【水野晴郎さん、シベ超で天国へ旅立つ】ぼんちゃんカワイソス・・・

このブログでも何度か話題に採り上げたことのある、映画評論家の水野晴郎さんが、永眠された。
謹んでご冥福をお祈りしたい・・・
2005年5月8日 神戸・新劇会館 水野先生&ぼんちゃんのトークショーレポート♪

水野晴郎の「映画ってすばらしい」ブログ
水野晴郎は、かねてから療養中のところ6月10日(火)午後15時5分都内の病院で永眠いたしました。ここに生前のご支援を心から感謝してご報告いたします。/皆様より様々なお言葉や、お心遣いをいただき本当にありがとうございます。本来ならばお一人お一人にお礼を申し上げたいところではございますが、何とぞご容赦いただければと思います。/7月9日(火)ロフトプラスワン水野晴郎お誕生日」イベントは、内容を変更して行う予定です。どうぞよろしくお願いいたします。水野晴郎事務所』


デイリースポーツオンライン 水野晴郎さんが肝不全のため死去
↓記事一部抜粋
亡くなる瞬間まで映画を愛した。水野さんは、昨年から“シベ超”シリーズ最終作で監督を務める予定だった「シベリア超特急 旅路」と主演作の「ディレクターズ6」の製作を開始していた。入院してからも台本の手直しに励んだ。すでにペンを握る力はなくなってもスタッフに口述筆記させた。もうろうとする意識の中「早く退院して映画を撮らなきゃ」とつぶやいた。合間には持ち込んだDVDで、大好きな「風とともに去りぬ」を繰り返し鑑賞した。
映画に人生をささげた人生だった。1956年に宣伝マンとなり映画界に入った。「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「007危機一発」などの邦題を考案した。/92年には、映画「落陽」(日活)に俳優として初出演。そのとき演じた太平洋戦争の山下奉文大将に心酔。96年には製作・脚本・監督・主演を務めた“シベ超”シリーズをスタートさせ、自ら山下大将を演じた。関係者によれば、昨春には本名を「水野和夫」から「山下奉大(ともひろ)」と改めたという。
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 “遺作”となったのは本人役で出演した「ギララの逆襲」(7月26日公開)。今年3月に都内で開かれた「日本映画批評家大賞」の授賞式が最後の公の席となった。/「-旅路」には、水野さんが自ら口説き北野武監督も山本五十六役でゲスト出演が決定していた。28年間、側近として連れ添った西田和昭さんは「水野が亡くなったので、監督もやってほしい」と“後継監督”にリクエストする計画を明かした。
棺(ひつぎ)には山下大将の軍服も納められるという。水野さんが、シベリア超特急に乗って、天国に旅立った。( ;∀;)(右写真は「下妻物語」に出演した水野さん)
※映画「シベリア超特急」は、最後のどんでん返しで、死んだはずの登場人物が再度現れたりするトンデモ映画だったっけー。水野さんも、どんでん返しで、この世に甦ってこないもんかいな~♪
きっと、追悼特集をやってくれるだろうから、近いうちTVで「シベ超」観られるかな?あの、動いてるのにちっとも揺れない車内のシーンは、よくナンシー関さんに突っ込まれていたっけー。天国でまたさんざん文句言われるんだろうねー、水野さんw ナンシーさんお手柔らかに♪


こういう記事もあったげな↓
『病床で配給会社から送られてきた「ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスマン~」のDVDを楽しんだが、その映画が水野が観た最後の作品となった』
※良かったネー、大好きなポリスマンの映画が観れて・・・。
初めて2ちゃんねるの「シベリア板」ってところへ行ってみたら、“水野晴郎氏追悼式式場”なるスレッドが立っていたので、お悔やみをカキコんできたよ。皆さんもぜひお別れの一筆をどうぞ↓↓↓
水野晴郎氏追悼式式場1

水野晴郎 2007お誕生日会 ケーキ大炎上



水野晴郎さん、さようなら