『海辺の生と死』

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eiga.com 作品情報 『海辺の生と死』
■解説:極限まで追い詰められた夫婦の姿を描き、小栗康平監督により映画化もされた島尾敏雄私小説「死の棘」に、敏雄の妻である島尾ミホの小説「海辺の生と死」や敏雄による短編小説「島の果て」などの内容を織り交ぜ、敏雄とミホをモデルとした男女が出会い、2人が結ばれるまでの時間を満島ひかり主演で描く。第2次世界大戦末期の奄美群島加計呂麻島(かけろまじま)。朔(さく)隊長率いる海軍特攻艇の部隊が島に駐屯することとなった。国民学校教師であるトエは、島の子どもたちからも慕われ、隊員たちとの酒盛りよりも島唄を習いたがる朔という男の姿を好意をもって見つめていた。ある日、トエは朔から「今夜9時頃浜辺に来て下さい」と記された一通の手紙を受け取る。その手紙にトエは胸の高鳴りを感じていた。島尾ミホをモデルとした主人公トエ役を満島が演じる。監督は「かぞくのくに」などでプロデューサーを務め、「アレノ」で監督デビューを果たした越川道夫。
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■スタッフ:/監督 越川道夫 /原作 島尾ミホ 島尾敏雄 /脚本 越川道夫 /脚本監修 梯久美子 /企画 畠中鈴子 /製作 畠中鈴子 /プロデューサー 清野恵里子 財前健一郎 /撮影 槇憲治 /照明 鳥羽宏文 /音響 菊池信之 /美術 沖原正純 /装飾 藤田徹 /衣装デザイン 伊藤佐智子 /ヘアメイク 橋本申二 /編集 菊井貴繁 /音楽 宇波拓 /歌唱指導 朝崎郁恵 /助監督 松尾崇 /制作担当 金子拓也 /製作助手 和田理恵 舞石ゆう
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■キャスト:満島ひかり(大平トエ) 永山絢斗(朔中尉) 井之脇海(大坪) 秦瀬生良 蘇喜世司 川瀬陽太(隼人少尉) 津嘉山正種(トエの父)
■作品データ:/製作年 2017年 /製作国 日本 /配給 フルモテルモ、スターサンズ /上映時間 155分 /映倫区分 G 
インタビュー 満島ひかり×永山絢斗、戦時下の奄美で生まれた究極の恋の物語
→『越川監督の「奄美の人たちの空気感は、東京から連れて行った人たちでは出せない」という考えのもと、満島と永山、朔の部下・大坪役の井之脇海、隼人少尉役の川瀬陽太、トエの父親役の津嘉山正種以外は、子どもも含めすべての役を演技未経験の現地の人々が演じた。大胆な試みだが、「島の人たちって、唄と踊りの文化のなかで育っているので、自分の思いを表現することにすごく長けている。むしろナチュラル」(満島)だったという。永山「顔合わせみたいな会があったんです。そのときに僕の方が一方的に距離を測っていて、向こうは(子ども)8人くらいで僕の体に飛び乗ってきて、おもちゃになってた(笑)。すごく助かりましたね。かわいかったです」/ミホは敏雄の私小説「死の棘」に登場する狂える妻として広く周知されているが、今作ではそれ以前の、死に行く運命の男性をひたすらに愛するはかなくも強い女性を描いた。
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満島は、加計呂麻島で神女と呼ばれているミホを「人と自然との間にいて、恋をして自分を知り始めて、パワーを身につけた人」と表現する。「好きな人と一緒にいられれば、生きていても死んでいてもどっちでもいいくらいの強さがあるように見えたらいいなと。ミホさん自身がどうだったかはわかりませんが、人間であるトエと、かつての奄美大島という両方の役柄を私はやっていると思いながら撮影していました」
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一方の永山は、無謀とも思える特攻作戦を遂行するために島にやってきたものの、愛を知ったことで生きることへの執着が生まれた朔の心情に思いを馳せる。「優しい気持ちや破滅的な感情を持ち合わせていて、特攻する日が近づいていくなかで2人の恋も燃え上がっていくというつらさがありました。島にいるときは、気がどうにかしていたというくらい、その時代を生きているような気持ちになっていることが多かった。(特攻艇の)震洋を見ると鳥肌が立つんです。こんなので特攻したって、結果は目に見えているんですよね。実際にも2、3隻くらいしか(敵に)当たっていないらしいです」「その夜」を原作にした朔が特攻する夜を描いた場面は、2人の断ち切れない思いを強烈に映し出し、一段と真に迫る。トエが自決を覚悟し、浜辺で泣きながら朔に駆け寄るシーンが心を締め付けるが、当の2人は「楽しかったです。大変でしたけど(笑)」と至って朗らかだ。永山が「(満島の演技が)毎回違うんですよ」とこぼすと、満島も「私だけじゃないはず(笑)」とチラリ。永山が慌てて「砂浜だから足元が悪くて、考えたって無理なんですけど、それが面白くて」とフォローする。
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満島「ミホさんと敏雄さんは、お互いに人生のヒロインとヒーローを見つけたように出会っているから、あの場面はどこかお芝居がかっていて、本当よりももう少し上の本当というか。何度やってもたどり着かなくて、私がストップしたり、永山くんがストップしたり。奄美大島では祭りの時期なんかに相撲を取るんですけど、私たち、相撲を取っているみたいでした(笑)」「このシーンでクランクアップだったんです」と話す2人の顔は“走りきった”という達成感に満ちている。戦時中の話ではあるが、語られたのは“生”への執着と“死”への恐怖を超越した究極の恋の物語。奄美大島の美しい自然が、戦争の愚かさを画面いっぱいに伝えてくる。/満島「日本に古くから残っている美しいものとか、恐ろしいものとか、秘密めいたことが、もうだんだん映像には残せない時代になってきている気がしています。祖母たちの時代の秘密めいたしきたりや歴史、文化を作品のなかにどうにか残せないかと思って、ご年配の方にも足が重いなか出演していただきました。きっと、見る方それぞれが感じられる愛の映った映画だと思います。ぜひスクリーンで(笑)。波の音も木々も美しいですよ」』
オフィシャルサイト

●予告編

※戦時中の人々の日常と非常時を描くという意味で、「この世界の片隅に
を意識して比べてしまいながらの鑑賞となる。すずさんが学校の先生だっ
たら?みたいな感覚。淡々としたまま終了してしまったなぁー、という
印象。改めて「この世界~」のクオリティの高さを認識でけたカナァー。

映画ナタリー 満島ひかり4年ぶり主演「海辺の生と死」、島尾敏雄と妻ミホの実話を映画化
『◎満島ひかり コメント・・・撮影中、楽しめたことも、できなくて悔しかったこともいっぱいあったけど、奄美のすごさを感じる日々でした。私のルーツは奄美大島にあります。おばあちゃんから聞いていた海や空や生き物たちの話、アダンの木の下でのロマンの話、戦争中に「あにーあにー」と叫びながら飛行機を追いかけた話。おとぎ話のような本当のことが、この「海辺の生と死」には狂おしいほど描かれていました。この脚本と共に、私自身の本性を自らあばいてやろうと思いました。なんにせよ、一生抱えていかなきゃいけない作品になったと思います。
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◎越川道夫 コメント・・・若い頃から大切に読んできた島尾ミホさんと島尾敏雄さんの作品を、まさか自分で映画にする日がくることになるとは思ってもみませんでした。奄美群島で撮影されるこの映画の主演に満島ひかりさんを迎えることができたのも、とても幸福なことでした。満島さんは、島尾ミホさんをモデルにしたトエを演じ、彼女の戦時中の恋とその時代を、激しく狂おしいまでに駆け抜けていきました。ぼくたちは、島の人々を、島に繁る木々を、島の歌を、海を、満島さんが歌えばその歌声と呼び交すように鳴き始める鳥たちを愛し、彼らと共にこの映画を作りました。それをこの映画から感じていただけたならば、こんなに嬉しいことはありません。』
※「私自身の本性を自らあばいてやろう」という決心を十分感じさせる熱演だった
が・・・。話題になっているヌードのシーンがあまりにもあっさりしていて拍子抜
けだった。何となく、若い青年の水浴びを見たなーー、という程度。せっかくの
演技力が何ら活かされてないのは勿体無く感じたわ。

産経ニュース 映画「海辺の生と死」 濃密ドラマ支える奄美の自然
私小説「死の棘(とげ)」で知られる作家、島尾敏雄と同じく作家の妻、ミホの出会いを描いた「海辺の生と死」(29日全国順次公開)で、越川道夫監督(51)が満島ひかりから情念あふれる演技を引き出している。/原作は、ミホの同名小説や敏雄の「島の果て」など。昭和19年、奄美群島のカゲロウ島(加計呂麻島がモデル)。トエ(満島)は、海軍特攻艇の隊長、朔(さく)中尉(永山絢斗)と出会い、ひかれ合う。しかし戦況は悪化し、朔の出撃の日がやってくる…。「島尾夫妻のことをずっと映画にしたかった。恋愛映画だが、単に戦争を背景にしたロマンチックな物語にはしたくなかった」と越川監督。
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  朔を全身で愛するトエを満島が熱演。朔との密会のため、人目を避けて岩によじ登り、海に潜る。「死の棘」で描かれるように、彼女が後に精神を病むことを考えると、その姿は哀切きわまりない。「人と動物の間のようなものを撮りたかったんです。満島さんは無限の可能性を秘めた女優で素晴らしかった」と笑う。トエが話す同島押角地方の方言が魅力的だが、現在は話者がほぼいない。「ミホさんの話し方を覚えている、ご子息で写真家の島尾伸三さんに脚本を読み上げてもらい、参考にしました。観客が何かを感じてくれればうれしい」
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  奄美大島加計呂麻島でロケを実施。トエと朔の2人を包む自然が、濃密なドラマを力強く支える。「照明など撮影準備をするうち、独特の“奄美の空気”が消えてしまう。数分待つと空気が落ち着いてくるので、それから撮影するようにしていました」/ラストシーンは極めて淡泊。「奄美には20番くらいまである歌が伝わるが、2番、3番と数えず、全部1番。映画も全部シーン1と思って撮るとどうなるのか。そんなことを考えながら撮りました」と語った。(岡本耕治)』

●子どもたちのやり取りが微笑ましい 『海辺の生と死』メイキング


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※「二十四の瞳」か思たワァ-。子供きっちり12人おるし・・・.

CINRA.NET 満島ひかり主演『海辺の生と死』が描いた奄美という特別な場所
『彼らをとりまく奄美の手ざわりそのものを、画面と音に見事に捉えた本作で監督2作目となる越川道夫。『海辺の生と死』の作品の核心を担う“奄美島唄”の歌唱指導にあたった、奄美出身の唄者(ウタシャ)のレジェンドにして、同じく奄美にルーツをもつ満島ひかり島唄の魂を注ぎ込んだ朝崎郁恵。/物心ついたころから唄と共に生き、御年80を超えた島唄界の母と、越川監督の間で紡がれた対話は、なぜこの映画がこんなにもいまを生きる私たちの心に訴えかけるのかを明らかにし、そして島唄奄美から世界を捉えることが、現代を真摯に生きることにつながるのだということを、優しく教えてくれるだろう。
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―そもそも、越川監督は映画化の話以前から満島さんを想定されていたわけですが、なぜ満島さんだったのでしょうか。/越川:なぜといわれても、わからないですね……、だってなにをどう考えても、満島さんしかいないでしょう?(笑)そう思っていました。もちろん演技力もふくめていろんな要素がありますが、そうしたことを抜きにしても、僕のなかでは最初から満島さんでしか、この映画はありえませんでした。/朝崎:あの子はね、やっぱり「血」ですね。これは本当にすごいものなんですよ。お稽古で唄を覚えるのも、とても早かったですね。―現在、横浜にお住いの朝崎さんのもとに、満島さんが何度も通われたようですね。/朝崎:一曲を覚えるのに、1年かけてもうたえない子もいるんですが、あの子はとにかく早かった。映画には出なかった唄も含めて、10曲は覚えたんじゃないかしら。そして熱心。以前に一緒にうたったUAのことを思い出しました。やっぱり、「血」というのはそういうところがありますね。(満島)ひかりちゃんも、島唄と心も体も合っている気がしましたね。
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―この作品を映画館で観た人は、暗闇から路上に出たときに、普段耳慣れている周囲の音がまったく違って聞こえるはずだと思います。この映画では、木々や風の音、鳥や虫の鳴き声、そして波の音、どんなシーンでも常に島の騒めきが入り込んできていますよね。/越川:島唄の世界も、そうした島の音と共にあるはずなんです。トエがうたっていると向こうでリュウキュウコノハズクが鳴くシーンがあるんですが、あれはあとから処理してつけた音ではなくて、シンクロの音なんです。ほんとうにトエさんが歌うと向こうの森の奥で、島唄に呼応するようにリュウキュウコノハズクが鳴く。人と鳥が寄り添っているというよりは、基本的にはバラバラにいるはずのものが、一瞬、唱和する瞬間がある。朝崎:とてもよくわかるお話です。動物がみんな集まってくるんですよね。/越川:そしてまたバラバラに戻るということを、あの場所は繰り返しているのだと、ずっと撮影中は考えていました。鳥は鳥の都合で鳴く、カエルはカエルの都合で鳴く、物語のためになんか鳴かないと、よく言っていました。/朝崎:私は長年、奄美の外の方々とかかわって、奄美を扱おうとするテレビ番組であるとか、様々な人と出会ってきましたが、越川さんほど熱心に奄美を語られる方に出会った記憶は、ちょっとないですね。私個人としても、そういう方がこの映画を作られたことを、本当に嬉しく思います。それこそ(満島)ひかりちゃんも含めて、皆さんを奄美の島の神様が引き合わせてくださったんでしょうね。
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―だからこそ、若い世代も体感できる瑞々しさになっているのだと思います。/朝崎:最近の若い人たちは、世界中の音楽を聴いているからだと思うのですが、本当に耳がいいし、感性が豊かなんです。私のライブには若い方々も多く来てくださって、人によっては涙まで流してくださる。私が25歳で結婚して上京し、こちらでうたいはじめたころに、渋谷のレコードショップに、自分の唄を吹き込んだカセットテープを持って行ったんです。そこの店の人に「朝崎さん、言葉の意味もわからない唄を聴くのは、3曲が限界だよ」と言われて……、ショックでしたね。それがいまでは、皆さんちゃんと唄を聴いてくださる時代になっている。そんな若い人たちが生まれて育つまで、私も生きてこられてよかったなあと思っているんです。』

日刊サイゾー 満島ひかり、岡村隆史と混浴で“お宝拝見”に衝撃走る! 「胸はないけど……」発言には称賛の声
ナインティナイン岡村隆史が、7日に放送されたラジオ番組『ナインティナイン 岡村のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、『東野・岡村の旅猿~プライベートでごめんなさい~』(日本テレビ系)にゲスト出演した女優の満島ひかりについて言及する場面があった。/岡村によれば、ロケで温泉を訪れた際、満島に全裸を見られてしまうハプニングがあったものの、満島は「私、弟とかいるから全然平気なんですよ」と平然としていたとのことで、ネット上では「トップクラスの女優は肝っ玉が違うな」「そんなこと言われたら、こっちが恥ずかしくなっちゃうよね」などと反響を呼んでいる。「同番組は、岡村と東野幸治がゲストを迎え、気ままに旅を楽しむというのがコンセプト。満島が出演したのは高知・四万十川を訪れた回で、温泉に入浴している時に冗談で満島を呼んだところ、満島が本当に来てしまったとのこと。まさか入ってくるとは思わなかった岡村と東野は、その時すっぽんぽん状態だったのですが、満島は動揺することなく『結構なモノをお持ちで』と感想を述べたそうです。これについて岡村は、『やっぱりもう、天才女優って、そこらへんも全然なのよ』と感心した様子を見せていました」(芸能関係者)
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  その美貌と天才的な演技力で、いまや日本を代表する女優にまで上りつめた満島。しかし、アイドルから女優へと転身する際には当時の事務所社長から反対されたといい、先月23日放送の『さんまのまんま 初夏に大笑いしましょかSP』(フジテレビ系)では当時のことを赤裸々に語って話題を呼んだ。「満島は、1997年にアイドルグループ・Folder(後にFolder5に改名)のメンバーとしてデビューしましたが、同グループが2000年に活動休止となったことをきっかけに、女優業への転身を当時の事務所社長に直訴。しかし、アイドルとして売り出すために資金を投入していたこともあり、社長からは『お前なんか胸がないから女優になれない』と頭ごなしに否定されてしまったとのことでした。ただ、満島はその社長に向かって、『胸はないけど夢はあります』と言い返したそうです」(同)/今月29日から公開される映画「海辺の生と死」では、熱愛がウワサされる永山絢斗と共演している満島。ファンを嫉妬させつつも、円熟味を増す演技力で物語の世界へと引きずり込んでくれるに違いない。』

「胸はないけど夢はあります。」・・・けだし名言であろう!


●FRUITS O' SUNDAY 8月6日 ゲスト:満島ひかり

・ラジオFM COCOLO765 「FRUITS O' SUNDAY」にて満島ひかりさん出演部分のみ。
 映画「海辺の生と死」についてのインタビューになります。。。

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※こんなのとか、、、

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※こんなフォトも、、、

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※この映画での衝撃度とか、、、
いろいろ思い出していると、確かに、感慨深い作品になったとは言えそうな。

満島ひかり 『群青』





☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月11日(日)の、「元気が出る言葉」は~?

『挑戦する心を失ったら、仕事の喜びの大半は消える。ベンチャーとは、冒険であり、未知への挑戦なのだ。』
出展:「成功の法則92ヶ条」(幻冬舎
発言者:三木谷浩史 (実業家、楽天の創業者 1965年3月11日)
『解説:若者に限らず、多くの人が「楽天」を利用してショッピングを楽しんでいるだろう。かつてこのような「市場」ができるとは想像できなかった。三木谷はベンチャー企業の旗手だ。それだけ困難も批判も降り注いでくる。それでも勉強を続け、チャレンジを続けていかなければならない宿命を背負った彼の言葉は、力に満ちている。/因みに、神戸出身の彼は、阪神淡路大震災で叔父叔母を失い、2011年3月11日、今度は東北楽天のオーナーとして、自らの誕生日に東日本大震災に遭っている。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 成功の法則92ヶ条 (幻冬舎文庫) 三木谷浩史(著)
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『■内容(「BOOK」データベースより):成功するかしないかは、運や偶然で決まるわけではない。成功には法則がある。本書は、成功の技術論と言ってもいい。その技術さえしっかりしていれば、誰でもビジネスを成功させることができる―楽天グループを築き、多種多様のジャンルで数多くのビジネス集団を率いる著者が、その成功哲学を惜しげもなく公開する人生の指南書。/■登録情報:/文庫 299ページ /出版社 幻冬舎 /言語 日本語 /ISBN-10: 4344419057 ISBN-13: 978-4344419056 /発売日 2012/8/2 /梱包サイズ 15 x 10.2 x 1.6 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.7 /■カスタマーレビュー:石本大貴 5つ星のうち5.0 「楽天の社内向けかつビジネス書」2013年1月7日・・・本書で記載されている内容は、主に個人が、1.自身をどう鍛えるかということ。2.他の人とどううまくやるか、同組織を動かすか、の二点に集約します。この二つについて、三木谷氏が無意識または意識的にやってきたことを具体化し、共有することを目的とし、おそらく社員が主たる対象であると思います。しかし、ビジネスマンとして当然に必要とされるので、かなり有用性の高いビジネス所であると言えるでしょう。同氏が語る、仮説を立て、実行し、修正し、「仕組み化」する。この「仕組み化の部分」が本書に当たるのでしょう。成功法則というような抽象的なものではなく、実行しやすい内容なのですぐにいくつかを実行してみてはいかがでしょうか。』

“うまれる”シリーズ第2作 「ずっといっしょ」 楽天・三木谷社長と再会!2016.03.29
『こんにちは、プロデューサーの牛山朋子です。少し前になりますが、古巣の楽天に遊びに行ってきました。(若かりし20代後半から約8年在籍していました。)/奇跡的にいらっしゃった三木谷浩史社長とも再会(^-^)!相変わらず、優しく、昔話にもお付き合いいただきました。入社当時、まだ30人ほどしか社員がいなかったベンチャー企業でしたが、3,000人を超える大きな会社になるまで(私の退社後はさらに大きくなって今は1万人以上とのこと!)、いろーーーんな経験をさせていただいたおかげで、今の私ができあがりました。感謝、感謝、です。それにしても、わたし、嬉しそうな顔してるなぁ(^^;;』

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☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“群衆は眼中に置かない方が身体(からだ)の薬です(『書簡』大正5年2月19日より)”

【1910年3月11日の漱石】人気作家ゆえにつきまとう噂話やゴシップ記事をさらりと受け流す

今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)3月11日、漱石のもとに1冊の雑誌が届いた。門弟の野上豊一郎(のがみ・とよいちろう)らが発刊した『新文芸』だった。漱石はふと、豊一郎との間で先に話題に上った『国民新聞』の記事のことを思い出した。その記事には、随筆家の杉村楚人冠(すぎむら・そじんかん)と漱石との間に確執があるかのようなことが書かれていた。

楚人冠は東京朝日新聞の同僚であり、確執どころか、月2回の編集会議で顔を合わせると、近くの交詢社倶楽部などでよく昼食をともにしていた。誤解のもとは、どうやら、漱石の主宰する朝日文芸欄で、漱石の弟子のひとり森田草平が楚人冠の文章に批判めいたことを書き、一方で楚人冠がこれに反駁(はんばく)する記事を朝日新聞の「新聞界」欄に載せたことにあるようだった。このことに関連して、漱石は、草平にやんわりと注意を与え、楚人冠へも「どうせ反駁するなら文芸欄の中でやってくれればいい」と話していたところだった。

漱石は、『国民新聞』の定期の寄稿者でもある野上豊一郎に手紙を書くことにした。楚人冠と自分の実際の交際ぶりを伝え、何かの機会に報じてもらおうと思ったのである。ただし、漱石は、さほど気に病んでいるわけではない。手紙には、《こんな事は始終(しじゅう)あるから別に気にもならないから、君の方の都合がよかったら材料として使ってもらおう位の所に過ぎない》と付記した。世間からあることないこと言われても、知らぬ顔して聞き流している、この頃の漱石先生なのだった。「そうじゃなきゃ、こっちの身がもたん」そんな漱石先生のつぶやき声も聞こえてきそうだ。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「ゴシップ」「受け流す」で動画検索してみました!!)

ムーディ勝山の現在!


ワイドナショー 武田鉄矢 蓮舫【辛口・変態】


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※感覚でしゃべっとるなぁ~~。主観のクセが凄い!

ジョニーAのつぶやき:島田課長の死因が気になります。「アンナチュラル」ファンとしては・・・w