2017年12月GMH♀ランキング発表!

2017年12月1日~12月31日までの間に、萌え~♪を感じた女性のランキングを考える超・私的自己満足企画、それが「ギザ萌えヒロイン♀ランキング」、略して「GMH♀」なのだーーっ!毎月1日前後にヒロイン・ランキング、16日前後にヒーロー・ランキングをお送りするのが、本ブログの恒例行事。TVや映画、DVD、ネット動画などに出演したタレントさんのみならず、ニュースになった“時の人”や、日常生活で出会った素敵な一般人もアリ。とにかく女性で胸キュン☆させてくれたお方ならば全て対象になるという、まこと嘘偽りのない真実の萌えランキングなのだ!さて、2017年ラスト女神(ミューズ)は一体?

第10位 皇后美智子さま
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※昨年12月のオマケコーナーに採用。終盤、日めくり紛失により、
「美智子語録」が「未知項語録」と化してしまったけれど・・・

第9位 サッチー
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※突然の訃報に驚き。死の前日に高須ー西原カップルと食事会を
していたのもビックリ。旦那は野村克也氏で、高須先生と同じ
かっちゃんなのという符合は何か運命的なものを感じてしまうー。

第8位 ルー
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湯浅政明監督『夜明け告げるルーのうた』メインキャラクター。
造形的にはポニョに完敗なんだけど、人魚と少年の交流を真っ当
に描いて感動させる手腕はポニョ以上のものがあった・・・。

第7位 安藤玉恵
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※ヒロインの北川景子より、ゲスト出演の前田敦子より、個人的に
魅力的で印象深いのは、バーの峰子さんだったもんなぁーー。
彼女メインの『探偵はバーにいる』も、シリーズが長く続けば、
作ってもらえるかなぁーーー?

第6位 橋本環奈

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※まさか、ベストヒロインのメンツの中に、こんなベタな美少女を
入れる日が来ようとは・・・。予想だにしなかったよぉーーーぅ。
それぐらい『銀魂』の神楽役は、素晴らしかったのだ!『セーラー
服と機関銃』の不入りで死にかけていた女優としてのアイデンティ
ティを蘇らせたんじゃないだろうかー?

第5位 門脇麦

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※テレビドラマ版「火花」の、神谷の同棲相手・真樹を演じて可
憐さをふりまいたのと、DVD鑑賞した『彼らが本気で編むとき
は』でも絶妙の存在感を放っていた。庶民的な妹キャラ?がウケ
ているのかしらん~?

第4位 キルスティン・ダンスト

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※第一子ご懐妊の報が入った。キキもとうとうお母さんかぁー。
ヒーローもの映画のヒロインやってた頃は、やれ老けてるだの、
やれブサイクだのとバッシングされまくったが、お母さんになっ
たら年相応。むしろきれいなお母さんと言われるかもダネーーー♪


日刊ゲンダイ ゆりやんレトリィバァの“見た目”に騙されてはいけない
『昨年末に行われた「女芸人NO.1決定戦 THE W」は、世にも珍しい女性限定のお笑いコンテストだった。漫才、コント、ピン芸など何でもありの大会を制したのは、ゆりやんレトリィバァ(27)。下馬評でも大本命だと目されていた彼女が順当に優勝を果たした。/ゆりやんは愛らしいぽっちゃり体形が印象的な女性ピン芸人。2年ほど前からじわじわと人気に火がつき始め、いまやテレビで見ない日はないほどの売れっ子になった。
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のほほんとした雰囲気の見た目やしゃべり方に騙されてはいけない。彼女はお笑い養成所「NSC大阪校」を首席で卒業した優等生である。勢いそのままに1年目からレギュラー番組を獲得して、2年目には「R―1ぐらんぷり」で決勝進出。それ以降も順調に活動の幅を広げてきた。華々しい実績からも分かる通り、ゆりやんの作るネタは同業者にも高く評価されている。英会話、ダンス、ピアノ、モノマネなどの特技を持っている彼女は、それらの要素を巧みにネタに取り込んでいる。どのネタの設定にも目新しさがあり、ほかの人には真似のできない独自の世界をつくり上げている。芸人としての彼女の最大の強みは、人並み外れた度胸があることだ。テレビに出ているときにも一切ものおじせず、緊張したそぶりを見せない。しゃべるタイミングを見つけるやいなや、ほかの芸人よりも一拍早く前に出てくる。その「早押しクイズ」的な瞬発力は同世代の若手芸人の中でもずばぬけている。「調子乗っちゃって」「落ち着いていきや~」など、その場で切り返すためのギャグのレパートリーも豊富にある。
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  ゆりやんがいつも強気で前に出られるのは、いい意味で空気が読めないからではないかと思う。実際、彼女が張り切りすぎて空回りしてしまう場面を目にしたことも何度かある。だが、それでもくじけないハートの強さがあるからこそ、いざというときにチャンスをものにできるのだ。空気が読めないのは芸人にとって必ずしもマイナスであるとは限らない。あえて空気を読まないという開き直りがいい結果に結びつくこともある。他人よりも一歩早く動きだし、ひとつ多く笑いを取るゆりやんは、お笑い界の優等生としてエリート街道を歩み続けている。』

☆最新ネタ好きやわぁーーー♪ DVD観まくってるんやろなーw
●ネタ「昭和の日本映画に出てくる女優さんの喋り方」


叶姉妹オフィシャルブログ ゆりやんレトリィバァさんと
『「絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス🇺🇸」でご一緒いたしました。ゆりやんレトリィバアさん、とても礼儀正しく、キュートな笑顔がステキですよ。』

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※「笑ってはいけない」に出てたのかぁーーー。これは動画観ておかなければ・・・!

●恋する肌キュンmovie第一弾


●恋する肌キュンmovie第二弾


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※役者もイケるよねぇーーー。昔、中島晶子さんがやってたような
役柄がはまりそー♪


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※『スター・ウォーズ続三部作』のヒロインとして認知度も高まってきた
デイジーたん。新作は、さらなる新キャラクター達の評判が軒並み低い中、
頑張って支持率を保っている印象だ。いろいろ検索して調べたら、『オリ
エント急行殺人事件』にも出てて、ジョニー・デップと競演してるんだナァ。
ちょっと敬遠していた名作リメイクものだが、それ知って観に行ってみよ
うかしらん~?と考えが転換いたしますた!

Gigazine デイジー・リドリーがレゴ製ミレニアムファルコンを組み立てながらインタビューに応えるムービー
『リドリーさんがレゴブロックの「レゴ スター・ウォーズ ミレニアム・ファルコン」を組み立てながら、インタビューに応えるムービーが公開されています。

Daisy Ridley Builds A Millennium Falcon


/レイとして出演する2作目の映画となる「最後のジェダイ」についてリドリーさんは「スター・ウォーズ2度目の出演ということで、自分がプロであるかのように感じると思っていたけど、実際は1作目よりも緊張していたし、より大きな責任と重圧を感じていました」と笑いながら語ります。/もちろんインタビューに応えている最中も、手元ではレゴを少しずつ組み上げています。/「私の意見は正しくない、もしくは重要ではないと思うので、そもそも自分の意見を持つ権利を持っていないのだと思います。でもそれが辛いことだとは思いません。なぜなら、特に私はレイが周囲に及ぼす影響の大きさを知っているからです。レイの向いている方向がスター・ウォーズの向かう先であり、レイが映画での女性の描写を前進させることもわかっているからです」と、スター・ウォーズシリーズ初の女性主人公を演じる上での責任の重さを感じさせるコメント。/さらに、リドリーさんは自身のライトセイバーはピンク色に光り輝くものがよかったと自身の願望を語ります。/しかし、自身が続三部作の主人公を演じることになってもスタートレックファンの父親の心を変えることはできなかったとのこと。
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/さらに、最後のジェダイで共演をキャリー・フィッシャーさんが2016年12月に亡くなったことについては、「私はキャリーの大ファンで、本当に泣きまくった」と語っています。/自分の持っている衣服の中で特にお気に入りなのは、フェイクファーの付いた青色のジャケットとのこと。なぜコレが気に入っているのかというと、「(これを着ると)モンスターズインクのサリーみたいに見えるから」とおちゃめに語りました。/なお、レゴのミレニアムファルコンの組み立てはわずか5分で終わったそうです。』
※お茶目な側面と、お上品な側面が渾然一体となっている魅力なんじゃナカロウカー。


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※ep7の時は、ジブリ好きを公言し、来日もしてくれてたのに、今回のep8では
来日中止になっていた。。。いろいろときな臭い状況ゆえだろうか・・・。

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シネマトゥディ 『スター・ウォーズ』ヒロイン、ジブリ映画起用の瞬間が人生の最高潮!
『映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」のヒロイン・レイ役で知られるデイジー・リドリーが、スタジオジブリの「おもひでぽろぽろ」の声優に起用された時こそ「今までで最も素晴らしい瞬間だった」とMetro紙に語った。デイジーは今年初めにアメリカ公開された同作の英語版で、主人公・タエ子の吹き替え声優を務めている。
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スター・ウォーズ」の新たなヒロインとして世界的な注目を浴びることになったデイジーだが、ジブリ作品に起用された瞬間ほど興奮したことはないようで「今までで最も奇妙で、最も素晴らしい瞬間で、信じられなかった! 魔法みたいだった! 本当にジブリの映画がやりたかったの」とにっこり。「ジブリの映画ってどんなものか表現することができない物。観る必要がある。わたしが10歳くらいの時、母が『ハウルの動く城』を観に連れて行ってくれたことを覚えているけど、わたしたちは『オーマイゴッド! 何これ!?』ってなった。とても衝撃を受けたわ」と幼い頃にジブリ映画を観た時のことを振り返った。
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キャスティング当時、デイジーはすでに『スター・ウォーズ』のヒロインに決まっていたが、「おもひでぽろぽろ」の主役の座を射止めるために3度オーディションを受けなくてはいけなかったという。「わたしは自分の能力を証明しなくてはいけなかった。でもそれが一番気に入っている部分なの。だって、「スター・ウォーズ」に出ているからという理由で選ばれたくはなかったから」。夢の仕事を実力でつかみ取っただけに、喜びも一層だったのだろう。/「おもひでぽろぽろ」は、都会での生活に漠然と物足りなさを感じていた27才のOL、タエ子が山形の田舎を訪れ、小学生の頃の思い出を振り返りながら自然や人々と触れ合ううちに、本当の自分を見つけるさまを描いた高畑勲監督作。日本語版のタエ子の声は、今井美樹が務めた。(編集部・市川遥)』
※これは意外な情報だった。なるほど、幼少の声も大人になってからの声も、
両方対応できそうな感じじゃね~?

●Only Yesterday Official US Release Trailer


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※・・・と思ってたら、子供の頃の声は子役使ってるみたいネーン。

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TV GROOVE デイジー・リドリー、子宮内膜症と卵巣の不調での闘病を告白 ! 早期受診を呼びかける
『デイジーは15歳で子宮内膜症と診断され、世界的なスターの仲間入りを果たすきっかけとなった昨年公開の「フォースの覚醒」のプロモーション中に症状が悪化したと認めた。「8年がすぎてから、痛みが戻ってきて(今度は軽いけど!)、肌が最悪な状態なの」とデイジーは書き込んでいる。「あらゆる対策を試してきたわ。薬と抗生物質、そしてさらに薬と抗生物質を増やしたけれど、その効果といえば体調が少し悪くなっただけ。多嚢胞性卵巣症候群を患っていることがようやく分かって、どうしてこんなにひどいのか理解できたの」
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デイジーは自意識が強くなったことで自信が「ズタズタに」なったと認め、「メイクは大嫌いだけど、今はすっぴんで家の外に出られないの」とつけ加えた。しかしデイジーは薬やテクノロジーを信頼し、医師の治療で回復に向かっていると明かした。「皮膚科の先生の治療と乳製品断ち(どうしても食べたくなる時のアイスクリームは別として)、それに砂糖の摂取を減らしているわ(もっとつらいけど、どうしてもやらなくちゃいけない)。ようやく。ようやく…」とデイジーは書いている。自分の健康問題を公表することにした理由について、デイジーは原因不明の病気で苦しんでいる人たちの助けになればと思ったからだと打ち明け、こう続けた。「要するに、何かの病気で苦しんでいる人たちに言いたいのは、医者に診てもらうこと。専門家に検査してもらって、ホルモンを調べてもらって、アレルギー検査を受けてほしい。体調を常に把握して、神経質だと思われることを恐れないでほしい」「頭からつま先まで、体は1つしかないわ。体が最高のコンディションでいることを確かめて、必要なら治療を受けてほしい」』
※なんか上記写真の苦しんでるところが、デイジーの私生活の苦しみを
暗示してるようで・・・。心が痛いな。あと、ネット上でいろいろ攻撃
されてしまうのは、、、人気者の宿命だと思って諦めなきゃダメだろなー。

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※黒がお似合い。。。っつーことは、ダークサイドに落ちてもそれなり
に格好がつくということかっ!!??

シネマトゥディ 『スター・ウォーズ』で銃撃したくせに偽善者!ヒロインのSNS炎上
『現地時間(2016年)7月31日、ロサンゼルスで行われたティーン・チョイス・アワード2016の授賞式に出席したデイジー。同授賞式では、女優のジェシカ・アルバアメリカで起きた銃乱射事件や白人警官による黒人射殺事件における犠牲者たちの10代の家族と共にステージに上がり、平和を訴える一幕があった。そのスピーチに感動したデイジーは、「どれだけ自分がついているのかって考えてた……ちょっと真剣に。昨日、観客席に座って、銃事件で犠牲になった人々を追悼しているときに、涙があふれだしてきたわ。登壇者たちを撮れなかったけど、彼らはとても勇敢だわ。一体感があらわれた本当の瞬間だった。私たちは暴力を止めなければいけない」と込み上げてきた思いをInstagramに投稿した。

  その彼女の言葉を称えるファンがいる一方で、銃支持者からの非難も。「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」で、ブラスターを使いストームトルーパーを撃退していたことに触れ、デイジーを偽善者だと批判した。これを受け、デイジーInstagramのアカウントを削除し、その後Facebook上の同内容の投稿も取り消した。Facebookの同コメントには、削除されるまで、Instagramに戻ってきてほしいと訴えるファンからの声が多数寄せられていたという。現在、Facebookに残されているほかの投稿にも、同様のメッセージが集まっている。(編集部・石神恵美子)』

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※実は3姉妹だって~~~?こりゃ、日本のアニメ実写化作品で、
3姉妹が出てくるやつ、軒並みオファーしてみたいワァ。
「らんま1/2」とか、、「キャッツ・アイ」とか・・・w

★さてそんな、健気で頑張り屋さんのイメージのあるデイジーたんの
日本版とも呼べる方が、今月の1位に輝いた!その女性とは。。。

第1位 里村明衣子


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※ジャジャーン!闘う女戦士・レイを地で行くジャパニーズガールが
里村明衣子たんなのであーーーーる!!ちょっと外見も似てませんこと?

東スポWEB 里村明衣子 橋本に敗れたら“王座戦線撤退”
『負ければ王座戦線撤退。女子プロレス界の横綱里村明衣子(38)が5日、2018年最初の大一番に背水の陣を敷いた。女子プロレス「センダイガールズ」は6日に東京・新宿フェイスで今年初の大会を開催。里村は同世代で最大のライバル・浜田文子(36)とのセンダイガールズワールド王座次期挑戦者決定戦に臨む。勝者は4月19日の後楽園大会で王者の橋本千紘(25)に挑戦する。昨年11月後楽園大会のタッグ戦(里村、アジャ・コング組VS橋本、浜田組)で、里村が橋本をフォールした直後、浜田が挑戦者決定戦を直訴して実現に至った。
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  浜田とは15年10月に初代王座決定戦を争って勝っているが「今年は橋本に負けてベルトを取り戻せなかったら、二度と挑戦しない覚悟を決めています。それぐらいの決意です。なので挑戦者決定戦で負けている場合ではないんです」(里村)と不退転の決意を固めている。再来年には40代の大台に突入。世代交代を阻止した上で一選手として輝くのは、最後のチャンスと自覚している。4日には新日本プロレス東京ドーム大会の生中継を観戦して刺激を受けた。メーンのIWGPヘビー級戦、オカダ・カズチカ(30)VS内藤哲也(35)を見終えると「もう胸がいっぱいになった。あの試合を見たら女子プロレスはまだまだ世間に行き届いていないと思う。それもまた今年の課題だと思います」と里村は熱っぽく語った。センダイガールズは東京五輪開催の20年に武道館大会実現を最大の夢に掲げているだけに、新宿決戦は今年を占う大一番となりそうだ。』
※橋本相手に不退転の覚悟、てどこかで聞いたフレーズだなー。


『ーー11月に出版されたご自身の著書についてお伺いさせてください。里村:最初に出版のきっかけをお話させていただきたいのですが、もともとプロレス業界とは全く別の方がきっかけとなるんです。雨宮まみさんという【人気ライター※女子をこじらせてなど多数出版】が、女子プロレスを3年前に観てくださったときに私のファンになってくださって。そこから雨宮さんが私の本を書きたいと言ってくださったんです。去年まで話を進めていて出版まで決まったのでインタビューとかも進めていただいていたのですが、2016年11月にお亡くなりになられて。なので、雨宮さんが私の本を出すという話は一旦ストップしてしまったんですけど、今年の春先に出版社の方から「どうにか形にしたい」とお話をいただきまして、そこから私が実際に書くという形で進めさせていただくこととなりました。
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雨宮さんがなぜ私の本を出したいと言ってくださったかというと、女性としての強さとかそういったものを書きたいと言ってくださって。どちらかというとプロレスの私の生い立ちの自伝というよりは、女性に対して、女性に向けてのメッセージを多く書かせていただきました。ーープロレス主体というよりは里村さんのスタンスというものが強く描かれている気がします。里村:自分が書いていたのと、実際全部出来上がって直しとかここをカットしようとか、頭がいっぱいいっぱいになってしまったんですけど、編集の方にもすごいお手伝いいただいて、実際出来上がったのを見て、私ってこんなにネガティブだったんだって思いました(笑)ーー本当ですか?この本で本当にストイックな方なんだなという印象を受けて、カミソリのエピソードはびっくりしました。里村:人間って追い込まれたときはこんなんことするんだって思いました(笑)ーー入団テストのときも他の方がスクワットなど全然出来ない中、通常の練習でテストよりやられていたと書いてありましたが、そこまでストイックにやられていたのはなぜですか?里村:最初にプロレス界に出会ったときに衝撃的過ぎて、自分の中の憧れのプロレスラー像っていうのが、今よりTVやネットもなかった時代なので、どれくらい頑張ればそこまで辿り着けるんだと思って、自分の想像で膨らませた練習を毎日コツコツやっていたという感じですね。ーー15歳で親元を離れてプロレスラーになられるわけですが、なぜプロレスを選ばれたのでしょうか?里村:私、小学生のときとか、柔道とかピアノとかいろんな習い事をやらせてもらっていたんですけど、それでも自分のエネルギーのぶつけ所が足りなくて、不完全燃焼のような感じだったんですね。それがあるとき、人前に出たいという思いと強くなりたいという気持ちが合致した時にプロレスと出会ったことは衝撃でしたね。ーーその強さを求める部分はどこから来たのでしょうか?里村:どこからですかねぇ、それもコンプレックスかもしれません。小さい頃から人を見返してやるという気持ちは大きかったです。家庭事情もいいほうではなかったので、それですごい窮屈な部分があったり、でもこんなんじゃない、大人になったらやってやるという思いが強かった気がします。小学校のときとかは、今思い出しても人生で一番悩んだ時期な気がします。大人になったら何かあっても自分で大抵は解決できますけど、子供のころって動ける範囲もありますし、何かあっても自分で解決できないという窮屈さを感じてました。ーー親元を離れる不安はなかったですか?里村:全くなかったです。もう自分の生きる道が見つかったので、キラキラしてました。
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ーー団体に入られてからは、練習や寮生活でかなり大変だったと思いますが、逃げ出したいとかは思ったことはなかったですか?里村:逃げ出したい・・、練習が辛くて同じことをしたくないとか、朝起きたくないっていうのは常に思ってましたけど、逃げ出したいと思うことはあまりないですね。それは自分が入った時点で辛いこともきついことも重々承知の上だったので、「この苦しさ来たぞ!」みたいに楽しんでいた気がします。ーー団体が解散されたときは怪我をされていらっしゃいましたが、そのときもプロレスを辞めようと思わなかったとありましたね。里村:最初に自分が立てた目標に届いていなかったからですかね。自分が入った頃はまだまだ女子プロレスもメジャーな方で。年に1回武道館をやったり、両国国技館も年に数回やったりだとかそういう大舞台で当たり前のようにやっていたんですよね。でももっとメジャーにしたいと思っていて、例えばプロ野球のようにゴールデンタイムに中継されたりとか、普通に夕方のスポーツニュースで放送されたりとか、そこまで持っていきたいと入門当時から使命感持っていました。それがずっとあって、今でもそこを目標にしていますね!ーーまだ志半ばということですね?里村:10年目にしてかなりどん底まで落ちたんですけど、でもわたしはこの世界、人次第だと思っています。人の思いと選手次第で変わると思っています。この世界に夢がないのであれば、わたしは辞めていましたね。ただ解散したときは選手のプロ意識が落ちてたなというのも感じましたし、この業界をどうにかしてくれるスタッフも、もういないと感じましたね、ガイアジャパンが解散した時点で。なので、自分がやるしかないと勝手に思ってました。ーーその喪失感の穴を埋めたというか、原動力はなんだったのですか?里村:うーん、なんか出来る気がしたというか、根拠がないですね(笑)ーー里村さんは負けん気が強いというか、リング外でも闘うというパワーを強く感じます。そこから仙台に舞台を移し、著書にもありますが震災時は相当大変でしたよね。里村:振り返るとしんどかったなと思います。あの頃は必死でした。辛かったというよりは、惨めでしたね。ここまできちゃったかと。例えば、スタッフがいなかったので事務所の電話も自分の携帯電話に転送をして、常に自分がスタッフとして電話に出て、チケットの受付からファンの方からの問い合わせの対応までしていました。試合直前にコスチュームを着てても電話に出てました!そのときは、全てが降りかかってきたのでいっぱいいっぱいで、ぼーっと自分って今なにやってるんだろう?って思ったこともありましたね。
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ーー精神的によく壊れませんでしたね?長与さんと新崎(人生)さんの教え方も全然違ったみたいなので、戸惑いも大きかったのでは?里村:男子プロレスの世界はこうなの?って。女子プロレスと男子プロレスの育成の考え方は全然違いますね!新崎社長は結果重視ですし!ーーしかも教え子達が里村さんを越えて、新崎さんに相談に行かれたわけですよね?里村:本当に・・あれいつももう・・・。ヒステリックになるくらい・・。知らないところで社長に直接をクレーム言いに行かれるわけですよ。新崎さんも後輩が辞めないように私の知らないところで息抜きに食事に連れて行ってるわけなんですよね。えー!!って。ーー中間管理職の辛さですね(笑)女子のほうが人間関係に重きを置いている部分もありますしね。全女の鉄の掟が仙女ではかなり里村さんが後輩の立場まで降りてきたというか、その辺って苦労があったのではないですか?里村:ありましたね、本当に考えを変えられました。私達は恋愛の話がタブーだったというか、絶対付き合えないし、例えば誰かが付き合ったとしたら辞めなきゃいけない状態でした。でも仙女は3年目までなんですよ、恋愛禁止は。私が後悔したのは、一番大事な20代のときに恋愛をしていないっていうのは人間として欠如するなと思いました。私の経験上、後輩にやらせたら駄目だなと(笑)今の子達って元彼のこととか、どういう人がタイプとかとてもオープンで。それがもう当たり前になると、こういう方がいいなと感じるんですよね。ーーそれって時間が経たないと気付かなかったりしますよね。後輩の子達の気持ちが分かってあげられるようになってきたということですよね?里村:なっているんでしょうか(笑)(中略)
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【2018年の仙女について】
ーー来年の仙女について、また自分自身の選手活動についてお伺いさせてください。里村:私が目標を掲げている2020年まで後2年しかないかないので、それなりの規模にしていきたいいう思いがあるので、引き続き新人も入れてまずは仙女内の選手のスキルアップをしていきたいです。また、それぞれの選手が名前をどんどん売っていっていけたらと思っています。ーーご自身の選手活動においては、どういう風にしていきたいですか?里村:全く衰えないんですよね。自分自身、なんでこんなに衰えないんだろって思うんですよね。今年、橋本にタイトルで負けたんですけど、負けた後もまた挑戦してやろうと思いが強いですし。ーー来年初めにはタイトル挑戦をかけて、浜田文子選手との試合も控えていますね。里村:そうです。まだ自分の中で一番いい試合をしてやろうという気持ちが強いです。それがまだある限りは現役を引こうとも思いませんし、自分が今(団体経営とかも)頑張っていられるというのは、プロレスラーでいられるということが大きいと思うので。プロレスラーはもういいかなと思ったときに引けばいいかなと思っています。そこは自分に対して正直でいたいです。(中略)
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' 【プライベートについて】
ーー話を変えて、里村さんのプライベートについてお伺いさせてください。休日とかは何をされているんですか?里村:プライベートは、普段そんなに自分から休みを取らない方なんですけど、年に3回海外旅行に行ければ、もう後は何もいらないという・・・(笑)ーー海外旅行がお好きなんですね。里村:大好きです。この間はラスベガスとシャスタというところに行ってきました。ーーラスベガスといったらカジノですね。むかしパチンコにえらくはまった時期もあったみたいですが、カジノに行かれたりするんですか?里村:カジノですか?カジノは年に1回解禁しますよ(笑)日本ではもうパチンコは足を洗って、15年程行っていないですけど(笑)ハマりすぎて、お金がなくなって、毎日別の汗が出てました(笑)本当に面白いんですよ、こんな面白いものがあったのかと。ーー競馬や競輪とか、他には?里村:他は全然やらないです。パチンコにたまたま連れて行ってもらったときに10万円くらい勝っちゃったんですよね。それがいけなかった、そこからハマってしまいましたねー。カジノには以前ほどハマリはしないですね、大人になりました。でも私ショーが好きなので、ラスベガスではショーにも行っています。ーー行ったことないのですが、すごいって言いますね。里村:本当にめちゃくちゃエンターテイメントの街なので、どこに行ってもショーをやってるんですよ。その中でも男性ストリップにはまっちゃって(笑)ーーそんなのがあるんですか?脱ぐんですか??里村:全部脱ぐんです!めちゃくちゃかっこいいんですよ、ムキムキで。去年からハマってきて。3箇所くらいでやってるんですよね。(上半身だけ裸の映像を見せていただきました)ーーすごいですね、みなさんムキムキですね!里村:そうなんですよ、これが近くでやるので、もうウハウハです(笑)ーーやはりこれに来られるのは女性が大半ですか?里村:女性がほぼですね。また来年も行こうと思ってます。ーーちなみにこれって書いていいやつですか?カットしておきます??里村:全然書いてもらっていいです!『チッペンデール』というショーで、シルク・ドゥ・ソレイユとかも一通り観たんですけど、一番ハマったのがこれですね。魅力がありますねー、女性だったら皆さんに観てほしいです!ーーじゃあ、男性でも筋肉質の方が好きなんですか?里村:筋肉質の人好きですねー。ボディビルダーはそこまで好きになったことはないですけど。ーー芸能人とかスポーツ選手とか、好きなタイプの方っていらっしゃいますか?里村:うーん、特にいなくて。今見せた『チッペンデール』のショーで一人好きな方がいらっしゃるんですけど。インスタとかちょっとチェックしてます(笑)ーーじゃあ外国の方でもOKということですね?里村:そうですね、チャンスがあれば!ーー男性とのお付き合いもチャレンジですね。里村:チャレンジが・・そこだけがもう自信がなくて。こういう仕事をしていて、イメージがあるので自分が代えようと思っても代えられないですね。絶対言われるのが、ストイックということだし、話せば大丈夫だと思うんですけど、自分ってこういう人間なんだよって自分からはなかなか言えないですね。ーーお付き合いされたら、どうなるんですか?里村:いきなり尽くし始めますね。めちゃくちゃ尽くします。料理、洗濯、いきなり全部やり始めます。でも別れたら、何もやらなくなりますね。
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ーー最後にひとことお願いします。里村:私は女性の持っている強さとか、女性がもっと輝けるのに、女性だからと自分のやりたい事とかを抑えている方ってたくさんいらっしゃると思うんですよね。そういう方にもっと輝けるんだよと後押しをしたいと思います。ーーそういった思いの方達にも今回里村さんが出版された本を読んでほしいですよね。今日は団体のことからプライベートまでお伺いさせていただき、ありがとうございました!里村:こちらこそありがとうございました。』
※里村さんのイメージはこれで、ガチンコ、パチンコ、生チンコ(ストリッパー限定w)
のトリプルチンコ横綱、ということでヨロシイデスカ---?

☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日1月3日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『人の倍の倍の倍、練習する。』
出展:リオ・オリンピック前のインタビューより。
『やっと内村航平を証明できた。』
出展:ロンドン・オリンピックでのインタビューより。
発言者:内村航平体操競技選手 1989年1月3日~)
『解説:ロンドン・オリンピックで自身初の五輪金メダルに輝いた。オリンピックの個人総合日本選手金メダリストは1984年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来28年ぶり4人目。/内村は19歳の時、8個の金メダルを持つ先輩加藤澤男の、「世界一になるやつは世界一練習してるんだ!」という言葉で意識が変わったという。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 栄光のその先へ 内村航平語録―8年無敗の軌跡 単行本 内村航平(著)
『■内容紹介:体操男子“絶対王者"内村航平はなぜ負けないのか・・・? メッセージと写真で紐解く38連勝のヒストリー。19歳で初出場した2008年の北京オリンピックでは、銀メダルを手にし、全世界の注目を集めた内村選手。その後、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと、これまでに3度オリンピックに出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金3、銀4)、世界体操競技選手権の個人総合では、世界最多の6連覇を含む19個のメダル(金10、銀5、銅4)を獲得と、前人未到の記録を更新。そして、2016年12月からは日本体操界初のプロ選手へと転向。さらに前へと歩みを進めようとしている。
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/彼をそこまで体操に駆り立てるものは何なのか、彼の体操への思いとは―。本書では、2008年から2016年までの8年間、彼が残してきた言葉の数々を写真とともに収録。前半は特に印象的な言葉を、後半は「内村航平クロニクル」と題し、個人総合優勝38連勝を続けるなかでの成長と変化を、年代順に追い、その言葉から読み解く。/■登録情報:/単行本 175ページ /出版社 ぴあ /言語 日本語 /ISBN-10: 4835638077 ISBN-13: 978-4835638072 /発売日 2017/1/25 /梱包サイズ 20.8 x 14.8 x 1.7 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.7 /■カスタマーレビュー:5つ星のうち5.0 「素敵な写真が一杯」 投稿者 プク ・・・内村航平選手の写真が主体で、色んな表情が見れただけでも素敵なんですが、その言葉1つ1つが彼の飾らない正直な気持ちを真っ直ぐに表していて、体操を本当に愛しているんだなって思いました。栄光のその先へ、プロになって道なき道を切り開いて行く彼を心から応援したいと思います!』

●【世界王者】内村航平の完璧すぎる跳馬【笑うしかない】


日刊スポーツ AK-69「自然と涙があふれた」内村団体金を祝福
リオ五輪の体操男子団体総合で日本代表が金メダルに輝き、エース内村航平が“勝負曲”と公言する楽曲を歌うヒップホップ歌手、AK-69(37)も9日、悲願達成を喜んだ。内村は試合前に聴く勝負曲にAK-69のシングル「Flying B」を挙げている。AK-69はテレビで中継を見守ったという。「最後の種目だった床の最後の着地を決めた瞬間、自然と涙があふれました」。
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  内村は、所属するコナミスポーツの同僚選手がAK-69の楽曲を聴いていたことから興味を持ったという。AK-69の14年日本武道館公演のチケットを購入して観賞した。AK-69は15年にテレビで内村が試合前に必ず聴く曲に自分の楽曲を挙げたことから、初めて内村がファンであることを知ったという。2人が初対面したのは今年1月。埼玉のコナミスポーツ練習施設を激励に訪れた。内村選手の印象を「寡黙な印象ですが、内に秘める熱い闘志を感じました」。さらに「休みが水曜日みたいで、水曜日にライブをしてほしいとも言われました」と明かした。
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  その場で内村選手に翌2月発売の新曲「Flying B」のデモ盤を手渡しした。同曲は重厚なビートに、闘志が沸き立つような熱いリリック(歌詞)を乗せた楽曲。「『地べたから来た男の背中には今羽が』。まさにこの歌詞の通り、その背中に生えた羽が見えた気がしました。こんな俺なんかの曲を、今回のこのシーンの中でも共にしてくれてたかと思うと、本当に光栄極まりないよ」と大感激。そして「個人や種目別でも内村君の真の『強さ』を世界に魅せつけてやろう! これからも共に己と闘い続けて行きましょう」とエールを送った。』

●勝負曲 AK-69 - 「Flying B」


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“他人は己以上遥かに卓絶したものでも、遥かに劣ったものでもない。特別の理由がない人には僕はこの心で対している(『書簡』明治39年2月13日より)”

【1896年1月3日の漱石】親友・正岡子規の自宅で森鴎外と初めて出会う

今から120年前の今日、すなわち明治29(1896)1月3日、漱石は東京・根岸の子規庵(正岡子規の自宅)を訪れていた。漱石の他にも、何人かの訪客がいた。この席で初めて、漱石森鴎外(1862~1922)と顔を合わせた。

時に漱石、数え30歳。愛媛県尋常中学校(現・松山中学校)の英語教師をつとめていて、冬休みの帰省中に同い年の親友で俳人正岡子規(1867~1902)が主催する句会に誘われたのだった。鴎外は、漱石や子規より5つ年上。東大医学部を卒えて陸軍軍医となり、ドイツ留学もしたエリート。当時は軍医学校長をつとめていた。小説家としても、『舞姫』『文づかひ』などの作品ですでに世に知られる存在だった。漱石が処女作『吾輩は猫である』を発表するのは、この9年後のことだ。

後世から俯瞰すれば、漱石と鴎外は明治の文壇をリードした両巨頭と言っていい。だが、意外なことに、この句会での出逢いも含め、生涯に直接顔を合わせたのはわずか3、4度だったという。互いの存在を認め、著書は献呈し合っていたが、半ば意識的に淡い関係を貫いたように見受けられる。

句会には、内藤鳴雪(ないとう・めいせつ)、高浜虚子(たかはま・きょし)、河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)といった面々も参加していた。いずれも愛媛・松山出身、子規門下の俳人だった。

この日、漱石が詠んだ一句。

<先生や屋根に書を読む煤払>

松山における自画像から生まれた句だったろう。漱石先生の松山体験が『坊っちやん』に昇華するには、まだ10年の時が必要だった。

細かすぎて伝わらない関連動画など



ジョニーAのつぶやき:文豪たちの交流の様子がリアルに伝わってくる、いい資料だなぁー