のんちゃんの生地巡礼~♪

☆まず、ミク友のカジオくんから教えてもらった、『のん「あまちゃん」からの4年半』という記事より、これまで知らなかった部分だけを抜粋しようと思う~♪

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文春オンライン 女優・のん「あまちゃん」からの4年半(前編)
『「はじめまして。のんです」透き通るように肌が白く、頬は少し紅潮している。「あっ、最近はのん社長とも呼ばれています。えっと、のん社長の社長はあだ名ではなく、本当に社長だからです」「社長になったんですか?」こう尋ねた私に、肩をすぼめ首を前に突き出して、上目遣いのまま彼女は言った。「はい、私、社長です。小さな会社を作りました。『株式会社non(ノン)』っていいます」そう言い終えて静かに椅子に座った彼女に私は聞いた。「アキを演じた女優の能年玲奈さんは、もういないのですか」躊躇のない真っ直ぐな声が響いた。「今の私の芸名はのん。そして、会社ではのん社長です」瞬きした目がきらめいていた。
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この世界の片隅に」の大ヒットの要因の一つは、すずを演じたのんの魅力に他ならない。そう言い切って憚らないのは片渕須直監督自身だ。大ヒットの感慨を聞くと、片渕監督は肩で大きく息をしながらこう語った。「このアニメーションを作ろうと準備をはじめたのは2010年ですが、その3年後、主役のすずさんはこの子しかいない、と思う女優さんが現れたのです。それは『あまちゃん』で主演していた能年玲奈さんだったのです」運命的な出会いだった。片渕監督が明かす。「私の妻(アニメーター・浦谷千恵さん)が通っているダイビングスクールが武蔵小金井にあるのですが、そのプールで、“あまちゃん”で海女を演じる女優さんたちが素潜りの講習を受け、トレーニングをしていたのです」あまちゃんの女優たちが練習するときにはプールはクローズされ、能年や他の女優たちに直接会うことはなかったが、片渕監督の妻が習うインストラクターもあまちゃんチームを担当しており、トレーニングの様子を伝え聞くことがあったという「朝ドラの主役が海女で、その女優さんたちが私の妻の通うプールで練習して、三陸の海で潜りウニを捕っている。その親近感も手伝って、あまちゃんを食い入るように見ることになります。何より主役のアキが可愛くて、私たち夫婦の中では準備を進めている映画の主役声優には、アキを迎えるんだと話し合い、それがひとつの希望になっていきました」
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  長編アニメーション映画制作のための資金繰りは容易ではない。片渕監督は、作画・演出のための資料集めに奔走しながら、プロデューサーである真木太郎さんからの資金調達の報を待つしかなかった。真木プロデューサーは制作費をクラウドファンディングで集めることを思い立つ。2015年3月に開始された「片渕須直監督による『この世界の片隅に』のアニメ映画化を応援」クラウドファンディングでは4000万円もの資金が集まり、アニメーション制作がスタートできることになった。ところが。片渕監督は、ここまで来て衝撃の事実に直面することになる。主役のすずの声を頼もうと思った能年玲奈の姿が、どこにもなかったのである。片渕監督が当時をふり返る。「あの頃、私が主役のすずを演じて欲しいと願った能年さんは、連絡が取れない状況にありました。私たちは能年さんの状況を報道でしか知らないし、この先どうなって行くかも分からない。映画のスタッフの多くは、事務所と揉めている女優を主役に迎えれば、映画すら危うくなる、と言って反対する者がほとんどでした」それでも、諦めきれなかった片渕監督は、能年の連絡先を見つけ出し、すずを演じてくれないかとオファーした。片渕監督の覚悟は決まっていた。「最初に連絡したのは2016年の2月頃。けれど、受けるという返事はもらえず、じりじりとした時間を過ごしました。4月から6月までには何十人もの声優さんをオーディションするんです。けれど、その中にすずはいなかった。能年さんでなければ駄目でした」
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  制作スタッフからは作品を案じるがため、能年の抜擢には反対の声があがっていた。片渕監督の怒りは頂点に達した。そして、スタッフをこう一喝した。「どこまで一人の若い女優をいじめれば気が済むんだ! 才能ある女優をいったいいつまで蔑(ないがし)ろにして放っておくつもりなんだ!」のんの声で映画を完成させたい。すずを演じられるのは、この世界でたった一人だけだ。片渕監督のその覚悟は、制作チームの隅々にまで伝わった。そして、2016年7月、前事務所との契約が切れて能年玲奈からのんとなった彼女に「この世界の片隅に」のオーディションを受けに来てほしいと声がかかった。他の声優たちのすべての声が入ったアニメーションを見ながら、のんは監督と語らい、教えを請いながらアフレコを務めていった。「監督を質問攻めにしましたが、監督は一度も嫌な顔をせず、私の話に付き合ってくれました。それも穏やかに。何度でも――」私がのんのその言葉を告げると、片渕監督は表情をゆるめた。「私は大学で映画についての講義をしています。学生が分かるまで何度でも話し、伝えます。のんさんとのやり取りは、そんな雰囲気でもありました。けれど、すずになりきって彼女が声を発するとき、私は唯一無二の才能との仕事に震えていましたよ」後日、私が片渕監督に会って話したと伝えると、のんは、すずとなった時間を忘れない、と言った。「私の中にいるすずさんを、片渕監督夫妻が見つけてくれました。呉にお嫁に行ったすずさんになった2016年の夏の日を、私は生涯忘れないと思います」』
片渕須直監督に惚れたぜっ!!!「どこまで一人の若い女優をいじめれば気が済むんだ!」カッチョええ~~~~。まぁ、あと付けでちょっとカッコ良く上方修正してる可能性はありますけどもwアッチャァ~

◎後編も抜粋しまっしぇ~~~~!!
女優・のん「あまちゃん」からの4年半(後編)
『のんへのインタビューを繰り返していくと、彼女の大自然への愛着がどんなに大きなものか伝わってくる。都会で暮らし、スタジオの照明を浴びることが日常ののんに、私が日なたや土や草や風の匂いを感じるのは、単に北三陸の海女と彼女を重ね合わせているからではない。事実、のんは大自然の中で育った少女時代の話を幾度も披露し、自分の原点ですと語っている。「家の前が田んぼだったんです。畦道から田んぼのオタマジャクシを捕って、水槽で飼っていました。家から少し行くと山もあって、そこにはカブトムシがぶんぶん飛んでいました。昆虫もへっちゃらで、オモチャなんかより自然の中で遊ぶほうが好きだったんです。実家は駅の近くなんですが、走っている汽車も単線で、人々はゆっくり歩いている。長閑なんてもんじゃないですよ」あ、といってのんが付け加えたエピソードがすさまじい。「私の通っていた小学校のそばにでっかい山があって、そこで鉱石が採掘されるんですが、山をダイナマイトでドッカーン、ドッカーンって、爆破して砕くんです。小学校で授業しながら、山からのドッカーンっていう物凄い音を聞いていました。田舎は長閑だけど、やるときにはやります。ワイルドです」
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のんが生まれ育ったのは、兵庫県神河町。県のほぼ中央に位置するこの町は面積の8割を山林が占めている。町中から車で40分ほどの峰山・砥峰(とのみね)高原は関西地方でも有数の高原地帯で、砥峰高原のススキは約90ヘクタールに及ぶ広さを誇り観光客を迎え入れる。のんは、私に言った。「ぜひ、私をこんなふうに育てたあの自然を体感してください」のんの原風景を訪ねるため、兵庫県に向かった。東海道新幹線の姫路駅で降り、レンタカーで1時間ほど行くと、神河町の町役場がある。役場の方の案内で神河町を歩く。のんが語ったとおりの豊かな自然と長閑な空間と親切な町の人たちが、私を出迎えた。能年家の長女として生まれた女の子に玲奈と名付けたのは、当時21歳の母だ。父はひとつ年下の20歳。若い夫婦は質素な生活を送りながら、玲奈と年子で生まれた妹を懸命に育てた。実家を訪ねると、のんの母は私に子供の頃の写真を見せながら当時のことを明かしてくれた。「隣には姉の一家が住んでいて、私の娘2人と、従姉妹の男女の子供2人と、いつも一緒にいたんです。ひとつの大きな家族のように暮らしていました」若い母親たちの楽しみは、安くて可愛い洋服を買っては子供たちに着せ、ポーズを取らせて写真を撮ることだった。のんの母はこう話す。「中でも玲奈は特別でした。幼い頃から洋服を自分で選び、コーディネートをするんです。そして、誰も教えたわけではないのに、モデルのポージングをしてみせます。ウインクをしたり、足を交差したり、ピースサインをしたり、腕を腰に当てたりして、写真に収まるんです。玲奈は小学校に入る前からモデルさんになりたい、と言っていましたね」母に似た二重の大きな瞳を持った少女は、洋服とカメラ撮影、そして人に見られることが大好きだった。将来の夢はおのずと決まっていた。のんの母も当然、知っていた。「小学2、3年生になると、毎月ファッション雑誌『ニコラ』を買っていました。すでに大活躍していた新垣結衣さんに憧れて『ニコラ』でモデルになることを真剣に考えていましたね」
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  神河町で会った松原秀樹さんは、のんが神河町立寺前小学校4年の時の担任だ。松原さんは、いつも元気で屈託のない剽軽で(ひようきん)積極的な玲奈しか思い起こせないと言った。「絵が得意で、文化祭や文集製作などでは、イラストやデザインを担当していました。お笑いが好きで、ダンディ坂野の『ゲッツ!』の物まねをして、クラスでも目立っていて、明るく朗らかでクラスの先頭に立つ能年さんしか記憶にないんです」のんの小学校の卒業文集に書いたライフプランには、自らの夢を次々に実現する様子が描かれている。専門学校を出てスタイリストになり、ファッションデザイナーへ転身、ファッションブランドの社長になり、コスメブランドの社長との結婚、視聴率40%の女優、5億部ベストセラーの小説家、映画女優にもなってヒット作に主演し、やがて死すると銅像が建つ――。松原さんはただ微笑ましく、快活な彼女の前途を思った。「イラストやデザインが上手でしたから、そうした才能が花開けば良いな、と思っていました。それに能年さんは、作文や詩が得意だった。あるとき一編の詩を書いたのですが、それを読んだ時には能年さんには人とは違った視点があるな、凄いな、と感心したものでした」松原先生が今も大切に持っているのんが小学6年生の時に書いた「カサブタ」という詩。

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  12歳の少女は、その無邪気できらきらとした心のまま、芸能界に入っていく。2006年、第10回ニコラモデルオーディションに応募した玲奈は13歳。のんは、その頃の気持ちを鮮明に覚えていると言った。「モデル、という仕事は物心つく前から、私の頭の何処かにあって、洋服を着ることとそれを誰かに見せることができたら、こんなに幸せなことはない、と思っていました」のんの母は、オーディションのために東京へ通う娘に強い意志を感じていた。「玲奈も私たちも物見遊山ではありませんでした。一次審査、二次審査と進み、最終審査の時には、私はとても緊張していましたが、玲奈はカメラの前で自在にポーズを取り、笑顔を作り、グランプリをいただくんです。夢のような瞬間でしたね」そして、ニコラの専属モデルになるためレプロエンタテインメントジュニア部「j-class」に所属する。心弾むままに思い描いた世界へ突き進んだ能年玲奈の夢の頂点。中学生になると一人で新幹線に乗り、彼女はニコラの撮影スタジオへ向かうようになった。東京の撮影現場に一歩足を踏み入れれば、玲奈は兵庫の田舎の中学生をかなぐり捨てることが出来た。母の目にも、それは確かだった。「怖いもの知らずな玲奈は一人で東京に行き、そこで最高に輝いていたと思います」(中略)
【アキやすずを超えて】
  2017年8月6日、のんの姿は東京・葛西臨海公園の「汐風の広場」のステージの上にあった。今年で10年目を迎えた音楽イベント『WORLD HAPPINESS 2017』(ワーハピ)で高橋幸宏スペシャルバンドのステージに呼び込まれ、紅いギターを弾きながら1970年代に高橋が活躍したサディスティック・ミカ・バンドのヒット曲「タイムマシンにおねがい」を弾き、歌った。照りつける夕陽の下、私はステージに立つのんを見ていた。ゴールドと紫のゴージャスなスカートの下に緑色の恐竜のしっぽを付けたのん。
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彼女は、大スターとともに夏フェスにデビューした。「中学生の頃のガールズバンドから10年目の大事件です。でもギターをやってきて良かった、と思いました。ステージでコードを何度か間違えて、もっと練習しますと誓いました、えへっ」ステージを終えて、バックヤードに戻ってきた彼女は笑顔で語った。中学生の頃に没頭したギターとバンド。あの弦から生まれる音が、今ののんを支えている。「音楽と演技は繋がっていると思います、私の心と体の中で」同8月3日に自分自身のレーベル「KAIWA(RE)CORD」を発足させ、本格的に音楽活動をスタートするとも発表したのん。2017年11月22日にはデビューシングル『スーパーヒーローになりたい』が発売された。「夏にワーハピで共演した高野寛さんが曲を書いてくれました」モデルに始まり、女優に転身したのん。イラストを描き、音楽を奏でるのん。あらゆる才能が開花している彼女は眩しいばかりだが、私個人の望みを言葉にすれば、女優・のんを見たい、ということに尽きる。天野アキやすずを超える役に出会って演じる彼女をもう一度見たい。のんは、どこへ向かうのか。私の問い掛けにのんは答えた。私の目を見つめ、恥ずかしそうに。けれど雄弁に。「この間、LINEモバイルのコマーシャル撮影の時に、思ったんですよ。カメラの前に立って、監督の求める人を、表情を、丁寧に演じながら、あ、まだ終わっていなかったんだ、と。それどころか、始まったばかりだったんだ、って分かったんです。この先、どんな機会が巡ってくるのか、ドキドキしています。そして、きっとどんな機会にも、私は飛び込んでいくのだと思います」』

神戸新聞ネクスト のんさん、故郷の神河巡る 初のアートブック出版
兵庫県神河町出身の女優のんさん(本名・能年玲奈)が、子どものころの遊び場や母校、生家など思い出の場所を巡り、写真などを集めたアートブック「創作あーちすとNON」(太田出版)を出版した。
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最近まで同町出身を明らかにしていなかったが、「私の大切な古里をもっと知ってもらいたい」と自ら提案し、10年ぶりに帰郷して作った。(木村信行)撮影は、町内の山並みにうっすらと雪が残る2月上旬。緑色のダッフルコートを着たのんさんが、使い捨てカメラで撮影しながら思い出の場所を訪ねた。秘密基地のあった畑や、オタマジャクシを飼っていた空き地、友達と遊んだ寺前小学校のゴンドラ…。中学卒業まで過ごした古里を童心に戻って駆けた。中学時代、バンドの練習で毎日のように通ったスタジオでは、懐かしい店主と再会し、くつろぐ表情を見せた。撮影に同行した同町長谷のホテル「モンテローザ」支配人の森本敬章(けいしょう)さん(50)は「生き生きした表情が印象的だった」と話す。のんさんはNHK連続テレビ小説あまちゃん」などに出演。昨年7月から芸名を「のん」に変更し、「創作あーちすと」としてイラストやデザインの分野にも活動を広げる。今回は初のアートブック。桃井かおりさんや矢野顕子さんとの対談など全編をのんさんが企画した。神河町への観光客誘致につなげようと、モンテローザが販売窓口になっている。森本さんは「のんさんと一緒に町を盛り立てたい」と話す。B5判、120ページ。1944円。大型書店でも購入できる。』

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のんさんが「創作あーちすと」として本を出版しました。
生まれ育った故郷である神河町に10年ぶりに帰省し、思い出の場所を巡り、撮影した写真などを集めたアートブックを太田出版から出版されました。
昔通っていた小学校や中学校等神河町内の懐かしい場所で、のんさん自身が故郷の思い出探しをしている様子が載っています。
創作あーちすとNON
発行:2017年3月25日
出版:株式会社太田出版
定価:1,800円(税抜)

神河町
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『~神河町は女優のんさんを応援しています~/かねてよりお知らせいたしておりました神河町観光PR動画「ハートの町かみかわ」が、完成いたしました。平成29年8月26日東京アキバスクエアで開催されました「第3回全国ふるさと甲子園」で初公開し、会場に来られた多くの方々にのんさんを通じ、神河町の魅力を伝えることが出来ました。そのふるさと甲子園で神河町は、来場者と特別審査員の投票により55団体のうち「行きたいまち」第3位に選ばれました。今後は、全国の皆様に神河町の魅力を伝えていくため、YouTubeに公開しましたので、是非ご覧ください。』
※能年姓の由来は、「姫路市南畝(ノウネン)町」だったとも聞く。わ!南畝町って、前に駐車場を利用していた場所やし~!因縁感じるな~。

兵庫県神河町観光広報プロモーション映像

※播磨の方言を喋るのんちゃんに感激!ますますファンになりましたジェーイ。


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●のん、故郷の神河町をPR。第3回全国ふるさと甲子園2017


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朝日新聞デジタル のんさんが転落防止呼びかけ「飲んでホームの端は危険」
『 NHK連続テレビ小説あまちゃん」でヒロインとして活躍した兵庫県神河町出身の「創作あーちすと」の、のん(本名・能年玲奈)さんが22日、姫路市のJR姫路駅中央コンコースで集まった利用客らにホームからの転落防止を呼びかけた。/JR西日本によると、2016年度は管内で263件のホームからの転落があったという。お酒を飲む機会が多く、転落が増える12月から来年2月末までの転落防止キャンペーンにのんさんは協力し、動画にも出演。プラットホーム安全ガイドブックを開いて、「ホームにはたくさん危険がある。お酒を飲み過ぎて酔った時、ホームの端を歩くのは危険です」と呼びかけていた。』
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のんちゃんを呼んで「転落防止キャンペーン」というのは、実はなかなか洒落の
効いたイヴェントだったんじゃないかしらん?芸能界、事務所に盾突いた女優さ
んは、なんだかんだでその後、「忖度という名の強制」措置を浴び、“転落”す
るケースが多いであろう中、のんちゃんは転落せずに生き残って今があるわけで
・・・。トカイウノハカンガエスギカ?

★というわけで、わが町姫路から、車で数十分北上するだけで、のんちゃんの生
まれ故郷に辿り着けると知るや否や休みを利用してさっそく行ってみたヨオーウ。
よく、好きなアニメの舞台を訪れたりする「聖地巡礼」とかやっているファンが
いるが、こちとら「聖地巡礼」じゃなくて「生地巡礼」じゃーい!ジェジェジェジェ!

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播但線寺前駅」。「あまちゃん」では、過疎化する岩手の三陸鉄道
お座敷列車」のイヴェントをやって客足増員を図っていたアキちゃん♪
播但線も、“のんちゃん列車”とか走らせたら、活性化するんジャマイカ~?

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※駅構内の休憩所に、サイン入りの『この世界の片隅に』ポスター発見!

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※「観光協会」の文字が、やはり「あまちゃん」の袖ヶ浜駅観光協会の職員さん
たちを思い出させる・・・。ゆるキャラ「カーミン」の顔抜きも忘れないで!

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※寺前小学校。周囲からダイナマイトの破裂音はせずw 長閑な、のどか~~な
午後を堪能できた。

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※この場所に、将来のんちゃんの銅像が立っているかも、だ。口ひげつけてw

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※のんちゃんが遊んだというゴンドラがどれなのかは確認できず・・・

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※おとなりの「新野駅」は“水車の郷”と呼ばれているらしい。
実際に川に架かっている水車は見付けられなかった。

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※水車を看板代わりにしている有名なお店、こっとん亭は残念ながらお休み!

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※途中で立ち寄った神社。奥から除く牛さんが不気味ダ・・・。

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※信号待ちの時に撮った市川。川沿いの田舎ってのは風情があっていいもんッスな♪

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※駅前の余田(ヨデン)屋さんで昼食をとる。のんちゃんスタッフご一行はここで
「銀の馬車道ラーメン」という名物を食べていたようだが。。。

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※ワチクシ、どうもラーメンという気分ではなかったので、おでん定食を頼む。
なんと姫路と同じ生姜醤油スタイルだっ!のんちゃんが子供のころ食べていた
おでんは姫路おでんだったのかな?(あややがTVで披露してたのを思い出す。)

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※壁一面にのんちゃんメモリアルショット。店内には「創作あーちすとNON」
もちゃんと置いてあったゾネ。精神的にしんどくなったらまた来よう!東京に出
たアキちゃんが幼少時代を過ごした架空の故郷・岩手ではなく、リアルにのんち
ゃんが過ごした、真の故郷・神河へ・・・

☆おまけ 笑っていいとも
能年玲奈 20131007

※タモさん、とちゅうで一瞬「兵庫」って言っちゃってるな~w
 この時期にはまだ秘密にしていたはずなのに・・・。



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日1月23日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『私は 自分の尊敬するものしかおそれない。』
出展:「恋愛論」(新潮社)
発言者:スタンダール(フランスの小説家 1783年1月23日~1842年3月23日)
『解説:彼が39歳で書いた「恋愛論」。自分の尊敬するものしか畏怖しない。つまらない奴は恐るるに足らず、びくびくするな!ということだろう。思い当たることはないか?なお、スタンダールペンネームで、本名はマリ・アンリ・ベール。』

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※ありゃりゃ、スタンダールってこんな顔だったのか!イメージ狂ったな。
何となく谷啓さんに似てる。「ガチョ~~ン」とか言いそうw

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 運命の恋をかなえるスタンダール 単行本(ソフトカバー) 水野敬也 (著)
『■内容紹介:「恋は甘い花のようなものだ。しかしその花を摘むには、恐ろしい断崖絶壁の縁まで行かねばならない」(恋愛論第41章より) 「恋愛において、男はあまりにも容易な成功を軽蔑する。男は、向こうからくれるものをありがたがらないものである」(恋愛論第10章より) /恋愛経験ゼロ、三十路の文学女子に“モテない文豪"スタンダールが奇跡を起こす―。「夢をかなえるゾウ」「スパルタ婚活塾」の著者水野敬也が贈る愛と笑いの長編恋愛小説。/■登録情報:/単行本(ソフトカバー) 354ページ /出版社 文響社 /言語 日本語 /ISBN-10: 4866510153 ISBN-13: 978-4866510156 /発売日 2017/8/11 /梱包サイズ 18.6 x 13 x 2.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.5
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/■カスタマーレビュー:アルチザン 5つ星のうち5.0 「水野先生、さえわたる」2017年10月6日・・・内気な女性が主人公でイケメン男と結ばれる話です。とものすごい要約をしてしまいましたが、男性にも有効な本だと思います。どなたかもレビューされているとおり、誰もが感じているけど誰も書かなかった話です。社交的で異性ウケするようなこと(お化粧、わかりやすいスポーツ)にうつつを抜かしていなきゃ、いい彼氏、彼女をつかまえることはできないのか?という疑問は誰もがもつはずです。大学生ぐらいまでの子供なら、そうなりがちです。しかし生活を背負い、自分で生きなくてはいけない社会人はそう考えません。でも、何なんだろう?その答えは断片的に「人柄がよければ」とか「こういうモノをもっていれば」「こういう化粧をすれば」などとあちこちに書かれていますが、トータルでどうなんだということは誰もまとめて考えたこともなければ、自信をもって語れることでもないことです。スタンダールの名著の恋愛論の中の「結晶作用」という言葉は私も心の隅にひっかかっていました。その結晶は一夜にして大きくなることはなく、でも成長させることができると、思わぬ結果を出す。でも、どうやって育てていくものか考えたこともありませんでした。この本は確かにそれを深いレベルまで追求しています。そして、小説としても最後のどんでん返しで涙が出ました。漫画にならんかなぁ。』
※得てして、「恋愛論」そのものを買うよりも、こういう関連本を買って読む方が
役にたったりするんだよなァ~~~。

eiga.com 作品情報 『スタンダールの恋愛論』
『●解説:スタンダールのエッセイ『恋愛論』を現代におきかえて映画化したもので、脚色は監督のジャン・オーレルと「浮気なカロリーヌ」の原作者として知られるセシル・サン・ローラン。撮影はエドモン・リシャール、音楽はアンドレ・オディールが担当した。出演は「小間使の日記」のミシェル・ピッコリ、「予期せぬ出来事」のエルザ・マルティネッリ、「国境は燃えている」のアンナ・カリーナ、「フィフィ大空をゆく」のフィリップ・アブロン、カナダ生まれの新人ジョアンナ・シムカス、「輪舞」のジャン・ソレルほか。なお、トレーションを松村達雄が担当している。製作は「女と男のいる舗道」のピエール・ブロンベルジェ。/●スタッフ:/監督 ジャン・オーレル /脚色 セシル・サン・ローラン ジャン・オーレル /原作 スタンダール /製作 ピエール・ブロンベルジェ /撮影 エドモン・リシャール /音楽 アンドレ・オディール /●キャスト:ミシェル・ピッコリ(Roul) エルザ・マルティネリ(Mathilde) アンナ・カリーナ(Helene) フィリップ・アブロン(Serge) ジョアンナ・シムカス(Sophie) Bernal Garnier(Werther) ジャン・ソレル(Sophie's ex husband)/●作品データ:/原題 De L'amour /製作年 1965年 /製作国 フランス /配給 日本ヘラルド映画

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●ワチクシにとって「恋愛論」と聞けば、コレがすぐ浮かぶんだーー。
 椎名林檎 - 幸福論


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※久々に聴くと新鮮ですワァ~。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“もっとも強い返事をしようと思うときは黙っているに限る。無言は黄金である(『虞美人草』より)”

【1901年1月23日の漱石】英国女王の崩御に黒ネクタイと黒手袋で弔意を表す

今から115年前の今日、すなわち明治34年(1901)1月23日のロンドンの街は、ひっそりと静まりかえり、半旗が翻っていた。前夜6時半頃、ヴィクトリア女王崩御したのだった。

漱石は朝、下宿を出て街中の洋装店に入り、黒ネクタイと黒手袋を買い求めた。一介の留学生であっても、弔意を示すべきだと感じていたのだった。店の親父が、「新しい世紀は、随分と縁起の悪い始まり方をしたもんですなあ」と嘆息するように言った。漱石は静かに相槌を打つ。もちろん、やりとりは英語だ。

じつはこの頃、漱石先生の中には、西洋人の日本および日本人に対する蔑視的な感情を拭い去るためには、やるべきことを黙々とやっていくしかないという気持ちが芽生えていた。多くの西洋人は極東の小国にほとんど興味もなく、たまに日本の進歩に驚きを示す者は、ともするとその底に「今まで馬鹿にして見ていた」という前提がひそんでいる。軽侮されていると思い、力んで偉そうなことを言うといよいよ馬鹿にされるし、高尚で立派な正論をぶつけても聞く方の知識以上のことは理解されないばかりか、かえって見栄や自惚れだとみなされるばかり。

そんなありさまを自己体験も含め、この3か月、いやというほど見たり味わったりしてきている漱石だった。黒ネクタイを締めたのも、礼節をわきまえた日本人としてのあるべき態度の表現だったのである。3日後の日記に、漱石はこう書いている。《黙ツテセツセトヤルベシ》自分に言い聞かせる言葉だった。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「沈黙は金」「弔意」で動画検索してみました!!)

ソウルフード / 沈黙は金、雄弁は銀 Trailer

・2nd mini album「沈黙は金、雄弁は銀」
 01.筆を執れ
 02.サンタクロース
 03.オキシペトリム
 04.エビデンス
 05.ライプニッツ
 06.銅の日々

●第4回 沈黙は金、雄弁は銀 〜「誠」から「恒」へ〜 【山鹿素行】(16分43秒)


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※「誠」という文字と関連させての解説、意味がさらによく解りました!

ジョニーAのつぶやき:ネットに流れている蘊蓄モノ動画にはどうでもいいものが多いが、これはなかなか真摯にしっかりと相手を啓蒙することに成功している稀有なる動画だ。。。雄弁もまた銀!