オリックス福良監督、退任

スポーツ報知 福良監督が今季限りで退任 今月上旬に申し出

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オリックスの長村裕之球団本部長(59)が25日、京セラD内で報道陣の取材に応じ、福良淳一監督(58)の今季限りでの辞任が決まったことを明かした。同本部長は、9月のはじめに、福良監督と今後の話し合いをもった際に辞任の申し入れがあったとし、「一貫して決意は変わらなかった」と説明。数日前に改めて会談が設けられ、福良監督は「(監督として指揮した)3年間のチームの責任は私にあります」と話し、今季限りでの辞任が決まった。

福良監督の来季以降について、同本部長は「違った立場から、チームのために支えてくれたらと思っています」とフロント入りの打診も行ったことを明かしたが、現時点で返答はないという。後任監督については「全くの白紙」とし、球団OB、外部からの招聘(しょうへい)、内部昇格を含め「(候補のリストアップや打診などは)状況を見ながら進めていく」と話した。』


☆さすが今年の最終試合ではコレをやられたくなかったのかな?

●怒号・厳しいヤジが飛び交う中、オリ福良監督のシーズン終了挨拶/2017.10.07


※今年はもう少しヤジが抑えられるといいね、フクラッチョ。


◎次期監督か?と噂される田口氏とのツーショット記事

日刊スポーツ 「クビやったからね」/福良監督 2018/02/16

オリックスの1軍VS2軍のガチンコキャンプ紅白戦が実現。1軍が何とか逃げ切ってプライドを保った。前日に、負けたら1軍・2軍の入れ替えを宣言した福良淳一監督は負けなくてよかったかと問われて「クビやったからね。総入れ替えやったから」とニヤリ。』

※この時点で監督入れ替えしとくべきだったかも!?


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★本命は田口さんとして、あとはどういう人選が考えられるか!?

妄想も含めていろいろ羅列したい。。。


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※契約最終年度のラミちゃんが来るんじゃあーーー?という説も。


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※田口監督になれば、名誉顧問でもなんでもいいからイチロー招聘してくれる!

と思ってたけど、「来年のマリナーズ開幕戦=引退興行」という噂があるし、

無理かねえ~~~?


◎コロコロとスターテングオーダーを変えて、自信のなさが顕著

だったフクラッチョ。コーチも含めて、理論派の人が欲しいよねー


東スポweb 福良監督の後任候補の名前は?

『デスク:後任候補は誰なんだ。/記者:内部昇格なら田口二軍監督ですね。ただ2016年に視覚障害言語障害で数試合休養したこともあり体調面が心配されていますし、ウエスタンも5位に低迷していて…。それでも球団内では「田口二軍監督なら宮内オーナーも納得するだろう。選手の信頼もある」と見ています。長村球団本部長をはじめ、長谷川SA、藤井打撃コーチと1995、96年の優勝にかかわった人が現場やフロントに増えてきていますし、本社関係者も「同じ方向を向くならOBがいい」と。/デスク:なら外部招聘は考えにくいのか。

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/記者:元中日監督の落合氏やDeNAのラミレス監督、OBで楽天の佐藤投手コーチの名前も飛び交っていますけど「せっかく若手が育ってきているのに、外から連れてきたらまたコーチ組閣がイチからになる。落合さんなんかは実績があるけど、ワンマンだから周りが大変だろう。大物を獲ってこれるような人は今のフロントにはいない」と本社関係者からの声も聞かれます。確かにネットワークのある人がフロントに少ないんですよ。/デスク:ならドラスチックな改革は難しいな。/記者:若手が育ってきていること、ケガ人が多かったことなどひいき目に見る材料はありますから、そこを宮内オーナーがどう判断するかですね。』


◎5ちゃんねるネタ

清原「よっしゃ、俺の出番やな」

桑田「いや、僕ですから」

ノリ「いやいや、俺ですわ」

立浪「いやいやいや、俺やろ」

田口「いやいやいやいや、二軍監督の僕に決まってますから」


落合「宮内オーナーとOB会長の山田さんから声が掛かってるオレに決まってるだろ」

全員「どうぞどうぞ」

落合監督になったら、随分雰囲気は変わるだろうなーー。意識高い系が

頑張ると思う・・・。T岡田あたりを精神的に成長させてくれそうな気も

せんでもないがなぁーーーーー(希望的観測カ)


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※バッティングコーチに村上氏を推したい。パリーグチャンネルの解説

では、オリのダメなところを的確に突くコメントを連発してくれてた♪


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※それかいっそ、理論派の真逆の、面白路線というのなら福本さんだな。

別の意味でベンチの空気を換えてくれるだろう。・・・ん~、結局、

誰がやっても今の状況よりは好転すると思うな、ウン。

悪い流れをとにかく断ち切ってもらいたい。


☆この試合が今年のオリックスを象徴しているんだよねー・・・

●2018年6月22日 オリックス福岡ソフトバンク 試合ダイジェスト



毎日新聞

『22日のオリックスソフトバンク10回戦(ほっと神戸)の試合後に審判団が誤審を認めたことを受け、日本野球機構(NPB)は23日、ほっと神戸で友寄正人審判長(60)と仲野和男パ・リーグ統括(57)らがオリックスに謝罪した。NPBは試合は成立しており、記録の訂正は行わないとしているが、オリックス側は誤審があった場面から試合をやり直すように要望を出した。

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(打った中村本人が最後まで不思議そうな顔をしていたのが印象的)

  誤審騒動から一夜明け、オリックスが試合続行の要望を出す異例の事態に発展した。友寄審判長、仲野パ・リーグ統括らがほっと神戸を訪れ、湊通夫球団社長、福良監督、長村裕之球団本部長らに謝罪。2時間にわたる話し合いを終え、長村球団本部長は誤審があった場面から試合をやり直すことを訴えた。(中略)オリックス側は他にリクエストの運営の在り方の検証などを要望。仲野統括は試合続行に関し「規約にのっとれば認められない」との見解を示したが、1954年6月16日の近鉄東映戦でインフィールドフライの判定を巡って当該プレーからやり直した例があり、今後の行方が注目される。』

※リクエスト制度にすらそっぽ向かれたチーム、オリックス。根は深い。。。





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日9月25日(火)の、「元気が出る言葉」は~?


『ハーフ&ハーフ』
出展:ソチオリンピック後の1年間の休業宣言にて
発言者:浅田真央フィギュアスケート選手 1990年9月25日~)

『解説:ハーフ&ハーフ、面白い言葉だ。そうさ、確かに人生はいつも分かれ道。あっちへ行くべきかこっちへ行くべきか、そう簡単にはわからない。1年後の自分に答えを聞いたっていい。十代の圧倒的な強さに比して、浅田真央の成長が止まっているようにも見える。他の競技は女性アスリートのピークが長くなり高齢化もしている。フィギュアの二十代後半から三十代がピークという先駆者が欲しいものだ。人生は五分と五分、その先は自分次第だ・・・』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


Amazon.co.jp 浅田真央 私のスケート人生 単行本(ソフトカバー)浅田真央(著)

『■内容(「BOOK」データベースより):2017年4月に現役引退を発表、アスリート生活に区切りをつけた浅田真央。いま再び前に進みはじめた不世出のスケーターが、輝かしいスケート人生を自ら語ります!浅田真央が語るトリプルアクセル、ルーツ、二度のオリンピック…秘話満載!

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/■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 158ページ /出版社 新書館 /言語 日本語 /ISBN-10: 9784403231261 ISBN-13: 978-4403231261 ASIN: 4403231268 /発売日 2017/12/15 /梱包サイズ 18.8 x 12.8 x 1.3 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:「不屈の魂ゆえに愛されるアスリート」 投稿者 巴。2018年1月7日・・・「浅田真央」を一言で例える言葉がなかったが、本誌で「不屈」という表現が正にアスリート浅田真央を相応しい言葉であると納得した。愛される天性の表現者から、取り巻く環境の激変、数少ないであろう愛ある理解者に支えられ、不撓不屈の精神でわずか10代で挑んでいったことは恐れ入る。マスゴミに晒されながら、挑み続けたトリプルアクセルに対する思い。あの笑顔の中にはとんでもない決意とアスリートとしての矜持があった。そして誰よりも誠実であろうとする強い意志。誰よりも悩み深き魂ゆえ、不屈を貫いた姿は世界中を感動を巻き起こす存在にまで昇華した。にわかではあるが浅田真央のファンで良かった。ずっと応援してきたファンも本当に応援し甲斐のある人に出会えて幸せだと思う。不屈の魂、ここにあり。』


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●鉄拳が描く浅田真央のスケート人生『SLIDE』



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・「ジャパンエキスポ2017」で披露された、フルヴァージョン!


真央ブログ 2017年4月10日(月)ご報告致します。

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『突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。今まで、長くスケートが出来たのも、たくさんの事を乗り越えてこれたのも、多くの方からの支えや応援があったからだと思います。ソチオリンピックシーズンの世界選手権は最高の演技と結果で終える事ができました。その時に選手生活を終えていたら、今も選手として復帰することを望んでいたかもしれません。実際に選手としてやってみなければ分からない事もたくさんありました。復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして、去年の全日本選手権を終えた後、それまでの自分を支えてきた目標が消え、選手として続ける自分の気力もなくなりました。このような決断になりましたが、私のフィギュアスケート人生に悔いはありません。これは、自分にとって大きな決断でしたが、人生の中の1つの通過点だと思っています。この先も新たな夢や目標を見つけて、笑顔を忘れずに、前進していきたいと思っています。皆様、今までたくさんの応援、本当にありがとうございました。浅田真央


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☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“顧みれば、細き糸の上を歩みて深い谷を渡ったようなものである(『日記』明治43年9月26日より)”


【1910年9月25日 43歳の漱石】死の床から生還した夏目漱石、吐血時の状況を知って愕然とする


今から106年前の今日、すなわち明治43年(1910)9月25日の朝、伊豆・修善寺の菊屋旅館内で病床についている43歳の漱石は、睡眠不足を感じていた。きのうの夜、観光で宿泊している一団が、夜通し騒がしかったため、よく眠れなかったのだ。風呂にも、終夜、人が出入りする物音がしていたし、朝は朝でまだ暗いうちから顔を洗う音が聞こえてきていた。


午前11時頃、寝不足気味の漱石の枕頭に、友人の畔柳芥舟(くろやなぎ・かいしゅう)と門下生の岡田耕三(のちの林原耕三)のふたりが挨拶にきた。「それでは、われわれは、そろそろ引き上げますから。先生、くれぐれもお大切に」/前日、東京から見舞いに駆けつけ1泊した両人は、これから一緒に帰京するというのだった。漱石は礼を言って、寝たままふたりを見送った。


お昼頃、門弟で朝日新聞社勤めの坂元雪鳥と長与胃腸病院副院長の杉本東造、それから友人たちの計らいで漱石の診療の応援にかけつけていた医学博士の宮本叔(はじめ)も、東京へ引き上げていった。「あと2週間くらいすれば先生も東京へ帰れるでしょう。そう、20日ほどみておけば、まず間違いないでしょう」/宮本は、漱石を慰めるように、そんな言葉をいい残していた。確かに漱石は、床の上で読書をしたり句作をしたりできるほど、健康を回復していた。昼飯には、鯛の刺身4切れ、ソーダビスケットに水を塗って塩をつけて焙ったものが出た。漱石は、どちらも「うまし」と思って噛みしめる。/午後1時頃には、朝日新聞の同僚の杉村楚人冠も帰京した。人が出入りすると床についていても何かと慌ただしいのだが、自分のことをこれだけ大勢の人が心配して動いてくれているのかと思うと、自ずと感謝の気持ちがわいてくる。危篤状態にまで陥ったからこそ、噛みしめ直している感情であった。


この日、漱石が詠んだ句。《古里に帰るは嬉し菊の頃》《静なる病に秋の空晴れたり》


夕食時、病後はじめて起き直ってみて、漱石はまたひとつ、新鮮な感覚に打たれた。言葉にしてみれば、横に見る世界と縦に見る天地の異なる事を知る--そんな気分であった。食事もおいしく、夜になっても自分ながら元気だと感じる。漱石は妻の鏡子から、自分が意識を失っていた最中の様子を、ようやく聞き出してみる気になった。聞いてみて、漱石は驚いた。漱石は意識を失う前、一度血を吐いたことを自分でも覚えていた。ところが、気を失ったあとも、鏡子の肩につかまるようにしながら、さらに大量の血を吐いたという。30分ほども意識不明の状態が続き、その間、16本余りの注射をしたという話も聞いた。漱石は驚きつつ、あとで日記に書き留めた。


《余の見たる吐血はわずかに一部分なりしなり。なるほどそれでは危険な筈である。余は今日まであれほどの吐血で死ぬのは不思議と思うていた》


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「血を吐く」「びっくり」で動画検索してみました!!)


●お猿さんに飼い主が血を吐くドッキリしたら、とんでもない行動した



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※素人のドッキリ企画は洒落にならないものが多いが、これはほのぼの。


稲川淳二~血を吐くお面 (21分41秒)




※久しぶりに聞いた、怪談噺のオーソリティ稲川淳二の一席。サスガジャ・・・


ジョニーAのつぶやき:「吐血ドッキリ」の動画を観すぎて、なんか気分悪い (°ε°`) オエッ