと、人と比べる幸せは必要ないこと、自分の人生は自分のものだということを改めて感じました。とっても気持ちがやわらかく幸せになる映画です。オススメ。』
※モリさんの「学校」の部屋。流れている時間が明らかに違う。。。
(画像右下クリックで拡大)
※「訴えます!」相変わらず、嫌な役をさせたら絶品の吹越満さん。(褒めてます!)
→ 『■内容紹介:伝説の画家・熊谷守一に魅せられた四人が、それぞれの流儀で迫る。映画「モリのいる場所」関連カラー写真多数収録。/没後40年を迎えた画家・熊谷守一。2017年12月から国立近代美術館で回顧展が開かれているほか、2018年5月には熊谷をモデルにした映画「モリのいる場所」(監督:沖田修一 出演:山粼努、樹木希林ほか)が公開される。写真家・俳優・映画監督・新聞記者がそれぞれの流儀でモリカズ・ワールドに迫った軌跡を綴った。
/モリとの出会い 藤森武(写真家。1942年、東京都世田谷区生まれ。昭和37年、写真家土門拳に師事)1974年76年にかけて熊谷邸に通って写真を撮影した当事の思い出と秘話。/「モリ」日誌 山粼努(俳優。1936年、千葉県生まれ。数々の映画・テレビ・舞台で活躍する)『モリのいる場所』の撮影日誌。エッセイの名手としても知られる著者が、「どう演じるか」について綴った。名著『俳優のノート』に連なる演技論としても読み応えがある。/撮影まで 沖田修一(映画監督。1977年、埼玉県出身。ほかに『南極料理人』『横道世之介』など)映画『モリのいる場所』のクランクインまでの苦闘の日々をユーモラスに描く。/仙人に聞いた話 田村祥蔵(元新聞記者。1937年、新潟県生まれ。「私の履歴書」で熊谷守一を取材)『へたも絵のうち』取材で聞いた珠玉の言葉を紹介しつつ辿る、モリカズさんの生涯と作品。/■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 117ページ /出版社 文藝春秋 /言語 日本語 /ISBN-10: 4163908080 ISBN-13: 978-4163908083 /発売日 2018/3/8 /梱包サイズ 21.2 x 15 x 0.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:caritas77 5つ星のうち5.0 「写真家、俳優、映画監督、新聞記者による熊谷守一に係る言葉」2018年5月3日・・・たとえば、巻頭に写真家藤森武氏による「モリとの出会い」があります。写真家は土門拳氏の弟子です。熊谷守一氏本人の写真を撮影しました。撮影してよいと許しが出るまでに工夫があり、撮影を開始してからも、さまざまな本人とのやり取りがあります。次は写真集を手に考えてみましょう。』
※この書籍は絶対「買い!」ですな~♪
『最小の労力を持って、最大の欲望を満たすことが、人間の経済行為の基礎原理である。』 |
出展:「国富論」 |
発言者:アダム・スミス (イギリスの経済学者 1723年6月5日~1790年7月17日) |
→ 『解説:アダム・スミスといえば、「国富論」であり、「経済学の父」といわれる。彼は重商主義から市場メカニズムを提唱、つまり国の干渉ではなく、フェアな競争をすることで資本家も人民も儲かるという考え方をした。「国富論」が出版されたのが1776年だが、紹介した言葉、まったく古くなっていない。資本主義の日本で、私たちが日々の仕事で何気なく行っている基礎原理だ。あるいはコスパのよさといってもよい。たまには経済学の古典にチャレンジして元気をもらうのもいいことだ。』
※原題は「Miss Sloane」なので、これは大胆な変更。その奇策がうまく
働いているのかどうかは、本編を観てみないと判断できまい。
→ 『★ベストアンサーに選ばれた回答・・・ren********さん 2011/2/6→簡単な回答でよろしですか?まぁ、ざっくり言うと、積極国家を支持する考えの人と夜警国家を支持した人って感じですね。A・スミスは市場に国家が介入する必要はない。需要と供給のバランスは市場に任せておけば、自然に均衡点に向かうと唱えました。これが有名な「神の見えざる手」ですね。しかし、彼の考えは世界恐慌を契機にケインズに批判され、ケインズ経済学の登場となります。彼はスミスとは反対で、国家の市場への介入で不況を脱しようとしたのです。』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※おぉ、なにげに、上記の「モリのいる場所」ネタとリンクしたゾッ♪