オリックス、2018年のキャッチフレーズ決まる!
☆ようやっと、今年2018年度のオリのキャッチフレーズが決定した模様!!
※うーーーむ、毎年毎年、パッとせんなぁーー(センスというものが微塵も感じられぬ!)。他のチームのキャッチフレーズは、もうとっくに出揃っているようなので、ついでにそれも紹介させてもらおう・・・。まずはパ・リーグのその他5球団から。
・ソフトバンクのスローガンといえば「熱男」のイメージが強いですが、それは2015年~2016年の2年間のみ。2017年は「1(ワン)ダホー!」でした。親しみやすいものが多いイメージのソフトバンクのスローガンですが、2018年は?
もう1頂!(もういっちょ!)
日本一になった前年のスローガン「1ダホー」と同じデザインのロゴを使い、関連性を持たせてはいますが、込められた意味合いは一つ一つの積み重ねが日本一へ繋がる。連覇ではなくまた1から、もう1度ファンも選手も団結して頂点へ!なんだそうです。優勝してるからこそ言えるスローガン、羨ましい…(笑)
・2016年は「BEAST!強く、猛々しく」。2017年は「CATCH the ALL」を、シーズン中盤から「CATCH the FLAG」に変更にするというちょっと変り種なスローガンを掲げていた西武、2018年は…?!
「CATCH the FRAG 2018 栄光をつかみ獲れ!」です!
昨年の後半に掲げたスローガンを引き継ぐ形となりました。FRAG=日本一という意味を込めて、必ずその旗を掴み取るぞという明確な目標をかかげたそうです。
・「smart&spirit 2016 夢と感動」「smart&spirit 2017 東北・夢・再び」梨田監督に変わった2016年から、楽天は2年連続優勝を思わせるようなブレのないキャッチフレーズを掲げていますが、3年目となる2018年は?
「日本一の東北へ」
新ユニフォームとともに発表された2018年のスローガン!”日本一の東北へ”という、とてもシンプルで伝わりやすい言葉で綴られていますが、そこには勝つことへの強い決意と、選手やチームだけでなく東北全体が一丸となって戦うぞ!という意志の表れを感じます。野球ファンだけでなく、東北の人たちみんながこの言葉で盛り上がれる、そんなパワーを感じるスローガンですね。
例年より1ヶ月ほど遅い1月末の発表となった日ハムのスローガン。2016年「爆ぜる」2017年「F-AMBITIOUS(ファンビシャス)」北海道を意識したスローガンが多い日ハムですが(エゾリューションなる造語やアイヌ語使った年もあった)2018年はこうなりました!
「道 -FIGHTERS XV-(みち ファイターズフィフティーン)」
今年は日ハム誕生15周年であり、北海道という地が”北海道”と命名されて150周年という節目の年に当たります。節目の年に、北の大地の期待を背負い、信念を貫き結果にたどり着く道筋を考え、野球の道を極めるという決意を込めた一文字だそうです。またXV (15)という数字は勝利を表すVが3っつ組み合わされて成り立っています。今年北海道で3度目の日本一を目指す日ハムにとって、とても縁のある数字なんですね。
・2016年は「翔破〜熱き心で!〜」
2017年は「翔破〜限界を超えろ!〜」でした。
次も翔破シリーズなのでしょうか、気になる2018年スローガンは…?!
「マクレ」
マクレとは・・・「捲る(一気に追い抜く)」と「〜まくる(勝ちまくるなど)」という2つの意味を持たせて勢いづく意味合いを込めています。また、赤文字で記された「レ」は、2016年3位→2017年6位→2018年は1位と上昇する動きを、折れ線グラフに見立てているそうです。
セリーグは簡易版で!
※各チームのカラーが、チャッチコピーの出で立ちにも表れているようだナァ。
面白いものだ。今年のラインナップで、個人的に気に入ったものからベスト
3を選出しよう~>
面白いものだ。今年のラインナップで、個人的に気に入ったものからベスト
3を選出しよう~>
①広島東洋カープ・・・ピカイチ!ペナントもブッチギリ!かもよぉ~~~!
②北海道日本ハムファイターズ・・・実に美しい!ヴィジュアル重視だね!
③千葉ロッテマリーンズ・・・今年も楽しませてくれそうやー♪謎の魚に続く
ヒット作が生まれるかどうかw
②北海道日本ハムファイターズ・・・実に美しい!ヴィジュアル重視だね!
③千葉ロッテマリーンズ・・・今年も楽しませてくれそうやー♪謎の魚に続く
ヒット作が生まれるかどうかw
『幸福の秘訣はこういうことだ。あなたの興味を できる限り幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や 物に対する反応を 敵意あるものではなく、できるかぎり 友好的なものにせよ。』 |
出展:「幸福論」(岩波書店) |
発言者:バートランド・ラッセル(イギリスの哲学者 1872年5月18日~1970年2月2日) |
※実にダンディですなーーー。
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
Amazon.co.jp ラッセル幸福論 (岩波文庫) B. ラッセル(著), 安藤貞雄(翻訳)
→ 『■内容紹介:自分の関心を内へ内へとむけるのではなく,外界へとふりむけてあらゆることに好奇心をいだくこと.偉大なるコモンセンスの人ラッセル(一八七二‐一九七〇)は,これこそが幸福獲得の条件でありそれは自己説得によって可能なのだ,と説く.たくましく,しなやかに人生を生きるための知恵がこの幸福の処方箋にはたっぷりと書き込まれている。
/■登録情報:/文庫 294ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003364937 ISBN-13: 978-4003364932 /発売日 1991/3/18 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:さすらいのてんし 5つ星のうち5.0 「豊富な経験による“幸福”の分析」2016年1月21日・・・哲学、宗教、数学、政治、教育、道徳、多岐にわたる分野の本を生涯出版し続けたバートランド・ラッセル。89歳の時になっても平和運動を展開し座り込みなどをしたという。プライベートにおいても人生で4度の結婚をし、絶望の淵に立ち自殺を考えたことも2度もあったという。そんな経験豊富なラッセルが58歳の時に出版したのが「幸福論」(The Conquest of happiness)だ。バートランド・ラッセルこの本は哲学でよく取り上げられる命題などからは離れ、専門用語もあまり使われていない。そのため、哲学に触れたことない人でも関心があれば読める範囲の文体だ。人の不幸の原因は何か、どうすれば幸福に生きれるのか、誰もが考える普遍的なテーマだが、、いつの時代でも変わらぬ人が陥りやすい心の問題や幸福のための諸要素の本質的な部分を十分なまでに書き綴っている。競争心や妬みをなぜ人は持ちうるのか、個人は自身の内部といかにして向き合えばいいのか、幸福に生きれる人の共通点や、誰もが突き当たる「仕事」や「家族」に関して様々な気質の人を例にあげて考察をしている。/自尊心や理性を持って自身の課題に取り組むこと。自己没頭せず、あらゆる対象に関心を向け、客観的に自己や世界を捉えて社会の中で生きることなど…。
さすが豊富な人生を歩んだラッセル、共感できる部分が多くを占め、「はっ、そうか…」と気づかされたり考えさせられるような供述もあった。日本でも、心理に関する本やテレビ番組などは話題を呼ぶことが多い。しかし、真に人の幸福や意識の在り方を深く考えるということには遠い気がする。この本が、ラッセルの残した考察が、読んだ人々の心に新たな洞察や光を当てていきますように。』
→ 『■内容紹介:自分の関心を内へ内へとむけるのではなく,外界へとふりむけてあらゆることに好奇心をいだくこと.偉大なるコモンセンスの人ラッセル(一八七二‐一九七〇)は,これこそが幸福獲得の条件でありそれは自己説得によって可能なのだ,と説く.たくましく,しなやかに人生を生きるための知恵がこの幸福の処方箋にはたっぷりと書き込まれている。
/■登録情報:/文庫 294ページ /出版社 岩波書店 /言語 日本語 /ISBN-10: 4003364937 ISBN-13: 978-4003364932 /発売日 1991/3/18 /梱包サイズ 14.8 x 10.6 x 1.8 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.2 /■カスタマーレビュー:さすらいのてんし 5つ星のうち5.0 「豊富な経験による“幸福”の分析」2016年1月21日・・・哲学、宗教、数学、政治、教育、道徳、多岐にわたる分野の本を生涯出版し続けたバートランド・ラッセル。89歳の時になっても平和運動を展開し座り込みなどをしたという。プライベートにおいても人生で4度の結婚をし、絶望の淵に立ち自殺を考えたことも2度もあったという。そんな経験豊富なラッセルが58歳の時に出版したのが「幸福論」(The Conquest of happiness)だ。バートランド・ラッセルこの本は哲学でよく取り上げられる命題などからは離れ、専門用語もあまり使われていない。そのため、哲学に触れたことない人でも関心があれば読める範囲の文体だ。人の不幸の原因は何か、どうすれば幸福に生きれるのか、誰もが考える普遍的なテーマだが、、いつの時代でも変わらぬ人が陥りやすい心の問題や幸福のための諸要素の本質的な部分を十分なまでに書き綴っている。競争心や妬みをなぜ人は持ちうるのか、個人は自身の内部といかにして向き合えばいいのか、幸福に生きれる人の共通点や、誰もが突き当たる「仕事」や「家族」に関して様々な気質の人を例にあげて考察をしている。/自尊心や理性を持って自身の課題に取り組むこと。自己没頭せず、あらゆる対象に関心を向け、客観的に自己や世界を捉えて社会の中で生きることなど…。
さすが豊富な人生を歩んだラッセル、共感できる部分が多くを占め、「はっ、そうか…」と気づかされたり考えさせられるような供述もあった。日本でも、心理に関する本やテレビ番組などは話題を呼ぶことが多い。しかし、真に人の幸福や意識の在り方を深く考えるということには遠い気がする。この本が、ラッセルの残した考察が、読んだ人々の心に新たな洞察や光を当てていきますように。』
今から115年前の今日、すなわち明治34年(1901)2月2日、ロンドンの朝は冷たい風が吹きつけていた。漱石は、下宿の主人ミスター・ブレットに連れられて、地下鉄へと乗り込んだ。ふたりを載せた車両は、やがてバッキンガム宮殿の正面に隣接しているマーブル・アーチ駅へと到着した。ホームは大変な混雑ぶりである。ブレットは「これじゃどうしようもないから、次の駅まで行こう」と提案。ふたりは、ひとつ先のランカスター・ゲート駅を目指した。
ランカスター・ゲート駅で降車したら、ハイド・パークへ向かう。広々とした公園の中も大勢の人出で、樹々の上までのぼった人で埋まっている。漱石は驚嘆しつつ、胸の内で呟いた。「まるで、樹木が皆、人の実を結ぶようなありさまだ」人々の視線はすべて、まもなく通りの向こうへ現れるはずの行列を待ち望んでいた。漱石たちは人波をかきわけて、ようやく通りの近くまでいった。最前列には制服制帽に身を包んだ兵隊がずらりと並んで警護に当たっている。/漱石先生は身長約159センチ。当時の日本人としては平均的な高さだが、幾重もの英国人の人垣に前を塞がれて、背伸びしてみても、とても向こう側を見るどころではない。その様子を察して、ブレットが漱石をひょいと肩車してくれた。漱石の視線は、たちまち通りの向こうまで素通しとなった。大柄な西洋人からしてみると、日本人の体格は大きな子供くらいの感覚だったのか。ひょっとすると周囲には、父親に肩車されたイギリス人少年の姿も、あったのかもしれない。
やがて通りの向こうから厳粛な行列がやってきた。粛々と進んでくるのは、繁栄を極めた大英帝国を象徴する人物、ヴィクトリア女王の葬儀の列だった。馬にまたがった新王のエドワード(故女王の息子)を先頭に、数人の騎馬が行き、さらに馬車が続く。さきほどまで漱石の頬に吹きつけていた木枯らしも、棺を積んだ馬車が通る時にはふっと静まったようだった。時は、19世紀から20世紀への転換期でもある。目の前を、ひとつの時代が過ぎ去っていくような感慨が、数え35歳の漱石の胸をとらえていた。
※「悪の伝染」・・・。怖いキャッチコピーです!