「渕正信の幸せ昭和食堂」 いぶし銀レスラーは主役の料理をも引き立てる!!

★ミク友のkajioくんに教わり、#1~#10まで一気見してもうたー。


バイタルTV 公式

『学生時代を過ごした青春食堂や老舗洋食店、なつかしの味を守り続ける中華食堂…そんな「昭和食堂」と同時代を歩んできた、全日本プロレス一筋45年の現役レスラー渕正信(64)が、地元で愛され続ける「老舗の食堂」の秘密に迫る15分番組。「出世とか金持ちになるとか、時間かかるけど、美味しいもの食べたら一瞬で幸せ」という渕正信。瓶ビールと「出し惜しみない」人気メニューを前にしながら、店主との心なごむやりとりが楽しい。あなたも、そんな「昭和食堂」に行ってみませんか?』


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※こういうなにげ~~ないおかずとごはんの定食が、べらぼうに美味しそう~!


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※おいしい顔と、リング上で技をかけられてる時の顔がクリソツや!

そうかーー、やられている時の心境ってのは、ある意味至福の瞬間

でもあるんだなぁ~~~~(妄想)。


●渕、初マイクアピール試合・・・


※この18年後、食レポ番組でマイクに向かうことになろうとは、

知る由もなかったころの渕さんである。。。


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※最後にトロフィーを進呈するってところがミソだね。これ、蛭子さんの

「バクチ飯」じゃああり得ないもんな。店を出たところで、平気で料理の

悪口、店主のオバチャンへのダメ出しなどを大声で喋りだす人やし・・・w


☆巷の評判はいかがなものか。。。

textream しげちゃんのひ・と・り・ご・とっ♪

『BSTBSで日米野球の放送延長部分を見てたんですが、その後やってた「渕正信の幸せ昭和食堂」っていう番組が面白かったです。すごい感じの良い人で、調べたら64歳で現役プロレスラーなんですね。すごい^^/コメント:ウチBS映んないでわかんないけど(野球も見れんかった)CSフジの「寺門ジモンの肉専門チャンネル」みたいな番組??/おー!渕さんやんけー!ワイの大好きなプロレスラーですわ。ついこの間も後楽園で試合やっとったよ!デビュー戦の相手が大仁田厚やでw今全日本プロレスの取締役ですわw/しっかし、帽子に眼鏡だと絶対気づかないなwこの写真見て暫くの間、渕さんだ!ってならなかったw』

※眼鏡をかけるととたんにインテリ風オヤジに様変わりしますよ、フチさんは・・・。


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※味の感想を述べるのが不器用なとこがまたイイ。これが蛭子さんだったら、

「漫画家のくせにモノ知らんやっちゃな!」ていうマイナス評価にしかなるまい。


●"Danger Zone" 渕正信のテーマ



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※後姿がカッコイイぞ。松重豊さんのゴロウちゃんとも、小林薫さんの深夜食堂

のマスターとも違う、また新たなるグルメ番組を、生み出したといえるカモ。


じゃんご ~許されざるおっさんの戯言ブログ~ 『渕正信の幸せ昭和食堂』

『ドラマ版「孤独のグルメ」や「吉田類の酒場放浪記」のヒットによって、「おっさんが飯を食うのを見る」というジャンルが流行っているようです。「バイタルTV」枠でも『蛭子能収が行く!イチかバチかのバクチ飯』という、タイトルどおりに博打に出たグルメ番組を放送しました。そこにプロレスラー渕正信(64歳)が参戦したのです。若い層に人気がある真壁刀義棚橋弘至でもなく、ベテランの長州力藤波辰爾でもない、かつての“全日ジュニアの鬼”渕を起用するというのは、実に渋すぎる人選です。/それでは肝心の番組内容はどうなのでしょう。まだジャイアント馬場が存命時、興行前半のメインである「ファミリー軍団VS悪役商会」において、悪役商会の一員であった渕は、ラッシャー木村のマイクパフォーマンスで独身ネタをイジられても、沈黙を貫き通した無口なキャラクターでした。しかし、「幸せ昭和食堂」ではスタッフからのアシストがなくても、番組を進行する饒舌ぶりを見せます。蛭子さんより上手いじゃないか!(いや、蛭子さんより下手な人を探す方が難しいです)。

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まず最初は瓶ビールを注文します。ジョッキではなく瓶ビールです。しかも日の高い昼間から飲むビールです。全国のおっさんにとっての至福の時間をヴァーチャル体験させる演出です。瓶ビールの後は、次々と食堂自慢のメニューを食べていきます。食レポも店員とのコミュニケーションも蛭子さんより上手いです(いや、蛭子さんより……以下略)。メニューを追っていくと、渕はプロレスラーだけあって、食べる量が一般人より多いことに気が付きます。どの回だったか、番組上オーダーしていないメニューが映り込んでいました。そのメニューは編集上カットされたということです。/プロレスファン、特に昭和の全日ファンにとっては、プロレス関連の話題が挿入されるのが何とも嬉しいです。第1回の浅草「水口食堂」では、店内で輪島大士のサイン色紙を発見した渕が、「3年くらい一緒にやっていました」と懐かしんでいました。第2回の新宿「北京飯店」では、女将さんが出してきたジャンボ鶴田とのツーショット写真を見て、渕が言葉少なに感激していました。第3回の新宿「うな鐵」では、新宿で若い頃遊んだ話になって、渕から「同期の大仁田厚」という発言が出ました。それぞれの場面で、私は思わず「おお!」と声を出してしまいました。

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そして、第4回の白金「ハチロー」では、渕がこれまでのプロレス人生を振り返って、「好きな事をやれる人生に感謝する」という言葉を発しました。これは渕の墓石に刻むべき名言です(勝手に殺すな)。思えば、この番組に登場する食堂は、地味ながら良い仕事を続けてきた職人的な老舗であり、それが渕のプロレス人生とも重なっているような印象を受けるのです。実に味わい深い番組です。』

※なーるほど~、老舗店とかけまして渕正信ととく、その心は・・・「長年、独特の味を守って、地味にお客さんを喜ばせます」ってとこですかい?「ねずっちです!」じゃなくて「フッチーでっす」w♪


Masa Fuchi - A to Z Brutality



渕さんブログ 酔々ブルース 幸せ昭和食堂 2018/10/12

『今月4日と11日にBSTBSで放映してもらった「幸せ昭和食堂」。5月、8月、10月と3回に分けて計12話12店。私自身愉しい収録であった。ガツガツ食べて瓶ビール飲んで、そして食レポ。これはお世辞抜きに12店とも本当美味しかった〓そして店主始め皆さんいい人ばかりで食レポ初心者の私としては、これもお世辞抜きで仕事がやり易かった〓スタッフの皆さんは何かと苦労されたことだろうが(笑)。なにぶんド素人のこの私。私が食レポし易いように各店各店準備万端の状況に持っていってくれた。有り難かったなぁ〓しかし何度も書いたことだが、本当昭和の名残があるいい店を探し出すもんだ〓私自身この12店、リピーターとしてまた全店改めて行きたいと考えている。すべてそれぞれ印象に残ってるな。そしてテーマソングがいいよね。「overtherainbow」オーバーザレインボー。ハワイの有名な歌手イズって人が唄ってるんだよ。かなり気に入ってる〓いいよねぇ。それからあのトロフィ。よく考えたもんだ。様々なアイデアに雰囲気作り。番組プロデューサー、ディレク ターは本当大変なんだよ(笑)。私はノー天気に飲んで食べていい気分で食レポしているだけなんだがね(笑)。ともかくお店の方始め関係者皆さんに感謝しております〓』


●エンディングテーマ 「虹のかなたに」byイズラエル・カマカビブォオレ







☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日11月11日(日)の、「元気が出る言葉」は~?


『もしかすると、歳をとるのは 楽しいことなのかもしれない。歳をとればとるほど、思い出は増えるのだから。』
出展:「夏の庭」(新潮社)
発言者:湯本香樹実 小説家 1959年11月11日~

『解説:人は死ぬ。しかし、この小説で湯本が言うように、「思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染みこんで、生き続け」、「また別のだれかの心に、ちょっとしのびこ」むと考えたら、確かに思い出がいっぱい増えることは楽しいことと思えてくる。「夏の庭 ~The Friends~」は、死んだ人を見るということに興味を持った3人の少年が、1人の老人と出会い、彼から人としての大切な価値観を教わる成長物語。児童文学だが、大人が読んでも奥深い作品だ。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


Amazon.co.jp 夏の庭―The Friends (新潮文庫) 湯本香樹実(著)

『■内容紹介:この世界には隠れているもの、見えないものがいっぱいあるんだろう。死への興味から、生ける屍のような老人を「観察」し始めた少年たち。いつしか双方の間に、深く不思議な交流が生まれるのだが……。町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ――。いつしか少年たちの「観察」は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが……。喪われゆくものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。/■登録情報:/文庫 218ページ /出版社 新潮社 20刷改版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4101315116 ISBN-13: 978-4101315119 /発売日 1994/3/1 /梱包サイズ 15 x 10.4 x 1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.1

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  /■カスタマーレビュー:うにちゃん 5つ星のうち5.0 「二度ともどらない夏」2012年7月4日・・・珠玉の作品です。大人になる前の一瞬の夏だから意味があるのだと。おじいさんという人がどういう人間だったかなんて、小6ではなかなか考えたりする機会がない。血もつながっていない他人のおじいさんの死は少年達にかけがえのないものを残してくれ、そこからそれぞれ一歩歩き出した。最後のシーンも好きです。こんなに大人になる前にもっと出会いたかった。だけど、大人になった今だからこそ、この本の良さがしみじみと味わえるようにも思う。木山君はどんな大人になったのだろう。作家になったのだろうか。とりあえず、手にとって読んで欲しい。仕事につかれたとき。大切な人を亡くしたとき。あとがきの作者の祖父に対する思いも良かったです。祖父を亡くしたばかりの私は涙が止まりませんでした。涙腺がこわれたかと思うくらい、泣きました。それにしても処女作でこれだけ書けるとはその才能がうらやましいです。』


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●夏の庭-The Friends-(冒頭2分半)



絵本 「くまとやまねこ」作者インタビュー

『--出来上がったものを見てどう感じましたか?/湯本:最愛の友だちをなくしたくまが自分の中に閉じこもって、それがある日、窓を開けてみたら……という時間の経過が、絵本にしたことではっきり伝わるのがすごくうれしいですね。一枚一枚ページをめくることで、時の経過を体で感じることができる本になっていると思います。止まっているように思えても、絵本のページをめくるように時は動いていて、ある日、窓を開けたくなる。とくに、閉じこもっていた部屋を出たくまがやまねこと出かける場面で酒井さんが描かれた、世界の明るさと広さがとても好きです。--あえて文字だけにされているページもあって驚かされました。/湯本:次のページから動き出す感じがよく表れていて、いいですよね。本としてどんな風に読んでくれる人に届けるかを、酒井さんはすごく緻密に計算している。もちろん私もそれは心がけていることです。文章が先にあっても、絵が出来てきたとき、文章と絵が重なっているようなところがあれば、文をどんどん削っていきますし、書き直したりもします。絵と文と、両者が適度に押したり引いたりする作業が絵本を作る醍醐味だと感じています。--子供時代から絵本はよく読まれていたのですか?/湯本:今のように絵本が豊富にあった時代ではなかったですし、特に絵本に関心がある親でもなかったので、身近に絵本がたくさんあったわけではないんです。ただ、家にあった子供向けの英語の百科事典をよく眺めていました。外国の家庭用品とか、目にしたことがないものがきれいなカラーの挿絵で描かれていて、勝手にいろいろ想像していたおぼえがあります。もう一つ忘れられないのが、幼稚園、小学校と通っていたミッション系の学校で配られた子供用の聖書。印刷が独特の不思議な色合いで、よく浸っていたものです(笑)。その絵を見たり、学校で聖書の話を聞きながら、現実の、今この目で見える世界とは別の世界がどこかにあるんだな、と考えていました。特定の宗教に帰依するとか、具体的な天国のイメージを持つとか、そういったこと以前の、もっとシンプルで本能的な感覚で、そういう子ども時代の経験は大なり小なり皆持っているんじゃないかと思います。

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--処女小説の「夏の庭―The Friends―」は、ご自身のおじいさまとの記憶をきっかけに書かれたそうですが、おじいさまを亡くされたのもその頃ですか?/湯本:そうですね、小学校に入ってからでした。祖父が亡くなったり、飼っていた動物が死んでしまったり、誰しも経験することではありますけれど、そのことについていつも考えていたようなところがありました。考えというにはあまりにもやもやっとしたものでしたし、もちろんただ遊びほうけている普通の子どもの生活をしていたわけですが。『夏の庭』は、たしかに子どもの頃、うまく言葉にできないなりに考えていたことを、物語というかたちで表したものだといえます。自分の心の中の雑音みたいなものを沈めていって、澱が沈んできれいに浮いてきた、その上澄みを書くことで表したいんですね。意図的ではなく、どんな風に浮いてくるかを待ちたい。だから時間の経過が必要で、書くことに関しても時間に書いてもらっているという気持ちがあります。そういう意味でも時間に感謝していますね。(中略)

--今後も絵本に取り組んでいきたいですか?/湯本:そうですね。今、少し長いものを書いているところですが、小説と絵本を同時につくるというのが、自分にとってはいいバランスなのかもしれません。絵本のアイデアを出そうとしてただ机に向かっていても駄目で、両方あるのがいいみたいです。--最後に、読者へのメッセージを頂けますか?/湯本:自分を信じるというのは、すべて自力でやるということじゃなくて、自分の生きている時の流れを信じる、ということなんじゃないかと思うのです。今、どういう時間の中にあるにせよ、時間と いうのはよい味方なのだと思ってほしい。--この絵本をめくりながら、時間の流れを感じてみたいと思います。ありがとうございました!』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“しばらく休息の出来るのは病気中である(『書簡』明治43年10月31日より)”


明治43年(1910)11月11日、43歳の漱石】病室で独自の「語学勉強法」を実践する


今から106年前の今日、すなわち明治43年(1910)11月11日、43歳の漱石は入院中の長与胃腸病院(東京・内幸町)で、フランス語の原書を読んでいた。傍らには、仏独辞典と独英辞典が置かれていた。わからないフランス語が出てくると、まずは仏独辞典でドイツ語訳を見る。そうして、わからないドイツ語が出てきたら、今度は独英辞典で調べるという厄介なやり方を、ここしばらく続けているのだった。


胃が悪くても頭脳を働かせることはできる。こうすることで漱石は、退院するまでに、多少なりと下地のあるフランス語とドイツ語を、もう一段、ものにしたいと考えていた。英語を勉強する際、英和辞典でなく英英辞典を使うことで英語の理解を深めるという手法があるが、その一歩も二歩も先を行く勉強法であった。


そのたゆまぬ向学心、向上心には、やはり頭の下がる思いがする。漱石は死去する1年ほど前に書いた随筆にも、《力の続く間、努力すればまだ少しは何か出来る様に思う。(略)現にわが眼前に開展する月日に対して、あらゆる意味に於ての感謝の意を致して、自己の天分の有り丈を尽そうと思うのである》(『点頭録』)と記している。


この日は、門弟の野上豊一郎から、病院へ見舞いの手紙も届いた。来客などは謝絶し専ら静養につとめて下さいと、師の健康を案じながら、秋の景色に染まっている外界の様子を知らせてきていた。手紙を読み終えると、漱石は、「今年の秋の景色は、想像するだけで、冬を迎えることになるのだろうな」と、胸の中で独りごちた。


病室は日当たりのよい南向きで、天気のいい日には暑いほど陽光が射し込むから、冬ごもりにはちょうどいいかもしれん。そんなふうにも思った。一時危篤に陥り長く病臥していた伊豆・修善寺を出て、この病院に引き移ってからちょうど1か月。体力は徐々に回復しているのが、自分でもわかった。体重も少しずつ戻っている。謡の仲間でもある野上豊一郎の書簡に接して、ちょっとむずむずした心地になるのも、そのひとつの証左だったろう。一方で、長い病中の閑静な日々を思うと、回復して世の中へ飛び出していく日がなんだか恐ろしくも感じられた。まだまだ、はっきりとした退院の日、社会復帰の目安を、思い描くことのできない漱石先生なのであった。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「病室」「勉強法」で動画検索してみました!!)


●病院 感動話!病室での受験勉強!君の次だった人への願いとは



●ドリフコント 明るい病室VS暗い病室



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※カトちゃん、いまは元気かな?


ジョニーAのつぶやき:映画「夏の庭」での三国廉太郎さんの演技が迫真に迫っており、本当に死んじゃいそうな老人に見えたもんだわ~。