「ぜんじろうVS爆問・太田」 なぜか高須院長も絡む・・・w

日刊SPA! 爆問・太田とのバトルが話題のぜんじろうって何者?「平成の明石家さんま」と呼ばれた時代も

爆笑問題太田光がお笑いタレントのぜんじろうと、どちらが先輩かを巡りバトルになっている。太田がぜんじろうを7日に放送されたTBS系「サンデー・ジャポン」で呼び捨てにしたことに端を発しており、それについてぜんじろうが自身のTwitterで「日本の芸能界で後輩の太田くんにサンジャポで「ぜんじろう」呼ばわりされてちょっとだけイラっとする不思議」と記したことから大きな騒動になった。

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しかしながらTwitterなどの書き込みを見る限り、ぜんじろうというタレントを知らない人も少なくないようだ。「ぜんじろうって誰?」「ぜんじろうって誰?でんじろう先生の弟子?」など、今回の件で初めてその存在を認識したツイートも見受けられる。そこで、今回は「ぜんじろう」が一体どんなタレントなのかを改めて知ってもらうべく、彼の過去の軌跡や功績、現在の活躍についてを紹介したいと思う。/ぜんじろうは高校を卒業後、大阪芸術大学に入学して一人暮らしを始めている。しかし、入学してわずか2日後には退学。親にそれを伝えなかったため、授業料と仕送りを含めてかなり裕福な生活を満喫していたようだ。そんな中、大阪の街中で上岡龍太郎と遭遇。浜村淳と勘違いした状態で握手をしてもらったという。その後、偶然にももう一度二人は出会い、ぜんじろうはウケ狙いの軽い気持ちで弟子入りを志願。上岡がそれを受け入れたために師弟関係となったらしい。非常に運命的であり、ドラマティックな彼の芸人人生のスタートである。/ぜんじろうは1988年にコンビを結成。数々の賞を受賞し将来を嘱望されていたが、相方が成功のプレッシャーに耐え切れず敢え無く解散してしまう。こうしてピン芸人になり、心斎橋筋2丁目劇場のステージに出演。しかし、時はダウンタウンの大ムーブメント真っ只中。彼らと絡みの少なかったこともあってか、ファンの女性たちからネタを見てもらえないなどすっかり冷遇されていた。

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その際に同じように不遇の存在だった若手芸人たちと「しねしね団」というユニットを結成。ぜんじろうは発案者としてリーダーの立ち位置にいた。これがナインティナイン雨上がり決死隊などを輩出した吉本印天然素材へと発展していくのだが、そのタイミングでぜんじろうはユニットから離脱。これは事務所が彼らをアイドル芸人としてダンスをメインとした活動にシフトしようとしたことに異議を唱えたためと言われている。その後、吉本天然素材は事務所の狙い通りにアイドル的人気を誇りスターダムにのし上がっていくのだが、ぜんじろうは彼らとはまったく違った道を歩んでいくことになる。/1992年から関西ローカル番組の司会業を任されるようになったぜんじろうは、その巧みな話術で一躍人気タレントの仲間入りを果たす。その評判は東京のテレビ局にも轟き、「平成の明石家さんま」と称されて全国区の番組にも出演するようになった。「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など人気バラエティだけでなく「ぜぜぜのぜんじろう」という冠番組も持っていた。アニメ「こどものおもちゃ」では本人役で声優デビューも果たしている(ちなみに原作マンガではこのキャラクターは明石家よんまというタレント名だった)。しかし、関西での成功を基軸にした東京でのテレビ出演は上手くいかなかった。どんどんレギュラー番組は減っていき、さらにナインティナインロンドンブーツ1号2号の台頭も重なって、ぜんじろうは東京のテレビから姿を消してしまった。そこから先、彼は芸能界から完全に姿を消してしまったかのように思われているのだが、そういうわけでは全くなかったようだ。

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1998年頃、ぜんじろうは活動の場として海外を選んだ。シカゴのChicago Comedy Festivalでプロデューサーの目にとまったことに始まり、翌年にはNewZealand Comedy Festivalに正式招待。2000年には映画『PP兄弟』で、スティーヴン・セガールの息子である剣太郎セガールと兄弟漫才コンビ役を熱演している。2003年にはTokyo International Comedy Festivalの企画。オランダやアメリカでの番組出演や台湾での単独ライブなど日本人スタンダップコメディアンとしての地位を確立していく。/2015年には第1回タイ国際コメディフェスティバルで優勝を飾り、2016年に第1回全米サクラメントコメディ大会でも4位という成績を残している。ぜんじろうというコメディアンの海外からの評価は高い。確かに日本のテレビを通じての活躍ぶりを目にする機会は少ないかもしれないが、彼は決して消えた存在でないことは明らかだ。

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4月18日のぜんじろうTwitterに「よしもと動いた!」という投稿があった。これは、何らかの形で太田光ぜんじろうの直接対決が行われることを示唆しているのだろう。この騒動がどんな結末を迎えるかはわからないが、ぜんじろうという一人のコメディアンの存在を改めて世間に知らしめるひとつのきっかけになったことは間違いないだろう。<文/もちづき千代子>』

ツイッターでちょっと冗談っぽくイヤゴト言っただけだと思うけど・・・。

なんでテレビでああいう報道をして煽るのか意味が分からない。

よっぽど、テレビ制作陣というのは揉め事が好きなんでしょうかねぇー。

ぜんじろうが海外で賞を獲ったニュースなんかは全然流さんくせに・・・w


スポーツ報知 ぜんじろうVS太田光は「泥仕合というより、プロのエンターテイメント」大桃美代子が私見

『タレントの大桃美代子(53)が15日、自身のブログを更新。爆笑問題太田光(53)とタレントのぜんじろう(51)の“対立”について「プロのエンターテイメント」と絶賛した。2人は「呼び捨て問題」で対立。太田は14日のTBS系「サンデー・ジャポン」で「今度、ラジオに呼ぶから。オファーするから。オファーを受けるなら受ける、受けないなら受けないで事務所と相談しろよ、ばか野郎」と直接対決を呼びかけた。大桃は「ぜんじろうさんのこと」のタイトルで記事をアップし、ぜんじろうとは「24年も前に一緒に仕事させていただいたり、いまでも年に1度くらいあってお食事したりしてます」「密会を重ねていますが、写真週刊誌にバレる事も無く、、、ただそれだけなんで、バレるもなにも無いんですが、、、、。遠い親戚みたいな感じです」と交流があることを告白。その上で「太田さんとのことはもはや、泥試合というより、プロのエンターテイメントとして収束つつあるので、観客として楽しんでいます」とし、「どんどん盛り上がって欲しい」とエールを送った。

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/そして「有吉さん曰く“売れるというのは、バカに見つかる事”。これを聞いたとき、この人天才!と思いました。コピーライターとしても生きて行けるタレントをお持ちです。テレビで長く続く方は、時代と大衆を感じながら、反発のぎりぎりでコメントして生きている。プロフェッショナル。太田さんもそんな方の一人。芸人さんって本当にすごい」と称賛し、「ジャーナリスティックな芸風をもつ、二人のバトル?メディアを巻き込んで今後に期待です」とつづっていた。』


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※昔のよしみでコメント送ったんでしょうけど、相変わらずポイントがズレてる

 大桃さんでありやしたww


ぜんじろうさん Stand-up Comedy Show


ぜんじろう氏は姫路の南高出身。同じクラスだったという知り合いから

当時のエピソードを聞かされていた。卓球部に所属していたぜんちゃん、

後輩からの人望はまるでなかったそうな。英語力もたぶん高校英語のレベ

ルから、あまり変わってなさそうやねーー。(この英語力で、スタンダッ

プコメディアンを目指そうという勇気だけはすごいわ、とりあえず・・・。)


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日刊スポーツ 高須氏、太田光を批判「先輩立てない無作法な後輩」

高須クリニック高須克弥院長(74)が、お笑いタレントぜんじろう(51)を呼び捨てにしたことでバトルを繰り広げている爆笑問題太田光(53)を「先輩を立てない無作法な後輩」と批判した。

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高須氏は14日のツイッターで、太田とぜんじろうがどちらが先輩か後輩かをめぐってやり合っている騒動に言及。2人の直接対決に向け「わぁ!面白そうです。ぜんじろうさん、絶対オファーをうけるべきです。先輩の意地を見せてくれたらファンになります」と、ぜんじろうに期待し、「昨日お会いしたカウス師匠も最近の若い芸人の風潮を嘆いておられました。僕は先輩の顔をつぶさないのは筋だと思います」とツイートしていた。/太田は16日深夜放送のTBSラジオ爆笑問題カーボーイ」で、「この泥仕合はもう、いいかげんにしたい」と騒動の収束を望んだが、高須氏から横やりが入ったことに「そんなにトラブルが好きかね」と苦笑。

/高須氏がぜんじろうの肩を持つことについて、17年に日本武道館で開催されたピコ太郎のライブで共演した際に股間をつかんだ“無礼”が「許せなかったと思うんだよ」と推測したが、「他人が口挟む問題じゃないっていうか、別に面白がるのはいいけど、俺とぜんじろう2人の問題で、誰かに何かを言われる筋合いはないんだよ」と述べた。高須氏は17日更新のツイッターで、太田の発言に対し「先輩を立てない無作法な後輩をたしなめるのは老人の作法です。僕はトラブルは好きではありません。筋を通しているだけです」と主張。芸人の先輩・後輩問題については「若くても芸歴の古いほうが先輩です」と私見をつづった。』




☆「プロレス今日は何の日」と「漱石と明治人のことば」をお届け~♪

(詳細は、1月1日の日記を参照のこと!)


☆さ~~て、本日4月20日(土)の、「プロレス記念日」は~?


年度・団体【1993年・全日本】
カテゴリー【快挙】
見出し:『馬場が5000試合出場を達成』

『解説:福島市体育館の馬場&木村&百田×ディートン&永源&泉田戦で達成。翌日の横浜大会で「5000の次は6000ですね?」と振られると「5000の次は5001」。』


◎関連書籍、ニュース記事、試合動画、など。


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☆いっちさんのツイッターより。 

ツイート 載せる番

『いっち@icchi618・・・そして馬場さんは1993年に国内通算5000試合出場達成・・・マジパネェ(。・о・。)!#ジャイアント馬場展 #ジャイアント馬場 #前人未到の記録。』


前人未到の5000試合出場を果たした馬場さんだからこそ言える名言集!

まるちょん名言

『「こんな簡単な技があるとは知らなかったよ」「どうせやるならプロレスには負けて欲しくない」「(麻雀で負けないコツは?)勝つまで打ち続けることだ」「楽しく明るいプロレス」「うちのプロレスには善玉も悪玉もないよ」「プロレスを超えたものがシューティングではなく、シューティングを超えたものがプロレスなんだ」「本当に痛い時に全然痛くない表情をしなければいけない」「無理をしたり、作り事をやったら、それはそれだけの世界なんだ」「世田谷に土地を買ってあって、困ったときはそれを担保に銀行から金借りるの。40年会社経営やっていて社員の給料遅らした事は一度もないよ」「人生は、チャレンジだ」「みんなが格闘技に走るんで、私プロレスを独占させて頂きます」「ロープに振られて反ってくるのは催眠術みたいなもんなんだよ」「成り行きと言うと無責任なイメージを持つけどこれほど強いものはない。つまり、自然の流れに逆らわずに正直に生きるってこと」』


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※ベテランレスラーの貫禄。


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Yahooブログ ジャイアント馬場もん インターナショナル選手権防衛戦

『これは、馬場さんが5000試合出場を記念して作成された記念はがき10枚中、インターナショナル選手権防衛戦の6枚です。名だたる強豪を挑戦者に迎え、次々に防衛を果たした全盛時の馬場さんの姿。若いファンの方には、この頃の馬場さんの映像を是非見て欲しいですね。』


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※いやぁーー、いい写真ばかりですな。。。


☆本日の、『漱石と明治人のことば』は・・・

漱石と明治人のことば目次


【今日のことば】「趣味は人間に大切なものである。趣味がなくても生きておられるかもしれぬ。しかし趣味は生活の全体にわたる社会の根本要素である」――夏目漱石


【解説】

夏目漱石の小説『野分』の中に綴られたことば。漱石は絵画や音楽を好んで鑑賞するだけでなく、自ら絵筆を握ったり、能楽の名人について謡に没頭したりしている。寄席通い、相撲観戦なども楽しんだ。一流の趣味人だったと言える。


『野分』の中に、漱石はこうも書いている。「趣味は人間に大切なものである。楽器を壊(こぼ)つものは社会から音楽を奪う点に於て罪人である。書物を焼くものは社会から学問を奪う点に於て罪人である。趣味を崩すものは社会そのものを覆す点に於て刑法の罪人よりも甚だしき罪人である」「これ(趣味)なくして生きんとするは野に入って虎と共に生きんとすると一般である」/念のため、ここでいう「一般」は「同じこと」くらいの意味。漱石ならずとも、趣味に深い思い入れを発揮する人は少なくない。時には、本業以上に趣味にのめり込んでしまう場合さえある。


井伏鱒二も、こんな台詞を口にしている。「小説が下手だということは書かれてもいいが、釣師として魚を買ってきたなんていうことを言われることは許せない」一体、どういうことだろう?井伏鱒二は文壇の太公望とでもいうべき人、釣り好きだった。小学校に入学した明治38年(1905)、海で一尺(約30センチ)はあろうかという黒鯛を釣ったのが最初の釣果。以来、甲州を中心に全国各地を、竿をかついで旅した。釣りをテーマにした作品も、数多く書いている。


そんな井伏が、ある日、鬼怒川温泉の奥、湯西川で大きなイワナを釣り上げた。東京の料理屋の若主人を介して、それを人に馳走したところ、とんでもないゴシップ記事が週刊誌に掲載された。その魚が、温泉帰りにその辺で買い求めた鱒ではないか、という内容だった。これを見てかんかんに怒って、周囲に公言したのが上の台詞だった。この台詞からも、井伏鱒二がいかに気合をこめて釣りという趣味に取り組んでいたかが知れるのである。


文/矢島裕紀彦


細かすぎて伝わらない関連動画など

(「井伏鱒二」「釣り」で動画検索してみました!!)


Amazon 山椒魚 (新潮文庫) 井伏鱒二(著)

→『■内容(「BOOK」データベースより):老成と若さの不思議な混淆、これを貫くのは豊かな詩精神。飄々として明るく踉々として暗い。本書は初期の短編より代表作を収める短編集である。

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岩屋の中に棲んでいるうちに体が大きくなり、外へ出られなくなった山椒魚の狼狽、かなしみのさまをユーモラスに描く処女作『山椒魚』、大空への旅の誘いを抒情的に描いた『屋根の上のサワン』ほか、『朽助のいる谷間』など12編。/■登録情報:/文庫 304ページ /出版社 新潮社; 改版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4101034028 ISBN-13: 978-4101034027 /発売日 1948/1/15 /商品パッケージの寸法 14.8 x 10.5 x 2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.9 /■カスタマーレビュー:caster21 5つ星のうち5.0 「短編の最高傑作!」2003年1月12日・・・井伏鱒二の短編集です.しかし,この一冊は一つ目の短編「山椒魚」のためにあるといっても過言ではないでしょう.ほんの10ページ程度の短編の中に喜怒哀楽という感情の波が丁寧に織り込まれています.ストーリー自体はとても単純なものです.ただ,山椒魚の置かれている状況とそれに伴う心情の変化を井伏独特の言葉で紡ぎ出し,全体を美しく描いています.読めば読むほど味が出る一冊です。』

※一度読んだらトラウマになるように脳裏に刻み込まれる類の逸品揃い。


●(随筆)井伏鱒二は悪人なるの説 佐藤春夫 朗読:向井智子



●文豪の肉声 井伏鱒二 自作『山椒魚』について語る(昭和44年、71歳の時に録音)


※71歳とは思われぬ若い声だなーーー。


ジョニーAのつぶやき:海外に進出して、元の日本に帰って来づらくなっているぜんじろうは、さしずめ“逆山椒魚状態”と言えるのではなかろうか。。。