京セラドーム~まったり亭

オリックスバファローズ 公式HP Bs夏の陣2018

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『10年目を迎えるバファローズ恒例の夏のビッグイベント!今年はどんな限定ユニフォームを着用するのか?!お楽しみに!』

※ユニフォームで遊びすぎや、このチーム。毎年毎年、復刻版近鉄だ~阪急だ~、って

やり過ぎて感覚マヒしてるんやろぅなー。そんなとこに金使ってる場合ちゃうでしょ?


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※いまや、この人なしではプロ野球チームとしての体裁も保てない弱小チーム

となってしまったことよのぉ~~~ぅ。寂しいけど、それが現実。現実を噛み

しめに、お盆休みの一日を使って応援に来たのであった!!


日刊スポーツ オリックス吉田正尚「いい打球打てた」プロ初の満弾 2018年8月9日

オリックス対西武 5回裏オリックス1死満塁、吉田正尚満塁本塁打を放つ(撮影・渦原淳)/オリックス対西武 5回裏オリックス1死満塁、吉田正尚満塁本塁打を放ちガッツポーズで生還(撮影・渦原淳)

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オリックス7-6西武>◇9日◇京セラドーム大阪・・・オリックス吉田正尚外野手がプロ初となる特大の満塁本塁打を放った。2-3と1点差に迫った5回1死満塁。西武今井の146キロをフルスイングし、中堅右横の3階席へ放り込んだ。逆転の18号グランドスラム。「いい打球を打つことができました。みんながつないだチャンスだったので、逆転できてよかったです」と振り返った。』


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※7回の攻撃前の風船飛ばし。ロッテの応援席は真っ赤に染まり、ウチは真っ白。

さながら紅白歌合戦のような鮮やかな対決色となっておりんしたーーー♪


●2018年8月12日 オリックス千葉ロッテ 試合ダイジェスト



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※最後のホームベース上のクロスプレイがオーロラビジョンに映し出され、

観客がどよめく。これ、なかなかテンション上がる状況やったわぁ~~!!


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BsGirlsオフィシャルブログ HARUKA♡28〜WE GO!!!!!〜

『12日の試合後には「真夏のオリフェス2018〜Bs夏の陣 10th anniversary〜」/炎と光のダンスショーを開催しました。暗くなった球場にバッと上がる炎とカラフルな照明の中で、今回マイクは持たずパフォーマンスできて、また忘れられない思い出ができました!

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どんだけ思い出が増えるんだ〜!!!笑 /みなさんも楽しんでいただけたでしょうか?また感想聞かせてくださいね\(´ω` )/【Bs夏の陣2018】の6日間、一緒に声援を送ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。そしてそしてBsStageや販売会、サイン会にお越しくださったみなさん、ありがとうございました(*´꒳`*)♡』

※楽に完封勝利できるところを福良のクソ采配のせいで9回追いつかれ、危うく

逆転負けという、白けた状態で見なけりゃならなかったかもしれない夏の祭典。

ホンマサブイこっちゃで。多分、今年はもう観戦に行くことはないかなぁ~?


そして試合終了後に足を運んだのが、まったり亭さん。


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ナイナイ岡村&なるみさんがやっているバラエティ番組で紹介されていた、

吉本の若手芸人もたま~に2階でたむろしているという、庶民の味方的居酒屋。

球場でも随分ビールとおつまみを食べてしまっていたというのに。。。


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※和風サラダに叩ききゅうり!


ぐるなび 酒処 まったり亭

『紹介されたメディア情報:テレビ「なるみ・岡村の過ぎるTV」(番組情報提供:株式会社エム・データ)朝日放送 2018/06/18 放送 /居酒屋です。 芸人が愛する街、大阪・桜川を特集した中で紹介されました。』


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※タコの天ぷら。一品一品、なかなかボリューム満点でした(二人で来たら

ちょうど二人分で丁度いい量といえるかも!)。


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※海鮮丼みたいなもん(メニューに書いてある通りの名前だよっ!)は

ごはんとお造りが別々に出てきた。「ご自由に食べてください」って

言われたけど・・・え~っと、これって完全にお店の手抜き物件なんじゃあ?


●なんでオリックスファンなの??他球団ない魅力を聞いたら予想外の返答がww


※ファンもやさしいけど、選手が相手チームにやさしい(非情になり切れん)

のは、どないかせなあきまへんでぇ~~~ぃ!!(怒)





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日8月12日(日)の、「元気が出る言葉」は~?


『日本人は世界でも最優秀、その日本人の中でも、おれは最優秀。』
出展:?
発言者:佐久間象山 (哲学者 思想家 1811年3月22日~1864年8月12日)

『解説:象山は幕末随一の洋学者で吉田松陰勝海舟河井継之助坂本龍馬などが師事した、大言壮語の士であり、敵も多かったが、時として彼のような天才思想家を時代は求めるのだ。たとえばニーチェのような、自分が最優秀だというのは悪いことではない。金メダルを取る、といって悪いわけではないのだ。人は自分が大風呂敷を広げたことで、自分の器が大きくなっていくことはあるものだ。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


象山神社

『御祭神:黎明日本の礎を築いた、明治維新の大先覚者、佐久間象山先生の功績の偉大なることは論を待たない。 遠大なる世界的国家観と、開国進取を基調とする象山思想は後世まで燐と輝き、今日の日本を啓示する シンボルとも伝えられている。先生は混迷する国情を憂え、烈しい気魂を以って身を投じて、国事に奔走する傍ら、 切々たる心情を詩歌にも托し、時の幕府要路にも訴えた。その一首→”折にあへば散るもめでたし山ざくらめづるは花のさかりのみかは”は先生の決意を知るに十分である。/大正二年象山殉難五十年祭を契機に、元大審院長横田秀雄博士の主唱で、神社創建の計画が進められ、 地元をはじめ県下全市町村及び信濃教育会・全学校・全国関係者の協力によって、 昭和十三年十一月三日県社として創建された。』


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●【衝撃】 デカイ尻の女性を求めた佐久間象山


※あ、ただの尻フェチというワケではなかったのか・・・(早合点)


Amazon.co.jp 幕末の明星 佐久間象山 (講談社文庫) 童門冬二 (著)

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『■内容(「BOOK」データベースより):黒船で来航したペリーが唯一頭を下げた相手といわれる幕末最大の知識人、佐久間象山。国際人としての自覚を持ち、日本のナポレオンと自称した彼は、自由奔放に、決して私利私欲を持つことなく、我が国が進むべき針路を説き示した。純粋な精神を持ち続けた彼の、孤高にして波乱万丈の生涯を描く歴史ドキュメント。/■登録情報:/文庫 352ページ /出版社 講談社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4062760533 ISBN-13: 978-4062760539 /発売日 2008/8/12 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.0 /■カスタマーレビュー:ぶるあ 5つ星のうち3.0 「精神の気高さ」2009年7月1日・・・何となく読んでみましたが感じたのは象山が類稀なる気高き精神を持っている人物だという事です。象山の事を分かろう、知ろうと思い手にとってみて、その精神の気高さや、ペリー来航前からの国防に関する先見性、功績、時代に与えた影響も何となく判ったような気もするのですが、なぜか同時に読後に不得要領の感を覚えまして、それが何故なのか理由がよくわかりません。あと、コミュニケーションの重要性を感じさせられます。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“あんまり他人行儀ですわ(『それから』より)”


【1910年8月12日 43歳の漱石】逗留中の宿にて妻との電話がトンチンカン


今から106年前の今日、すなわち明治43年(1910)8月12日、伊豆・修善寺の菊屋旅館に逗留中の43歳の漱石は、夢の如く生死の中ほどで日を送っている気分だった。胆汁と酸液を1升ほど吐いて、ようやく人心地つくといった状況だった。/胃潰瘍治療のため東京・内幸町の長与胃腸病院にひと月半入院したあと、さらに静養のためこの地にやってきて7日目を迎えていた。初日の一晩だけは、別館の「西村家貸切」の札の貼られた一室に調整をつけて泊まらせてもらい、翌日からは本館の3階の部屋へ移っている漱石だった。「俺にとっては、湯治より胃腸病院の方がはるかによかった」/到着以来、あまりに体調がすぐれないため、ついそんな愚痴めいた言葉も頭を過(よぎ)る。夜、横になっていても、ひと息ずつに胃の痛みを感じ、顔や背中から脂汗が流れ出るのだった。


10数年前、取材で修善寺の菊屋旅館を訪れた際、女将に見せてもらった漱石遺愛の硯。漱石はこれを東京から持参したと伝えられている。修善寺には、仕事の関係で門下生の松根東洋城もやってきていて、漱石の部屋へ出入りしていた。宮内省勤務の東洋城は、同じ菊屋旅館(別館)に滞在中の北白川宮の御用掛を務めていて、日中の勤務が終わったあとは、師弟ふたりして俳句をひねったり歓談したりして過ごそうというのが、当初からの計画であった。/そのこともあって、漱石は東京から硯や筆などを収めた硯箱を持参したらしい。筆者は以前、取材に訪れた菊屋旅館で、この漱石遺愛のものと伝えられる硯を見せてもらったことがある。縦14・、横8・という小ぶりのつくり。いかにも旅先への携行に似つかわしい。東洋城が『先生と病気と俳句』という一文に記したところによれば、東洋城は、この宿で漱石がつくった数句の俳句を《無理に願って書いて貰った》という。漱石は体調のすぐれぬ中、東洋城の願いに応え《苦しいのをこらえて巻紙に書かれた》というから、この小ぶりの硯が実際に活用される場面があったのだろう。


さて、修善寺逗留7日目のこの日、東洋城は師の体具合が芳しからぬことが心配になり、念のため東京にいる漱石の妻・鏡子に手紙を書き送った。漱石の病状を知らせ、「いつでもこられるように支度をしておいて下さい」と告げる内容だった。漱石は、東洋城がそんな手紙を出したことを知ると、「この天候では無理して動かない方がいい」と思い、すぐに取り消しの電報を打たせた。ここ数日、東海から関東、東北にかけて豪雨が襲来し、川があふれ洪水に見舞われ、あちこちで浸水し、鉄道も不通になったりする被害が出ていたのである。混乱したのは鏡子だった。東洋城の手紙が着く前に、手紙の内容を取り消す電報だけが届いたのだから、無理もなかった。事情が呑み込めず、鏡子はやむなく隣家の山田三良宅へ行って電話を借り、修善寺の菊屋旅館に連絡をした。すると、取り次ぎを経て、いきなり電話口の向こうから、「もしもし」という声が聞こえてきた。それは紛うことなき、聞きなれた夫の声ではないか。


「本人が電話に出られるくらいなら大丈夫だわ」/咄嗟に胸の内でそう安堵しながら、鏡子は病状や水害の状況を漱石に尋ねていった。ところが、どうも漱石の方は妙に他人行儀な語り口で、すっきりしないもの言いをする。「何を気取った話し方をしているのかしら」/鏡子は、そんなふうに思いながら、話を続けていた。あとでわかったことだが、漱石は「東京のお宅から」と取り次がれて受話器を手にしたものの、電話が遠かったせいもあって、相手は鏡子ではなく、鏡子の妹か誰かだと思い込んで話をしていたのだった。漱石が大量の吐血をするのは、この2週間ほど後のことである。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「電話」「勘違い」で動画検索してみました!!)


アンジャッシュ コント 『やばすぎる勘違い』


※勘違いネタではトップ独走中デショウ。


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※普通、ネクタイのくだりで気が付くだろうってwww


福山雅治 リスナーに電話したらイタズラ電話だと勘違いされる



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※「これやっぱ、切られるなぁ?」w オモロスギ・・・


ジョニーAのつぶやき:電話はいろいろとトラブルの元だわね~。活字以上に受け手の想像力でギャップが生じ易いわーーw