ジョニデ、黒魔法使い誕生の裏にヨットの売却あり!?

関西ウォーカー・ツキイチ連載 「平野秀朗の銀幕スター列伝」

『第57回 今月のターゲット:ジョニー・デップ ・・・彼が黒い魔法使い=グリンデルバルドを演じたことは正直、驚きだった。シリーズの歴史を変える新しい流れを感じた。ご存知「ハリーポッター」シリーズは、子供が主役ということもあって、実力派の役者がわきをガッチリ固めていた。大人気の原作が持つ世界観が最優先され、正直ネームバリュ-は二の次だった。ヴォルデモード卿を演じたレイフ・ファインズなんて、素顔がわからないメイクで正直、俺でなくても、と思ったはずだ。

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/続く「ファンタビ」は主役に若くしてアカデミー賞を受賞した演技派・エディ・レッドメインを起用するも正直、その名前をみんなが知っているわけではない。おそらく映画の製作者たちは、新しいシリーズの始まりに際して、今までにない要素をブチ込みたかったはず。そこでビッグネームを起用して、それを売りにする戦略を考えたのだろう。確かに今回のキャスティングには華がある。じゃあなぜ彼だったのか?これまで海賊とか、白塗りとか、ディフォルメしたメイクの役が多かったから適役ではあるけど、それ以外に何かあるのでは・・・。そこで驚きのニュースを見付けた。「ジョニー・デップ、20億円の豪華ヨットの維持費が払えず売却」。贅沢な暮らしが過ぎて、逆に最近、お金に困っているらしいのだが、なんとそのヨットを購入したのが、シリーズの原作者であるJ・K・ローリングだったというのだ。(そこでつながっとったんか)。売買の席で、出演の話があったかどうかは解らないが、頼まれたら断れないのは間違いなし。正直、彼にとって、黒い魔法使いは救世主だったという話である。』


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BUSINESS INSIDER ジョニー・デップ、約28億円の裁判の原因となった桁外れの不動産

『元マネージャーらは、デップは月35万ドルのヨットの維持費を支払うことができなかっただろうと主張した。デップの会計士ジョエル・マンデル (Joel Mandel)は、ヨットを売却するようデップを説得、2016年にJ・K・ ローリングが購入したと伝えられた。J・K・ローリングは購入後、わずか8カ月でヨットを売りに出したと伝えられた。ヨットは2017年7月に売却された。』

※購入してすぐ売却って・・・。土地ころがし、ならぬ、ヨットころがしみたいな

 資金運用の手口もあるってことかしらーん?非常~に怪しいですな。共謀の匂い

 もして参ります。。。


◎こんなことも言ってたけれど・・・

MTV ジョニー・デップ、「J.K.ローリングに申し訳ない」

『2016年に公開された『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』の続編で間も無く公開予定の『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』にて、再びグリンデルバルド役を演じているジョニー・デップ。ジョニーと言えば、前作の公開後に元妻アンバー・ハードへのDV疑惑など数多くのネガティブなスキャンダルが報じられたことにより、同シリーズの世界を愛する熱狂ファンたちからグリンデルバルド役の続投に対して否定的な声も多く挙がっていたことで知られている。先日、Entertainment Weeklyのインタビューに応じたジョニーはその件について自ら言及した。

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シリーズ生みの親であるJ.K.ローリングや映画制作会社からのサポートを受けていたというジョニーは、「正直言って、さまざまな人たちの意見を聞いていろいろと対応しなくてはいけないJ.K.に対して申し訳ないと思ったよ」とポツリ。また、「僕に対する虚偽の報道を繰り返すSun紙に対し、名誉毀損訴訟を提起しているんだ」と明かし、「J.K.は証拠を見ているから僕が無実であることをわかってる。だから彼女は公にサポートしてくれているんだ。彼女は物事を軽んじたりしない。もし事実を知らなかったら立ち上がってくれないはずだ。だから本当だってことさ」と話していた。

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J.K.は昨年12月、「ファンに対して、この問題について公然と話すことができないのは難しく、ストレスが溜まり、時には心が痛む」と述べつつ、「この作品のメインキャストの一人をジョニーが演じることについて、心から喜んでいる」と彼を擁護する声明を発表している。』


★離婚以降、ピリッとしないジョニデだけに、この新シリーズでの復活が

 待たれるところである。はたして、いったん失墜した人気が、それこそ

魔法のように甦るのかどうか・・・。一応劇場へ確かめには行くつもりだ。




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日12月3日(月)の、「元気が出る言葉」は~?


『どうしようもないわたしが歩いている/蜘蛛は網張る 私は私を肯定する さて、どちらへ行こう 風が吹く』
出展:どちらも「草木塔」
発言者:種田山頭火 (詩人 1882年12月3日~1940円10月11日)

『解説:こういう俳句はいいな。尾崎放哉とともに萩原井泉水門下の自由律俳句の代表的俳人であり、酒で身を持ち崩したところも同じだ。小林一茶同様に、貧者俳句であり、自由俳句で、山頭火の句を読めば、必ず「ああ、これわかる」「これは自分の気持ちだ」と思わせてくれる。自由というのは自由なのか不自由なのか。ちなみに、政治色の強いイメージの強い山口県で、山頭火のほかに中原中也金子みすゞまど・みちおなど個性派詩人も多い。』


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越前屋俵太かと思った・・・


◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・


Amazon 山頭火俳句集 (岩波文庫) 種田山頭火 (著), 夏石番矢(編集)

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『■内容紹介:種田山頭火(1882-1940)は、自由律俳句の代表的な俳人荻原井泉水門下の秀才として知られたが、出家して托鉢行乞の僧となる。漂泊と隠遁の旅を繰り返し、酒に溺れながら、深い内省から自然を見詰めた俳句を作り続けた。その句は、日本人に親しまれるだけでなく、世界の偉大な巡礼詩人の一人として、広く愛読されている。/■登録情報 /文庫/544ページ 出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003121112 ISBN-13: 978-4003121115 /発売日 2018/7/19 梱包サイズ 15 x 10.6 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 5.0 /■カスタマーレビュー:不死身 5つ星のうち5.0 「一新された山頭火像」2018年7月19日・・・夏石番矢による1000句の選句がおもしろい。日記からの抜粋も的確。また夏石による解説「水になりたかった前衛詩人」も、これまでの山頭火観を一新し、国際性がある視野を提示。文章も平易で奥深い。』


●まつすぐな道でさみしい (5分52秒)


・自由律俳句の俳人種田山頭火という人物をモチーフに「さみしい」という感情の象徴化を試みた。

旅の途中の山中でほろ酔い気分の人物の表情をカットアウトの手法を用いて細かく描写した。


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※貼り絵っぽい画風に心が和みまする・・・


◎上記動画制作者談

GEIDAI 03TALK 公式WEBサイト 学生紹介:岡本将徳(修了生)

→『種田山頭火は自由律俳句の詠み人です。とは言え、最初から自由律を詠んでいたのではなく、「五・七・五」の俳句も経ていますし、様々な文学の基礎を把持した上で自由律に行き着いています。自由律俳句は、俳句を「五・七・五」の定型詩と捉えない、という形式破壊の要素を含みます。「自由律は俳句ではない」という主張もありますが、山頭火の場合は形式よりも俳句的世界観を重視したようです。形式破壊かぁ、できたらいいな。憧れます。ぼくもそういった尖った生き方をしたいですが、肝も器も小さいので自信はありません。

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生きていくのって楽しいことばかりじゃないじゃないですか。ぼくは生きてるだけで不安です。ただただ不安。不安と言いつつ、その不安がないとまた不安だったりします。単純で矛盾です。本作もそんな感じだと思います。作中では「すべてがこころをあらはす」ように意識したつもりです。そして「矛盾」であり「表裏一体」である。「一歩一歩がそのまま到着であり、一歩は一歩の脱落である」ように。山頭火は自身の俳句観を以下の様に言及しています。

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現在の私 は、宗教的に仏教の空観を把持し、芸術的には表現主義に立脚してゐることを書き添へて置かなければならない。(昭和八年元旦)--ざっくりとですが、「空観」というのは一切皆空。「般若心経」に根ざし、「我」がなく実体性に欠けるということ。いっさい‐かいくう【一切皆空】仏語。あらゆる現象や存在には実体がなく、空であるということ。「表現主義」というのは内面の描写。客観的な印象ではなく、感情を、魂を、自我を、主観的表現の主張ということ。ほんとざっくりとですが、大体こんな感じ。

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「我」と「無我」の観念が同居しています。それは「個を通して全を表現する」ということなのでしょうか。とにかく、本作中では「すべ てがこころをあらはす」のです。そして、本作は表現主義であり象徴主義であり「心いよいよ深うして表現ますます直なり」なのです。更には、種田山頭火という実在した人物への敬意であり、人間への讃歌です。しかし、どんな言葉でも、どんな表現でも、生きている現実との乖離は起こり得ます。そのための「前書き」であり、「象徴化」というプロセスの必然なのです。「表象」ではないです、「象徴」です。うーん、わかりにくい。。。漠然とした「ただ不安な感じ」に打ち克ちたいですし、そういった作品になれたらいいと思いますし、これから作れていけたらいいと思いますが、どうなんでしょうね。高村光太郎は「道程」の中 で、「僕の前に 道はない 僕の後ろに 道は出来る」と詠みました。種田山頭火は随筆の中で、「道は前にある、まつすぐ行かう。」と云々。比較してどうこう、というわけではないですが、さて。「さみしい」を滑稽に描けていたら作者的には成功です。前向きな作品のつもりなので。素直に泣いたり笑ったりしたいです。まっすぐな道はさみしいですし。』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・

サライ 「夏目漱石」の記事一覧


“実に秘密というのは恐ろしいものだねえ(『吾輩は猫である』より)”


大正元年(1912)12月3日、45歳の漱石】筆が進まぬ夏目漱石、妻・鏡子と一緒に義太夫を聴きに出かける


今から104年前の今日、すなわち大正元年(1912)12月3日、45歳の漱石は妻の鏡子を連れて東京・新富町新富座に出かけた。竹本越路太夫義太夫を聴くためであった。劇場内に入り、ふと2階席に目をやると、三井財閥の重鎮である実業家の有賀長文の顔が見えた。漱石がなにげなくそのことを告げると、鏡子夫人は確かめようとしてしきりに上を眺める。「そんなふうに見るもんじゃない」/漱石は自分が教えたくせに、みっともないと夫人を叱りつける。鏡子の方も叱られながら、胸の内で「なんですか、ご自分が教えたくせに」などと呟いていたに違いない。


漱石は、つい数日前、朝日新聞に連載する小説『行人』の原稿を書きはじめたところであった。書きはじめたものの、なかなか思うように筆は進んでいかない。この3日後の12月6日からは新聞掲載がはじまる。はじまれば、まったなしに日々の連載が続いていくのに、まだ最初の数回分の原稿しか準備できていない。用意周到な漱石にしては、珍しいことであった。


そんな状況の中で義太夫などを聴きにいくのは、なんだか親の目を盗んで恋人に会いにいく青年のような心持ちであった。ちょっとうしろめたく、それだけに一層、秘密めかした楽しみを感じてしまう。人間心理とは、まことに不可思議なものだった。その不可思議なものに操られるように、漱石は次の日も新富座に出かけていった。自身が趣味として取り組んでいる謡にも通ずる部分があって、義太夫に惹き付けられていたところもある。だが、それ以上に、机にかじりついていても思うように仕事が進まないので、なんとか気分転換を図ろうという思いが働いていただろう。2日目の新富座では観客の中に坊主頭の老人がいて、ときおり奇声を上げていた。出方(劇場の係員)が客を案内してくると、大きな声で、「静かにしろ」などと怒鳴っている。


偶然に出くわしたそんな光景も、漱石は、さりげなく胸の中に刻みつける。筆はとどこおり気味でも、常住坐臥、すべてを、いつか創作の素材に使えるかもしれないという目で見てしまう作家としての意識が、知らぬ間に動いている。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「秘密」「恐ろしい」で動画検索してみました!!)


●怖すぎてヤバいドラえもんの秘密道具9選


※そうそう、怖い回は、藤子A不二雄先生のテイストが強めなんでしょうねー。


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かまいたち山内なら、過去に戻ってポイントカードを作ることだろう。。。


ジョニーAのつぶやき:「夏目漱石の妻」を観た後だから、先生は長谷川博己、鏡子さんは尾野真千子で脳内再生されてしまいますわ・・・w