「まるごと好きです」&「ジャニーさん」
左:「まるごと好きです」(工藤直子)/右:「ジャニーさん」(鶴田康文)
並行して読んでいる。。。熱湯と冷水に交互に手を入れて、皮膚を鍛えてでもい
るのか?と錯覚してしまうような所業であるwww
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):自分が自分自身と親友にならなきゃ何事もはじまらない。人生の達人が語る友情のコツとポイント。/■登録情報:/文庫 226ページ /出版社 筑摩書房 /言語 日本語 /ISBN-10: 4480031464 ISBN-13: 978-4480031464 /発売日 1996/04 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.9
/■カスタマーレビュー:patella 5つ星のうち4.0 「おばさん、おじさんが「友だち」を語った本」2005年8月13日・・・詩人である著者が「友だち」について書いた本です。引越しも多かった中学や高校時代を思い出し、友人たちと話しながら書いた、ということですから、これは、おばさん、おじさんの「友だちってなんだろう、どうやって友だちができたんだろう」の本です。「中学のころから、ひとと出会うときは、とりあえずまるごと好きになる、というふうになってきた。」という一文があります。これがタイトルになっています。自分自身も含め、良いところも、苦手なところも、それぞれ違うけれども絶対にある他人とどうやって友だちとして繋がっていったのか。著者の場合はこれが秘訣だったといいます。ほんとうに「好き」というのは「嫌いな部分も含めて好き」という、とっても不思議なことなのかも、と改めて考えさせられます。でも、友だちの作り方、でき方って人それぞれです。著者のお友だちの場合、も幾つか語られているので、「いろいろな友だちのつくり方、友だちのありかたがある」でいいのだとも本は伝えてくれます。読んで、「じゃあわたしはどうなんだろう」と考えてみること、が大事なのでしょう。友だちの話だけでなく、授業中に間違った答えをした時に先生が上手に受けてくれたのか、かえってしっかり身についてしまったことなど、素敵なエピソードもいくつも転がっています。著者の、人間以外との付き合いかたというのも書いてあり、これが彼女の詩のできかたなのか、と少し理解できた気にもなりました。引用されている「のはらうた」の「いのち」はわたしも大好きです。大人も、「ああ、そういうこともあるんだよね」と楽しめる本。』
※工藤さんの本は、エッセイも大好きだ♪特に愛すべきお父ちゃんとの
思い出をつづった回想系の作品は、読んでいて涙が止まらなくなる!!
※これは、エレカシ宮本にメロディを付けてほしいものだよーーー。
息子さんの松本大洋氏の作品「花男」はエレカシの楽曲にあるんだし、、、
あ、違うわ、逆や。エレカシの曲を参考にして松本氏が漫画にしたんだった!
→ 『谷川俊太郎と工藤直子による対談集「ふわふわ」が本日6月1日に刊行された。今年に東京・初台の東京オペラシティアートギャラリーで詩人として初の個展を開催した谷川俊太郎と、合唱コンクール『Nコン2018』小学生の部の課題曲“出発”の作詞を担当した詩人・工藤直子。同書は谷川と工藤が2001年から2017年にわたって行なった5回の対談を書籍化したもの。2人が読んだ最初の本や、子供時代の話、影響を受けた本、2人が敬愛する詩人・大岡信、「魂とは何か」などについて語られるほか、書き下ろしの詩も掲載される。「まえがき」は工藤、「あとがき」は谷川が執筆。表紙イラストレーションは安西水丸が手掛けた。』
谷川さんとのコラボは最強じゃあないか??
→ 『河合隼雄物語賞・学芸賞を記念する講演会を開催致します。第6回となる今回は、詩人・童話作家の工藤直子さんをお招きいたします。河合隼雄とは、学校図書のお仕事がきっかけで交流されることが多くなり、講演イベントや「こころの天気図」などの著書刊行など、色々と楽しくお仕事をさせて頂き、たくさんの思い出があるのですよ、とお話し頂いたことがきっかけでした。
講演では、河合隼雄との思い出も含めた、子どもの本についてのお話しと、ご自身の本の朗読、後半は、河合俊雄代表理事が聞き手となって、さらに楽しいお話しをお伺いする予定です。切り株にふたり仲良く座って本を読む工藤さんと河合隼雄。「てつがくのライオン」さんも、遊びに来ていますね。どんなお話しを伺えるのか、今からとっても楽しみです。お申込方法は下記の通りです。席数に限りがありますのでお早めのお申込をお願いいたします。(後略)』
※うーーむ、月曜日か~~。もう1日ずれてたら行きたかったナァ~
→ 『Q:ジャニーズタレントとのエピソードを知ってる人は教えて下さい 。/回答:ジャニーが同性愛者(少年愛、ペドフィリア)であり、事務所に所属する男性タレントに対して猥褻な行為を行っているとの話は、1960年代から散発的に報道されていた。元所属タレントらも元フォーリーブスの北公次は「光GENJIへ」(データハウス、1988年(昭和63年)12月)、元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは「さらば!!光GENJIへ」(データハウス、1989年9月)、元ジャニーズの中谷良は「ジャニーズの逆襲」(データハウス、1989年10月) 、
元光GENJIの木山将吾は「SMAPへ - そして、すべてのジャニーズタレントへ」(2005年(平成17年)3月)、平本淳也は「ジャニーズのすべて―少年愛の館」(鹿砦社、1996年(平成8年)4月)などを出版した。1988年 - 1989年に噂の眞相がこの問題を数回取り上げた。なお、自民党衆議院議員(当時)・阪上善秀(元・宝塚市長)が2000年(平成12年)4月13日にこの問題を衆議院で取り上げている。1999年(平成11年)、週刊文春がジャニーズ事務所に関する特集記事を掲載し、ジャニーが所属タレントに対して猥褻な行為を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した。これに対しジャニー側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を求める民事訴訟を起こした。2002年(平成14年)3月27日の一審判決では、ジャニー側が勝訴し、東京地裁は文春側に880万円の損害賠償を命じた。文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した。2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、猥褻部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は120万円に減額された。ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年(平成16年)2月24日に棄却され、120万円の損害賠償が確定した。』
→ 『元ジャニーズタレント・豊川誕の著書『ひとりぼっちの旅立ち』は、彼が推定3歳の頃(正確な生年月日を本人も知らないため、“推定”とするしかない)、兵庫県姫路市の公園のベンチで父親に置き去りにされる、切ないエピソードから幕を開ける。警察に保護され養護施設で元気に育っていた豊川に、衝撃的な出来事が襲いかかる。当時まだ小学校低学年の彼に対して、養護施設の中学生の先輩が、おもむろにズボンを下ろし始めた先輩は、むき出しになった自分の性器を指さし「くわえろ」とだけ言ったこの後、生々しい描写がしばらく続くが、低学年児童には刺激的すぎる体験だろう。豊川にはもともと男性を引きつけるオーラが出ているのか、15歳で家出をした時に、またしても男性に声をかけられる。連れてこられた先は、どうも、ここは男が好きな客が来る場所らしいのだ。ゲイバーだった。この場所で、自称“ジャニーズ事務所のタレントのマネジャー”に、「絶対スターになれる」と声を掛けられる。結局、この自称マネジャーは、ジャニーズ事務所の社員ではなかったのだが、事務所との仲介はしてもらえた。
この自称マネジャーに連れられて初めて事務所を訪れた時、6時間も社長室のソファーで待っていたことを、ジャニーの姉・メリーに「根性がある少年」と見なされ、採用。ちなみに芸名をつけたのもメリーだ。東京・赤坂の豊川稲荷に捨てられていたという「設定」がデビュー時に設けられ、豊川稲荷で誕生→豊川誕が誕生した。こうしてジャニーズ事務所に入所した豊川だが、「辛い仕事があった」と当時を告白する。何かといえば、夜であるたった4文字。シンプルなのに、そこからいろんな意味が汲み取れる。合宿所での最初の1週間は、自室で寝ていないという。では、どこで寝ていたのか。ジャニーさんの部屋であった。彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ……このくだりの細かなディテールは、さすがに控えめにはなっている。だが、「だてにゲイバーで働いていたわけじゃない」と、ちょっと醒めた感じの玄人感すら滲ませている。しかし、「辛い仕事」と明かしながら、こうも言っている。
不思議と彼を恨む気持ちはなかったのであるジャニーには、大きな感謝と敬意を抱いているようだ。「メリーさんが怒り役のお父さん、ジャニーさんは怒られた少年たちを慰めるお母さん」という表現にも、とても親愛の情が込められている。ジャニーは母性の人なのだ。また、ジャニーは、こうも呼ばれていたという。容姿は、どこかカッコ良さが漂うハーフそのものだったが、当時の事務所のタレントの間ではひょこひょこ歩くその姿から、「テクテクおじさん」というあだ名で呼ばれていた。全編通して、静かながら熱いトーンで書かれた本書には、「二人は恩人である。同時に、社会人の僕にとって越えなければいけない高い山なのである」といった、ジャニーとメリーへの熱い思いが何度となく綴られている。「破格の扱い」と自分でも書いているが、「夜である」のおかげなのか、入所わずか1週間でステージに上がっていたという。(後略)』
※光GENJIの全盛期か、そのちょっと後の時期、くらいか・・・。
シャドーっていうグループがいっぱい出てくるけど、そんなん
いたっけーー?→調べたら、暴露本作者・北公次の元に集まっ
た平本淳也ら元ジャニーズJr.たちの集まりだったんですネー。
※SMAPはまだブレイク夜明け前か・・・
→ 『ジャニーズ暴露本の歴史の中で、ジャニー喜多川の変態性をもっとも生々しく描写し、ジャニーズ事務所の異常なタレント育成環境を詳細に綴っているのが、この「Smapへ」(鹿砦社、2005年)である。著者の木山将吾氏は、「元・光GENJI」とされている。そんなメンバーいたっけ? と思われるのも無理はない。彼は、ジャニー喜多川の寵愛を受けて光GENJI入りが決まり、ポスター撮りまで済ませていたものの、”ある出来事”をきっかけにデビュー直前にメンバーから外された、幻のメンバーなのである。
当時、木山氏はジャニー氏一番のお気に入りで、取材陣の前でも膝の上に座らされ、食事もジャニー氏の手で口に運んでもらっていたという。そして、夜はジャニー氏の欲望の捌け口として濃密過ぎる時間を過ごしていたというのだ。彼は、そんな生活を余儀なくされた15~17歳の2年間を振り返り、「ジャニー喜多川の愛人だった」「性の奴隷だった」と表現している。しかし、木山氏の告白は、「愛人」「奴隷」という言葉が生易しく聞こえてしまうほどの、まさに地獄以上の体験に満ちているのだ。
初めて合宿所を訪ねたその日に、ジャニー氏と一緒に風呂に入らされ、全身をくまなく洗われる”泡風呂の儀式”と、入念なマッサージの洗礼を受けた木山氏。なんかおかしいなと思いながらも、デビューをほのめかすジャニー氏の言葉に酔いしれ、大きな問題としてとらえようとしなかったという。(中略)木山氏は陵辱に耐え続け、ついに光GENJIとしてのデビューという夢へのチケットを手に掴んだ。しかし、その夢は、木山氏の手からスルリと零れ落ちることとなってしまう。きっかけは、諸星和己のこんな言葉だったという。「次は木山くんだから。注射打たれる番」
ジャニー氏の部屋にはよく分からない薬品と注射器がいつもあり、それが一体、なんの薬なのか知らされることもないまま、デビューが決まったタレントは強制的に、その注射を打たれていたというのだ。地獄のようなホモ行為には耐え続けてきた木山氏だったが、「ホルモン剤」とも「覚せい剤」とも噂されていたその不気味な注射を受け入れることはできず、合宿所に行かなくなると、ジャニー氏からのお呼びもかからなくなり、すでに撮影済みだった光GENJIのポスターは、木山氏の写った右端をカットした形で発表され、その存在は”無かったもの”にされたという。ほかにも、ジュニアたちを裸にひん剥いて四つん這いにさせて一列に並べ、肛門のアップ写真を撮影し、興奮して肛門に舌を這わすジャニー氏、裏ビデオを合宿所に持ち込み、「見ろ! 女のおま○この醜さを!」と繰り返すジャニー氏、盗聴器を仕掛けたり、トイレをのぞくジャニー氏、タレントの陰毛を集めるジャニー氏……ほかにも、都市伝説でしかなかったジャニー氏の、想像以上の変態性がリアルに描かれているのだ。
木山氏は、執筆当時に話題になっていたマイケル・ジャクソンの少年への性的虐待事件を引き合いに出しているが、マイケルは昨年6月に非業の死を遂げ、様々に再検証が行われた結果、現在では潔白とされ、その存在のすべてが伝説として語り継がれることとなっている。間もなく80歳になるジャニー氏が現役でいられるのも、あと数年だろう。そのとき、彼はどのように語られるのか。”稀代のアイドルメーカー”として伝説になる前に、そのすべてをもう一度、しっかりと検証すべきではないだろうか。』
※こんな調子のネタが延々続く。読み進めるのはかなり苦痛だーーーw
『ふつうの気分のときに、旋律が私の指からしたたり落ちてくる。』 |
出展:? |
発言者:ジョージ・ガーシュウィン (アメリカの作曲家 1898年9月26日~1937年7月11日) |
→ 『解説:電車やお風呂の中など、ふとしたときにいいアイデアが浮かぶときがあるものだ。仕事や創作で、考えても浮かばなかったものが突如降臨してくる。ただし、それは毎日ずっと追い求めている者にやってくる幸運だ。それにしてもガーシュウィンは、いつだって自然と音楽があふれ出してくるというのか。前者は努力、後者は天才。しかし、この気障な言葉、悔しいけどカッコいいな。「ラプソディ・イン・ブルー」「巴里のアメリカ人」などの名曲が、ガーシュウィンの指先からこの世にしたたり落ちてきたのだ・・・』
→ 『■商品の説明:ジャズとクラシックを行き来した作曲家といえばジョージ・ガーシュウィンがまず最初に出てきます。TVドラマやCMでもお馴染みの「ラプソディ・イン・ブルー」で彼のオーケストラ編曲を手助けしたのはジャズ・バンド・アレンジャーをしえていたグローフェでした。ジャンルの垣根を越えたクロス・オーバーの先駆ともいえる彼らのポピュラーな名曲を、これまたジャンルの横断を得意としていたバーンスタインの華麗な演奏でお届けします。JAZZの名匠ベニー・グッドマンと共演した自作「プレリュード、フーガとリフ」もボーナストラックとして収録しています。/■登録情報:/演奏 バーンスタイン(レナード), コロンビア・ジャズ・コンボ, コロンビア交響楽団, ニューヨーク・フィルハーモニック, グッドマン(ベニー) /指揮 バーンスタイン(レナード) /作曲 ガーシュウィン, グローフェ, バーンスタイン /ディスク枚数 1 /フォーマット CD /レーベル SMJ /収録時間 76分 /ASIN: B0090S4AFY JAN: 4547366067941 /おすすめ度 5つ星のうち 4.8
/■カスタマーレビュー:ブラックキャット(ベスト500レビュアー) 5つ星のうち5.0 「名演奏で録音も良い」2016年7月1日・・・「ラプソディー・イン・ブルー」ジャズの語法とクラシック音楽を融合させ脚光を浴びた作品で、1924年にポール・ホワイトマンのコンサートで初演された名曲です。この演奏は1959年録音ですが、当時41歳のレナード・バーンスタインのダイナミックで繊細なピアノ演奏と指揮による名盤です。私は40年以上前に、この録音のLPレコードを針がすり切れるほど聴いていましたが、今聴いても素晴らしい演奏であると思います。/このCDの原盤製造はBlu-ray Discの技術からできた「Blu-specCD2」なので音質が良く鮮明で当時の録音レベルの高さを感じることができます。組曲「グランド・キャニオン」この演奏を聴く度に広大な景色が浮かびます。(1963年録音)/特にⅢ:「山路にて」は幼少の頃から、このロバが山路を歩く足音が好きで何度も聴いていました。やはり名演奏は何年経っても聴く度に楽しめます。』
→ 『『サマータイム Summertime』は、1935年にアメリカで初演されたオペラ『ポーギーとベス』でヒロインのベスが歌う子守唄。作曲者のジョージ・ガーシュウィンは、アメリカのポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍し、今日の「アメリカ音楽」を作り上げた作曲家として知られている。黒人コミュニティの風俗をリアルに描いたフォーク・オペラ『ポーギーとベス(Porgy and Bess)』は、オール黒人キャストという意欲的な企画。ガーシュウィン自身は同作品を「アメリカのフォーク・オペラ」と評している。/その劇中歌「サマータイム(Summertime)」は、ポピュラーソングのスタンダードナンバーとして広く親しまれ、数千にも及ぶカバーが生み出されている。ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、マイルス・デイヴィスらによるジャズカバーもヒットし、現在ではジャズのスタンダードナンバーとして定着している。』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
細かすぎて伝わらない関連動画など
(「坪内逍遥」「会う」で動画検索してみました!!)
※超簡易なる人物紹介なりき。