「プロ酒場」 ~漣さんに教えてもらったお店~

神戸新聞NEXT 大杉漣さんモデルのかかし 生前「似てる」と太鼓判
『「かかしの里」としてまちおこしに取り組む兵庫県姫路市安富町関地区に昨年末、TVの収録で俳優大杉漣さん=当時(66)=が訪れた。番組の企画で地元のかかし作家岡上正人さん(65)と交流し、自らがモデルのかかしを前に「似てる似てる!」と興奮する姿が1月に放映された。その1カ月後の今月21日に大杉さんは急逝。展示されている「漣さんかかし」を前にファンが面影をしのんでいる。
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  同地区は過疎化が進む山あいの集落。地域を盛り上げようと出身の岡上さんが個性的なかかしを屋内外に置くと注目を集めた。大杉さんはBSフジの紀行番組「大杉漣の漣ぽっ」の収録で訪問した。謎めいた指令を受けて散策する番組でこの回のお題は「130人の沈黙劇に参加せよ」。130体のかかしが並ぶ同地区を街の人に教わり、はるばるやってきた。岡上さんは初対面の印象について「画面の中では渋い役柄が多い役者さんだが、会ってみると気さくな人柄。イメージががらりと変わった」。事前に番組側から依頼を受け、大杉さんのかかしを用意。この日はまだ制作途中だったため、首から上の部分を本人に披露したところ、大杉さんはカメラを前に自分の顔と並べて見せ、「今回のテーマは熱いね!」と感激した様子だったという。かかしは大杉さん風の洋服や帽子、眼鏡を着せて正月に完成。1月20日に放映された番組でも紹介された。悲報に触れた岡上さんは「つい2カ月前、ここまで足を運んでくださったのに信じられない。気に入ってくれたかかしに、漣さんの存在が残っているよう」と話していた。』
※漣さんのロケ番組「漣ぽっ」の姫路編・再放送を観た。涙チョチョ切れながら観た。
悲しい・・・。ただひたすら悲しい。その街ロケで、漣さんが立ち寄った、とあ
る路地裏の隠れた名店「プロ酒場」!!この放送を観るまで、まったく知らなか
った店、気付かなかった路地である!!涙をこらえてお店を訪ねた。。。

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※まさかこんなところに、こんな雰囲気のいい路地が隠れていたとは・・・!

ウィキペディア 大杉漣
『■生誕:1951年9月27日、徳島県小松島市にて、教育者の家庭で育つ。父は小松島市小松島中学校の校長を務めていた。その縁で小松島中学校が2016年に創立70周年を迎えた際には記念講演を行ったこともある[6]。徳島県立城北高等学校卒業。/■没後:没日放送された『バイプレイヤーズ』第3話では、番組終盤に追悼テロップが表示された[26]。レギュラー出演していた「ぐるナイ」は、2018年2月22日放送の「ゴチ19」第3戦(2月12日収録)が生前最後の出演となった。番組内では冒頭と終盤で追悼メッセージが流れ、終了時にはゴチ19出演時の顔写真も記載された。さらに同日のテレビ朝日系「徹子の部屋」では当初の放送予定を変更し追悼特集として、大杉がゲスト出演した回(2000年、2005年)を再編集して放送(BS朝日でも2月24日13:30 - 14:00に放送)したほか、24日のBS朝日では続けて14:00 - 15:00に「ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜」の大杉出演回(2016年3月19日放送、インタビュアー:舘野晴彦)、25日の関西テレビでは16:55 - 17:25に「さんまのまんま」の大杉出演回が再放送された。また、2月23日放送にゲスト出演したテレビ東京系列の「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!」でも、番組の終盤に顔写真と追悼メッセージが流れた。
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突然の訃報に番組共演者や芸能界からも悼む声が多く寄せられたほか[38][39][40]、大杉の地元のサッカークラブである日本プロサッカーリーグ徳島ヴォルティスが公式サイトで大杉への追悼声明を発し、更に2月25日の2018年度J2リーグホーム開幕戦となる対ファジアーノ岡山戦(徳島県鳴門総合運動公園陸上競技場)においてスタジアムに記帳台を設置し、キックオフ前にスタジアムで大杉に対する黙祷を行い、徳島ヴォルティスの選手・関係者が喪章を着用して試合に臨んだ。
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映画「アウトレイジ 最終章」での演技が評価され、松重豊大森南朋ピエール瀧、金田時男と共に第27回東京スポーツ映画大賞 助演男優賞を受賞。2月25日に授賞式が行われた。/■受賞歴:1984年 第5回 ピンクリボン賞 主演男優賞 1998年 第23回 おおさか映画祭 助演男優賞 第23回 報知映画賞 助演男優賞 1999年 日刊スポーツ大賞 助演男優賞 ヨコハマ映画祭 助演男優賞 高崎映画祭 助演男優賞 おおさか映画祭 助演男優賞 キネマ旬報個人賞 助演男優賞 毎日映画コンクール 助演男優賞 東京スポーツ映画大賞 助演男優賞 日本アカデミー賞 優秀助演男優賞 ブルーリボン賞 助演男優賞 その他 第11回 ベストフォーマリスト賞(2010年)/■人物:笠智衆の著書「あるがままに」(1992年、世界文化社)に感銘を受けたことから、好きな言葉は「あるがままに」。芸名「漣」の由来は、吉祥寺フォークの重鎮高田渡の長男でスティールギター奏者である高田漣の名から拝借したものである。役柄の数だけ眼鏡があるというほど眼鏡に関してはこだわりがあり、自宅に200本以上所有していた。ペットが大好きで、公式ブログのタイトルもスコティッシュフォールドの「寅子(トラコ)」とチワワの「風(ふう)」からとられている。
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/■趣味:散策を好み、ロードバイクで一人下北沢、新宿、渋谷へ気ままに出かけた[8]ほか、18歳で上京後に最初になじんだ街であるという吉祥寺にはたびたび訪れていたという。音楽とスポーツが主な趣味で、音楽ではフォーク、スポーツではサッカーをこよなく愛する。また、50歳代に映画「Life on the Longboard」で「定年退職後サーフィンを始めた男」を演ずることになり、役作りとして種子島でサーフィンの猛特訓を行った経験から、サーフィンも趣味のひとつとなった。その他、音楽鑑賞、器楽(ギターおよびブルースハープ)、テニスなど。/■音楽:エレファントカシマシのファンとして知られ、音楽鑑賞に留まらず、40歳代には田口トモロヲに誘われて器楽の練習を始め、自ら組んだ「大杉漣バンド」や田口トモロヲとのユニット「Har'G KAITELS(ハージーカイテルズ)」(「恥をかいている者たち」の意)においてギターやブルースハープを手にとり70年代のフォークソングを演奏したり、KAZ BANDと共演している。映画「ROCKERS」では弾き語りを披露している。』
※漣さん、徳島出身なんだな-。関西のノリだと思ってた。写真がいちいち
カッコイイ。2/21放送の「バイプレイヤーズ」も初めて観たのだった。
追悼の意味を込めて、キャプチャー画像を撮らせてもらった・・。

●おみぞ筋を歩く(5分12秒)

※おみぞ筋をまっすぐ歩く経路では、プロ酒場さんは見つからないのですワイナーー。

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※番組内で漣さんも食べていた、このお店のアジフライを戴く。。。美味。

travel.jp プロ酒場
『姫路駅前商店街の路地裏にあるプロ酒場。もう創業70年を超える老舗の大衆酒場だ。三年前に全面改装されたらしく綺麗なお店。看板の通り湯どうふが名物、お椀に出汁を入れて湯どうふと言うちょっと珍しいスタイル。三代目という女将さん、感じよかったな~。クチコミ投稿日:2017-05-19』

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※お昼は、お肉かお魚の定食!ハーフ&ハーフがあるのも嬉しい♪

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※見るからに美味しそうな店のたたずまい。漣さんを呼び寄せただけのことアリ!

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※常連さんが「わんさか♪」

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※次はぜひ、同僚も引き連れて、夜にお邪魔しましょっと~!

●森脇伝説 姫路1 松竹の大杉漣!?いやいやそんな異名は一切ないワw


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※モノレールの名残の橋げたに導かれて、、、ありゃありゃ、漣さんが立ち寄っ
たのと同じ店に入ってるよ~~~ぅ。ロケでは定番だったりするんかなーー?w

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※力強い字でございます。

ブログ 大杉漣の風トラ便り 2018年 01月 19日
『お早うございます!明日『大杉漣の漣ぽっ!』があります。1月20日(土) PM5時〜 BSフジ。兵庫県姫路を歩きました。初姫路 ❗️ 愉しき時間でしたよ (๑˃̵ᴗ˂̵ )』

※もっともっと姫路に来てほしかったなー。

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※手柄の回転展望レストランにも行っとこう。3月に動きを止めるその前にー。


☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日2月25日(日)の、「元気が出る言葉」は~?

『花よりも 花を咲かせる土になれ』
出展:「不動心」(松井秀喜著 新潮社)
発言者:山下智茂 (高校野球指導者)。1945年2月25日~
『解説:山下智茂松井秀喜の高校時の恩師として知られ、松井のベストセラー「不動心」で紹介された言葉が一躍有名になった。と同時に、山下が座右の銘としている「花よりも~」もいい言葉だ。指導者や、陰ながら社会で頑張っている者に贈りたい。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 心が変われば 山下智茂・松井秀喜を創った男 単行本 山下智茂(著),‎松下茂典(著)
『■内容(「MARC」データベースより):「心が変われば行動が変わる」 現在NYヤンキースで活躍する松井秀喜は、高校時代の恩師・山下監督から教わったこの言葉を大切にしている。数々の名勝負で甲子園を沸かせた名将は松井をどう育てたのか。実践的教育論。
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/■登録情報:/単行本 221ページ /出版社 朝日新聞社出版 /言語 日本語 /ISBN-10: 402257853X ISBN-13: 978-4022578532 /発売日 2003/9/30 /梱包サイズ 19 x 13 x 2.6 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー: shige221 5つ星のうち5.0「心が変われば」by松下茂典にありがとさんきゅっ♪v(*'-^*)^☆2004年12月8日・・・松井秀樹を創った男、星陵高校山下智茂監督の熱い言葉がいっぱい詰まった一冊。NYヤンキース松井選手は性格的にほめられることが多い。イチローとの比較でも人間性はつねに松井に軍配が上がる。*堂々とした態度。柔らかい物腰。強固な意志。人への愛がある* まさに松井にはぴったりの言葉である。松井を表現すればこの言葉になる。山下監督は野球の技術だけでなく、心の大切さをどう伝えられるかを一生懸命に考えてきたという。モットーは「人間形成の野球学」らしい。松井の潜在意識の中には山下監督の言葉が数多く眠っている。それが現在の松井秀樹を支えているのかもしれない。山下監督も偉いし、それをしっかり実践している松井も偉い!松井のヤンキース入団決定時におくったというFAXは感動物』

●5打席連続敬遠 星稜山下、明徳馬淵両監督、松井のコメント


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※後世に残る恥試合をしたことについてはどう思っているんだろ。<明徳監督

NAVERまとめ 星稜 山下智茂監督の名言
『◎心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる。/◎野球が教育というフィールドからはみ出てはいけない。/◎どんな投手でも、強打者と勝負して、たとえ打たれても、それを糧にして成長する。それが高校野球だと思う。/◎ノックをやれば、選手の性格がわかる。選手の心を読むことができるんです。/◎野球をやっていた者はやっぱり違う、と世間の人に言わせたい。そうでなければ、やっているかいがないじゃないですか。/◎みんな松井と勝負して、もし打たれてもそれを糧にしてまた大きくなるでしょ。よし、次は抑えてやろうと。それが高校野球だろうと、僕は思うんです。』

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“感化は微細な程度において、常人が接触するとき始終起こっている。感化というと特別の意味があるようだが、実際は双方の呼吸が合うことである(『断片』明治39年より)”

【1905年2月25日の漱石高浜虚子寺田寅彦らと牛鍋を味わう

今から110年前の今日、すなわち明治38年(1905)2月25日の夕方、数え39歳の漱石は東京・千駄木の自邸で、俳人高浜虚子と歓談していた。そこへ門弟のひとり、寺田寅彦が蓬莱町で買った手土産のビールを3本さげてやってきた。続いて、野間真綱、皆川正喜、坂元四方太がやってくる。遅れて、野村伝四も姿を現した。漱石の発案で、この日は友人や門弟とともに「食牛会」が催されるのだった。この2日前の23日夜、漱石は各人に宛ててこんな葉書を出していた。

《明後二十五日土曜日、食牛会を催おす。鍋一つ、食うもの曰(いわ)く奇瓢、曰く伝四、曰く真折、曰く虚子、曰く四方太、曰く寅彦、曰く漱石。午後五時半までに御来会希望致候》文中にある奇瓢は野間真綱の号、真折は皆川正喜の号である。同様の文句のあとに、《牛の外(ほか)に何の食ふものなし》と書き加えた葉書もあった。ひとつ鍋を囲んで牛肉をつつきながら、寅彦持参のビールで喉をうるおす。牛肉は、『吾輩は猫である』の中にも登場する一高前の西川牛肉店から買い求めたものであったろうか。楽しい集まりで、話も大いに弾む。

宴会では、自作の作品を朗読する場面もあった。四方太が『稲毛』と題する小品を、虚子が『石棺』と題する写生文を読んだ。漱石の親友だった俳人正岡子規の生前、子規庵で行なわれていた文章会「山会」は、子規没後も引き継がれている。その趣向が、同好の士の集いに自然と顔を出すのであった。高浜虚子はさらに、少しばかり松山なまりの漂う独特の声音で、漱石の『幻影の盾』も朗読した。会がお開きになったのは、夜も11時を過ぎてからだった。漱石は、そもそも、牛鍋(今のスキヤキの元祖のようなもの)が好物だったようだ。しかも、傍らにいる女房が、料理があまり得意でなく、「味はどうでも、満腹になればよかろう」くらいの大雑把な鏡子だから、こんな逸話も生まれた。

ある日の漱石の夕食に、鏡子が牛鍋を用意した。漱石はこれを食べて思わず舌鼓を打ち、「うまい」のひと声をもらした。これを耳にした鏡子、ならばと、翌日も献立は牛鍋にした。その翌日も、またその翌日も、牛鍋が出てくる。漱石は驚きつつも、胸の中で呟く。「こいつ、一体いつまで続けるつもりだ。よおし、こうなったらこっちも意地だ。いつまで続くか見届けてやる」漱石は、素知らぬ顔で、牛鍋を食べ続ける。そんな漱石の胸の内を知ってか知らずか、鏡子の牛鍋攻めは、10日を過ぎてもやむ気配はなく、11、12、13・・・。とうとう20日ほども続いたという。/はたから見れば、滑稽なほどの意地の張り合い、まるで夫婦漫才のようにも映る。漱石先生と鏡子夫人、なかなかの迷コンビ(?)なのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「牛鍋」「連続」で動画検索してみました!!)


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※長いわっ!ww

●【吉野家CM】菅田将暉の背後には…佐藤二朗


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※これはCMとしては逆効果です、吉野家さん。。。

ジョニーAのつぶやき:このノリの佐藤二朗が成功したパターンの映画が、明日の日記に書く『blank13』なのであーる