「宮本から君へ」映画化決定!

オリコンニュース 『宮本から君へ』映画化決定 主演はドラマ版に続き池松壮亮「人生を感じる映画」

新井英樹氏が漫画を描き、昨年4月にはテレビ東京系の『ドラマ25』枠で連続ドラマ化もされた『宮本から君へ』が映画化されることが10日、わかった。主演はドラマに続いて池松壮亮が務め、ヒロインは蒼井優が担う。今年の秋公開。

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  ドラマ版は『第56回ギャラクシー賞テレビ部門』で奨励賞を受賞するなど反響を呼んだ。原作は、熱血営業マン・宮本浩の七転八倒の記録。ドラマでは、営業マンとして奮闘する“サラリーマン篇”が描かれた。映画では、宮本とヒロイン・中野靖子を中心に“人間賛歌”が描写されるエンターテインメント作品になっている。

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池松は「どの歴史上の人物よりも星であり、ヒーローでした」と宮本について語り「生きてゆく覚悟、信じる覚悟、そして人生を感じるような映画になるのではないかと期待しています」と興奮。蒼井は「全身で感情をぶつけ合うシーンの連続だったので、撮影3日目にはヘトヘトでした」と振り返り「こんなに高カロリーな作品はなかなかないと思います。公開を楽しみにしていただければ」と話している。 ドラマに出演していた、松山ケンイチ柄本時生星田英利古舘寛治らも再集結。今後映画版の新たなキャストも発表されていく。撮影は昨年10月30日にクランクアップし、真利子哲也監督は「この物語を完結させるまでは、死ぬに死ねない」と語っている。キャスト・スタッフが全力をかけた作品が、今年の秋に“究極の愛の形”を観る人に投げかける。 』


※TV版主題歌は、エレカシみやじ渾身の「イージー・ゴー」で

あったが、映画版でその続編曲、創ってくれんかなーーー。

「イージー・ゴー2」みたいな。期待して待とうっとー♪~( ◍•ᴗ•◍ )♬


CINRA NET 蒼井優演じる中野靖子との物語を描く

『●真利子哲也のコメント・・・はじめて「宮本から君へ」の映画化に声かけられたのは2012年の夏。十代の頃から読み耽っていた新井英樹さんの原作に、二つ返事で引き受けました。ただ覚悟を決めたところでなかなか実現に及ばず、気づけば6年が経ちました。これだけ時間がかかったのは生半可な気持ちで映画化するような原作ではないからで、集まるべくして集まったキャストとスタッフの面々。特に池松くんと蒼井さんのこの映画に対する意気込みたるや並大抵ではなくて、その芝居はさることながら、それぞれ歩んできた役者としての人生が重なる奇跡をみたと思える現場でした。平成最後の夏の終わりに池松壮亮蒼井優を中心に据えて「宮本から君へ」を撮影できたことが、この原作にとって最高の瞬間だったと断言できる映画になりました。●新井英樹のコメント・・・映画版「宮本から君へ」の最初の陣中見舞い。ロケ現場となった王子・飛鳥山公園で池松くんとふたり、隠れタバコを喫いに歩いていたときの会話。ボク「宮本から君への映画では、オレ、ブン殴られたいんだよ」 池松「俺もですよ」ドラマの「世界」を構築・牽引した宮本浩こと池松壮亮本人がそう言うか……と。ドラマ版で観た蒼井優さん扮する中野靖子の輝きは驚きでした。全話通してもゲスト出演には思えない、違和感すら覚えるあの存在の力。写真家・佐内正史さんがドラマ版の打ち上げトークショーで放った名言。「真利子には愛はあるけど情はない」(笑)言い得て妙!! いや、真芯だ!! これ表現者として最強なんですよ!!この三人が原作の、ある意味本番パートで「自分こそが一番」と生命力バトルを繰り広げるってだけで胸が高鳴り「原作クソ喰らえ!!」と殴り倒されたがってるボクの夢を叶えてくれそうです!!』


●これオモロー。【銀魂エレカシMAD】Easy go【銀時から君へ】



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エレカシみやじのハチャメチャっぷりは、『銀魂』にもフィットする

 んだなぁーーーー。


●池松「身も心もささげたつもり」

蒼井「こんなに早く疲弊した現場は初めて」



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エレカシの楽曲が、映画全編にわたって流れたりせんかなぁーーー。

「男シリーズ」の楽曲なら全部、作風合いそうな気がするやーーー。


☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日1月11日(金)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【1993年・WWF】
カテゴリー【海外】
見出し:『「ロウ」が放送開始』

『解説:ケーブルテレビの普及とともに成長を遂げたWWFが、その看板番組としてスタート。ライヴショーを月曜の夜に放送(開始時の番組名は「マンデーナイト・ロウ」だった)。第1回はニューヨーク・マンハッタンセンターからの生中継で、コメンテイターをビンス・マクマホンランディ・サベージが務めた。/メインでは、ジ・アンダーテイカーがダミアン・デメントを一蹴。視聴率は2.5%を記録した。18年1・23には25周年記念大会が開催され、番組としては1287回に到達。現在、「ロウ」はアメリカでもっとも長く続いているウィークリー番組だ。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


●マンデーナイト・ロウ 初回エピソード (41分)



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ツームストン・パイルドライバー炸裂!


D-GENERATION X 1993年1月11日、”月曜夜”の歴史が始まった。『RAW』初回放送を振り返る。

『1993年1月11日、RAW初回エピソードが放送された。放送開始当初の番組名は”月曜夜”を冠した『Monday Night RAW』。この番組がアメリカのTVで最も長く続くウィークリー番組になることを誰が想像しただろうか。WWE(当時: WWF)は『Monday Night RAW』の放送に踏み切る以前、1985年1月1日~1993年1月4日まで、2時間のウィークリー番組『プライムタイム・レスリング』をUSAネットワークで放送。これが『Monday Night RAW』の前身と言える。

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Monday Night RAW初回エピソードを放送したテレビ局は、現在と同じUSAネットワーク。記念すべき第1回目は、ニューヨーク州ニューヨークにあるマンハッタン・センターにて開催。彼らにとってニューヨークは庭なのだ。Monday Night RAW初回エピソードは、インタビュアーのショーン・ムーニーがボビー”ザ・ブレイン”ヒーナンの姿を目撃したところからスタート。興奮しているボビー・ヒーナンの言葉通り、番組はニューヨークから生中継で放送された。続いて映像に映し出されたのは会場となったマンハッタン・センター内の7階にあるグランド・ボールルーム。すると、”Welcome, everyone, to Monday Nigh RAW”(ようこそ、マンデーナイト・ロウへ)というビンス・マクマホンの声が聞こえ、観客で埋め尽くされた会場は大きな歓声に包まれた。

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カメラがビンスの姿を捉えると、彼の両脇には”マッチョマン”ランディー・サベージと地元ラジオDJロブ・バートレットが既にスタンバイ状態。彼らがこの日行われる試合についてカメラに語りかけると、ココ・B・ウェア、日本国旗を掲げたミスター・フジと共に姿を見せたヨコズナがリングに上り、記念すべきオープニングマッチを飾ったのだった。

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【試合結果】◎シングルマッチ ヨコズナ(w/ミスター・フジ)対ココ・B・ウェア →勝者: ヨコズナ ◎タッグチームマッチ スタイナー・ブラザーズ(リック・スタイナー&スコット・スタイナー)対ジ・エクスキューショナーズ(ドゥエイン・ギル&バリー・ハーディー) →勝者: スタイナー・ブラザーズ ◎WWFインターコンチネンタル王座戦 ショーン・マイケルズ(c)対マックス・ムーン →勝者: ショーン・マイケルズ ◎シングルマッチ ジ・アンダーテイカー(w/ポール・ベアラー)対ダミアン・ディメント →勝者: ジ・アンダーテイカー ※ダークマッチ クラッシュ対バンバン・ビガロ →勝者: クラッシュ(反則裁定)』

※スタイナー・ブラザーズ、懐かしいな。けっこうファイトスタイル好きだったっけ。


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「何をしても自分は自分流にするのが自分に対する義務であり、かつ天と親とに対する義務だと思います。天と親がこんな人間を生みつけた以上は、こんな人間で生きておれという意味より外に解釈しようがない」――夏目漱石


【解説】

夏目漱石明治39年(1906)7月2日付で、友人の高浜虚子あてに書いた書簡より。虚子は正岡子規門下の俳人にして、俳句文芸雑誌『ホトトギス』の編集発行を子規からまかされた人物。


子規の鬼籍入りから4年が経過したこの頃、『ホトトギス』誌上には漱石の小説家としてのデビュー作『吾輩は猫である』の掲載が始まっていて、互いの交流は深まっている。漱石から虚子への手紙には、このあとさらに「こんな人間以上にも以下にもどうすることもできないのを、強いてどうかしようと思うのは、当然天の責任を自分が背負って苦労するようなものだと思います」と綴られていく。


人間はいくつになっても、自分の存在意義について悩むものだろう。これでいいのだろうか、もっとできることがあったのではないか、などとくよくよする。だが、むやみに自己否定に走ったり、自分をねじ曲げて苦しむ必要はない。まずは、自分自身が自分という人間を認め、謙虚に肯定するところから出発していく。自分流を貫けばいい。漱石は私たちにも、そう語りかけているのである。ありのままの自分でいいのだよ、と。


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「自分流」「生きる」で動画検索してみました!!)


BSテレ東 「生きるを伝える プロレスラー 近藤“ド根性”洋史」ー動画ありー

→『2018年5月12日放送:プロレスラーを目指すも、難病のメニエール病を発症。プロとしてデビューするが、病気が原因で勝利出来ない時期が続く。病気を理解することで見出した、勝利への道とは…。』


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※「やるかやらないか、が大事」。レスラーらしい一言、いただきました!


朝日新聞digital (じぶん流@SNS)水原希子さん 怖さ経験、でも正直に生きたい

→『ツイッターもインスタグラムも早く始め、インスタの公式アカウントを開いたのは2012年末です。今ではフォロワー数が(国内トップクラスの)495万人に増えました。/契約する企業の方々から、1年でこれくらいポスト(投稿)してほしいとか、ハッシュタグはこれを載せてとかいろいろ依頼を頂きます。他にもこのような相談を受けますが、自分にとってうそがなく好きなものじゃないと載せません。気軽にやっている部分もあるんですけどね。今年3月には米国ニューヨークにあるインスタのオフィスに招かれました。私のインスタの詳細な分析結果を示されて、米国のフォロワー数を増やすためのアドバイスを受けました。ありがたく受け止めますが、自分のペースを大事にしていきます。米国にいると、世界的メイクアップアーティストや写真家から直接インスタにメッセージが来て、仕事の依頼が入ります。SNSはなんて革命的なんだと思いましたね。

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  一方で、SNSの怖さも経験しました。以前、他国を批判したと取られかねない写真が、友人のインスタ上にアップされました。当時友人がインスタを始めたばかりで、応援したい気持ちからアップされた全ての写真に「いいね」を押していて、その写真にも「いいね」を押してしまいました。直後に削除したんですが、後にそのことが騒動に。私は英語で説明する動画をアップして、軽率な行為だったと謝罪。父が米国人、母が在日韓国人で日本在住という多様な文化を背景に育ち、相互理解を信じている、とも伝えました。すると、今度は日本で「日本人じゃない」と批判され、昨年には出演したCMを紹介する企業のツイートに対して、「なぜ日本人を使わないのか」と批判がありました。私は「人種や性別などへの偏見がなくなってほしい」とツイートしました。あの頃は、2週間くらい泣き続けていました。いろんな人に迷惑をかけていて、プレッシャーもあって押しつぶされそうになって。「自分らしく、正直に生きるってこんなに大変なんだ。でも嘘(うそ)は嫌だよ。Hate(ヘイト)よりLoveの方が気持ちが良い。そんなに嫌いにならないで」。当時のこのツイートも、投稿すべきかすごく悩みました。「希子ちゃんのおかげで自信がついた」「私も頑張ってみます」。たくさんのメッセージをいただいて、励まされました。卑劣なコメントも、削除せず残しています。何が正しいのか、一目瞭然だと思うから。

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3月に、クリスチャン・ディオールの香水・化粧品部門のアジア初のグローバルなアンバサダーに起用されました。SNSの発信も含めて評価されたことが本当にうれしかったし、背中を押された気持ちです。SNSも結局使うのは人だから、人を見極める力が一番大事だと思います。バランスよくSNSで情報源を得るのはいいけど、その情報が正しいのか誰が言っているのか、見極めていくことが大事だと思います。(聞き手・張守男)』


ディオール ビューティー 水原希子 インスタストーリー



ジョニーAのつぶやき:人それぞれ、十人十色の「自分流」あり!