本のめぐみ 第20回 「宮沢賢治の真実」これは買いダァー!

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小橋めぐみオフィシャルブログ 本のめぐみ
『あけましておめでとうございます。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。年のはじめのお知らせは、「本のめぐみ」から。

小橋めぐみ 本のめぐみ第20回 『宮沢賢治の真実―修羅を生きた詩人ー』

・読書家の女優、小橋めぐみが、青山ブックセンター本店の書店員、
米山さんとおすすめの­­本をご紹介­します。
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・第20回は、今野勉 著 『宮沢賢治の真実―修羅を生きた詩人ー』(新潮社)をご紹介しています。番組の最後に「銀河鉄道の夜」の朗読もあります!
記念すべき第20回は、「宮沢賢治の真実ー修羅を生きた詩人ー」です。番組の最後には、「銀河鉄道の夜」を朗読していますので、ぜひ最後まで!
最近、「本のめぐみ」を楽しみにしています、というメッセージを、ちょこちょこ頂いて。嬉しいな。と同時に、もうちょっと早くアップされるといいなって笑 /季節感とか、ね。いろいろね。思いますが。今年も「本のめぐみ」は更新していきたいと思っていますので、のんびりお待ちいただけたら。
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「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新しい力が湧くようにふうと息をしながら言いました。私も、しっかりやります。ふう!』

e-hon 宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人
今野勉/著 出版社名/新潮社 出版年月/2017年2月 ISBNコード/978-4-10-350681-2(4-10-350681-4) 税込価格/2,160円 頁数・縦/399P 20cm / 文学賞情報/2017年 第15回 蓮如賞受賞 要旨/たった4行、だが「猥」「凶」「呪」などただならぬ言葉をちりばめた文語詩との出会い。それが始まりだった。謎の詩に導かれるように、著者は賢治の人生をたどっていく。身が千切れるほどの悲しみ、苦悩を、彼は作品に変えていったのだ。妹を死の淵にまで追い込んだ事件とは何か。なぜ、賢治は自身を修羅と呼んだのか。「永訣の朝」はいかにしてつくられたのか。「銀河鉄道の夜」で描かれた「ジョバンニの切符」とは一体何なのか―。謎解きの連続で賢治像を一変させる圧巻の書。』
※書店検索により、加古川のミーツテラス(駅前TSUTAYA書店)、紀伊国屋加古川
(ヤマトヤシキ6F)に在庫あり、と出た。速攻、明日あたり買いに行くぜぃ!!

☆1年前にこんな映画もできてたんだなっ!
●【公式】映画「愁いの王-宮澤賢治-」予告編2 Cinema 「KING OF SORROWS -KENJI

・日本で最も知られている詩人・宮澤賢治の生涯を芝居めいた演技を排し、
非俳優によって描いた上映時間3時間18分のモノクロームの劇映画。
全編オフスクリーンというセリフを言う人物をキャメラに写さない手法を
とっている。全カットを固定ショットのモノクロ映像で撮影し、モンター
ジュを駆使し、冷徹でストイックな映像を作り出している。
尚、音楽は全編にJ・S・BACHが響く。

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※うーーん、淡々としてて物足りなーい。もっと、賢治の“修羅”の
部分にスポットライトを当てた、商業映画が観てみたーーーい!!



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日1月10日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『くるしみぬいたと うぬぼれてはならない くるしみきれぬと 絶望してはならない 絶えず苦しめ そしてほほえめ くるしみは 浪のやうなものではないか 礒岩をかむその浪浪 うみ草を洗う浪浪 うかぶ船 むれとぶかもめ 浪浪のうねりをみないか 生きたその美しさをみないか 生きたその美しさを見ないか くるしみの上にあれ』
出展:「身自らにおくるの詩」(“山村暮鳥詩集” 角川書店
発言者:山村暮鳥(詩人、児童文学者 1884年1月10日~1924年12月8日)
『解説:本名は土田八九十(ハクジュウ)。ペンネームの由来は「静かな山村の夕暮れの空に飛んでいく鳥」という。有名な「雲」の詩で、おおらかな自然詩人と思われがちだが、彼自身四十年の短い生涯を、生活と信仰と病苦に苦しみ続けた。』

☆有名な暮鳥の詩を2編。
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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

紀伊国屋書店 山村暮鳥
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『●山村 暮鳥【著】/萩原 昌好【編】/谷山 彩子【画】/●内容説明:日本の民衆詩を代表する詩人、山村暮鳥。その初期の前衛的な詩から、晩年の人道主義的な詩までわかりやすく紹介します。【目次】/風景 純銀もざいく /人間に与える詩 /子どもは泣く /先駆者の詩 /此の世界のはじめもこんなであったか /或る日の詩 /道 /麦畑 /わたしたちの小さな畑のこと /友におくる詩〔ほか〕【著者紹介】萩原昌好[ハギワラマサヨシ]・・・1939年神奈川県に生まれる。東京教育大学、同大学院を卒業後、埼玉大学教授、十文字女子大学教授を経て、現在に至る。宮沢賢治学会イーハトーブセンター会員/谷山彩子[タニヤマアヤコ]・・・1966年東京都に生まれる。セツモードセミナー卒業。HB GALLERY勤務の後、フリーに。雑誌、書籍、広告などの世界で幅広く活躍。TIS会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)』


☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする(『吾輩は猫である』より)”

【1901年1月10日の漱石】ロンドンでパントマイムを見てステテコ踊りを思い出す

今から115年前の今日、すなわち明治34年(1901)1月10日、英国留学中の漱石は、珍しく気持ちよく晴れ上がったロンドンの空を見上げていた。こんな日の市中には、時を告げるビッグベンの鐘の音もいつにもまして荘重な音色を響かせている。

3日前、漱石はロンドンで初めての雪を経験した。雪は2日間降り続いた。昨日は雪こそ止んだものの、雲が重たくたれこめていた。ヨーロッパの冬は気候的に曇天が長く続くが、この頃のロンドンは、それに加えて、各戸の煙突から流れ出る暖房用の石炭の煤煙が街中を漂っていた。昨日は、その灰が降り積もった白い雪をおおっていくのを、漱石はまるで阿蘇山が噴煙を上げたときの火山灰のようだと思いながら見ていた。

漱石は、文明社会における環境汚染の問題を意識的に眺めた最初の日本人かもしれない。6日前の日記には、こんなふうに記している。《倫敦ノ町ヲ散歩シテ試ミニ痰ヲ吐キテミヨ。真黒ナル塊リノ出ルニ驚クベシ。何百万ノ市民ハ此煤烟ト此塵埃ヲ吸収シテ毎日彼等ノ肺臓ヲ染メツツアルナリ》

この日は、そんな煤煙や塵埃のことも忘れてしまうほどの気持ちのいい好天気。漱石はひとり散歩に出た。フロッデン・ロードの下宿から、ぶらぶら歩きにデンマークヒルの辺りをゆく。閑静な場所である。春のような温かな風がゆるやかに吹いている。漱石は、石造りの異国暮らしの中で忘れかけていた風雅の心を喚起されるような、快い気分を味わっていた。夜はケニントン劇場に出かけ、パントマイムを見た。ここでいうパントマイムは、いわゆる黙劇ではない。主としてクリスマスの時期に、昔話や童話に材をとって子供向けに演じられるパロディ仕立ての「おとぎ劇」のようなもの。役者の衣装や道具立ての美しさが見事だった。

漱石には、このパントマイムも愉快だった。その滑稽味は、噺家の三遊亭円遊を思い起こさせた。大きな鼻で「鼻の円遊」とあだ名された円遊は、余興で、着物の裾をまくって尻ばしょり、半股引き、うしろ鉢巻きで、「向こう横丁のお稲荷さんへ…」と歌い出しながら、自分の鼻をもいで捨てるような仕種のステテコ踊りを披露し、よく寄席をわかせていた。日本を離れて4か月。張りつめていた漱石先生の胸の中に、ちょっと郷愁もこみあげていた。

細かすぎて伝わらない関連動画など


●初代圓遊 明治期


~ステテコ踊りで検索してみた~

●ステテコォ踊り 寄居町「くぬぎの森広場」より


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ジョニーAのつぶやき:ステテコ踊り・・・。ちょっと『夜は短し歩けよ乙女』の“詭弁踊り”を連想したワァー♪