【かぞくのくに】ヤン・ヨンヒ監督作品♪

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eiga.com 作品情報 『かぞくのくに』
■解説:ドキュメンタリー「愛しきソナ」で知られる在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督が、自らの体験を題材に、国家の分断によって離れ離れになった家族が傷つきながらもたくましく生きていく姿を描いたドラマ。北朝鮮の「帰国事業」により日本と北朝鮮に別れて暮らしていた兄ソンホと妹リエ。病気療養のためソンホが25年ぶりに日本へ戻り、2人は再会を果たす。異なる環境で育った2人がともに暮らすことで露呈する価値観の違いや、それでも変わらない家族の絆を描き出していく。妹リエに安藤サクラ、兄ソンホに井浦新ARATA
■スタッフ:/監督 ヤン・ヨンヒ /企画 河村光庸 /エグゼクティブプロデューサー 河村光庸 /プロデューサー 佐藤順子 越川道夫 /原案 ヤン・ヨンヒ /脚本 ヤン・ヨンヒ /撮影 戸田義久 /照明 山本浩資 /音響 菊池信之 /美術 丸尾知行 /装飾 藤田徹 /衣装 宮本まさ江 /編集 菊井貴繁 /音楽 岩代太郎
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■キャスト:安藤サクラ 井浦新 ヤン・イクチュン 京野ことみ 大森立嗣 村上淳 省吾 塩田貞治  鈴木晋介 山田真歩 井村空美 吉岡睦雄 玄覺悠子 金守珍 諏訪太朗 宮崎美子 津嘉山正種
■作品データ:/製作年 2012年 /製作国 日本 /配給 スターサンズ /上映時間 100分 /映倫区分 G
オフィシャルサイト
eiga.com 映画ニュース 安藤サクラ×井浦新 「かぞくのくに」で引き裂かれた兄妹演じるふたりがつくる家族の形とは
→『ふたりは劇中さながら兄妹のように打ち解けた雰囲気で、取材に応じてくれた。ともに抜群の存在感を見せ、現代の日本映画をけん引する個性派俳優として名高いふたり。初共演した互いの印象を聞いてみた。/「すごいなって本当に思った。正直な方なので、心地よくてお芝居が楽しかったです。これはすごくほめ言葉なんですけど“気持ち悪い”魅力があって(笑)」と安藤は独特の表現で井浦を絶賛。以前から安藤との共演を望んでいたという井浦は「この作品でのソンホは、サクラさんとでなくては出てこなかった。心が押しつぶされそうになってしまうような話ですが、そういう芝居をサクラさんとできることがうれしくて、毎日現場に向かうのが楽しみでした。兄妹とはまた違った設定だったらどうなるんだろうと、そんな欲が出るくらい魅力的な方ですね」と笑顔を交わし合いながら述懐した』
※リアルな一家族をずーっと見ているような感覚で・・・。重かった~
 役者陣の皆さん、凄すぎッスわー。特に安藤サクラさん。『愛と誠』のガムコも強烈だったけどー、今回は
 さらなる鬱陶シスパワー炸裂でw ラストシーンは、彼女のアドリブから構築された生々しい即興演出だった
 んだって・・・。後で知って、またぞろビーックリっすわー。いやマジ、イイもん観れましたデ

大阪日日新聞 会えなくても家族
『安藤「監督の思いをつかもうと必死だった。とにかく、全編で妹は兄をずっと凝視していると思って演じていたし、ラストシーンは監督の思いが乗り移った感じで、心に衝撃が走った。/ヤン「スタッフと俳優のみんながサクラちゃんの芝居に引きずられるように合わせてアドリブのコラボレーションをしてくれた。映画の神様が降りて来てくれた」/Q:兄が妹に託すものがいい/ヤン「“お前はもっといろんなものを見ていろんなところへ行け。そしてやりたいことをやれ”と。それで私は吹っ切れた。“会えなくても家族だから、いいや。死んでも家族だから…”という覚悟ができた」』
※ラストシーンだけ、もう一回観に行きたいワン

映画「かぞくのくに」ヤン・イクチュン オフィシャルインタビュー
『-北朝鮮の訛りをマスターするのにはかなり苦労されたとか…。「私自身それまであまり意識してなかったのですが、語彙やイントネーションを含めて、韓国と北朝鮮ではかなり言葉が違うんです。同じ単語で使い途が異なるケースも少なくありません。しかも今回は、参加を決めてからあれよあれよといううちに撮影が始まってしまって。韓国の場合、多くの制作システムではクランクインの前に1~2か月の準備期間を設けるのが普通ですが、じっくり役にアプローチしていく余裕がありませんでした。これが普通のアクション映画であれば、さほど神経質になる必要はなかったかもしれません。でも、こういうデリケートな主題を扱っている以上、言葉や所作などには最低限のリアリティが求められます。本作が描いているのと同じような経験を実際に経験してきた在日コリアンの方々、あるいは韓国で暮らしている脱北者の方々が見た時、もし私の言葉使いのせいで作品に感情移入できなかったとしたら、それは役者として恥ずべきことだと思うからです」』
※ワチシが個人的にヤン・イクチュンのシーンで好きなのは、ホテルの一室で日本のエロビデオかなんかを観てるシーンっすなwマジで好きそうだった。めちゃ自然な演技だった!

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●予告編

※先日DVD鑑賞した『50/50 フィフティ・フィフティ』のジョゼフ・ゴードン=レヴィットが、井浦新
似ているな~、と思った矢先だったせいか、本作でもアラタが「脳に腫瘍があって、手術で助かるかどうか
は微妙」という役柄だったもんで、ふとした拍子にジョゼフの顔がチラチラとオーバーラップして困ったヨー

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気ままに綴りたい かぞくのくに
『監督も「息もできない」は大好きな作品で“ヤン・イクチュン”のファンとのこと。配給会社が同じスターサンズで「息もできない」が日本で賞を採った時に自分の作品に韓国人の役者が1人必要。台詞がないときに素晴らしい演技ができる実力をもった役者が必要だった。それで“ヤン・イクチュン”に頼んだが、その時の彼は燃え尽き症候群(笑)だった。どの仕事も全部断っていると、直ぐに断られた。その後シナリオを送り、ソウルへ直接話をしに行く!と言ったら、「わかった。来なくていいから引き受ける。」と返事があった。彼はシナリオを読んで、在日の存在も興味深く北と日本でこんな事があるということも知らなかったと。彼自身も自分の実体験を映画にしているので、同じ実体験を基にした、この「かぞくのくに」にも興味を持ってくれた』
※一回断られても、諦めず交渉し続けて吉、と出たパターンですねー。いやぁ、良かった良かった。
あの役の俳優によって、この作品の印象はガラッと変わってしまっていたと思うので・・・

マウムデロ (心のままに) ジャパンプレミア
『監督にまつわる話をいくつか・・・・■この映画の撮影は、去年の夏の酷暑の時期に15日間で行われ、迷い悩みながら毎日撮影を続けたこと。(監督自身、リエの姿が自分と重なり、ずい分苦しい思いをなさったそうです。)■「ディア・ピョンヤン」を作ったあと、監督は(祖国である)北朝鮮に入国できなくなったこと。■ヤン・ヨンヒ監督の3人のお兄さんのうち2人のお兄さんは今も奥さんや子供たちとピョンヤンで暮らし、世界でこの映画が公開されることが、北朝鮮にいるお兄さんやその家族たちを守る抑止力になること。■海外での映画祭では、自分も同じような境遇だという反響が多く、政治的な力で家族が離れて暮らす人々がこんなにもいるのかと驚いたこと。■自分だけが特別なのではなく、誰もが様々な事情を抱えて生きている。自分はそんなみなさんの話を聞きたいと思うし、私も自分の身に起こったことを知ってもらいたいと思い、この映画を作った。』

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MSNトピックス 「在日の離散家族でも同情はいりません」
→『大阪市生野区のコリアンタウン・鶴橋で育った。北と南の支持者がゴチャ混ぜに暮らす町。60年代後半は派閥争いが活発で、同胞が対立し合っていた。/「私にとって北朝鮮は祖国ではありません。家族がいる国、両親が支持する国でしかない。私の祖国ですか?うーん、正直分かりません。でも、なくてもいいかな」/やはり、日本人は幸せに思える。平和ボケしているなどといわれても、ピンとこない人が多い。/「でも、すぐ隣の国同士が、銃を向き合わせているのに平和なわけはありません。最近は韓流スターやエステ、買い物を目当てに韓国へ行く人が増えています。いいことだと思いますが、それでもふと、休戦中の国だと考えたことはあるのかと思ったり……」/財布の中に500円あれば、ケタケタと笑って過ごせるという彼女。確かにずぶといかも』

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ヤン・ヨンヒ監督インタビュー

※監督、なんとなくダンサーの草刈民代さんに似てなーい~?

今日のおもな出来事

今日は何の日?

●国民皆泳の日・・・日本水泳連盟が1953(昭和28)年に制定した記念日です
   国民皆泳で体力の増進を狙いとしています

●特許の日・・・1885(明治19)年、日本初の専売特許が交付されました。7月に施行された「専売特許条例」
   に基くもので、堀田瑞松の錆止め塗料ほか7件が認められました

・1842年・・・阿片戦争で清国がイギリスに降伏
・1991年・・・総務庁が1世帯あたりの人数が初めて3人を下回ったと発表

◎「泳ぎ」にまつわる言葉
泳ぎ出したほうがいいよ。そうしないと石のように沈んでしまう by ボブ・ディラン

★今日生まれの有名人

1944年 杉良太郎(俳優)
1954年 三田ゆう子(声優)
1965年 岡村靖幸(シンガー)
1966年 鈴木保奈美(俳優)

岡村靖幸さんの言葉
どんな携帯電話で話すかよりも、何を話すかが重要なんだよ