「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」でほのぼの~♪

☆なんか知らん間にようつべの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」動画に

ハマッてしまい、観るのを止められなくなってしまう・・・。


公式HP バックナンバー 2014 年 4 月 26 日 (土) 第17回 山口〜高知・室戸岬

『2014年 4月26日(土)第17回 山口〜高知・室戸岬 /出演者:太川陽介蛭子能収 マドンナ:宮地真緒

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3泊4日で路線バスだけを乗り継いで、山口県山口駅から太平洋を臨む高知県室戸岬までを目指す。本州から四国へは、どのルートで渡るのか?第10弾ではゴールできなかった四国で、うまく乗り継ぎ室戸岬の絶景を見ることはできるのか?2連敗中(過去2回、ゴールににたどり着けず…!)の太川と蛭子。なんとしても今回はゴールをしたいと意気込む!!もちろん今回も道中思いがけなく見つけた絶景や地元の人々とのふれあいも盛りだくさん!そして、ガチンコ旅ならでは超絶トラブルの数々が待ち受ける…?真剣勝負の爆笑珍道中!』


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※地元の新鮮お魚料理などには目もくれず、「エビフライ」や「オムライス」を

 頑固に注文し続ける、偏食漫画家の図。


宮地真緒オフィシャルブログ 楽しむこと。

『ローカル路線バスの旅、たくさんのコメントありがとうございます。Twitterの方にもたくさん。いやー!我ながら頑張った!人生で一番歩いた!一生分歩いた(笑)東京に戻ってからも、なかなか足の筋肉痛が取れなかった宮地ですコンバンハ。

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今回は、14年の芸歴の中で3本指に入る過酷なロケでした。途中、疲れと悔しさと、なんか…絶対負けたくない!って感情が込み上がってきて。これを乗り越えたら、一回り大きくなれるような気がして。これからもいろんなことにチャレンジして、ぶつかっても、もがきながら喰らい付いていけるような気がして。逆境を楽しむこと。そんなガッツと忘れかけてたマイレボシューションを思い出しました。全力で楽しみました。真剣に楽しみました。(中略)いい経験になりました。もうこれ以上過酷なロケはなかなか出逢わないでしょう。なんだって来い!状態です。』


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※「バスの旅」とは名ばかりの・・・。今回は「路線バス乗れずの旅」デスナw


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太川陽介 トーク・路線バスの旅 裏側を暴露 (2014年2月)



☆今年の5月に特番やってたんだなぁーーー。

太川&蛭子が帰ってくる!? 「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 ヒストリー全部見せます!SP」5/5放送

テレビ東京の人気番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」の総集編「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 ヒストリー全部見せます!SP」が5月5日(土)に放送されます!太川陽介蛭子能収の"迷"コンビと歴代マドンナ加藤紀子さとう珠緒熊切あさ美の3名が、これまでの全25弾のバス旅をバス車内で振り返ります。太川&蛭子は卒業してから1年以上経ちますが、一体どのくらい覚えているのでしょう?

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これまで旅先では、たくさんの方々にお世話になっています。そんな方々の"今"を追跡!バス旅を見てバスの運転士になったという方の現在は? 青森県野辺地にある食事処は今どうなってる? さらに、バス旅好きカップルがオリジナルのバス旅デートを重ねて結婚した、という情報も。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」は、少しだけ人の人生を動かしているのかも?』


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※この一連の「ちびまる子ちゃんトークがツボったww

ナレーションがキートン山田さんだけにーーー。


『ローカル路線バスの旅』の全1~25弾をおすすめ順にランキング紹介!

『第17回の放送は、ランキングの13位に挙がってた。。。/『ローカル路線バスの旅』の最大の魅力の一つが蛭子さんの人間性。良くも悪くも他にはいないタイプの性格や行動、発言が話題を集めました。蛭子さんの行動が生理的に受け付けないという理由で、番組を敬遠する人もいるほど、かなり変わった人です。逆に言うと蛭子さんを楽しめる人は『ローカル路線バスの旅』を楽しめます。伊集院光さんにいたっては、蛭子さんが殴られても仕方がないところを探しながら番組を観ているそうです。その数は正の字では足りないほど...(苦笑)

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蛭子能収さんのとんでもない生態】●ギャンブル好き(特に競艇) ●人食べ物をシェアするのが嫌い ●民宿と旅館が嫌い(旅館は変なところが多い発言) ●とんかつ、オムライスとラーメン好き(旅番組で地のものを注文しない) ●下着とパンツの替えを二日分しか用意しない(番組は3泊4日) ●素人でもおかまいなしで思ったことを言う(妊娠していない女性にいきなり「女性に妊娠してますね」と言う ●ハンカチは持たず、パンツやシャツでぬれた手を拭く ●マドンナ役に数々の暴言を吐く(時に泣かせ、時に怒らせる) ●『人生大事なのは金と自由』発言....etc/挙げたらきりがないほどです。

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さすがの太川陽介さんも我慢しきれなくなって、時に現場がぴりついてマドンナが困惑するシーンを度々目撃します。色んな意味で『ローカル路線バスの旅』の命運を握っているのがこの蛭子さん。太川陽介さんとの不仲説なども噂されたりしますが、太川さんのデビュー40周年記念コンサートに自費でチケットを抑えて足を運ぶほどです。(あのドケチで、財布のひもが固いことで有名な蛭子さんにしては驚きの行動。)/太川&蛭子コンビでの『ローカル路線バスの旅』は終了してしまいましたが、2人が揃うと長年連れ添ったお笑いコンビのような妙なおさまりの良さがあります。賛否両論ありますが、蛭子さんには色々と人生の現実的な側面を教えられることがあります。これからもぶれずに今の蛭子さん路線のまま長生きして欲しいです。』



伊集院光が欲しがる人気バス番組DVD 内容によっちゃあ5万円でも買う (18分)



タビリス 「ローカル路線バス乗り継ぎの旅第17弾 山口市~室戸岬」の「本当の正解」は? 1日20kmも歩く必要はなかった!

※マニアックな素人なら、独自のルートで調べてチョチョチョイのチョイで

最短ル-トがわかるとか。素人考えで、「グーグルマップ」でバス検索とか

できんちゃうん?とも思ってやってみたが、、、さすがに路線バスだけの行

き方は「ルートがありません」なのネンー。ソラソーカー


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【謎】宮地真緒が蛭子パンツをはく

※宮地さんの一言「(蛭子さんって)ダメなオトナですよね~」が最高だった♪


☆これまたついでに、京都~広島編も観た。姫路周辺~岡山市内、など

よく見知ってる場所にお二人が来てくれたのが、ホンワカと嬉しい~♬


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※電車でさえ連絡手段に四苦八苦する「兵庫ー岡山」間。そら苦労するヤロー


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岡山駅構内のお店、あの辺りかなぁ~~、などと想像しながら観れたヤ♪





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日11月13日(火)の、「元気が出る言葉」は~?


『勇気で人生を正しくつらぬけ』
出展:色紙
発言者:サトウハチロー (詩人 作詞家 1903年5月23日~1973年11月13日)

『解説:サトウハチローは戦後最初のヒット曲「リンゴの唄」の作詞家であり、童謡「ちいさい秋みつけた」「かわいいかくれんぼ」「うれしいひなまつり」なども作詞した。そうした国民を明るくする歌、やさしい歌を作る一方で、父への反発と母への溺愛、奇行や放蕩など私生活も話題に事欠くことはなかった。この言葉は色紙に書かれた言葉。正しく生きるには勇気がいる。それを最初に「勇気を」といった。すると勇気の重みが違ってくる。勇気に勇気をもらえるのだ。正しく生きよう!』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


Amazon.co.jp サトウハチロー詩集 (ハルキ文庫) サトウハチロー(著)

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『■内容(「BOOK」データベースより):赤いリンゴに唇よせて/だまって見ている青い空/リンゴは何んにもいわないけれど/リンゴの気持はよくわかる(「リンゴの唄」より)―優しくも人の心を打たずにはおかない言葉で紡がれたサトウハチローの、珠玉の作品群。その詩は読む人を郷愁へと誘う強い言葉に満ちている。その作品百十九篇を収録した待望の文庫オリジナル版。/■登録情報:/文庫 237ページ /出版社 角川春樹事務所 /言語 日本語 /ISBN-10: 4758431426 ISBN-13: 978-4758431422 /発売日:2004/11/1 /梱包サイズ 15.2 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度: 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:忠右エ門 5つ星のうち5.0 「忘れてはいけない日本の心」2017年6月30日・・・ついこの間まで、Robert Burnsの歌に夢中になっていました。久しぶりに中田喜直の歌を聴いているうちに、当然のようにサトウハチローの詩に行きつきました。これだけの素晴らしい詩集が文庫本で手に入る。解説やエッセイも良い。ハルキさんには感謝したいのですが、あえて言わせてもらいます。少なくともこの2倍ぐらいの詩を選んでほしかった。太平洋戦争中の体験・言動が意識的に伏せられているのでは?もっともっと生のサトウハチローを私たちに伝えてほしい。』


☆「悲しくてやりきれない」もサトウさんの作詞だった・・・

●悲しくてやりきれない サトウハチロー作詞・加藤和彦作曲



●制作秘話 的なヤツ

 加藤和彦 「悲しくてやりきれない」を語る



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※そして、「悲しくて~」は、『この世界の片隅に』でも印象的な

挿入歌として大勢の観客の胸を打ったのだった・・・。


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“生き延びた自分だけを頭に置かずに、命の綱を踏み外した人の有様を思う(『思い出す事など』より)”


明治43年(1910)11月13日、43歳の漱石】才色兼備のとある美女の死を知って仰天する


今から106年前の今日、すなわち明治43年(1910)11月13日、43歳の漱石は、入院中の長与胃腸病院の病室で新聞に目を通していた。なにげなく見ていたのだが、ある記事を目にした途端、漱石の顔色が変わった。そこには、大塚楠緒子の死去が報じられていたのである。


楠緒子は4日前の11月9日に大磯で亡くなり、葬儀は19日に東京で行なう旨が書かれていた。大塚楠緒子は、漱石の友人の大塚保治(美学者)の奥方であり、小説家・歌人としても知られていた。漱石が間に入って、朝日新聞紙上に連載小説『空薫(そらだき)』を書いてもらったこともあった。才色兼備。ある日の漱石は妻・鏡子との茶飲み話が大塚楠緒子のことに及んだとき、「あれは理想の美人だね」などと口をすべらせ、鏡子をやきもきさせたこともあった。年齢は漱石より8つ下だから、まだ30代半ばの若さ。余りに急なことで、漱石は受け止めきれないでいた。


まもなく、大塚保治から病院に電話があった。楠緒子の死去を報知し、新聞の死亡広告に友人総代として漱石の名前を載せさせてもらってもいいかという問い合わせをしてきたのだった。漱石は丁重にお悔やみを述べたあと、死亡広告の依頼の件についてはもちろん即座に承諾した。漱石が伊豆・修善寺で危篤に陥ってから、なんとか持ち直しつつある今日までに、近しい人が逝去したのは、これで2人目であった。まだ漱石修善寺で病臥していた10月5日には、長与胃腸病院の院長である長与称吉が亡くなっていた。漱石はそのことを東京に帰ってから知らされた。思ってもみないことで、呆然として、しばらく言葉を失った。


その後、自分が無事に東京に戻れたのは天幸なのだとつくづく思った。病院長でなく自分が命の綱を踏み外していたとしても、なんの不思議もなかった。そしてこの日また、自分よりも年若い婦人の訃報に接したのである。相次ぐ知人の死を気の毒に思うとともに、自身が生きているありがたみをしみじみ噛みしめ直す漱石だった。2日ほどして、漱石は病床の上で楠緒子へ手向ける哀悼の句を詠んだ。《棺には菊抛(な)げ入れよ有らん程》《有る程の菊抛げ入れよ棺の中》


やがて訪れた11月19日は晴天だった。漱石は病室の窓外に目をやりながら、「いい天気でよかった」と、出席できない葬儀の席に思いを馳せるのだった。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「才色兼備」「死去」で動画検索してみました!!)


野際陽子 才色兼備ぶりが凄かった 彼女こそ美魔女第1号【悲報】



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野際陽子さん追悼動画



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※カッコいいッスなぁーーー!


ジョニーAのつぶやき:サトウハチローさんの人物像を初めて知って驚愕だった・・・