市原悦子さん訃報
→ 『多くの映画やテレビドラマに出演し、民放のテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」で、声優としても親しまれた俳優の市原悦子さんが、12日、心不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。82歳でした。市原悦子さんは千葉県出身で、昭和32年に俳優座に入団し、舞台や映画を中心に優れた演技力を発揮しました。
昭和46年に俳優座を退団してからは活躍の場を広げ、民放のテレビドラマ「家政婦は見た!」の主役の家政婦役で人気を集めると、平成2年には、広島の原爆の被害を描いた映画「黒い雨」で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞し、俳優としての地位を確かなものにしました。また、平成8年に放送されたNHKの大河ドラマ「秀吉」で豊臣秀吉の母、大政所を演じるなど、数多くのテレビドラマに出演しました。一方、昭和50年からおよそ20年間にわたって放送された民放のテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」では、愛きょうのある独特の声がお茶の間に親しまれました。
市原さんは2年余り前、自己免疫性脊髄炎と診断され、休養していましたが、去年3月にNHKの番組「おやすみ日本」の中の昔話の語り手として復帰し、先月にも入院先の病院で収録を行っていました。所属事務所によりますと、市原さんは、12日午後1時半すぎ、心不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。82歳でした。市原さんの告別式は、今月18日に東京 港区の青山葬儀所で行われます。』
※作品のクオリティとは裏腹の、記録的大コケだったようッスね。
【竹中直人さん】「深い愛を持った声 耳に深く残る」・・・市原さんは、NHKの大河ドラマ「秀吉」で豊臣秀吉の母、大政所を演じました。豊臣秀吉の役を演じた俳優の竹中直人さんは、市原さんが亡くなったことについて、「大河ドラマで市原悦子さんとぼくは母と息子の関係でした。一年間共にひとつの作品を作れた事は今もぼくの宝物です。市原さんの深い愛を持った声の音色はあの頃のぼくに勇気と力を与えてくれました。そして今もぼくの耳に深く残っています…ご冥福をお祈りいたします」と事務所を通じてコメントしています。
【中村敦夫さん】「あの頃の熱い時間 昨日のことのよう」・・・市原さんと劇団の俳優座でともに過ごした俳優の中村敦夫さんは、「突然の訃報に衝撃を受けています。最近でこそ、お会いする機会が減っておりましたが、俳優座時代は、劇団の改革を求めて連帯し、集団脱退にまで突き進んだ同志でした。あの頃の熱い時間が昨日のことのように蘇ってきます。演技派NO1の大女優が、あっさり去ってしまうのは、悲しすぎて言葉になりません。心から御冥福をお祈り致します」とコメントしています。
【新海誠監督】「信じがたく とても残念」・・・市原さんは、人気アニメーション映画「君の名は。」で、ヒロインの祖母の声を演じていました。新海誠監督は、市原さんが亡くなったことについて、ツイッターで「信じがたく、とても残念です。僕は『まんが日本昔ばなし』で育ちました。『君の名は。』の収録で初めて市原さんにお会いした瞬間、初めてセリフをいただけた時の感動、披露試写であたたかいお言葉を頂いた時、すべてつい昨日のようです」とコメントしています。
※鼻取れるって・・・。
年度・団体【2001年・ノア】 |
カテゴリー【夢対決】 |
見出し:『橋本真也がノアに参戦。三沢と初対決』 |
→ 『解説:前年にZERO-ONEを設立した橋本は、ノア12・23有明コロシアムにて大森隆男を破った勢いで大阪府立体育会館へと乗り込んできた。三沢光晴&小川良成×橋本真也&アレクサンダー大塚は、序盤に三沢のエルボーと橋本の袈裟切りチョップの打ち合いが見られ、三沢がアレクをタイガードライバーで料理。試合後、橋本が「三沢、次はシングルだな!」とマイクでアピール。これが3・2ZERO-ONE旗揚げ戦へとつながっていったが、一騎打ちは実現しないままに終わった。』
※橋本と三沢がなかなか邂逅しないもったいぶった冒頭の雰囲気がいいですねーー。
緊張感が高まりまくった末にエルボーとチョップで遣り合う、二人のファイトに
胸が熱くなりますーーー。
→ 『各方面で橋本死去の関連ニュースが次々と入ってきております。彼のレスラー人生の中で、さまざまなドラマがありました。新日本プロレスで述べ20回に渡り防衛を重ねたIWGPヘビー級選手権。小川直也との一連の抗争。そして、ゼロワン旗揚げ時のノア・三沢光晴との戦いなどさまざまな戦いがあげられます。そんな中でノアの三沢との対戦はタッグマッチで2回しか実現しませんでした。
最初の対決は、ノアの2001年1月13日大阪府立体育館で三沢光晴・小川良成vs橋本真也・アレクサンダー大塚と。2度目の対決はゼロワン旗揚げ戦2001年3月2日両国国技館で橋本真也・永田裕志vs三沢光晴・秋山準でした。私は大阪での初対決は生観戦いたしました。その興奮たるや異常でした。新日本プロレスの闘魂三銃士と全日本プロレスの四天王、いずれも90年代のプロレス界をリードしてきたブランドです。その2大ブランド、初の直接対決です。結果がどうというより、同じリングに並んだだけで大興奮でした。そして、伝説のゼロワン旗揚げ戦。これほど豪華な旗揚げカードは、なかったのではないでしょうか。何が何でもこの対決を見たいということで、当時スカパーを契約していた友人に録画してもらい見ました。試合後の大乱闘、両団体の選手と小川や藤田といった大物選手も混ざり、イナバの物置のCM状態となったリング、「お前らの思い通りにはさせない」といって去っていった三沢、この後どうなっていくのかという期待を満載にしたドラマがありました。
しかし、2001年のこの対決以降、両団体のジュニア選手が互いのリングに上がる形での交流は続きましたが、橋本vs三沢の直接対決は実現しませんでした。日刊スポーツの追悼特集に橋本が三沢に宛て「永き冬の雪とけて、桜も舞った春も去り、今は梅雨に忍ぶれど、真の晴天来るように、夏の花火を打ち上げましょう」。という手紙を書いていたことが紹介されていました。もう、この二人の対戦は実現しません。こんなことになるとは誰も予想できませんでしたが、もったいぶらずにあの時、シングルマッチを組んでおいて欲しかったです。』
橋本「次はシングルだなっ!!」三沢「次があんのか?お前この野郎!」
☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・
【今日のことば】「理想のあるものは歩くべき道を知っている。大なる理想のあるものは大なる道をあるく。迷子とは違う。どうあってもこの道をあるかねばやまぬ。迷いたくても迷えんのである。魂がこちらこちらと教えるからである」――夏目漱石 |
【解説】
小説『野分』の中の一節。要は、「確かな理想を持てば、自ずと進むべき道は見えてくる」ということだろう。物事に取り組んでいくとき、いきなり高い目標だけを掲げるのでなく、達成可能な具体的目標を設定し、それをひとつひとつクリアしていくのがいい。そういう手法を勧める人は少なくない。確かにそう。かつて私が取材したプロ野球の桑田真澄投手なども、そうしたスポーツ理論を取り入れていた。
→『年齢を重ねると、自然体の美しさに自信を持ち続けることは難しい。カバー撮影日、現場に現れた井川遥さんは、コンディションのよさが見て取れる透明感あるノーメイクのまま、無造作にスタッフの話の輪にスッと溶け込み、場を和ませた。まさにこんな大人でありたい理想とも言える雰囲気が、そこにあった。最低限のやるべきこととして、井川さんが唯一日々実践しているのが “リセット” という作業。どんなに忙しい朝も必ず、41度ぐらいの熱めの湯船に、玉のような汗をかくまでじっくりと浸かる。そしてストレッチをする。
「前の日の疲れやむくみが、体に残っているのは気持ちがよくないですし、そのまま写真に写れば、あとでひどく落ち込む結果にもなる(笑)。体だけでなく、気持ちも健やかでありたい。だから、体内にたまったものは、なるべく早く外に流し出すようにしているんです」/汗をかいたり、体を動かして巡りをよくすることで、むくみがとれるだけでなく、血色もよくなり、肌がぐっと元気な感じになるのだという。完全なるスッピンで現場入りした井川さんの肌は、ほんのり上気したように頰が色づき、何よりも健康的で、その透明感には目を見張る。メイクでは決して表現できない、ナチュラルな美しさ。ダメージに気づいたら、放置せずに、そのつどリセット。/大きなトラブルが起きてからでは、修復作業が追いつかない。そのときに救いを求めたくなるのが、“無理” を他人に感じさせる類いのアンチエイジングという世界なのかも。自分らしい形の大人を志すなら、まずは日々のリセットから始めるべき、と学ぶ。熱めの湯船に、玉のような汗をかくまでじっくりと浸かる。そしてストレッチをする。
健やかで、ポジティブ。その魅力は、カメラだけでなく、周囲に向かっても放たれる。今回の撮影現場でも、初対面のスタッフが多いなか、実に気さく。本当は人見知りだという一面を覗かせながらも、スタッフの世間話にまで耳を傾けてくれたりするものだから、ご本人はさておき、現場は終始、幸福感に包まれていた。周囲を温かくする穏やかなオーラも、彼女を語る上では欠かせない。でも、自己分析によると、実は心配性でネガティブな性格なんだとか。「いつも俯瞰で自分を見ているところがあって、仕事でもプライベートでも、特に新しく物事を始めるときには考えてしまうタイプ」。常に多くの人に評価をされる職業柄、落ち込むことも少なくはないという。それを乗り切るために行うのが、心のリセット。「同じ失敗を繰り返さないために “今日はこれだけは” という、小さな目標を持つようにしています。周りにはクリアしたことすら気づかれないような、小さなこと。でも、私にとっては大きな進歩(笑)。その達成感の積み重ねが、新しいことを挑戦する勇気になっているのかなと思います。結果だけでなく過程を大切にすることを続けてきて、最近やっと少し気づきが増えてきたように感じています」』
※理想郷(ユートピア)はどこにあるのだろう・・・
→『もし、あなたがなりたい人という理想の女性像があったとしたら、どんな人でしょうか?まずはザックリとした理想像を書いてみましょう。・かわいい人・なんでもできる人・美しい人・かっこいい人・賢い人・頭の回転が早い人・謙虚な人・ほんわかした人・暖かい人・冷静沈着な人・・・/この辺は自由になんでもいいです。理想が高かろうが、無理そうだろうが書くだけタダですので楽しんで書いてみましょう。
その後に、もうちょっと詳しくそれを説明してみましょう。たとえばあなたにとって◯◯な人とは?服装は? 性格は? 芸能人や女優に例えるとしたら? 長所、短所は? どんな部屋に住んでいる? 他人に対してはどんな接し方? どんな車に乗っている?趣味は何?スタイルは?いつも何している人?どんな生活をしているの?・・・のようにどんどん細かくあなたがなりたい像を明確にしていきます。
そして書いていることの中で、内面に関することは実は、今のあなただったりすることに気づくことでしょう。外的要素(お金や物質的なことなどなど)は、そのあとついてくるだけです。この書き出しワークをやればですが。明確にすることで脳へのインプットと、今後の指標を作ることをしています。それを意識したり、イメージしたり、ワクワクしたりすることで、今の現実を変えていき、そこに到達するのを早くするのです。(今回のセミナーを思い出してみてね!)理想の自分というのは、もうすでにあなたの中に持ち合わせている部分。そして、そこに書いた事柄は、あなたが望む未来の姿で、時間差はあれども今日書きだしたことにより、そこに向かっていく道筋ができました。もし、書き出した理想に何かが足りないとしたらそれは何でしょうか?それも明確にしてみましょう。