『リュミエール!』→会社(ウチ)の社員たちは幸福ですヨ~アピール!?

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eiga.com 作品情報 『リュミエール!』

■解説:「映画の父」と称されるリュミエール兄弟が遺した膨大な作品群からセレクトした映像で構成された、リュミエール兄弟へのオマージュ作品。1895年12月28日パリ。ルイ&オーギュスト・リュミエールの兄弟が発明した撮影と映写の機能を持つ「シネマトグラフ」で撮影された映画「工場の出口」など10本の作品が世界初となる有料映画上映会で上映された。1本の長さが約50秒という短い時間ながら、それぞれの作品で取り入れられた演出、移動撮影、トリック撮影といった撮影テクニックは、現在の映画の原点とも言われている。カンヌ国際映画祭総代表で、リヨンのリュミエール研究所のディレクターを務めるティエリー・フレモーが、リュミエール兄弟が1895年から1905年の10年間に製作した1422本の短編作品から108本の作品を厳選し再構成。4Kデジタルによる修復を施し、90分の作品として完成させた。日本語吹替版ナレーションを落語家の立川志らくが担当。

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■スタッフ:/監督 ティエリー・フレモー /製作 ティエリー・フレモー ベルトラン・タベルニエ /脚本 ティエリー・フレモー /編集 ティエリー・フレモー /音楽 カミーユ・サン=サーンスナレーションティエリー・フレモー日本語版ナレーション立川志らく

■キャスト:無記載

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■作品データ:/原題 Lumiere! /製作年 2016年 /製作国 フランス /配給 ギャガ /上映時間 90分 /映倫区分 G

オフィシャルサイト

※史上初の映画「リュミエール工場の出口」。いいモンみせてもらいました!

という感じ。これ、劇場の大スクリーンで観る機会を逃してしまったことが

悔やまれるナァ~~~~~。ま、要するに企業PR宣材っちゅうことから始まっ

たということやわなー。


●映画『リュミエール!』予告編



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特設ページ コメント

天性のフレーミングの才能、固定ショットの厳格さ…それこそが美であり、芸術である。BEAUX-ARTS MAGAZINE

当時、初めて映画を見た観客の驚嘆を、我々は追体験する。 LE FIGARO

映画通にはたまらない。 TELERAMA

1分の映画…ベニス、アフリカの種族、軍の野営地、東京の通り、曲芸師の家族、ブロードウェーのまばゆい興奮。全ての映画が、感情を刺激する。それは、私たちの文化、私たちの遺産。 STUDIO CINE LIVE

これらの映画を良く見てみると、驚きにあふれて、めまいがするほどのくせになる経験だ! The Guardian

1896年末までに、リュミエールの映画たちは、世界を征服するだけでなく、地球に住む人々をシンクロさせることに成功した。我々は初めて世界はひとつであると感じることができたのです。 LE MONDE

リュミエール兄弟は、発明者だけでなく、それ以上にアーティストである! L'EXPRESS

リュミエール兄弟が、最初に映画撮影を始めたときから、映画における全ての手法までも作り上げた! LA CROIX

ルイ・リュミエール印象派を経て、フローベルの手法を受け継いだ。さらにはスタンダールの手法も受け継ぎ、ずっとそれを鑑とした。 ジャン=リュック・ゴダール(映画監督)

リュミエール映画以降の映画はすべて、使い回しであり、使い古しである。リュミエール映画があってこそできたものなのだ。 モーリス・ピアラ(映画監督)

撮影機材が林や海から飛び出してきたり、キャメラマンが広場やカフェに魔法のカメラを設置していた時代があった。スクリーンが、無限の世界への扉を開けた。それがルイ・リュミエールの時代だ。 アンリ・ラングロワ(映画プロデューサー)


斉藤典子オフィシャルブログ 第30回 東京国際映画祭 〜「リュミエール」〜2017年10月27日

『昨日は、25日に六本木ヒルズで開幕した第30回東京国際映画祭へ。映画の父、フランスのリュミエール兄妹が発明したシネマトグラフ、1422作品の中から108本をまとめた作品、「リュミエール」の舞台挨拶と特別上映を拝見。監督のティエリー・フレモーさんと、日本語ナレーションを務められた立川志らく師匠によるトークイベント。たっくさん伝えたい想いが溢れて止まらないチャーミングなフレモー監督と、対照的に淡々と語る志らく師匠…。笑 /いづれにせよ、リュミエールの偉業への敬意に溢れたトークは、会場の映画ファンや映画マニアにとってとても贅沢なイベントでした。

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作品は当然ながら白黒の無声。108本の作品は全て1本50秒。それまで人が観たこともない、出演したこともない、ほんの50秒の世界で生まれる奇跡の瞬間が、ユーモアと愛に満ちた志らく師匠の力強いナレーションで語られて時折笑わせてくれる。映像の中の人々がみんな楽しそうで、幸せそうで…。その様子が理屈抜きに観た者を軽やかな気持ちにさせてくれる素敵な作品でした。/私も大の映画ファンとして、動く映像への当時の驚きや感動が伝わる高揚感を、当時の人々と一緒に味わったような輝くような1時間半。🎞 私も幼い頃、初めて映画館で「スターウォーズ」を観て以来、国内外問わず数だけは沢山の作品を観てきました。映画から人生の多くを学び、映画に救われた者のひとりです。でも"映画のはじまり"を観たことはありませんでした。観られて幸せ。♡

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しつこいようだけど、映画ファンにはたまらない作品!ありがとうございました。映画ってやっぱりイイ!No Cinema, No Life!』


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※普通~~~に、家族写真を残しておこう的な考えで撮られた映像作品。


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※手前に向かってくる列車の迫力で、失神したおばあちゃんがいる、

という話は、一種の都市伝説のようなものか。。。


●The Lumiere Brothers' - First films (1895)


※最後の、「壁倒壊→巻き戻して壁復活」の画像は、ついうっかりフィルム

を巻き戻すところまで観客に見せてしまった不手際が元で、評判を呼んだら

しい。観慣れてない当時のお客さんはさぞ度肝を抜かれたんだろうてーー。


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※可愛い姪っ子の所作を残しておきたい、って運動会で我が子を

必死でホームビデオに撮ろうとするパパさんカメラマンの心境と

大して変わらないような。(今も昔もやってる本質は一緒カモ?)


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※日本が舞台となったこの50秒映像についてはこんな記事ハケーン↓


京都新聞 京都最古の映像、撮影場所特定 読者情報ヒントに

『京都最古で国内でも最古級の映像の撮影場所が13日までに判明した。映画を発明したリュミエール兄弟の作品群に1897(明治30)年の京都の映像があり、撮影場所の情報提供を本紙で呼び掛けたところ、左京区の現岡崎公園野球場に建っていた「岡崎町博覧会館」と分かった。15年間しか同所になく、これまで特定が難しかったとみられる。映像はリュミエール兄弟が派遣したカメラマンが同年10月、撮影した。日の丸を掲げた建物前で50秒間、男2人が剣道をしている。フランスのリュミエール研究所長でカンヌ映画祭のティエリー・フレモー総代表が10月末、「京都のどこか教えて」と呼び掛け、10月31日付朝刊で掲載した。

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  多くの情報が寄せられた中、ヒントになったのは、映像左奥に写っていた多角形の小屋。1903(明治36)年刊の「京都博覧会沿革誌」に、似た建物の配置図が載っていると読者から情報があった。さらに京都博覧会について府立図書館などで調べた結果、「京都博覧協会史略」(1937年刊)に、映像と同じ多角形の小屋が写った写真(1900年撮影)が「岡崎町博覧会館」の正面として載っていた。日の丸を掲げた建物の窓や屋根の特徴も一致し、同会館と判明した。もともと同会館は、1895(明治28)年に岡崎で開かれた第4回内国勧業博の工業館として現平安神宮正面に建てられたロの字形建物で、97年春に北東の現野球場に移築。京都博覧協会の物産展示場となったが、1912(大正元)年に取り壊され、後に一帯は岡崎公園の運動場になった。今回の映像は、12月1日から京都シネマで公開の映画「リュミエール!」で他の映像と合わせて上映される。』


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※この子はさしずめ映画黎明期の人気アイドル女優、っていうような存在?


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※登山文化と映画文化がほぼ同時期スタートだった、、、いろんな知識が

増えましたヨー。得るものの多い映画鑑賞でゴザッタ。以上!





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日8月21日(火)の、「元気が出る言葉」は~?


『目標は人前で言ったほうがいい。言わないと、なかなかできない。』
出展:「プロ論 情熱探訪編」
発言者:野口健 (登山家 1973年8月21日~

『解説:25歳で七大陸最高峰登頂最年少記録を達成した登山家であり、富士山などの清掃登山を欠かさない環境家でもある。何せ16歳でモンブラン登頂を成し遂げているのだから、すごい!それでも高校時は、落ちこぼれて停学中の一人旅で植村直己との出会いが彼の人生を変えたのだ。有言実行、確かに公言しなければ、なかなか実現できないものだ。「今年こそ富士山に登るぞ!」言えば実現できる気がする。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


JTフォーラム 講演レビュー 被災者と語り、被災地のニーズを知る

『2015年4月、ネパールで約80年ぶりという大地震に遭遇しました。山から大きな岩が落ちてくる中、近くの村まで何とか避難しましたが、壊滅的な被害に遭っていました。自分に何かできることはないかと考え、カメラや通信機器を使って、被害の状況を発信しようと決めました。ネパールの家は石積みで、雪には強いが、揺れには非常にもろい。余震のたびに家が崩れるため、住民は怖くて家に入れません。屋外での避難生活で雨に打たれ、精神的に大きなダメージを受けていました。必要なのは大型テントだと思い、支援を呼びかけました。被災地に足を運び、被災者と会話することで、どんな支援が必要か分かります。被災者に向き合うことはエネルギーを必要としますが、変化する被災地のニーズに応えることができます。「目に見える支援ができる」と寄付してくれた人もいて、現場からダイレクトに写真を送ってよかったなと思っています。(中略)

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「日本の避難所はソマリアの難民キャンプ以下だ」と指摘する専門家がいました。災害や紛争から避難した人たちの人権を守るための国際基準があります。1人当たりの居住面積など、ベースキャンプを参考に作ったテント村は、この基準とかなり合致していました。しかし、日本は多くの災害を繰り返しながら、こういった概念はありません。避難所は雨風をしのげればいいというものではありません。家や家族を失った悲しみや不安を抱えた被災者の気持ちを切らさず、前向きになれるような雰囲気作りが大切です。テント村では、禁止といわれた火気使用とアルコールを認めました。三食冷えた弁当では元気は出ません。飲みたい日もあります。極限状態の中でも人間は人間らしい生活をしなければならないという思いがありました。/約1カ月半のテント村でしたが、1度で終わらせたくありません。反省点は数多くあります。震災はまたいつか必ず起きます。その時のためにも平時から、もっと楽しく快適に過ごせて気持ちが前向きになれる、質の高い避難所を考えていきます。』


野口健講演会・大阪.wmv



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※この人、もう少し活舌が良ければいいのに。なんか胡散臭さを醸し出して

しまって損してる気がするな~~~。


野口健ブログ 世界ふしぎ発見!収録

『今日は世界ふしぎ発見の収録。いやいや、本気で難しかった...。でも物凄いロケに驚き!

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「今こそ日本の海へ!康次郎×万次郎小笠原諸島 冒険クルーズ」海洋冒険家・白石康次郎。過酷かつ壮大な、クルーズが始まっていた。まさに、世界ふしぎ大航海!放送日は8月18日(土)21時~21時54分です。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“図々しく進んでいくのが大事です(『書簡』大正5年8月21日より)”


【1916年8月21日の漱石】執筆中の夏目漱石芥川龍之介に手紙を書く


今からちょうど100年前の今日、すなわち大正5年(1916)8月21日、漱石は午前中、東京・早稲田南町の自宅、通称「漱石山房」の書斎にこもり、朝日新聞に連載中の小説『明暗』の原稿を執筆していた。使用している原稿用紙は、橋口五葉のデザインによる特注品。朝日新聞の小説欄の字詰めに合わせ、桝目は19字詰め10行になっていた。いま、一番下の枡目を空白にして1行18字で原稿を書き進めているのは、その後の新聞のレイアウトの改変で小説欄の字詰めも変更になっているからだった。1回分の分量の目安は約1800字。この原稿用紙でちょうど10枚だった。小説内では登場人物たちが互いに緊張感をはらみながら絡み合いぶつかり合って、物語が展開していたが、この夏は存外に涼しく、凌ぎやすいので助かっていた。午前中を執筆に当て、午後からは凝り固まった気分を解きほぐすために、絵を描いたり漢詩を作ったりするのが、この頃の漱石の日々の過ごし方だった。


この日の午後は、千葉県の一宮海岸から葉書を寄越した門下生の芥川龍之介久米正雄へ宛てて、次のような漢詩を織り込みつつ返事の手紙をしたためた。尋仙未向碧山行。住在人間足道情。明暗双双三万字。撫摩石印自由成。(仙を尋ぬるも、未だ碧山に向かって行かず。住みて人間に在りて、道情足る。明暗双双三万字。石印を撫摩して、自由に成る。)/仙境に向かわず人間世界に住んでいても、脱俗の心情は満ち足りていて、「明暗」の原稿は石印をなでさすっている間に自ずと出来上がってゆく。そんな意味だった。


筆を執る苦悶も快楽も、漱石の中では、ごく当たり前の日常の中に溶け込みつつあったのである。手紙には、こんな一節も綴り、若い人たちを励ました。《勉強をしますか。何か書きますか。君方は新時代の作家になる積(つもり)でしょう。僕もその積であなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。しかし無暗(むやみ)にあせっては不可(いけ)ません。ただ牛のように図々(ずうずう)しく進んで行くのが大事です》


東京帝国大学に在学中の芥川龍之介久米正雄は、半年前、文芸同人誌『新思潮』(第4次)を創刊。その創刊号を師である漱石に送り、批評を仰いでいた。漱石は大家ぶらず率直な感想を述べ、わけても、龍之介の「鼻」を《ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます》と絶賛した。/49歳(数え年では50歳)となっている漱石の目線は、新しい時代を担っていく若い人たちに温かく注がれている。四方を埋めつくすような蝉の鳴き声が、漱石山房を包んでいた。その鳴き声と同じように、漱石が手紙に綴った一文字一文字が、それを読む弟子たちの胸の中にしみこんでいく。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「鼻」「絶賛」で動画検索してみました!!)


●「鼻」紙芝居(30分)



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※紙芝居、イイ!世界観がすぐ伝わる♪


ジョニーAのつぶやき:漱石絶賛の「鼻」である。改めて全編の朗読を聞いてみたが、オチの余韻が宜しいンですナァ~。