しょこたん、海外進出か!?

東スポWEB 中川翔子 LAでのアニソン歌唱がきっかけ「海外でも仕事をしたい」

『タレントの中川翔子(33)が10日、都内で行われた「ラプンツェル ザ・シリーズ/コロナの壁を越えて」日本初放送の全国プロモーション出陣式に出席した。BS、CS放送や全国のケーブルテレビなどで放送中のディズニー・チャンネルは今年開局15周年。それを記念して「ラプンツェル――」を日本で初めて放送するとともに、映画からテレビアニメーションまで主人公ラプンツェルの声を務める中川が、12月から1年間、全国4か所でプロモーションを行う。中川は「ラプンツェルに出会えたことで、たくさんの夢が星座のようにつながってワクワクしています。2010年秋に初めて演じ7年の時がたち、続編を演じさせていただいてうれしいです」と喜んだ。

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今作ではラプンツェルがお城の外の世界に飛び出し、様々な冒険をする物語。初めて仕事をしたり、恋愛をするが、ポジティブにその壁を乗り越えていく。そんな主人公に中川も刺激を受けたようだ。「私は子供のころからアニメソングを歌うことが夢だったんですよ。それが10年前、米国・ロサンゼルスで7000人を前に歌うことでかなった。そして今年の夏もまた行うことができました。この10年間、くじけそうになったりしたこともありますが、続けてきてよかったし、改めて海外でも仕事をしたいと決意しましたね」/サブカルチャーに精通するタレントとして際立った個性を放つ中川。今後も活躍しそうだ。「ラプンツェル――」は20日午後6時からディズニー・チャンネルで放送される。』

※久々の新曲アニソン「ブルームーン」が楽しみ♪まだ動画では見られないけどーーー



JAPAN billboard 中川翔子、奇跡的な雨上がりに撮影された新SG『blue moon』アートワーク公開

中川翔子が、2018年11月28日にリリースとなる約3年半ぶりのニュー・シングル『blue moon』のアートワークを公開した。


・ジャケットでは、楽曲タイトルにちなんで“月”をイメージした球体のオブジェが用意され、愛や絆をテーマに自ら作詞して生み出した作品を、大切に抱えているような中川の姿が写されている。“雨女”で知られる中川らしく、撮影日は台風で天候が危ぶまれていたのものの、撮影時は奇跡的に雨上がりのタイミングとなり、雲がたなびく空が幻想的な写真に仕上がった。


・なお本楽曲は、MBS/TBS系列28局全国ネットで放送中のTVアニメ『ゾイドワイルド』の10月からの新エンディングテーマに決定しており、10月6日より放映開始。先行配信もスタートした。


◎リリース情報

先行配信「blue moon』

iTuneshttps://apple.co/2pBLr93

レコチョクhttps://bit.ly/2pD4gcc

mora:https://bit.ly/2yhOuHx

Apple music:https://apple.co/2zT892s

LINE MUSIC:https://bit.ly/2PeZAnM


ニューシングル『blue moon』

<初回生産限定盤(CD+DVD+付属品>

SRCL-9955~9957 / 2,315円(tax out)

デジパック/三方背BOX

<通常盤(CD)>

SRCL-9958 / 1,204円(tax out)


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※という爽やかお仕事があるかと思えば。。。


中川翔子が全身特殊メーク、悪役「ヴェノム」に変身


ラプンツェルからヴェノムまで・・・


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※こぉ~~~~っわぁ!


●【R藤本】超ベジータだ!【中川翔子


※これは「溜池NOW」以来の邂逅でしょうか。。。





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日10月10日(水)の、「元気が出る言葉」は~?


『蛍さえも食べられぬか。』
出展:「火垂るの墓」(新潮社)
発言者:野坂昭如 (作家 1930年10月10日~2015年12月9日)

『解説:「火垂るの墓」は短編だが、文庫本30ページに句点が48回しか出てこない。4ページにわたって1つしかないところもある。だがそれは関西弁の饒舌ではない。すぐには句点を打たないぞ、という野坂の怒り嘆き苦しみの強さなのだ。作中のこの言葉に出会った者は涙を禁じ得ないだろう。しかし、小説もアニメも、敵が誰とは言っていない。ゆえにかえって、読んだ者観た者は人間の危うさに胸打たれる。この小説は「生き延びた妹はやがて僕の胸の中で死んだ」というように、野坂の実体験が色濃く反映されている。生きることを強く考えさせる言葉であり、小説だ。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


ジブリのせかい 高畑勲監督、野坂昭如さんに「『火垂るの墓』アニメ化できて、心から感謝」2015年12月12日

『『火垂るの墓』の原作者で知られる、野坂昭如さんが心不全のため亡くなりました。85歳でした。『火垂るの墓』は高畑勲監督によって、1988年に映画化。このとき野坂さんは、「ちょっと冒険するような感じで」監督にお任せすることにしたと言います。

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戦争当時の風景や、飢えた子どもの表情などを、アニメーションで表現できるものなのか疑問があったという野坂さん。しかし、スタッフが描いたイメージボードを見て驚愕。「葉末の一つ一つに、螢の群がっていた、せせらぎをおおいつくす草むらの姿が、奇跡の如く、えがかれている、ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった。アニメ恐るべし」とコメントを残しています。映画「火垂るの墓」は、原作者にも納得のいく作品になりました。/野坂さんが伝えたかった思いは、映画が繰り返しテレビ放映されることにより、幅広い世代に浸透しているはずです。高畑勲監督は、死を悼みつつ、感謝の言葉を発表しました。「きっと今、久々に肉体から解き放たれて楽天的になり、日本国中を、沖縄を、自由に羽ばたきながら飛び回り、日本を戦争の道へ引きずり込ませまいと頑張っている人々を、大声で歌って踊って、力強く励ましてくれているに違いない。弱者の悲劇を描ききった不朽の名作『火垂るの墓』をアニメ映画化できて、私たちは本当に良かったと心から感謝しています」』


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野坂昭如 『火垂るの墓』のアニメーションについて



●「火垂るの墓」と「おおかみこどもの雨と雪」 by 岡田斗司夫


※「火垂るの墓」の居心地の悪さの根元が解った気がする。。。



『■内容紹介:中年男の意識の底によどむ進駐軍コンプレックスをえぐる「アメリカひじき」など、著者の“焼跡闇市派"作家としての原点を示す6編。

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/■登録情報:/文庫 272ページ /出版社 新潮社; 改版 /言語 日本語 /ISBN-10: 9784101112039 ISBN-13: 978-4101112039 ASIN: 4101112037 /発売日 1968/2/1 /梱包サイズ 15 x 11 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.1 /■カスタマーレビュー:ぶんちま 5つ星のうち5.0 「この短編集は、読まなくてはならないと思う。」2016年9月16日・・・戦争を描いた本は、戦闘での悲惨さを描いたものが多いと思う。私の場合も戦争に行った人の戦闘の悲惨さを描いた本を多く読んできた。でもこのように戦闘員以外の子供が悲惨な目に遭っていることを描いた本は、あまり読んだことがなかった。野坂昭如の本で初めてその悲惨さを知った。淡々とした語り口がよけいにその情景を伝えてくる。私は、特に「死児を育てる」が心にしみた。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“遠足でもして俳体詩の紀行文でもやろうではないか(『書簡』明治37年10月19日より)”


【1908年10月10日、41歳の漱石】門弟たちと遠足にでかけて丸一日たっぷり楽しむ


今から108年前の今日、すなわち明治41年(1908)10月10日、41歳の漱石は、門弟たちとともに東京西部の八王子へ遠足に出かけた。先に理学博士となった寺田寅彦がヨーロッパ留学に赴くことが決まり、そのお祝いと送別を兼ねた遠足であった。漱石と寅彦のほか、漱石門下の鈴木三重吉小宮豊隆、野上豊一郎が同行した。集合場所は、早稲田南町漱石山房漱石の自宅)。寺田寅彦は張り切って早朝に一番乗り。続いて、鈴木三重吉小宮豊隆が人力車を連ねてやってくる。野上豊一郎は刻限ぎりぎりになってすべりこんできた。


5人はまずは新宿の停車場へ向かう。そこから午前10時過ぎの列車に乗り込み、昼前に八王子へ到着。大弓場で弓を引いたり、将棋を指したり、城跡に登ったり、コスモスの咲く河原を歩いたりして楽しく遊んだ。料理屋での昼食も、松茸、鮎の塩焼き、煮物、刺身、きんぴら、きんとん等の皿が並び、そこにビールまでつけるという豪華版だった。下戸の漱石先生も、このときばかりは少しばかり祝いのビールに喉をしめしただろう。午後6時過ぎまで八王子でたっぷり楽しんで、神楽坂まで戻ってきた一行は、なお別れがたく、島金という鰻料理屋の暖簾をくぐり蒲焼に舌鼓を打った。いやはや、なんと仲のよい師弟であろうか。


これだけの御馳走を続けざまに腹の中に入れたせいか、その後の漱石先生は、鈴木三重吉宛ての手紙に、《八王子以来生活機能の降下を示し何にもたべる慾心これなし》と綴るようなありさま。しばらくの間、1日1食に紅茶1杯というような食生活が続いたのだった。なお、寺田寅彦漱石から借り受けた大型トランクに荷物をつめてヨーロッパ留学に旅立つのは、翌明治42年(1909)3月25日。これに先立ち小石川の家を引き払い、妻子を郷里・高知に帰した寅彦は、夏目家にオルガンを預けていった。


漱石の長女・筆子はすでに先生についてピアノを習いはじめていたが、わが家に預かり置かれたこのオルガンを弾いて演奏の腕前をかなり上げたらしい。夏目家にピアノがくるのは、同じ年の6月30日。もしかすると、寅彦の預けたオルガンがひとつの呼び水となって、漱石は娘にピアノを買ってやることになったのかもしれない。焦げ茶色の木製ボディに象牙づくりの鍵盤を持つ寅彦のこのオルガンは、今も高知の寺田寅彦記念館に残されている。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「八王子」「散歩」で動画検索してみました!!)


京王グループCM③ 「京王ですもの」



●高尾から八王子 phantomで空の旅♪



ジョニーAのつぶやき:勝手に再起動、なんとかしてくれ~~~~~!!!!!