孤独のグルメ、今年も大晦日スペシャル!松重豊さんCMナド

イメージ 1


シネマトゥディ 「孤独のグルメ」2年連続で大晦日にSP放送!生ドラマパートを拡大

テレビ東京は30日、人気ドラマ「孤独のグルメ」のスペシャルドラマを、昨年に引き続き12月31日(夜10時~11時30分)に放送すると発表した。話題を呼んだ“生ドラマ”パートも拡大され、主演の松重豊は「大晦日恒例、と言っても2回目ですが、「孤独の生グルメ」今年も年明け30分前まで食べ続けます」と意気込む。

イメージ 2

昨年、各局がしのぎを削る大晦日にグルメドラマで勝負をかけ、話題を呼んだテレ東。2年連続の放送となる今年も番組のスタンスは変わらず、主人公・井之頭五郎(松重)の年末(12月30日~31日)の2日間を描く。/ 一方で、新しい試みにも挑戦しており、2017年の大晦日は番組終盤の最後の一食部分だけだった、生中継のドラマ部分を番組冒頭から敢行するなど拡大。今年は、五郎が都内の人気スポットに出没する予定だという。(中略)番組プロデューサーの川村庄子は「昨年生放送をなんとかやり終えた時、大変さをすでに忘れた私たちは「来年もやりたいね」などと明るく思っていたのですが、まさか実現するとは! 大晦日孤独のグルメを放送できること、皆喜んでおります。SNS などを見ていると、放送を見ながらネットで呟いたり一緒にご飯を食べたりと「孤独のグルメ」をリアルタイムで楽しんでいる方が多い気がしています。今年の生放送部分はさらにハラハラドキドキが増加する模様。一年の最後の日、松重さんとスタッフ一同リアルタイムで番組を作り、視聴者の皆様と共にピリッとスパイスの効いた、ほっこり美味しい最高の時間を過ごしたいと思います」と語っている。(編集部・入倉功一)/「孤独のグルメ 2018大晦日スペシャル(仮)」は12月31日放送(夜10時~11時30分)』

※これは楽しみです。大晦日は、かつてはプロレス、今はコドグルっす。


マツシゲ、CMワールド!!


松重豊 CM集【美味そうな飯】



イメージ 3

※「コドグル」で培った技をいかんなくCMで発揮しているマツシゲさん♪


●「こくしぼりプレミアム」新CM



イメージ 4

※これもまた、「コドグル」ネタの変化球ヴァージョンだと思う・・・。


●リンククロス 笑顔をまもる認知症保険「なる前が大事」篇 30秒



イメージ 6


イメージ 7

※わーーい♬ 奥さん役は『カメラを止めるな!』のしゅはまさんヤーン(^^♪

 「なる前」が大事!!そうそう、ゾンビになる前が、、、ねw





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日11月10日(土)の、「元気が出る言葉」は~?


『「多忙は怠惰の隠れ蓑である」と、何回でもじぶんに言おう。』
出展:「ボールのような言葉」(東京糸井重里事務所)
発言者:糸井重里 (コピーライター 1948年11月10日~)

『解説:日本最初のコピーライターは「赤玉ポートワイン」の片岡敏郎で、戦後は開高健サントリー勢が続く。しかし広くその仕事を知れ渡らしめたのは糸井重里だろう。糸井はキャッチーな言葉の魔術師だ。しかも彼は、歳をとってもいまだ青臭いほど熱いのだ!この言葉は彼の生き方をよく表現していて共感できる。「忙しい」という言葉は怠惰が言わせているのだ。』


イメージ 10


◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


ほぼ日 今日のダーリン

『・天は自ら助くるものを助く。じぶんからじぶんをなんとかしようと思ってる人を、天は助けてくれるのであります。まぁ、ほんとによくできたことばだなぁと思います。じぶんからなんにもしないで「助けてくれよー」とかね、運だの他人だのばかりをあてにしてる者を、天も、天の使いである人も、助けやしませんよ、と。そりゃそうだよなぁ、と大人は思うわけです。もっと言えば、「叩けよ、さらば開かれん」も似てますかね。ノックするからこそ、開いてもらえるということかな。「だれかおれを助けろよ」と他所の家の扉を叩く、と、え? 開かれるってことかよ? ぜんぜん似てなかったね。こっちのノックするやつは、自ら助けてないもんなぁ。いや、まてよ、ノックするという行為をしているのだから、自ら助けているっていうことでもいいのかな。などと考えているうちに、やがて「ノック程度でいいなら合鍵はいらないね」だとか、「ノックでいいなら、泥棒はいないよ」とか言い出す。もう、もともと感心していたはずの「天は自ら助くものを助く」にも疑問を感じはじめる。

イメージ 8

かくして、大人を長年やってきた大人は、こんなふうに言い換えることになる。「天は自ら助くものを助くのだが、扉をノックする程度のものを助くることもあるし、よくよく考えてみれば、自らを助けるものを助けないことだってしょっちゅうあるし、結局は、好きなようにしなさい」と。ずいぶんと平らかな、なにも言ってないに等しい文、ここに流れ着いてしまうのであります。しかし、いちばんほんとうなのは、こっちです。

イメージ 9

ただ、ここに流れ着いてしまったら、もうウケない。ここまでの当たり前は価値を持たないし、残念ながら、きみ、モテたりもしないのですよ。だってなぁ、なにも言ってないにひとしいのだから。でも、でもね、最後にうっかりを装って付け加えた「結局は、好きなようにしなさい」の部分は、平凡をくぐり抜けた強気のメッセージではあります。香港のホテルで、なに考えてるんだか、おれは。』


●『ボールのようなことば。』の世界を紹介します。装画:松本大洋



イメージ 5

※松本さんの絵が、言葉を奥行きのあるものに変えていく・・・


Amazon.co.jp インターネット的 (PHP新書) 2001/7/14 糸井重里(著)

『■解説:文章はあくまで平易で分かりやすい。しかし――いや、それゆえと言うべきだろう――読み手のインターネットに対する態度を試す、かなり怖い本だ。周知の通り、著者は著名なコピーライターだ。自らが立ち上げたWebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を運営していくなかで考えたこと、感じたことを淡々とつづっている。語り口はやさしく、インターネットに触れたことがない人にも理解しやすい例えが多用される。インターネットの本質を「リンク、フラット、シェア」とするのは、ネットに触れた人には常識だろう。しかし、それを「これまでの社会でも当たり前にあった助け合いの態度」と説明するあたりが、著者の真骨頂だ。そのほかにも、分かりやすい例えや比較が多数出てくる。インターネットに漠然とした不安感を抱いている人は、インターネットといっても、今までの社会と対して変わりないと感じて安心するだろう。

イメージ 11

しかし、著者の代表作が西武百貨店のコマーシャルに使われたコピー「おいしい生活」だったことを思い出そう。なんとなく分かるが、「おいしい生活」の中身は、読んだ人それぞれが作らなくてはならない(それは西武の売る商品ですよ、というコピーだったわけだが)。同じことが本書にも言える。インターネットというものを万人が納得する言葉で説明しているが、「それで、インターネットは自分にとって何なのか」と考えずに安心しただけの人は、自分でも知らないうちに思考停止におちいってしまうだろう。結果、ものの見事に社会の変化から置いてけぼりになるのである。安心するためにではなく、自分なりの考えを固めるために、読むべき本だ。(松浦晋也=ノンフィクションライター) (日経パソコン 2001/10/15 Copyright)/■登録情報:/新書 236ページ /出版社 PHP研究所 /言語 日本語 /ISBN-10: 4569616143 ISBN-13: 978-4569616148 /発売日 2001/7/14 /梱包サイズ 17.2 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.1 /■カスタマーレビュー:久保田夏彦 5つ星のうち5.0 「6年後の今読んでみるとまさに予言の書かも。」2007年2月10日・・・もう6年も前の本なのに、なんと示唆にとんでいて、今考えるとああ合ってるなと思うことの多い本だろうか。予言の書?ただ、この本はインターネット(だけ)の本ではまったくありません。この本はあくまで「インターネット的」な物に対して筆者が考察している本であり中心には人間がいます。

イメージ 12

あえて言うならば一章はインターネットのことが中心ですか。それでもインターネットの特徴をこれだけシンプルに人間生活や歴史を参照しながら解説している本はこれまで読んだことなかったです。商売や、マーケティングや、消費やクリエイティブに対する筆者の考えが、本当によく追体験できて刺激を受けられます。今更とか古いと言わず、糸井氏がちゃらくてあまり好きじゃなかろうが、今あなたの年齢がいくつだろうが、ぜひ手にとって読んで欲しい本です。勉強になりました。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“虚子の小説は面白い所がある。我々が気の付かない所に趣味を発揮している(『鶏頭』序より)”


明治40年(1907)11月10日、40歳の漱石高浜虚子の小説集のための序文を書く


今から109年前の今日、すなわち明治40年(1907)11月10日、40歳の漱石は、東京・早稲田南町の自宅書斎で、朝の10時から机に向かい原稿を書いていた。夕方4時までたっぷり時間をかけて書き上がったその原稿は、高浜虚子の短篇小説集『鶏頭』の序文。虚子本人からの依頼に応え、筆をとったものであった。


虚子は一般には正岡子規門下の俳人にして「ホトトギス」の主宰として知られ、確かにその世界で揺るぎない足跡を刻んでいる。代表句としても、《子規逝くや十七日の月明に》《遠山に日の当りたる枯野かな》《桐一葉日当りながら落ちにけり》《去年今年貫く棒の如きもの》といった名句を残し、多くの後進の俳人も育てた。けれど、その一方で、早くから小説にも志望を抱き、『斑鳩物語』『虹』『柿二つ』などの作品を著してもいるのである。


序文のだいたいの構想は、漱石は昨日から練っていた。そして、朝から原稿用紙に向かったのだが、いつになく苦心した。自分の小説や評論の原稿を書くより、よほど骨が折れた。分量も並大抵のものではなかった。単行本に収められると28ページにも及ぶ、長い長い序文であった。この序文で漱石は、小説を写実派、浪漫派、自然派などという一般的な分類と異なる、余裕派と非余裕派の2種類に分けた。そして、俳味のある虚子の作品を前者に分類した。その上で、禅の悟りにも似た境地が、そこに通底していると見た。序文の末尾を、漱石はこう結ぶ。


《世間ではよく俳味禅味と並べて云う様である。虚子は俳句に於て長い間苦心した男である。従って所謂(いわゆる)俳味なるものが流露して小説の上にあらわれたのが、一見禅味から来た余裕と一致して、こんな余裕を生じたのかも知れない。虚子の小説を評するに方(あた)っては是丈(これだけ)の事を述べる必要があると思う。(略)虚子は必竟(ひっきょう)余裕のある人かも知れない》


自分自身では、随分と奮発して書いたつもりだが、改めて読み直してみると、なんだか意図したほど面白いものには仕上がっていない、つまらない原稿のようにも思えた。それでも、ともかく、書き上がった原稿は虚子宛てに送ることにした。同封した手紙の追伸に、漱石は記した。《当分序文ハカカナイ事ニシマス。ドウモ何ヲカイテ好イカ分ラナイ》ある種の爽快感の伴う普段の脱稿時とは異なり、ぐったりとした疲れを感じている漱石先生であった。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「高浜虚子」「鶏頭」で動画検索してみました!!)


夏目漱石, 虚子「鶏頭」の序,1,朗読



真空管ラジオで聴く【歴史的音源】 高浜虚子 本人肉声 俳句朗読



ジョニーAのつぶやき:糸井さんのやってきた活動は、いわゆる「孤独の(文筆)グルメ」と呼べるものではなかったろうか・・・などとまとめてみる。