【少女は自転車にのって】差別なき未来への疾走!

イメージ 1


eiga.com 少女は自転車にのって
■解説:映画館の設置が法律で禁じられているサウジアラビア初の女性監督ハイファ・アル=マンスールが、同国俳優を起用し、すべて国内で撮影したサウジアラビア初の長編映画。10歳のおてんば少女ワジダは、幼なじみの少年アブドゥラと自転車競走がしたいが、母親は女の子が自転車に乗ることに反対する。そんな時、学校でコーラン暗唱コンテストが行われることになり、ワジダはその賞金で自転車を買おうと一生懸命コーランの暗唱に取り組むが……。女性がひとりで外出することや車を運転することが禁じられている同国で、ひとりの少女が女性として生きることの厳しさに直面しつつも、前向きに生きる姿を活写する。
■スタッフ:/監督 ハイファ・アル=マンスール  /脚本 ハイファ・アル=マンスール
イメージ 2

■キャスト:ワアド・ムハンマド(ワジダ) リーム・アブドゥラ(ワジダの母)
■作品データ:/原題 Wadjda /製作年 2012年 /製作国 サウジアラビア・ドイツ合作 /配給 アルバトロス・フィルム /上映時間 97分 /映倫区分 G
オフィシャルサイト
※恋愛が禁じられているサウジアラビア。女性の人権が皆無な
国、サウジアラビア。その現状を知って、ただ、ただ驚愕し、
事態の進行を見届けるしかないという、このジレンマー

●【予告編】少女は自転車にのって

※もちろんストーリー上は、可憐な少女が自転車を買うために
奮闘するという、可愛らしい~~いプロットの小品である。
その寓話に込められた、女性監督の決意を読み取ったとき、
世界は反転する!

イメージ 3

※主役の少女は、『みなさんさようなら』に出てたサッカー
少女・マリアとよく似ておるな~~、と思い、若干感情移入
の度合いが高まった・・・ような気がする♪

Film Goes With Net 「少女は自転車にのって」レビュー、ステレオタイプの打破の仕方
『この映画は、映画館のない国、サウジアラビアで初めて作られた長編映画で監督はサウジの女性。その内容はサウジアラビアに住む少女の姿を描いたものです。これだけ聞くと、サウジの女性自身が同国の厳しい戒律ゆえの人権問題など、難しい問題を訴える作品だと思われる方もいるかもしれません。サウジアラビアの女性に対する先進国等に広く流布するイメージは、どちらかと言えば抑圧された対象というものが多いのではないかと思います。/サウジで女性が男性を差し置いて映画を作るということ自体、非常に大きな挑戦であると思いますが、当の監督は女性の権利を声高に主張するのではなく「映画への愛だけです」とキッパリと仰っています。/女性が車の運転を許されない、外を女性一人では歩けないない、一夫多妻制などで悩まされる女性の姿も映画の中にも登場しますが、本作はそうした不条理を訴える作品ではなく、ステレオタイプな犠牲者イメージのサウジの女性を覆すような内容です。
イメージ 4

この映画の中にも一夫多妻制で夫が別の妻の家に行って帰ってこないことを悲しむお母さんや、遠い職場に行く為にわざわざ運転手を雇わないといけない大変さなども描写されますが、その理不尽さを全面に出して被害者として描写するのを巧みに避けています。生身の葛藤する人間として描くが、哀れな犠牲者とは決して描きません。/この映画はむしろ共感を通じて、サウジの人たちも自分たちとそんなに変わらないと思わせてくれる作品です。この映画を見ると、日本とは全く違う文化を持つ国の人々が今まで以上に身近に感じることができると思います』

町山智浩が映画『少女は自転車に乗って』を語る (22分)


☆↓コチラ、番組の書き起こしブログ~
サトウタクシBLOG 【これは酷い】サウジアラビアの問題点を描いた「少女は自転車に乗って」
TBSラジオ「たまむすび」で映画評論家の町山さんがサウジアラビアの映画「少女は自転車に乗って」を紹介してました。この内容がなかなか恐ろしい内容で、現状をできるだけ広めたく思いほぼ全編を書き起こしました。一部読みやすいよう改変していますが内容の改変はしておりません。ご了承ください』
イメージ 5

※親子でゲームしたりして、、、ワンシーンワンシーンはほのぼの
しているんだけど、、、いやそれゆえに、女性蔑視の基本的思考が
そら恐ろしいという見方もできるか~

◎感想ブログ
こねたみっくす 『少女は自転車にのって』
『「自転車に乗ると妊娠できない」「家族以外の男性と一緒にいるところを見つかれば嫁に出される」など、女性の権利が確保されていないイスラム社会を安易に批判することは簡単ですが、その批判要素をワジダの自転車を買うという目標の邪魔な要素として描けば、男性である私でさえも自転車を買う賞金目当てに興味のなかったコーランの暗唱大会に挑むワジダを素直に応援出来てしまう。描くべきことは、ただ自転車が欲しいだけのワジダであり、女性の権利が云々という大人の事情ではない。(中略)海よりも深い母の愛と大海原を見渡すような希望の眼差しを、少女が自転車を漕ぐことで描く巧さは恐らく女性監督にしか出来ないことでしょう。サウジアラビアの未来に幸あれ。』
※まさに映画でしか主張できない、魂の根源の叫びが感じ取れましたーーー
マジで、この映画の余波で、0,5ミリでも社会が健全な方向に傾いてくれた
らな~~、と心から願います~

イメージ 7

↑こういうお母さんの何気ない一言が、ズキーーーーン!と
胸にこたえたりするんだわなーーー

毎日キレイ 少女は自転車にのって:マンスール監督に聞く「サウジの女性が自分の人生を楽しめるような映画に」
『今作ではワジダの学校生活や家庭生活が細やかに描かれているが、「知っている人すべてを投影させた」というほど自分の体験を基にしている。映画の中のワジダは先生から「男性から見えますよ」「男性に声を聞かれますよ」などと細々と注意を受けるが、これもマンスール監督の体験の一つだった。/「先生はいつでも生徒を監視しています。公の場で生徒を罰するシーンがありますが、風評を重んじるからです。サウジの社会で風評はとても重要視されます。家庭の妻もそう。夫のために美しくあって、料理も上手でなければならない。自分を犠牲にしているのにそれを当然だと思われている存在です。サウジの社会が女性に期待するすべてを、ワジダの母親に投影させました」と話す。
イメージ 8
/ワジダの母親は第2の主人公だ。ワジダの姿がサウジ社会での女性の希望ならば、母親は現実の姿なのかもしれない。母親は第1夫人だが、息子がいないため肩身のせまい思いをしている。夫は仕事で週末しか帰宅しないが、そんな夫を喜ばせようと、赤いドレスを買ってみたり、手の込んだ料理をつくったりする様子が描かれている。/「たくさんの方々がこの母親に共感してくれました。女性、妻、母親としての顔、女性としてのあやうさも表現することを大切にしました。母親を演じてくれたリーム・アブドゥラさんはサウジのテレビスターです。これまで男性監督としか仕事をしたことがなかったので、女性の監督と仕事をしたのは初めてだったと思います。泣くシーンでは本当に泣いて、心をオープンにして演じてくれましたね。私は女性を無力な被害者のように描きたくなかったのです。見た人が落ち込むのではなく、自分の人生を楽しめるような映画にしたい。そんな思いを込めてつくりました」とメッセージを送った』

イメージ 6

※自転車に乗る、ただそれだけのシーンで目頭が熱くなったのは・・・
『E.T』以来じゃないかしらんーw おお、実に30数年ぶりに
出会った、ミラクル・バイシクル・ムービーじゃあぁあ~~っ!
(チョットナニイッテルカワカラナーイ・・・)

☆ニュースによると、この映画公開後、女の子が自転車に乗ることが
法律上オッケーになったそうです。監督さんには是非とも、続編をど
んどん創って、地道に法律改正を進めていって欲しいものですよ♪
とりあえず、『少女は自動車にのって』『少女はラブレターをしたた
めて』『少女は男の前で大声で歌を歌って』・・・ってのぁー如何?

12月28日の雑学問題は・・・?(簡略解答は一番最後に!)

Q:5円玉、50円玉に穴が開いている理由は?

(解説)5円玉が発行された昭和23年(1948)、同時に1円玉も発行されたが、両方とも黄銅製でサイズもほとんど同じであった。それでは紛(まぎ)らわしいということから、翌年に5円玉に穴が開けられた。
 50円玉は昭和30年に発行され、最初はニッケル製で穴は開いていなかったが、2年後に100円玉が発行され、それが50円玉と色やサイズが似ていたため、昭和34年に50円玉は穴開きになったというわけであるー

オコタエ~(o ̄∇ ̄)σ 1円玉や100円玉と区別するため



関連雑学

・ギザギザのある10円玉、通称ギザ10。このギザギザは昭和34年までの発行のものしかついていない。これは、10円玉が高額貨幣だった時に、他の貨幣との混合を防ぐために付けられたもの。しかし、昭和30年に50円硬貨、32年に100円硬貨が発行されて、ギザギザが 新硬貨に移ってしまった。/中でも昭和33年のギザ10は希少価値がついて、1枚50円の価値があるのだとかー。

関連動画

●♪~泣いておさまる 恋がありゃ 5円玉ひとつと 一緒にね 持ち歩くぞ~♪
・明るい夜 友川かずき
ニコニコ ビューアー

●♪~ぼくも、もののけも5円玉 握って ワクワク初詣~♪
もののけ元旦  片霧烈火
tudou.com 10.もののけ元旦録