【漫画タイトル「仏壇菓子」】

毎日かあさんち]
毎日新聞 2015年7月6日 東京朝刊/「毎日かあさん」は毎日新聞紙上で毎週1回、掲載しています。ウェブでは月2回、作品を転載します』

イメージ 1


※今回は、帰国が近い息子のことを、仏壇菓子を見てても思い出しちゃう、
という、逆ホームシックな心境が描かせた漫画、だったかな?
日記、いろいろと溜まってきているもので・・・今回は漫画だけにさせて
もらおうーーー。簡略すぎてゴメーーンネッ!

ほぼ日手帳」より、“日々の言葉”

■7月8日の言葉:ぼくの場合、女性の服をつくるのは、基本的には「想像」ですよね。 自分の中の基準の体型はあるんですが、自分の骨格を参考に洋服をつくれないからそこは「想像」になります。 で、その「想像」でつくった形にフォルムのアイディアとグラフィック、そして素材のテクスチャー、その三つをブレンドしていくんです。言ってみれば、料理をつくるような感覚です(皆川明さんが『洋服をつくる、うれしい仕事。』の中で)



※洋服、こだわりはほとんどないので、たまにエレカシみやじを気取って
白か黒の二点勝負で、着て行ったりする。大抵は失敗。苦笑・・・

「今日の歴史出来事カレンダー」より、“今日も明日も歴史的一日”

安土桃山時代天正10年(1582年)7月8日:羽柴秀吉が初の検地を行う

・・・羽柴秀吉による検地が信長の死後としては初めて行われました。いわゆる太閤検地の初例ともされます。検地により、複雑に絡み合っていた土地の諸権利が整理され、近世の支配政策の土台が固められましたー

細かすぎて伝わらない関連動画や雑学、感想など

◎関連ニュース
朝日新聞デジタル 太閤検地の先駆け? 秀吉の自筆見つかる 兵庫・たつの
『羽柴(豊臣)秀吉が淡路島(兵庫県)の領主だった家臣の仙石(せんごく)秀久に対し、詳細な田畑の面積や年貢高を自己申告させた書類が見つかった。兵庫県たつの市が発表した。秀吉の自筆と朱印が添えられており、秀吉が初期の治世にどういう方法で検地していたかがわかる貴重な史料という。
イメージ 2

  市立龍野歴史文化資料館によると、1585(天正13)年に記された「淡路二郡指出(にこおりさしだし)帳」(縦27・6センチ、横20・6センチ)。指出は、土地の所有者らが面積や生産高を自己申告したもの。約100枚にわたり、三原、津名両郡の地名、年貢米の石高や年貢銭などを詳細に記述。奥付に秀吉が自筆で、両郡の合計石高や作成日を意味する「二こうりのふん 以上(一)万貳(に)千六百石 天正十三年九月十日 わきさか甚内」と書き、朱印を押していた。
イメージ 3

  秀吉が長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)との戦いで四国を征服後、讃岐(香川県)への転封が決まった秀久が作成し、次期領主の脇坂安治(やすはる)に秀吉が渡したとみられる。龍野藩脇坂家初代の安治を祭る龍野神社(たつの市)が所蔵していた史料から見つかった』

※ありゃりゃ、「細かすぎて~」じゃなくて、普通の関連ニュースになっちゃった!