【悲報】ディズニーで労災、中の人の逆襲・・・

テレ朝news 東京ディズニーランド出演女性 過労やパワハラ訴え 2018/11/13

東京ディズニーランドでショーに出演していた女性2人が過重労働やパワハラを訴えた裁判で1回目の口頭弁論が開かれ、2人は「心と体が悲鳴を上げていた」などと訴えました。

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  訴状によりますと、原告の20代の女性は10キロから30キロの着ぐるみを着て出演し続け、腕に激しい痛みが走る病気を発症して労災と認定されました。また、30代の女性は複数の上司や同僚による、「病気なのか。それなら死んじまえ」などと言われて体調を崩したということです。2人は会社が安全配慮義務を怠ったとして、約755万円の損害賠償を求めています。13日の裁判では「心と体が『もう無理』と悲鳴を上げていた」などと訴えました。原告側の弁護士によりますと、オリエンタルランドは請求の棄却を求めたうえ、事実関係を明らかにする書面の提出などを求めています。オリエンタルランドの広報部は、取材に対して「係争中の案件のため、コメントは差し控えさせて頂きたい」としています。』

※これって、、、着ぐるみの存在を公にしちゃってるけど・・・。本来、

契約条項の中にあるんじゃなかったっけ?中の人がいることは極秘にし

なければならない、ってのが・・・。いや、着ぐるみなんてものは存在

せず、ああいうキャラが本当にいるわけだけれどね・・・。イヤマジデ・・・


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FNN PRIME ディズニーに対し「過重労働」と「パワハラ」訴訟…“夢の国”で何が?

『今回、訴訟を起こした女性2人の主張を見ていく。29歳の原告女性Aさんの主張は「過重労働」。訴状などによると、Aさんは重さ10キロから30キロのキャラクターコスチュームを着て、1回約45分のショーやパレードに出演。大きな動きを求められ、2016年11月の出演回数は22回、12月は28回とその前の2カ月に比べて倍以上だったという。その翌月Aさんは、コスチュームの重さで神経が圧迫され、肩から腕に痛みが出る「胸郭出口症候群」を発症。2017年8月に労災が認定され、現在は仕事を休んでいる。Aさんは「『守秘義務』として労災と認定されるまで、医師に業務内容を話すことも止められていました。私以外にもケガをしている人はいます。私は“出演者”という業務があることを外に出し、長く守ってきた人々の夢を壊したとされ、現場に戻ることは難しいと思っています」と震える声で明かした。また、「皆さんに愛され求められる業務が、少しでも長く働き続けられる環境に変わることを願い、声を上げることが恩返しになると信じたいです」と主張した。

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38歳の原告女性Bさんの主張は「パワハラ被害」。きっかけは2013年、Bさんが男性客から右手薬指を故意につかまれ、負傷したこと。警察への被害届や労災申請を上司に相談したところ、「エンターなんだから、それくらい我慢しなきゃ」や「君は心が弱い」などと言われたという。また、飲み会の席で上司のマネージャーに「楽屋でぜんそくが出る」と相談した際には「病気なのか、それなら死んでしまえ」や「30歳以上のババアはいらねえんだよ、辞めちまえ」と言われたといい、Bさんは「一番つらかった言葉」と話した。他にも「俺の前に汚ねえ面見せるな」や「お前は来期、ディズニーシーに異動かな」などと、多くの仲間の前で暴言を受けたと主張した。こうしたパワハラ被害は、複数の上司などから約5年間続き、Bさんは心療内科に通院することを余儀なくされたという。Bさんは「何度上司に相談しても変わらず、相談することにより、逆にひどくなっていくいじめ。現在も続いているいじめをなくし、安心して働ける職場になってほしいと願い、今回の裁判に踏み切りました」と涙ながらに明かした。また、「ゲストが第一なので、自分さえ我慢していればゲストの夢を壊さないという気持ちだけでやってきました。ディズニーが悪いわけではありません」と訴えた。』


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●漫才 ディズニーランドの従業員が労災認定


※名前だけでも覚えて帰ってください」て言われても覚える気がせんよ・・・


◎まあ、本家ディズニーには、多少のイメージダウンかもしれないが、

大したことではないだろう。フランチャイズ契約しているオリエンタル

ランドがヤバいな。今後は、こういう書籍だとか、


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◎こういう広告だとかは、胡散臭く感じるようになっちまいそうー。


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※ディズニーランドに着ぐるみがいるなんて言ってる人は、ブラックミッキー

に連れてかれちゃうぞっ!注意注意♪っと~。(コワイコワイ)


☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日11月15日(木)の、「元気が出る言葉」は~?


『僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕を貫け。帰るところを失った僕を貫け。突き放された世界の僕を貫け。』
出展:「鎮魂歌」
発言者:原民喜 (小説家 1905年11月15日~1951年3月13日)

『解説:原民喜は広島の原爆で被爆する。6年後に自殺するまで多くの小説や詩を残した。いまでも「美しき死の岸に」「夏の花」「心願の国」「鎮魂歌」など文庫で読むこともできるが、読むたびその言葉に胸打たれ、辛くなる。辛くなるが、生きていく者として読み継いでいかなければならない作品群でもあるのだ。ここに一例を紹介する。この言葉たち一つ一つの強さよ。』


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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


ウィキペディア 原民喜

『原 民喜(はら たみき、1905年(明治38年)11月15日 - 1951年(昭和26年)3月13日)は、日本の詩人、小説家。広島で被爆した体験を、詩「原爆小景」や小説「夏の花」等の作品に残した。/原民喜草野心平主催の『歴程』に参加し、多くの詩を創作、また童話も多数残した。原は対人関係や日常生活において臆する幼児であったと形容されるが、「僕は堪えよ、静けさに堪えよ。幻に堪えよ。生の深みに堪えよ。堪えて堪えて堪えてゆくことに堪えよ。一つの嘆きに堪えよ。無数の嘆きに堪えよ。嘆きよ、嘆きよ、僕を貫け。帰るところを失った僕を貫け。突き放された世界の僕を貫け」(『鎮魂歌』より)にみられるように、内部において強靭な意志を持った作家だということが垣間見られる。原の作品はは死後50年経ったため、著作権が失効している。その為作品の多くはインターネット等で自由に閲覧する事が出来る。大江健三郎による原爆小説アンソロジーでは、原の『心願の国』の中の「何とも知れない未来に」という言葉を書題として使われた。

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広島市平和記念公園原爆ドーム東側に立つ原の詩碑には、彼の作品である「碑銘」(「遠き日の石に刻み/砂に影おち/崩れ墜つ/天地のまなか/一輪の花の幻」)が刻まれている。原の没後、多くの友人・知人のなかから彼を記念する詩碑を出身地であり原爆に被災した地でもある広島市に建立しようという動きが出た。碑の建立は広島の学生同人誌運動の中心であり原に私淑していた梶山季之(当時は広島高師在学中)らの奔走により実現し、表面に原の「碑銘」を刻んだ陶板、裏面に佐藤春夫の追悼文を刻んだ銅板を付し1951年末に広島城址公園に城の石垣を背に建立された。しかしその後、碑は子供たちの投石遊びの標的にされ損傷、穴だらけになった陶板の碑銘の判読は困難な状態となり、また裏の銅板も何者かに持ち去られたため、1967年現在地に最初の形態そのままで再建された。』


●紙芝居「夏の花」(原民喜・作)



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Amazon.co.jp 原民喜 死と愛と孤独の肖像 (岩波新書) 梯久美子(著)

『■内容(「BOOK」データベースより):「夏の花」で知られる作家・詩人、原民喜。死の想念にとらわれた幼少年期。妻の愛情に包まれて暮らした青年期。被爆を経て孤独の中で作品を紡ぎ、年少の友人・遠藤周作が「何てきれいなんだ」と表した、その死―。生き難さを抱え、傷ついてもなお純粋さをつらぬいた稀有な生涯を描く。/■登録情報:/新書 272ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 9784004317272 ISBN-13: 978-4004317272 ASIN: 4004317274 /発売日 2018/7/21 /梱包サイズ 17.2 x 10.8 x 1.1 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.8

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/■カスタマーレビュー:中国の不思議な役人 5つ星のうち5.0 「原民喜を読むための格好のガイドブック」2018年8月7日・・・著者の梯久美子氏は、私が今、もっとも注目しているライターのひとりである。とにかく、氏の堅実でウソのない仕事ぶりが大好きだ。ハズレはほぼない。だから、本書も書店で見かけて、内容を確認することもなく、速攻で買ってしまったわけだが、読み終えてみて、まったく後悔はなかった。それどころか、また氏にやられてしまったという感じだ。/氏が本書で取り上げているのは、原爆詩人として名高い原民喜。だが、私自身もまったく知らなかったが、この人は「原爆詩人」から容易にイメージされる社会派・行動派とは真逆の「コミュニケーション障害」だった。しかも、いくつになっても、人とまともに挨拶すらできなかったというのだから、相当に重度の障害者だったと言える。加えて、個人的にビックリさせられたのは、『幼年画』や『死と夢』などという初期に書かれた作品の幻想性と不気味さ。本書で断片的に引用されているが、まるで水木しげる楳図かずおが描いたホラーマンガを髣髴とさせてくれるのだ。/いったい、そんな人物がいかなる経緯で、原爆をまんま取り上げて、自身の名を後世に残した『夏の花』を書くまでに至ったのか。梯久美子氏は、まるでミステリーの謎解きのように、原民喜の実像に迫っている。本書は新書ながら、原民喜を読むための格好のガイドブックだと思える。もちろん、すでに原民喜ファンの方にもお勧めできる。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“後世に知己を待つより外に仕方なし(『書簡』明治39年8月3日より)”


明治39年(1906)11月15日の漱石】読売新聞からコラム執筆依頼を受けて大いに悩む


今から110年前の今日、すなわち明治39年(1906)11月15日、読売新聞の竹越与三郎が、『中央公論』の滝田樗陰を通じて、漱石のもとにこんな申し入れしてきた。読売新聞紙上に「文壇」という欄を設け、これを漱石に担当してもらいたい。毎日1段か1段半くらいの分量の原稿を書いてもらい、手当てとして月に60円支払う。


この頃、漱石39歳。英国留学から帰国し東京帝国大学と第一高等学校で教鞭をとる傍ら、『吾輩は猫である』『坊つちやん』『草枕』などの小説作品を発表し、その名前は世間に広く知られはじめていた。その漱石をレギュラー執筆者に迎えることで、売り上げを伸ばしたいという思惑が、読売の首脳部にあった。


文筆に、より力を注いでいきたい気持ちは、以前から漱石自身の中にもあった。だから、この話がもたらされたあと、漱石はあれやこれやと思いをめぐらした。寝床に入っても考え続けた。「毎日それだけの分量の原稿を書くのは、かなり骨が折れそうだ。東大か一高のどちらかは辞めざるを得ないだろう。どちらを辞めるかとなれば、大学の方を辞めたい。高校の方が授業は比較的容易である上に、教師や生徒の一部に、むやみに自分に敵対してくる者がある。いま自分が一高を退けば、そんな奴らを増長させることにもなりかねないし、何より連中から逃げるような形になるのは口惜しい」と、ここまで考えてきて、一家の主として家計を支えねばならない漱石の思考は具体的な数字にも及んでいく。


「大学を辞めるとすると、年俸にして800円の減収になる。月60円の手当てではとてもおっつかない。そこのところが、まず大きなひっかかりになる。それはさておくとしても、仕事の中身はどうだろう。たとえ読売で800 円くれるにしても、「文壇」というコラムで毎日、新聞へ書く事柄は自分の事業として後世に残るものではないだろう。もちろん、後世に残るか否かは当人が決めることではないが、文筆をもって世に立つ以上は、それだけの覚悟でなければ面白くない。ただ1日だけで読み捨てられるもののために時間を奪われるのは、大学の勤めと変わらない」そんなことを、頭の中でぐるぐると考えているうち、漱石は知らず眠りに落ちていた。


翌日、漱石は滝田樗陰宛てに手紙を書いた。昨夜、頭の中をよぎったさまざまな考えを整理して綴り、最後、こう結論づけた。《以上の理由だからして、まず当分は見合わす方が僕の為めだらうと思う》/漱石先生が朝日新聞入りを決めるのは、この4か月後。給与などの条件面もさることながら、後世に残る可能性のある小説作品の執筆が仕事の中心ということが一番の決め手となったのである。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「読売新聞」「コラム」で動画検索してみました!!)


●【シン・ゴジラ杉田智和さん朗読×読売新聞コラム「編集手帳



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※『シン・ゴジラ』評。褒めてます・・・。


●【あちこちに咲く笑顔】津田健次郎さん朗読×読売新聞コラム「編集手帳



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※このコラム動画シリーズは聴き易いな~。好印象♪


ジョニーAのつぶやき:詩人の原民喜さん・・・まったく知らなかった人物である。作品も読んでみたく思うなりー。