松岡茉優「どんなときも」を熱唱♬
→ 『株式会社ジュン(本社:東京都港区、代表取締役社長:佐々木進)が展開する「ROPE PICNIC(ロペピクニック)」は、2018年11月15日(木)より、WEB動画「どんなときも。 song by 松岡茉優」を公開いたします。本動画では、「ロペピクニック」のアイテムを着用した女優・松岡茉優さんが、槇原敬之さんの名曲『どんなときも。』を歌い上げます。歌詞にのせながら、彼との別れを経験した女性が少しずつ自分と向き合い、前に進んでいく姿を演じます。塞ぎ込んだり、迷ったり、前向きな気持ちになったりと、松岡さんの繊細な演技が見所です。松岡さんが着こなす、「ロペピクニック」の新作アイテムやコーディネートにもご注目ください。同日には、撮影現場での様子を捉えたメイキング動画と、撮影の裏話や松岡さんのプライベートなどについて伺ったインタビュー動画も公開いたします。
ある晴れた日。物憂げな表情を浮かべながら、楽しかった“あの頃”に思いを馳せる松岡さん。柔らかい朝日が降り注ぐ部屋で、ゆっくりと目覚めます。―その手を静かに離した時も♪/―踏み出すことをためらう時も 外に出て歩いていき、横断歩道の前で信号が変わるのをじっと待つ姿は、どこか寂しげ。僕の背中は自分が思うより正直かい?誰かに聞かなきゃ不安になってしまうよ。赤信号をぼうっと見つめていると、無意識に蘇ってくる彼の記憶。信号が青に変わり、歩き出した後ろの人とぶつかり、ぼうっと立ち尽くしてしまいます。―笑顔を忘れてしまった時も、仕事をしていても、帰り道でも、いつも思い出してしまうのは“あの頃”のこと。旅立つ僕の為にちかったあの夢は古ぼけた教室のすみにおきざりのまま~
―夜の長さを感じる時も 家で映画を見て気持ちを紛らわそうとしても、消えない寂しさ。あの泥だらけのスニーカーじゃ追い越せないのは電車でも時間でもなく僕かもしれないけど。―冬の風に吹かれる時も どんなときも どんなときも 僕が僕らしくあるために ―優しい気持ちに触れた時も「好きなものは好き!」と言えるきもち抱きしめてたい~前向きな歌詞にのせて、塞ぎ込んでいた日々から抜け出し、少しずつ明るい日常を取り戻していきます。/犬の折り紙を手に取り“あの頃”を思い出しますが、過去を振り切るかのように、その折り紙をゴミ箱へと放ります。ラストは、すがすがしい笑顔で締めくくられます。』
※上手くて嫌味なこともなく、下手糞で聴いてられないわけでもなく・・・
ちょーーーーーどええ歌唱力ではありませんこと!?
※最後のこの表情がイイ!この雰囲気をモノマネする奴も現れたぞっ!↓
・細かすぎて伝わらないモノマネ 20181124
→ 『女優松岡茉優(23)が7日、東京・丸の内のJR東京駅で、「行くぜ、東北。SPECIAL 冬のごほうび」キャンペーンのキックオフイベントに出席した。16年春からキャンペーンのイメージキャラクターを務めており、8日から放送されるテレビCMにも出演している。福島・裏磐梯では、撮影でわかさぎ釣りを楽しんだという。「(釣り場が)ハウスになっているので、比較的温かく過ごせるし、おしゃべりをしていると寒さも忘れて、撮影を楽しんでしまいました」と振り返った。
CMはこれまで、女子の1人旅、女子旅をテーマに出演してきたが、最新作は旅先での恋も予感させる内容。「どの旅も楽しめるだろうなと思って演じていました」と話し、「忙しい方にこそ、日帰りでも行ける東北に足を運んでほしいです。おいしいものを食べて、温泉に入って、忙しい毎日に冬のご褒美をあげる気持ちで楽しんでほしい」とPRした。イベントでは、福島県の日本酒で、今年の全国新酒鑑評会で10年連続の金賞を受賞した「奥の松」を用意された。おちょこを手に「お昼からすみません…」と恐縮しつつ、「大人の方にもがつんとした深みがありつつ、私のような若造にも飲みやすいお酒ですね」と笑顔で感想を語っていた。』
※写真:周りを幸せにしてくれる笑顔ですねぇー。
「コウノドリ2」の産科医・下屋加江
※後半では部署移動になり、若干登場頻度が減った松岡さん。。
モノマネの人が出てきて、ちょっとこの笑顔が色眼鏡で見られる
ようになってしまうのがなぁーー。痛し痒しやわ。
『人間いうたら、自分ひとりのことしか考えてへんときは不幸なもんや。』 |
出展:「太陽の子」(角川書店) |
発言者:灰谷健次郎 (児童文学作家 1934年10月31日~2006年11月23日) |
→ 『解説:人のことを思いやる。人の人生を想像できて、やっと自分の人生も知ることができる。自分の人生を大切にすることができる。灰谷には戦後児童文学の代表作といっていい「兎の眼」「太陽の子」がある。教育と沖縄という重いテーマを扱って、この2作も灰谷自身もいろいろと物議をかもして賛否両論にさらされたが、弱い者の立場に立って灰谷は人を愛した。』
→ 『■内容(「BOOK」データベースより):大学を出たばかりの新任教師・小谷芙美先生が受け持ったのは、学校では一言も口をきこうとしない一年生・鉄三。決して心を開かない鉄三に打ちのめされる小谷先生だったが、鉄三の祖父・バクじいさんや同僚の「教員ヤクザ」足立先生、そして学校の子どもたちとのふれ合いの中で、苦しみながらも鉄三と向き合おうと決意する。そして小谷先生は次第に、鉄三の中に隠された可能性の豊かさに気付いていくのだった…。学校と家庭の荒廃が叫ばれる現在、真の教育の意味を改めて問いかける。すべての人の魂に、生涯消えない圧倒的な感動を刻みつける、灰谷健次郎の代表作。
/■登録情報:/文庫 339ページ /出版社 角川書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4043520018 ISBN-13: 978-4043520015 /発売日 1998/3/20 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.4 /■カスタマーレビュー:soco 5つ星のうち5.0 「素晴らしい」2017年4月24日・・・昭和初期にはまだまだ戦争を引きずった方が多く色々な階層の人々がいて今より色々な事件がおおかった頃の話。様々な事件をとおし先生も生徒も両親も成長していく様にどんどん引き込まれていき自分もクラスの一員のような気分になった。読み終わると別れが寂しい気持ちになった。登場人物がみな生き生きしていてまた会いたい。
/とうひろ39 5つ星のうち5.0 「とても考えさせられました。」2014年10月25日・・・子どもたちの為に、こんなにも教師達が本気になってこどもの気持ちに寄り添ってホントの意味で「教育する」姿勢に胸が熱くなりました。上部の関係で関わるのではなく、逃げたいとか難しい問題にも本気でぶつかっていくのはとても大変で辛くて体力がいることですがそれを必死にこどもの為に奮闘する教師や大人たちを見て心を打たれ、同時に素敵だと思いました。私は幼稚園教諭になりたいのですが、そういう人になれるよう努力していきたいです。』
→ 『説「兎の眼」「太陽の子」などで知られる作家で、教育問題に積極的な発言を続けた灰谷健次郎(はいたに・けんじろう)さんが23日午前4時30分、食道がんのため静岡県内の病院で死去した。72歳だった。故人の遺志により葬儀はしない。自宅は非公開。
神戸市生まれ。働きながら定時制高校に通い、大阪学芸大(現・大阪教育大)へ。神戸で小学校教師を務め、創作活動も始めた。72年に退職してインドやタイ、沖縄などを放浪。74年、工場地帯の学校を舞台にした「兎の眼」を発表した。多感で繊細な子供たちや、彼らと向き合う個性的な教師たちを生き生きと描いた「兎の眼」は、児童文学として出版されたが、広く大人にも読まれてミリオンセラーに。国際アンデルセン賞特別優良作品にも選ばれた。/78年、神戸の琉球料理店の少女が、太平洋戦争と沖縄に思いを深めていく「太陽の子」を出版。その後も、寡作ながら絵本「ろくべえまってろよ」(絵・長新太)や、少年の成長を追った大河小説「天の瞳」など、ヒューマニズムにあふれた作品を発表。教員体験や独自の死生観をもとに、子どもや教育をめぐる問題にも積極的に発言した。83年には神戸市に保育園を開いた。97年に、新潮社の写真週刊誌が殺人容疑の少年の顔写真を載せたことに怒り、同社との出版契約をすべて解消して抗議の意を表した。/作家デビュー後、兵庫県の淡路島で農耕生活を10年余り続けた。91年には沖縄県の渡嘉敷島に住居を移し、漁をして暮らした。04年12月に食道がんの手術を受け、回復していたが、今年9月に再入院していた。97~99年、本紙家庭面(当時)にエッセー「いのちまんだら」を連載。2冊の本になっている。』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※片岡鶴太郎は「男女七人夏物語」の頃がピークでしたねー。
※気持ち悪いキャラたちです。。。