「名古屋行き最終列車2018」で漣ロス解消?

☆「TVer」で「命売ります」を観たついでに、いろいろ他の番組も眺めてたら
見つけてしまった。

TVer 名古屋行き最終列車2018 第9話【出演:大杉漣 石野真子】メ〜テレ 3月12日(月)放送分 -3月19日(月) 23:50配信終了-
『開局55周年記念番組 メ~テレドラマ メ~テレ(名古屋テレビ放送)にて毎週月曜 深夜0:20から放送。ラーメン屋を閉店し、リタイアした今村(大杉漣)は、シングルマザーである麻耶(黒川芽以)の赤ん坊の世話が生きがいになっていた。2年ぶりに帰国し、今村の自宅を訪れた小夜子(石野真子)は、赤ん坊をあやす今村を見て、麻耶と今村の仲を勘違いし怒って帰ってしまう。※「名古屋行き最終列車」シリーズにご出演いただいた大杉漣さんが2018年2月21日、急逝されました。心よりご冥福をお祈りいたします。』

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※この、目を見開いて驚く、いつもの漣さんの演技。もう見られないんだ・・・。

9話あらすじ
『ラーメン屋を閉店し、リタイアした今村武雄(大杉漣)は、シングルマザーである山本麻耶(黒川芽以)の赤ん坊の世話が生きがいになっていた。一方、2年ぶりに海外から帰国した小夜子(石野真子)が今村の自宅を訪れる。赤ん坊をあやす今村を見た小夜子は、麻耶と今村の仲を勘違いして怒って帰ってしまう。そんな勘違いをしらない今村は、小夜子がなぜ不機嫌なのかわからず事態はややこしいことになってしまう・・・』

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※真子さんとはいいコンビでしたよー。

◎メ~テレドラマ【公式】
@nagoyatv_drama
#名古屋行き最終列車#大杉漣 今回の撮影で大杉さんが楽しみにしてた一つは樋浦勉さんとの共演です。
「お世話になった大先輩なんだよ」と嬉しそうに教えてくれました。
楽屋挨拶に漣さんが向かわれた時の、先輩に対する礼節と若かりし頃を知られているちょっと照れた笑顔が印象に残っています。じんど
21:47 - 2018年3月10日

●『名古屋行き最終列車』予告編 2015劇場版

※地域限定だったのか、、、。知らんはずやわ~。

イザ! 大杉漣さん ローカル局の現場でも慕われたその人柄
『「名古屋行き最終列車」は、愛知・三重・岐阜の「東海3県」のみのオンエア。正真正銘の「ローカルドラマ」なのである。同シリーズの第3弾から出演されていた大杉漣さんは、今年1月15日から、初めて連続ドラマスタイルをとった第6弾のポスターに主演の松井玲奈や六角精児と共に映っておられる。
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  松井と六角と言えば、芸能界屈指の“鉄道オタク”。まだSKE48のメンバーだった地元アイドルの松井をメインにしたのも、ローカルドラマならではのことだったと言えよう。果たして、22日朝の『ドデスカ!』は、6時台、7時台に3チャンスある芸能枠全てで大杉漣さんの訃報に触れ、「このドラマに出演するキャストやスタッフとまた会いたいなといつも思っていました。毎年このドラマに参加できること、作っていただけること、みんなと再会できたことを本当に嬉しく思っています」という『名古屋行き最終列車』HPに寄せた大杉漣さんのコメントを紹介。続いて、「スタッフだけではなく、エキストラの方やロケ地の関係者にも分け隔てなく、いつもニコニコおしゃべりする方でした。相談をすれば常に親身になって一緒に考えてくださいました」というプロデューサーのコメントもモニターに出させてもらった。/すると「ドデスカ!」のアナウンサー陣から次々、大杉漣さんとの秘話が明かされるではないか。東京や大阪のテレビ局とは異なり、仕事で来社する芸能人の数が圧倒的に少ないなか、メ~テレアナウンサーたちは大杉さんとのオンリーワンのエピソードをそれぞれ持っていたのである。
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いくつか紹介させていただこう。「廊下でお会いすると、いつも笑顔で挨拶をしてくださいました」「我々のことなんか御存知であるハズもないのに、こちらが恐縮してしまうほど腰の低い方でした」/もっとも驚いたのは「(大杉さんが出演している)「相棒」や「緊急取調室」の取材でテレビ朝日に行くと、大杉さんに出ていただくお約束はとれていないにも関わらず、「僕はメ~テレ・ファミリーだから」とインタビューに加わってくださいました」という、もっとも若手の上坂嵩アナによるエピソードだった。/訃報を受けてから、多くの作品の共演者から追悼コメントが尽きないが、どれを見ても、決して偉ぶらず、後輩であっても、演技経験が少ない俳優であっても細やかな気遣いをし、優しく接する大杉漣さんのお人柄がわかるものばかりだ。そして、それは名古屋のローカル局でも全く変わらなかったのである。
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ちなみに、大杉漣さんが演じていたのは「今村武雄」なるラーメン店店主。神道プロデューサーが「今村」の過去の衣装を確認するためスタッフに連絡したところ、多くのスタッフから大杉さんとのツーショット写真が送られてきたとか。神道プロデューサー曰く「資料写真では見たことのない仲良し写真の数々…」とのことだった。思えば、多くの共演者が、過去、SNSにアップした大杉漣さんとの笑顔のツーショット写真を再びアップしている。それらを「アルバム」として集めることはできないものだろうか。そこには、役柄以外の大杉漣さんのお人柄がギッシリ詰まっているので…。大杉漣さんの御冥福をお祈り申し上げます。合掌』

●[ありがとう。大将] 名鉄6036F(名古屋行き最終列車系統板[大杉漣さん]) 普通伊奈550レ国府駅発車

・先日この世を去られた俳優 大杉漣さんの姿を掲げた6036Fが本日充当
されました。名古屋行き最終列車ではラーメン屋の大将役で出演されて
いましたね。とあるラーメン屋で弟子(?)のやり方が気に入らず自分流を
貫いたのが思い浮かびます....。ご冥福をお祈りします。
いつもと同じ日常は明日もあるとは限らないんですよね....。
それを近頃感じるようになりました。

トレンドニュース 大杉漣さん最後の「名古屋行き最終列車」メ~テレドラマPが追悼「スタッフ全員に愛されていた」
『急性心不全のため急逝した俳優・大杉漣さんが出演しているメ~テレ「名古屋行き最終列車2018」第9話が3月12日に放送された。メ~テレドラマプロデューサーである神道俊浩氏は、公式サイトにて大杉さんとの思い出を振り返っている。
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「名古屋行き最終列車」シリーズは、名古屋へ向かう最終列車で繰り広げられるヒューマンコメディ。2012年にスタートして、同じ役柄の登場人物が1年たった設定で毎年新作が放送されている。大杉さん演じる今村武雄は、2015年に初登場した、元ラーメン屋の店主。「名古屋行き最終列車」シリーズでは、ずっとラーメン一筋で生きてきた彼が、恋心に戸惑ったり、弟子の店を手伝ったりする様子が描かれてきた。/3月12日に放送された第9話は、大杉さん最後の「名古屋行き最終列車」となった。リタイアした今村武雄は、シングルマザーである山本麻耶(黒川芽以)の赤ん坊の世話が生きがいになっていた。一方、2年ぶりに小夜子(石野真子)が海外から帰宅するが、赤ん坊をあやす今村を見て、麻耶と今村の仲を勘違いして怒って帰ってしまう。そんな誤解を知らない今村は、小夜子がなぜ不機嫌なのか理解できず、事態はややこしいことになっていく――。
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ドラマ公式サイトには、神道プロデューサーによる追悼文が掲出されている。大杉さんは撮影の移動中や出番待ちの間も、スタッフや見学者、ロケ先の人々と会話するなどしていたとして、「ひとを喜ばすのが大好きな人でした」と振り返った。また、「ロケでスタッフが酔っ払いに絡まれて自転車を投げつけられたとき最初に助けに駆け出した」など、いろいろなエピソードが明かされ、「本当に分け隔てなく誰とでもフレンドリーに接してくれて、スタッフ全員に愛されていました」と故人をしのんでいる。(文/原田美紗@HEW』

明石家さんま大杉漣の突然の訃報に対しラジオで言及。


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MioMio さんまのまんま 2003年1月24日放送
※15年前からちっとも変っとらんなぁーーーーー。
 次は『ソナチネ』と『HANA-BI』を観る予定。それできっぱり、漣ロスから
 解き放たれたいと思う。



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月13日(火)の、「元気が出る言葉」は~?

『武力で平和を築くことはできない。』
出展:「夢の続き」(集英社
発言者:吉永小百合 (女優。1945年3月13日~)
『解説:映画の中の吉永さんを見ていると、「私たちには未来がある」と思わせてくれる生命観を感じる。高倉健は彼女を、「凛とした」人だと言った。そんな彼女のライフワーク原爆詩の朗読だ。四半世紀にわたり広島・長崎の詩を読み続け、2011年以降、福島の詩も加わった。14歳でのデビュー以来、多くの映画で戦争の犠牲者、弱者、貧しき者を演じてきた彼女の、平和を強く願っての勇気ある発言と行動だ。「一生生徒」というのも、彼女にふさわしい座右の銘である・・・。』

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※『北の桜森』イメージショット

◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 夢の続き (集英社文庫) 吉永小百合(著)
『■内容(「BOOK」データベースより):日活映画の素晴らしい共演者たちと『キューポラのある街』への深い思い。原点となったラジオとの縁。
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「動乱」から「北のカナリアたち」へ続く北の大地での映画出演。ラグビー、乗馬、水泳など趣味のスポーツ。原爆詩朗読に込めた平和への祈り。先輩たちとの交流。手紙の思い出。母のかたみをはじめとする大切なきものがたり―。時代の風を受けながら、トップを走り続ける女優の今を綴るフォトエッセイ集。/■登録情報:/文庫 165ページ /出版社 集英社 /ISBN-10: 4087450015 ISBN-13: 978-4087450019 /発売日 2012/10/19 /梱包サイズ 15.4 x 10.4 x 0.4 cm /おすすめ度 5つ星のうち 4.0 /■カスタマーレビュー:百地樹里 5つ星のうち4.0 「本物の女優さん」2008年3月8日・・・映画館で見かけたので、Amazonで購入しました。女優でビュー当時の思い出から、ラジオ、原爆詞の朗読などお仕事にまつわるお話からプライベートに至るまで、吉永小百合さんを知るにはうってつけの一冊だと思います。とくにお気に入りは着物のエピソードと手作りのドレスです。「母べえ」で見事なクロールを披露してくださいましたが、洋裁もボタン付けができないところから本格的にドレスを作ってしまえるようになるなんて、まさに女優魂の現れです。乗馬もこなし「北の零戦」で披露してくれましたし、彼女の芯の強さが垣間見られます。女優になるべくして生まれた人そう感じました。吉永小百合入門書としてもオススメです。』

●車寅次郎らしさ 第9作 男はつらいよ 柴又慕情

※個人的にはやはり『男はつらいよ』の琴子さんが印象深いネェー。

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※若き日は若き美貌を、年取りてはまた、年相応の麗しさを。。。

サンスポ・ドットコム 吉永小百合、鶴瓶に公開プロポーズ「次はぜひ夫婦役を」
『共演の鶴瓶竹内結子(34)らと登場した小百合は、「昨夜は胸苦しい思いがして眠れませんでしたが、皆さまのお顔を見て虹が出たような気持ちです」と率直な心境を明かした。岬でカフェを営む悦子(小百合)と集う人々の交流を描く物語。配給の東映によると、興行収入20億円が見込める好調なスタートとなり、初めてプロデューサーを務めた小百合も終始ホッとしたような表情に。/特に2008年の「母べえ」と10年の「おとうと」に続き、“友達以上恋人未満”の常連客役で3度目の映画共演となった鶴瓶に対しては「この人となら一緒になれるかもしれない予感がしています。次の映画、ぜひ夫婦役はどうでしょう?」と壇上で大胆オファーした。これに鶴瓶は、「サユリストが多いのを改めて感じた。『(相手役が)なんでお前やねん』みたいな気持ちがあった」と恐縮しきり。だが小百合から「原作者の森沢明夫さんに『次は夫婦いけます!』といわれました」と明かされると、「皆さん聞きました? どーやねん!」と胸を張って会場を沸かせた。』

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※これ、洒落ならんやつやでー!鶴瓶さん、本気やしw

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ(『虞美人草』より)”

【1909年3月13日の漱石】深夜の神楽坂で恐怖の体験をする

今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)3月13日の東京は風が強く、雨が降っていた。漱石の頭の中には、「物、皆湿(うるお)う」という言葉が浮かんでいた。こんな天候なのにウグイスが鳴いていることが、ちょっと不思議な感じがした。故郷の高知に帰省中の漱石門下のひとり、物理学者で文学者の寺田寅彦から葉書が届いた。高知はすっかり春で、菜の花が咲き誇り、柳が芽を吹いていることを伝えてきていた。嬉しい季節の便りだった。西から深まりを告げる春の気配にも誘われたのか、夜になって、漱石は外出した。

雨はやんでいたが、風はまだ強く吹いていた。目指すのは、赤坂に住む門弟・松根東洋城(まつね・とうようじょう)の家だった。やはり漱石門下の野上豊一郎と、俳人山崎静太郎も集い、4人で謡(うたい/伝統芸能能楽」の声楽部分)をやろうというのだった。山崎静太郎は、東大建築科卒の建築家で能楽研究家でもあった。謡の流派でいうと、漱石と豊一郎は宝生流のワキ、東洋城は観世(かんぜ)流、静太郎は喜多流。みな、バラバラである。『桜川』『船弁慶』『清経(きよつね)』の3曲をやったのだが、流派の違いもあるし、腕前もプロ並みとはいかないから調子が合わず、なんだか目茶苦茶である。でも、それはそれで妙に楽しめるのだった。

帰りはすっかり遅くなり、漱石は深夜12時近くになって、神楽坂をのぼっていた。「毘沙門様」の呼び名で親しまれる善国寺の前を通り、早稲田方面へと向かっていけば自宅へと至り着ける。と、そのとき急に、左右の家々の雨戸や障子がガタガタと音を立てた。漱石は一瞬、風のせいかなと思った。だが、どうも違う。思わず、立ち止まる。途端に、ひとりの男が幼児を抱えて家の中から飛び出してきて、「地震だ」と叫んだ。漱石は「そうか、地震だったのか」と得心する。坂の上の方に目をやると、一軒の寿司屋だけが、深夜だというのに、まだ灯をともしていた。ちなみに、10万人以上が犠牲となった関東大震災が発生したのは14年後の大正12年(1923)9月である。この年(明治42年)の6月から新聞連載が始まった小説『それから』の中で、漱石はこのときの体験を基に、先行きに不安を抱く主人公・長井代助(ながい・だいすけ)の深層心理を、神楽坂の坂道で遭遇した地震に重ねるようにして描出している。

《神楽坂へかかると、寂(ひっそ)りとした路が左右の二階家に挟まれて、細長く前を塞(ふさ)いでいた。中途まで上って来たら、それが急に鳴り出した。代助は風が家(や)の棟に当る事と思って、立ち留まって暗い軒を見上げながら、屋根から空をぐるりと見廻すうちに、たちまち一種の恐怖に襲われた。戸と障子と硝子の打ち合う音が、みるみる烈(はげ)しくなって、ああ地震だと気が付いた時は、代助の足は立ちながら半ば竦(すく)んでいた。そのとき代助は左右の二階家が坂を埋(うず)むべく、双方から倒れて来る様に感じた》/漱石は、自分の身の回りで起きる日々の出来事を作家としての眼で常に観察し、己の中に取り込みながら名作をつむいでいたのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「真面目」「真剣勝負」で動画検索してみました!!)

清原和博氏が野田浩司氏と一打席真剣勝負!


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※「フォークなんか投げたらブッ殺すぞ!」とでも言わんばかりのメンチw

●【吉田豪山本小鉄アントニオ猪木大仁田厚が嫌い!真面目な一面を暴く


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ジョニーAのつぶやき:真面目一徹!山本小鉄!!