【泣いてたまるか】最終回は「男はつらいよ」の原型

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Amazon.co,jp 渥美清の泣いてたまるかVOL.20 -DVD-
■登録情報:/出演 渥美 清, 松村達雄, 名古屋章, 小松方正, 小坂一也 /形式 Black & White, Dolby /リージョンコード リージョン2 /画面サイズ 1.33:1 /ディスク枚数 1 /販売元 スバック /DVD発売日 2013/03/22 /時間 97 分 /おすすめ度 5つ星のうち 4.0
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■内容紹介:◎39話 東京流れ者 ◎40話 男はつらい /1967年1月~1968年3月まで放映。連続テレビドラマ「泣いてたまるか」の渥美清主演バージョンの作品。/この作品は、毎回脚本家が変わり、渥美清も毎回違う役柄で出演するというコンセプトで始まった『泣いてたまるか』が正式タイトルである。DVDや渥美主演作品のみの放送がされるようになって「渥美清の」という角書きがつけられた。(青島幸男や中村嘉津雄と隔週交代で出演していた時期もある)。/その中でも、山田洋次が脚本を手がけた最終話の「男はつらい」という回を、山田本人が気に入り、渥美清の代表作である『男はつらいよ』の連続テレビドラマ化および映画化につながっている。ちなみに、後に博の役をする前田吟もこの回に出演した。/今では有名な俳優や女優が脇役として出演したこと、有名な脚本家が多数手がけていたこと、渥美清の独特な雰囲気と演技力の相乗効果で人気だったことは元より、作品としても素晴らしい出来と評されている。渥美は、寅さん風のアウトロー的な役はもちろん、実直な教師役や平のサラリーマン役、更には偽傷痍軍人役等、多岐に渡る役柄を演じきり、役者としての懐の深さを見せた。
※久しぶりに『寅さん』関連の日記が書けるワイナーーと思ったら、この前の
『トラック野郎』も、寅さんの書庫に入れてたんだったー!!
で、本作「40話 男はつらい」は、初っ端から、トラック野郎の寅さんが
ブッ飛ばしてるシーンから入るのだっ!やるぅう~~~~ぅ!

●冒頭部分 (2分37秒)

前田吟さんが渥美清さんを「アニキ!」と呼んでいるのが新鮮。
まるで、堅物のヒロシに、柴又帝釈天・題経寺の源ちゃんが憑依
したかのようではないか・・・(渥美さんの役名が源さんー源吉ー
だった!)

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※エロ本読んだり、バーで女の子と遊んだり、と「男はつらいよ
には決して出て来なかった、渥美清の雄♂の部分が、けっこう自然
で良かったんだな~~(逆に言うと、清廉潔白な寅さんには不満が
あったと言うべきか・・・)

●『泣いてたまるか』主題歌 渥美清


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※ビックリ!「トラさん」という役名の登場人物もいた!!
上記写真右の人、そう、高品格さんがトラさんだっ!
こりゃあ渋いトラさんじゃねえー♪

男はつらいよ ファンサイト 『泣いてたまるか』の最終話を検証する
『何よりも義理やメンツを大事とする主人公の源さん。源さんは一人の女性を好きになりますが、自分が可愛がっている舎弟もその女性を好きであることがわかると、恋よりも友情をとってその女性から身を引きます。これは男はつらいよの各作品、第10作『寅次郎夢枕』、第14作『寅次郎子守歌』、第34作『寅次郎真実一路』などにも見受けられるストーリーの型です。そして、身を引く際に彼がひとりつぶやくのがこのセリフ、「はああ、男はつれえやなあ……」。後年の男はつらいよシリーズで、寅次郎がつぶやく「そこが渡世人のつれえところよ」に通じるものがあります』

※あらすじが簡潔に紹介されていますので、興味のある方は是非ご一読を!↑

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※源さんは、ユーモアがあって普通に女好きで、でも自分に
言い寄ってくる本命の好きな人に対しては怖気づいてしまう
さらに、おっちょこちょいで情に厚く、ことわざを間違えて
使っちゃう・・そういう愛すべきキャラだ。んーー、なんか
最近良く似た主人公の出てくる映画観たぞーー、そうだ!
森三中の大島がのぼ~tっとした毒男を演じた『福福荘の福
ちゃん』だっ!アレってやっぱり王道の男はつらいよモノだ
ったんだなぁ~~~。

アダージョ柴又 山田太一〈回想録『「泣くこと」への回帰 〜日本人に失われた情愛〜』(談話)〉より一部引用
『私は、渥美さんに半年間の連続ドラマの主役をキャスティングしたことがある。寅さんを演じてまだ本数を重ねない時分、渥美さんには「寅さんだけではない」という思いがあったのだろう。まだ、ひとつのキャラクターだけに絞るところまではいかなかった頃だ。/TBSの「ヨイショ」というドラマだった。デパートの食堂のマネージャーの話である。職場には女性だらけ、そこでマネージャーをやっているのが渥美さんの役で、家族の話も盛り込まれた全30話ほどの連続ドラマだった。このドラマがスタートする前に、渥美さんから「ひと晩、しゃべりませんか」と誘われて、熱海ホテルに向かったことがある。熱海ホテルは現在はなくなってしまったが、ホテルの下がすぐ海という崖に建っている趣のある古いホテルで、三島由紀夫などの著名人を始めとして、趣味にうるさい人たちが好んでいたホテルだった。/通された部屋は、大きな、古い和室だった。ふすまを開けると、渥美さんがゴロッと横になっていた。若い頃から、あまりお体がよくなかったのではないかと思う。プロデューサーも含めて、お酒を飲む人は飲み、何人かは、ゴロゴロとくつろぎながらという場で、渥美さんは幾つもの話をしてくれたのである。さまざまな人生をよく知っていらっしゃる方で、じつはあまり面白くないような話でも皆を大笑いさせてしまうほど、話術に長けているのである。寅さんでよくやっていたような口調、そのままである。そうして笑わせることで、渥美さんは私をインスパイア(inspire)しているのだなと感じた。/こういう人もいれば、こういう人もいるよ、と。山田洋次さんも、いろいろとインスパイアされていたのだ。渥美さんを思えば、この一夜のことがぱっと浮かぶくらい強い思い出として残っている』

※>TBSの「ヨイショ」というドラマ~
これ、子供心に、漫画風のオープニングをおぼろげながら覚えているなあー。

●主題歌、あったワー

※ドラマのオープニング映像は残念ながらどこにも見つからずーーー

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※ポンシュウ!!寅さんワールドには必須のこの男も、いきなりこの
泣いてたまるか」で共演していたのかぁーーー。こりゃ役柄超えて
ホントの腐れ縁、ダァ~ネー♪

寅さんとわたし 周囲の反対を押し切って映画化された『男はつらいよ』
『やっぱりテレビで一度やったこをとやることはないだろうと、最初はずいぶん反対されたし、題名についてもいろいろ反対されましたけれども、ぼくはいけるんじゃないかと。特に深夜興行が松竹はだめでしたから、この作品なら、テレビの観客も、場末のあんちゃんたち、あるいはレストランのコックさんとか、バーのバーテンが大きなファンだったから、土曜の夜中なんかにドッとお客さんが来てくれることをかなり期待して、わりに強引に押しきってつくったんです。(キネマ旬報社『世界の映画作家14 加藤泰山田洋次』より引用)』

※名作に歴史あり!48作にもわたる人気シリーズにも、第1作目が世に出る
までには、並々ならぬ苦労があったというわけですね~~。

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※お兄ちゃん、そろそろ帰ってくる頃じゃあないかねえ。
天国から、お盆の時期にさー
フラッと舞い戻ってくる姿が思い浮かぶよ。
「あれ?オレ、死んでたっけ?うっかり帰ってきちゃったよ、しょうが
ねえなぁーまったく」「ほんとにお兄ちゃんはそそっかしいんだからーw
いつもの寅屋、いつもの帝釈天参道の風景。。。



ほぼ日手帳」より、“日々の言葉”

■5月19日の言葉:友人の結婚式でのことです。新郎が最後の挨拶で「みなさまの ご多忙をお祈りして‥‥ご多幸でした!」と、天然ぶりを発揮していました。爆笑に包まれた和やかな良いお式でした。(ご多忙の中駆けつけた友人)(『今日の言いまつがい』より)


原由子 恋は、ご多忙申し上げます カラオケバージョン

※ハラ坊歌唱の動画がなかった、ざんーねん!

「今日の歴史出来事カレンダー」より、“今日も明日も歴史的一日”

《室町・戦国時代》永禄3年(1560年)5月19日:桶狭間の戦いで信長が勝利

・・・戦国有数の大大名だった今川義元と、尾張の小大名だった織田信長が激突し、信長が勝利しました。信長はこの勝利によって勢力拡大の大きなきっかけを掴むことになりましたー

細かすぎて伝わらない関連動画や雑学、感想など

◎関連動画
・一分動画:すぐわかる桶狭間の戦い


◎関連雑学
JINTANO 桶狭間の戦い織田信長が勝った理由を簡単に解説
『当時、今川の元にいた徳川家康は、大高城に大量の兵量を送り込んでいたとされています。そこから今川の軍は大高城に向かう事が織田信長には分かっていました。駿河から大高城に向かうにはどうしても通らないといけない道があり、その道は狭間といわれる細い窪地でした。その窪地に今川軍が差し掛かった時に、奇襲をかける。それが織田信長が勝てる唯一のポイントでした。しかし、信長がすごいのはそこからです。ただ奇襲をかけるだけでは勝率もそれほど高くない。そこで用意したのが「農民おもてなし作戦」。そのおもてなし作戦、今川軍が狭間といわれる細い窪地に差し掛かった時に、農民がお酒やお餅を持って現れました。長距離を移動して疲弊した兵を休ませるために、今川軍はそこで昼飯を取ることにしました。しかし、この農民は信長のスパイ。ここで足止めに成功した信長軍は一気に今川義元だけを狙って攻めます。奇襲を受けた今川義元。25000の兵も上手く機能することなく、今川の周りを守るのは6000兵ほど。さらに直接今川を守ることができるのは300兵くらいだった所から、逃げるしかなくなった今川義元。そこに追いついた織田信長の将が今川の首を取ったそうです。それによって戦意を喪失した今川軍は帰るしかありませんでした』
※戦い方については諸説あるようで、いりんな文献にあたってみるのも面白そうだー