『プレイス・イン・ザ・ハート』是枝監督のお気に入り♪
■ストーリー:1935年、テキサス州ワクサハチの朝。エドナ・スポルディング(サリー・フィールド)は、先ほど送り出した保安官の夫ロイス(レイ・ベイカー)が死体となって戻って来たのを知って、あまりのショックに口がきけなかった。銀行の預金残高は116ドル、借金3681ドル、とりあえず数カ月後に銀行に返さなければならない返済分が240ドル、エドナにできることといえば子供の世話と家事だけだ。美容院を経営している姉のマーガレット(リンゼイ・クルーズ)も親身に心配してくれるが、金銭面では無力だった。葬儀が済むと銀行は、この家を売り借金をゼロにして、子供を親戚に預けて働いたらと勧める。しかし、夫のにおいが染みたこの家と2人の子供フランク(ヤンクトン・ハットン)とポッサン(ジェニー・ジェームズ)なしに生きていくことはできない。数日後、流れ者の黒人モーゼス(ダニー・グローヴァー)がやってきて仕事をくれと申し出たが、断わった。その夜、保安官に連れられたモーゼスが再びエレナの家にやってきた。スポルディング家の銀器を盗んだので逮捕されたのだ。エレナはウソの口実でモーゼスを助けてやつた。その日から、彼は一家には欠かせぬ働き手として綿畑を耕した。同じ頃、銀行員は厄介払いするように眼の不自由な彼の弟ウイル(ジョン・マルコヴィッチ)を下宿人として押しつけてきた。エドナとモーゼスは綿作りに励んだ。一家を守るにはそれしか方法がないのだ。しかし、テキサス特有の大竜巻は小さな町の建物をあらかた破壊しスポルディング家にも甚大な被害をもたらした。(後略)
■スタッフ:/監督ロバート・ベントン /脚本 ロバート・ベントン /製作総指揮 マイケル・ハウスマン /製作 アーレン・ドノヴァン /撮影 ネストール・アルメンドロス /美術 ジーン・キャラハン /音楽 ジョン・カンダー /編集 キャロル・リトルトン /衣装デザイン アン・ロス /編曲 ジョン・カンダー /字幕 戸田奈津子
■キャスト:サリー・フィールド(Edna_Spalding) リンゼイ・クローズ(Margaret_Lomax) エド・ハリス(Wayne_Lomax) エイミー・マディガン(Viola_Kelsey) ジョン・マルコビッチ(Mr._Will) ダニー・グローバー(Moses) ヤンクトン・ハットン(Frank) ジェニー・ジェームズ(Possum) テリー・オクィン(Buddy_Kelsey) レイ・ベイカー(Royce_Spalding)
■作品データ:/原題 Places in the Heart /製作年 1984年製作国 /アメリカ配給 コロムビア映画提供:株式会社キネマ旬報社
■受賞歴
・第57回 アカデミー賞(1985年)/主演女優賞 サリー・フィールド /脚本賞 ロバート・ベントン
・第35回 ベルリン国際映画祭(1985年)/銀熊賞(最優秀監督賞)ロバート・ベントン
・第42回 ゴールデングローブ賞(1985年)/最優秀主演女優賞(ドラマ) サリー・フィールド
※ラジオのインタビューで、是枝裕和カントクが、「子役をうまく使っている映画」
として挙げていた一つが本作。『万引き家族』とも共通点が多い、と聞き、さっそく
近くのツタヤで借りてきたものなり♪
日本でも起こりうる災害だ!と述べている記事をば引用ーーー。
クローズアップ現代 緊急報告 アメリカ巨大竜巻 “多重渦”の脅威
→ 『去年(2012年)5月、茨城県つくば市などを襲った国内最大級の竜巻。甚大な被害をもたらしたこの竜巻も、多重渦だったと見られることが最新の研究から分かってきました。
手がかりとなった映像です。よく見ると、竜巻の中に複数の渦があることが分かります。気象研究所の加藤輝之さんは今後、日本で多重渦を伴う巨大竜巻が起きやすくなると考えています。地球温暖化によって水蒸気の量が増え、竜巻を発生させる積乱雲がより発達するためです。
これは将来、強い竜巻が発生しやすい気象条件がどれほど増加するか示した図です。赤や紫で示した場所は今のおよそ2倍から3倍に増加します。西日本と東日本、それに北日本に広がっています。そのほかの地域でも2倍前後になると予測されています。気象研究所 加藤輝之さん「日本全国どこでも(オクラホマの)強い竜巻が発生しうるかもしれない。警戒してもらうにこしたことはない。」』
予兆のない巨大竜巻は、特に脅威でしょう。日本でもアメリカ並みの
デカいやつが起こる時代が来るかもしれません。その日のための
予習として鑑賞を勧めてもいい映画ですね。
あとから、「なんでゴム手袋みたいなのはめて摘まないの?」とか、
「一回刈り取っておいて、座って摘めば、腰を言わさなくて済むんじゃあ?」
などと上げ足をとるようなことばかり思いついてしまう。ドラマに入り込
めてない証拠かな?是枝さん、スンマソン。ワチシは、この映画の子役の演技には
なんら心動かされませんでしたわ~~。
映画キロク 「プレイス・イン・ザ・ハート」愛とは許すこと。 アカデミー賞
→ 『(前略)友人たちの不倫・夫婦の問題が描かれています。「許せない。」「許してくれ。」/初めて映画カチンコをみたとき、なぜこのシーンが必要なのかなぁ、別になくてもいいんじゃない?って、ピントこなかった私。でも、再鑑賞して必要な場面だと気づきました。黒人差別、女性差別、犯罪、不倫・・・小さな村でさえ、いろんなことが起こる。
それでも、心の隅に愛を。神父が聖書の一説を読み上げる。「愛は忍耐強く、情け深い 愛はねたまず、おごらない 愛はけして 滅びない」カメラが礼拝堂に座ってる人を順番に写す。被害者、加害者、傷つけた人、傷つけられた人・・・そこには、許し許される理想の姿があった。愛とは許すこと。/オープニングとエンディングがつながる珠玉の脚本。』
※いろいろと気づかされました。もう一回観てみようかしらん~?
→ 『監督はロバート・ベントン。「クレイマー、クレイマー」で(当時の)アメリカが抱えた家族愛のすれ違いを、父性愛を中心に感じさせた彼が、黒人への差別、傷病者への眼差し、女性の自立など、半世紀経ってもさほど好転していない社会問題を、母性愛を中心にして見据えています。
綿花の実には刺があって、収穫もまさしく血のにじむような努力だということ。アメリカ南部はハリケーンや竜巻に悩まされてきたということ。自然にも立ち向かわなくてはならない母ちゃんの生きざまを見つめる立派な映画です。』
→ 『これはとても地味な作品で、1935年の大恐慌時代のテキサス州の実に小さな町での人々の生活を描いており、主人公の女性は保安官である夫を殉職で失った後、小さな子どもたちを抱えて、子育てと家事しかしたことのない彼女が、いかにしてその後を生き抜いていったかを地道に描いた映画です。でも、この映画のように、人々のじつに細かい日常生活をきちんと描くという作業は、どの映画監督にでもできるわけではないことが、他の映画作品を観ているとよくわかります。
「クレイマー・クレイマー」でも、妻に捨てられた男(ダスティン・ホフマン)が、慣れない食事の準備で悪戦苦闘するようすが滑稽に描かれていて、だからこそ、その惨めさが観る者によく伝わってくるのだろうと思います。この映画では、そこがもっと克明に描かれていて、家事と子育てしかしたことのない女性が、家のローンを払い続けるために家を売るべきだなどとの、適切なアドバイスに従わず、なんとかこの事態を切り抜けようと悪戦苦闘するようすがうまく描写されていますし、また、彼女の周囲に現れる他人たちと、しだいにうまくやれるようになっていく過程も、胸に染み入るように描かれます。/その第1は放浪していた黒人男性で、物乞いをしていたのだけれども、彼女の家に住み込みで雇ってもらい、こどもの時から携わってきた綿花の栽培を始めることになり、これが彼女一家を救うことになる。2人目は銀行家の盲目の義弟で、かなり意固地な男を下宿人として住まわせ、それも家計の足しにすることになる。
1935年ですから、まだ公民権運動も始まっていない、KKKが跋扈しているような時代ですし、世界的な大恐慌で人々の生活も荒れているため、綿花の栽培にしてもかなり苦労するわけで、しかしだからこそ、それぞれに人々は結束しないと生きにくい時代でもあったのですから、監督はそこを描きたかったのだろうと思われる。綿花の摘み取り作業が詳細に、しかもけっこう長い時間をかけて撮影されているのですが、その、指を傷つけながらの延々と続く長時間の労働の描写があるからこそ、そこを協力し合って切り抜けた時の喜びが心に沁みてくるのであり、そうした苦労を経たために、より強くなれた主人公の女性が、綿花商人との取り引きにおいて強気に出ることができるということも、観ている者に納得することができようというもの。/主演女優賞を受賞したサリー・フィールドという人は、美人という範疇からはまったく離れているのですが、その演技はみごとなもので、育児と家事しか経験したことのない弱々しい女性が、さまざまな経験を経て力強く生きていくようになるという過程を、みごとに演じ切っています。久しぶりに観応えのある映画でした。』
※こうして、感想ブログを読むことで、より監督の言わんとしていることが
解るようになる、ってことがよくありんす。他人の意見を聞くのって、すご
く大事デッス♪
※「ユー・ライク・ミー!」の連呼が感動的!
サリー・フィールドは、『フォレスト・ガンプ』のお母さん役の印象が強い。
可愛い顔立ちだが、おばあちゃんっぽい(老け顔な)のよねーん。
『みんなが褒めたり、もてはやしたりする人生は、数ある人生のひとつにすぎない。なぜほかの生き方を犠牲にして、ひとつの生き方だけを過大視しなくてはならないのだろうか。/貧しくとも 君の生活を愛したまえ。』 |
出展:いずれも、「森の生活」(岩波書店) |
発言者:ヘンリー・デイヴィッド・ソロー (アフリカの作家 思想家 1817年7月12日~1862年5月6日) |
→ 『解説:「森の生活」はウォールデン池畔の森の中に丸太小屋を建て、自給自足生活を送った2年2か月の記録だ。そんな「森の生活」を読んで、生き方は一つだけではない、と都市型生活から自然型生活へと二度目の人生を始めた人も少なくない。この本は「人生はどう生きるべきか」を考えるのに最適なテキストで、速読ではなく、ゆっくりひなたぼっこしながら熟読することを薦める。ソローは奴隷制度に反対、人頭税不払いの不服従の態度を貫き、やがてその思想はガンジーやキング牧師にも影響を与えた。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):ソロは、ウォールデン湖畔の森の中に自らの手で小屋を建て、自給自足の生活を営んだ。
湖水と森の四季の移り変り、動植物の生態、読書と思索等々が、「詩人博物学者」の清純な感覚で綴られる。湖とその周辺の写真多数を収める新訳。/■登録情報:/文庫 330ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 400323071X ISBN-13: 978-4003230718 /発売日 1995/9/18 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.6 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.7/■カスタマーレビュー:SAMe 5つ星のうち4.0 「便利な世の中に疑問を投げかける」2017年8月31日・・・物に囲まれ毎日便利な生活を送り、次々に新しい物が増える事が当たり前の世界。物に囚われ今を大切に生きる事を忘れてしまっていないか。そんな問いかけではないかと思った。卑近な例だか、アウトドアを楽しむといいながら、沢山の道具を競うように揃える。しかし、そんな物は少なく、少し不便な方が楽しかったりしないだろうか。時間をどう使うことが自分に必要なのか、読みながら想いが巡った。』
・ソローの暮らしは、自然とともにある暮らしだった。それは、前に姿を見せる
動物、発見する植物、眺める樹木、眼前に広がるウォールデン池といったように、
具体的な自然とともにあった。
そして、その自然は、癒したり、生活に潤いや楽しみをもたらしてくれるものだった。
人の暮らしが自然に支えられていることや、自然と結びついていることを実感。
自然観察を通して、森という生命世界の中での動物と植物との繋がりや、動物同士、
植物同士の繋がりなどにも気づいていった。
こうした具体的な自然との深い関わりの中で、自然観は生まれた。
元祖ミニマリストかな?ソローにつては、NHK「アメリカ魂のふるさと」
コンコード 「アメリカ文学の故郷」編で知って感銘を受けました。
・「友人同士はしばしば離ればなれとなる。親交よりも互いのプライバシーを尊重するようになるからだ。」
・「大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。」
・「善は決して失敗することのない唯一の投資である。」
・「自分の知識をひけらかしてばかりいたら、成長にとって必要な自らの無知を自覚することなど、どうしてできるだろうか。」
・「私は人生をあるがままに楽しむ。たとえ救貧院に住んでいても、楽しい、胸が踊る、輝かしい人生が送れるはずだ。夕日は富豪の大邸宅からも救貧院の窓からも、輝かしく照り返す。」
・「自分の仕事に、自分の言葉に、そして友人に正直であれ。」
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
“その時分の私は卒業する間際まで何をして衣食の道を講じていいか知らなかったほどの迂闊者でした(『私の個人主義』より)” |
[モーニングCROSS]
※礼服の「モーニング」のつもりで検索したのに、番組名でヒットした・・・
今って、売り手市場なんだねえーーー。
※あ、今度は「モーニング娘。」にヒットしちゃった・・・♪