今年の蘊蓄コーナーのネタ「元気が出る言葉」

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Amazon.co.jp 毎日がポジティブになる! 元気が出る言葉366日 単行本(ソフトカバー)西東社編集部 (編集)
『■内容紹介:★★今日のポジことば発見! ★★ 大好評の社刊『必ず出会える! 人生を変える言葉2000』の第二弾! ! 今回は「一年全力」にこだわり、一年366日の誕生日または命日の方にまつわる「言葉」をピックアップ! 全ページがオールカラー&写真付き。心に残る言葉と解説がついてこの価格という最高のコストパフォーマンスを実現しました。日本や海外の偉人、経営者から作家、芸術家、マンガ家、アスリート、歌手、タレントなど幅広い人たちの、心に響く言葉を紹介します。
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/■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 400ページ /出版社 西東社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4791625315 ISBN-13: 978-4791625314 /発売日 2016/11/26 /梱包サイズ 17.8 x 13 x 3 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.2 /■カスタマーレビュー:5つ星のうち5.0 「人生の岐路に支えられる名言の本です。」・・・人生の岐路に支えられる名言の本です。最初、題名だけを見た時に今流行りの前向きな啓発本かな?と購入する気はありませんでしたが少し読んで数秒後購入していました。有名な本の一文、名言、歌の歌詞の一部、無名の人の言葉が、カラフルな綺麗な子供や人の写真と共に大きく書かれ、その下に数行その意味を詳しく訳してくれている文章があります。弱った時、病気になった時、あまり本を読む気力がない時、自分の好きなページを開いて、数秒で読んで閉じられるので重宝しています。1ページに1つから3つの名言が書いてあり、1ページずつカラフルな外国の可愛い子供や風景の写真に癒され励まされます。元気が出ると言うより、落ち込んだ時、絶望したとき、ネガティブな時に読むと心が落ち着きます。/はる 5つ星のうち3.0 「字の間違い」・・・いろんな方の名言があり、面白かったです。全ページカラーなのも読みやすくていいと思います。細かいことを言うと、375ページにある高杉晋作がつくったのは「騎兵隊」ではなく「奇兵隊」だと思います。』

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※写真は本文と全く関係ない、環境画像みたいなものばかりで、もうちょっと工夫
して貰いたかったな~~、というのが第一印象。

マリナーズ イチローTwitter名言集♪(格言、元気が出る言葉)


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※初日、2日目のページは、こんな感じでしたゾイ!!


☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、上記参照のこと!)

☆さ~~て、昨日1月1日(月)と今日1月2日の、「元気が出る言葉」は~?

『しきりに誘うものがあった。/遍路をするということは、何かを捨てにゆくことで、捨ててこころをからっぽにすれば、新鮮なものが流れ込んでくるはずだ。お遍路は「人生の深呼吸」なのだ。』
出展:『四国遍路』(岩波書店
発言者:辰濃和男(ジャーナリスト、エッセイスト 1930年1月1日~)
『解説:辰濃和男は「朝日新聞」の「天声人語」で人気のあった書き手の一人。70歳を迎え、自ら二度目のお遍路をしてエッセイを書いた。』

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 四国遍路 (岩波新書) 辰濃 和男 (著)
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『■内容(「BOOK」データベースより):四国八十八カ所。金剛杖を手に、千数百キロをひたすら歩く。土地の人から受ける「お接待」が心にしみる。―人はなぜ四国をめざすのだろうか。いま、ひとりのお遍路として四国路をたどる著者の胸に去来する問いだ。人びとと出あい、自然の厳しさに打たれつつ歩む巡礼行を、達意の文章で綴る連作エッセイ。/■登録情報:/新書 248ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4004307279 ISBN-13: 978-4004307273 /発売日 2001/4/20 /梱包サイズ 17.2 x 10.6 x 1.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.6 /■カスタマーレビュー:哀愁のオヤジ 5つ星のうち5.0 「心が洗われます。」 2014年12月19日・・・何度も何度も読み返しても胸に響いて涙が・・・・・。まるで自分が四国を歩いているような気持ちになります。良い本に巡り会いました。ありがとうございます。』

★本日2日分ゆえ、関連事項は割愛させていただきマーーーッス!

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“行けるところまで行くのが人生である。誰しも自分の寿命を知ってる者はない(『野分』より)”

【1916年1月1日の漱石】生前最後の正月を家族とこんなふうに過ごす。

今から100年前の今日、すなわち大正5年(1916)の1月1日、漱石は数え年で50歳を迎えた。6年前に伊豆・修善寺で倒れて以来、病気がちですっかり老け込み、髪にもヒゲにも白いものが目立ちはじめていた。

夏目家の元日は簡素で気楽。玄関に門松と注連縄(しめなわ)を飾り、屠蘇(とそ)と雑煮で新春を祝うだけ。この年は、鶏肉、小松菜などに加え、松茸の入った雑煮を食べた。この頃、夏目家に松茸を送ってくれる人がちょこちょこいたようで、門弟の和辻哲郎宛ての《松茸をありがたう(中略)中々方々から松茸をくれます》という漱石の礼状も残っている。

当時は電気冷蔵庫などない。夏目家には氷で冷やすタイプの冷蔵庫はあったというが、冷凍保存はできない。秋が旬の松茸を正月まで長持ちさせるため、おそらく漱石の妻・鏡子は塩漬けにするなどの知恵を働かせたのだろう。料理はあまり得意でなかったというが、創意工夫もしているのである。

年始の訪客の一番乗りは、物理学者で文学者の寺田寅彦(1878~1935)であったろうか。寅彦の日記によれば、寅彦は午前中に家を出て、《夏目先生方にて雑煮を呼ばれ》たという。

夕方になると、東京・早稲田南町の「漱石山房」は、例年通り、小宮豊隆、松根東洋城、滝田樗陰、松浦嘉一といった多くの門下生らでにぎわった。晩飯には、神楽坂の鶏料理店「川鉄」の合鴨鍋がふるまわれる。鏡子は、漱石以上に、こういうことには太っ腹。姐御肌だった。

午後9時頃、一同は引き上げ、漱石は残った小宮豊隆とともに離れの子供たちの勉強部屋へ入って、百人一首の歌留多(かるた)とりをした。漱石には18歳になる長女を頭に、4人の女の子と2人の男の子がいた。いろは歌留多では「屁をひって尻つぼめ」とか「頭かくして尻かくさず」など、おかしな札をとるのを得意とした漱石だが、この日は目の前の札までまんまと子供にさらわれてしまう始末。下戸の漱石先生、少々のお屠蘇で勘が鈍ったか。それでも、皆で上機嫌で遅くまで遊びに興じた。平和でのどかな、家族団欒の一齣。そしてこれが、漱石生前最後の正月となった。

細かすぎて伝わらない関連動画など


※~今回は省略~

ジョニーAのつぶやき:なんかちょっと、ブログの格式高くなってな~い?


☆さ~~て、本日1月2日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『自分自身が最大の敵である。作品に妥協したときから退歩が始まる。』
出展:『座右の銘』(角川春樹事務所)
発言者:森村誠一(推理作家 1933年1月2日~)
『解説:森村誠一の原点は、終戦の前日、熊谷空襲で初恋の少女を失ったことにあるという。「作家になろうと決めたのはこのときです。この光景を、将来、本に書き記したいと痛切に思いました。」(女性セブン 2015年8月20・27日号)/森村は80歳を過ぎても未だ妥協しない。現役をやめるわけにはいかない理由があるのだ。』

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 座右の銘 (ハルキ文庫 も 1-58) 森村誠一(著)
『■著者について:1933年、熊谷市生まれ。青山学院大学卒。69年、『高層の死角』で江戸川乱歩賞、73年、『腐蝕の構造』で日本推理作家協会賞、2003年、第7回日本ミステリー文学大賞、11年、『悪道』で第23回吉川英治文学賞を受賞。推理小説歴史小説、ドキュメントと幅広く活躍。主な著書に『人間の証明』『悪魔の飽食』『平家物語』『人間の剣』『エンドレス ピーク』『棟居刑事の東京夜会』『人間の条件』『地果て海尽きるまで 小説チンギス汗』『青春の条件』など多数。/■登録情報:/文庫 238ページ /出版社 角川春樹事務所 /言語 日本語 /ISBN-10: 4758435588 ISBN-13: 978-4758435581 /発売日 2011/5/1 /梱包サイズ 15 x 10.6 x 1.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー:itgaki 5つ星のうち4.0 「ちょっと新鮮な座右の銘へのアプローチ」2011年7月9日・・・作家である森村誠一氏が選択した座右の銘たる名言・至言を紹介している一冊です。私のイメージと、これまで読んだことのある「座右の銘」本では、名言を発した方々の紹介やどのような状態で発信されたものか、という説明・解説するというのが多いのではないかと思います。この本は、森村氏自身の体験と自身にとって心に響いていることに対しての解説をしています。名言・至言に関しても「志と生きる姿勢」「恋愛」「一期一会」「芸術と使命」「言霊」といったような章立てになっています。その構成が新鮮に感じたのと、作家らしさを感じる表現でしたので小説を読んでいる感覚を持ていたのも新鮮な感じでした。
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一方で、森村氏自身の主観をもとにおいている分、読んでいて共感できないところもでてきました(これは個人によって感じ方が変わる部分だと思います)。個人的には「恋愛」に関しては、恋愛に関する名言自体には共感できますが、著者の体験などについては現在の恋愛事情と照らし合わせると実感からは遠い感じでした。こういったものは、恋愛の普遍性を説いているのが無難なのかもしれません。とはいえ、全体としては先に述べたとおり新鮮な感覚で読めました。座右の銘に関する本は沢山ありますが、何冊か読まれるのであればその中の一冊には入れておくことをお薦めします。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“金があるから人間が高尚だとはいえない。金を目安にして人物の価値をきめる訳にはいかない(『野分』より)”

【1901年1月2日の漱石】留学中の夏目漱石、ビスケットをかじって食費を節約する。

今から115年前の今日、すなわち明治34年(1901)1月2日、数え35歳の漱石の姿は、霧の都ロンドンにあった。前年の秋から、文部省(現・文部科学省)派遣の第1回給費留学生として洋行してきていたのだ。漱石はこの日、大英博物館の西側、トテナム・コート・ロードとニュー・オックスフォード・ストリートの交差点近くにある古書店「ロチェ書店」へ足を運び、サムエル・ジョンソンの『イギリス詩人伝』(75巻)など、たくさんの書籍を購入した。

漱石は、限られた留学費用の中で、できるだけ多くの本を買って帰りたいと考えていた。文部省支給の留学費は年額1800円だから、ひと月あたり150円。熊本五高での漱石の月給は100円で、外国人教師並みの高給という位置づけだったから、文部省としてはそれなりに気張った額だったろう。

ところが、ロンドンは物価が高い。漱石も鏡子夫人宛の手紙に《昼飯を一皿位食へばすぐ六七十銭はかゝり候。日本の一円と当地の十円位な相場かと存候》と綴るありさま。そこで漱石先生、時には昼飯代わりにビスケットをかじるなどして倹約。書籍の購入費用を捻出した。現在、東北大学附属図書館の漱石文庫に所蔵される1700冊余りの洋書の基礎となる部分(600冊とも推定される)は、このようにして買い集められたものだ。

結果、漱石のロンドンの下宿の部屋は本に占領され、《机は勿論、トランクの上、歩くところ以外は、床の絨毯の上でも、マントルピースでも、図書の積み重ねの幾組がおいてあった》(渡辺春渓『漱石先生のロンドン生活』)という。

漱石の留守宅へは、留学費用とは別に月22円50銭の手当てが支給されていた。日本にいる妻の鏡子はこれをやりくりして暮らした。彼女は朝寝坊で筆不精(ロンドンの漱石は手紙の返事を心待ちにしているが、なかなかこない)という欠点もあるけれど、妻もなかなかの賢婦ぶりなのである。

手当ての額は本来25円のところ、製艦費として1割天引きされていた。折から日本は、ロシアとの軋轢が深まる中、軍備の増強を進めていた。日露戦争の勃発は、この3年後である。

ジョニーAのつぶやき:1年間、漱石先生の文章に触れていれば、ちぃとは作文力上がるかな?