M-1論
※「笑い飯」枠、とも形容される、毎年準優勝の和牛・・・。
年々引き出しが豊富になっていき、実力アップした姿が観れるので、
ファンとして勝手なことを言わせてもらえれば、逆に有難いな~、
という感想だったりする。ご本人たちには針のむしろなんだろうケド。
→ 『12月2日、お笑い界最大のイベントが行われました。漫才日本一を決めるM-1グランプリ(以下、M-1)です。その注目度や影響力はほかのお笑いコンテストとは比較になりません。普段はそれほどお笑いを熱心に見ていなくても、M-1だけは必ずチェックするという人も珍しくありません。毎年12月に生放送される決勝戦の模様は、年末の風物詩としてすっかり定着しています。もちろん、出場する芸人にとってもM-1は格別に重要なイベントです。決勝に進んで優勝したり目立ったりすれば、一夜にしてその芸人の人生が変わります。まったくの無名だった芸人がその日からスターになれる可能性がある。M-1はまさに夢をつかむためのイベントなのです。
ただ、M-1に関して少しだけ気になることがあります。大会が終わると、視聴者がSNSなどでそれぞれの感想をつぶやき合います。その中で、「審査結果に納得がいかない」「あの審査員の審査はおかしい」などと、審査内容に関してあれこれ意見を書き込む人が目立つのです。テレビ番組をどう楽しむかはその人の自由なので、それ自体が悪いとは言いません。それも『M-1』の楽しみ方の1つでしょう。ただ、個人的な印象としては、『M-1』を見た人の多くが、審査のことばかりを過剰に気にしているような気がするのです。M-1はお笑いコンテストであると同時に、1つのバラエティ番組でもあります。本来、笑いで勝ち負けを決めるのは不自然なことです。大会や番組をよりエキサイティングなものにするために、あえて審査を行って点数をつけているだけなのです。視聴者側は審査の結果をあまり深刻に捉えずに、そういうものとして楽しむというのが健全ではないでしょうか。もちろん審査自体を味わう楽しみを否定するつもりはありません。ただ、審査ばかりに気を取られて、本来の「漫才の面白さ」に目が向かなくなることがあるとしたら、それは本末転倒ではないかと思うのです。M-1で決勝に進んだ10組の芸人は、いずれも漫才の世界で頂点に近いところにいる超一流のプロばかり。便宜上、1位から10位までの順位が決められるわけですが、基本的には全員が全員とてつもなく面白い。勝者と敗者の間には紙一重の差しかありません。/今回、優勝を果たしたのは霜降り明星ですが、優勝を逃した9組も実力では全く見劣りしません。『M-1』は番組の形式上、コンテストの形をとっていますが、10種類のハイクオリティな漫才が楽しめるお笑い番組として見るのがちょうどいいのではないかと思います。敗れた9組の中でも特筆すべきは、準優勝の和牛です。彼らは最終決戦でわずか1票差で霜降り明星に敗れ、優勝を逃してしまいました。和牛はこれで2016年から3年連続で準優勝ということになります。年々レベルが上がっているM-1で「3年連続準優勝」というのは、実質的には「優勝」と同じかそれ以上に価値のあることだと思います。その実績が示しているとおり、和牛が披露した2本の漫才はどこからどう見ても文句のつけようがない傑作でした。(詳細省略)
何年も連続してM-1の優勝争いに絡むというのは本当に大変なことです。和牛の偉大なところは、『M-1』に挑むにあたって、毎年違う形のネタを用意してくるところです。前年と同じようなネタをやればどうしてもインパクトに欠けて評価が低くなってしまう恐れがあります。彼らは『M-1』で勝つために新しいパターンのネタをどんどん作り続けています。その苦労は想像を絶するものでしょう。もはや彼らにとって本当のライバルは、霜降り明星でもなければジャルジャルでもなく、過去の自分たち自身です。「和牛の漫才は面白い」ということがすっかり知れ渡っている中で、そんな世間の期待を超えたネタを作って、結果を出さなくてはいけない。4年連続決勝進出、3年連続準優勝という圧倒的な実績は、そうやって自分たち自身を常に乗り越え続けた苦労の末に達成されたものです。『M-1』に関して、何かと話題になるのはいいことだと思いますが、ゴシップ的な話ばかりに人々の興味が向かっているのは残念なことです。10組の芸人がそれぞれ個性を発揮して、10通りの面白い漫才を見せてくれたということを、もっとしっかり味わって楽しむのが望ましいのではないでしょうか。
特に、構成も技術も優れている和牛の漫才の面白さについてあまり語られていないのはもったいない。優勝した霜降り明星が面白かったことに疑いの余地はありませんが、和牛も同じくらいのことをやっていました。その点を素直に讃えたいのです。これまでM-1で傑作ネタを数多く「消費」してきた和牛に対して、さらなる進化を求めるのは酷なことかもしれません。しかし、彼らならきっとやってくれるはずです。来年の『M-1』でも、和牛が優勝候補の筆頭であることに変わりはありません。この経験を踏まえて、当代随一の実力派漫才師がどんなネタを見せてくれるのか今から楽しみです。』
※お笑い理論派の石田君は、M-1審査員に向いてるんちゃーーーう?
※中川家の兄ちゃん(剛)は、「オールナイトニッポン」で、ジャルジャルは
ユーチューバー、和牛はお芝居、霜降り明星だけが漫才だった、というような
見解をしゃべり、弟(礼二)も賛同している様子だったが、、、そういう審査
をされたのだとしたら、和牛には不運だったと言わざるを得ない。。。
ノンスタ石田が分析する通り、霜降り明星は粗品のフリップ芸の延長(せいや
は動くフリップだ!という説明のなんと的を射た表現であることよ・・・)な
のだ。しかし極上の進化形。ジャルジャルはいわば前座芸の究極の完成形!!
そして和牛は、漫才にコントを混ぜて展開する昨今の主流漫才スタイルの最先
端極上の逸品と言える。いわゆる通常の漫才とはみな一線を画した“新しい
漫才”を追究した産物なのである。。。ジャンルの違うお笑いを、純粋にその
面白さ、革新性、完成度の高さで評価してほしかった。初めから、漫才だった
のはこいつらだけでしたーーー、というのは2年前の銀シャリの優勝年で終わり
にして貰いたかったナァー(個人的には、あの年、和牛に優勝してほしかったヨ)
というのが偽らざる本音である。以上。
『私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたは腹の底から真面目ですか。/前後を切断せよ、みだりに過去に執着するなかれ、いたずらに将来に望を属するなかれ、満身の力をこめて現在に働け。』 |
出展:前者「こころ」/後者「倫敦消息」 |
発言者:夏目漱石 (小説家 1867年2月9日~1916年12月9日) |
→ 『解説:日本人は夏目漱石が好きだ。「こころ」は自殺やエゴイズムなどをテーマにした重苦しい作品なのに、圧倒的な人気だ。漱石は個人、そして自分と他人という近代日本の課題を追及していく。それは現代人にとっても避けられない問題だ。この作品で先生が私に問う、真面目であるかと、真面目さに最大価値を置くところが漱石らしい。もう1つは時間の問題。今日を精一杯生きようという漱石からの叱咤激励だ。』
→ 『■内容紹介:漱石大好きマンガ家・香日ゆらが好き勝手に送る決定版漱石ガイド。生涯や作品、東京の漱石ゆかりの地、全国の記念館、漱石をめぐる人々、初版本装幀など、豊富なイラストやマンガで紹介! /■登録情報:/単行本 128ページ /出版社 河出書房新社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4309025757 ISBN-13: 978-4309025759 /発売日 2017/5/26 /梱包サイズ 21 x 14.8 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.0 /■カスタマーレビュー:R-7DH 5つ星のうち3.0 「漱石が好きなら」2017年10月9日・・・漫画部分に期待するとダメかなあ。漱石をライトに調べたい人向け』
☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
※「家族はつらいよ」のご夫妻が出演してるんだなぁ~~。