「ちはやふる ー繋ぐー」鑑賞記

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dTV 『ちはやふる-繋ぐ-』は【下の句】と3月17日公開【ちはやふる-結び-】の間に起こった、千早(広瀬すず)達の様々なエピソードが描かれる全5話
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『「ちはやふる-繋ぐ-」は【下の句】と3月17日公開【ちはやふる-結び-】の間に起こった、千早(広瀬すず)達の様々なエピソードが描かれる全5話。更に「ちはやふる-学ぶ-」では競技かるたのルールを詳しく解説!シリーズファン必見の珠玉のスピンオフドラマ。/各話あらすじ:第一話・・・高校2年生になった千早(広瀬すず)達、瑞沢高校競技かるた部は、2年連続全国大会出場を目指し、練習に励む毎日を過ごしていた。ある日、千早の17歳の誕生日にサプライズを企てる部員たちだったが…。(出演:広瀬すず 野村周平 上白石萌音 矢本悠馬 森永悠希
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/第二話・・・高二の夏-2年連続で全国大会出場を果たした瑞沢かるた部の結果は全国3位に。皆の足を引っ張ったと自分を責める太一(野村周平)を「来年全国優勝って楽しみが増えたね」と励ます千早。近江神宮で来年こそはと誓う。(出演:広瀬すず 野村周平 上白石萌音 矢本悠馬 森永悠希)/第三話・・・クイーンへの挑戦権を獲得するために、千早は原田先生(國村隼)との猛特訓の毎日を過ごしていた。練習後、一度もお手付きをしなかったご褒美に、原田先生に行きつけのラーメン屋台へ連れていってもらう千早。しかし、手持ちのお金がないことに気づき焦る原田先生…果たして…。(出演:広瀬すず 國村隼
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/第四話・・・名人への挑戦権を獲得する為に、新(新田真剣佑)は、かるた会で練習に励んでいた。そして、クイーン挑戦権を目指し共に練習に励む我妻伊織(清原果耶)。ひそかに新に想いを寄せる伊織だったが、彼の気を引こうとするものの相手にされず…。(出演:新田真剣佑 犬飼直紀 吉田翔 沖門和玖 清原果那)/第五話・・・競技かるた名人・クイーン位決定戦。孤高の名人・周防久志(賀来賢人)と最強クイーン・若宮詩暢(松岡茉優)の試合開始直前を描く。試合会場には、なんと着物姿の千早の姿も…。「ちはやふる-結び-」に繋がるスピンオフ最終章(出演:広瀬すず 國村隼 松岡茉優 清水尋也 野村周平 上白石萌音 矢本悠馬 森永悠希 賀来賢人)/学び・・・映画「ちはやふる」をより楽しむために、競技かるたの基本的なルールや試合の流れを「ちはやふる-学び-」で解説。(出演:優希美青 佐野勇斗)』
※Huluが独占配信する、「下の句」と「結び」を“繋ぐ”スペシャル・エピソード
ということで、かなり期待してみたが、ストーリー自体は、さほど大したことなく、
別に、まぁどーでもいいかなぁ?という日常の瑣末なワンシーンをさり気に切り取
ってみました~的オマケ映像だった。タイトルとしては、「ちはやふるーおまけー」
の方が似合うと思ったな。あ、でも、その間に挿入されるメイキング映像がとても
素敵で、むしろそっちがメインと考えたほうが良いのかも。メイキングとメイキン
グを“繋ぐ”映像だ、と解釈すれば納得である♪気楽に観られるスピンオフ。
もちろん十分楽しいので、ちはやファンはDVDで借りて是非観るべし!!

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『「ちはやふる ー繋ぐー 」たぶん「ー 結び ー」のレンタルを待ちきれず観に行ってしまいそうなので、その前にコチラをレンタルしてきた。広瀬すず演じる千早や野村周平演じる太一をはじめとした瑞沢高校競技かるた部のメンバー、新田真剣佑演じる幼馴染の新など主要キャストや最新作「結び」から登場する新メンバーなど主要キャストが総出演!かるた部で行われたサプライズの様子や、高校2年生のときの千早たちのエピソード、「競技かるた名人位・クイーン位決定戦」直前の様子など、「ちはやふる -上・下の句-」から「ちはやふる -結び-」に繋がる物語が全5話にわたり展開される。加えて映画の貴重なメイキング映像、キャストインタビューなども楽しめる。また終盤にある「ー学びー」では競技かるたの基本的なルールについても説明してくれています。準備は整ったのであとは劇場へ行くだけ。是非 「ちはやふる ー結びー」を観に行く前にどうぞ。』
※「繋ぐ」の情報が少ねえなーーーー!しかもほとんどがHuluの宣伝記事ジャッ!
 感想を書いてくれてるブログをば引用させてもらいまんた!

新田真剣佑 ちはやふる完成披露試写会まとめ

※マッケンユーの舞台挨拶トークが上手になっとるのにビックリやw
「上の句」の頃は余裕なかったのにネーーー。

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※どうせオマケのオムニバス動画にするんなら、ヒョロくんの日常も観たかった♪

シネマtaku配便 「ちはやふる -結び-」92点
『前二作と本作の間、描かれなかった高校二年生の瑞沢かるた部のエピソードが、本作の公開に合わせてネット配信「Fulu」で公開されています。それが「ちはやふる ー繋ぐー」なんですが、5分ほどのショート+本編メイキングの構成で全5話。第5話がそのまま「ー結びー」の冒頭に繋がる他、補完的なエピソードですが色々と本作にかかる部分があるので面白いです。/また、前クイーンの坪田翼さんとの練習対決で、広瀬すずちゃんがなんとか1枚取れた(取らせてくれた?)エピソードとか面白いです。なによりメイキングで一番驚かされたのが、かるた札の詠み順や送り札の配置をワンカットごとに超綿密に設計していること。この仕事は本当に凄いです。木本景子という方が担当されているのですが、全日本かるた協会四段の選手であり、A級の公認読手でもあるんですね。声優の仕事もされているようです。本作の最後の最後、「ちはやふる」の和歌を詠む声が彼女だそうです。それにしても、ビックリ!!』
※最新技術の導入や、競技かるたの細部へのこだわりが、よく解るメイキングでした!

●『ちはやふるー繋ぐー』スピンオフ・メーキング映像 広瀬すず 真剣佑→新田真剣佑への改名の秘密


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☆実際の、しずちゃんのバースデー・サプライス映像もあるわけだから、
それと同じシチュエーションの第一話はいらんよなぁ~、と思ったしw
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☆一番のお気に入りは、第五話(名人・クイーン決定戦・序章)だが、
ちょっと若宮しのぶが足りなかったってー!!(怒)
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※スピンオフでいくら凛々しい姿を見せたって、「ー結びー」のわたしは
しょせんコメディリリーフのスノー丸よっ!とか思っていそう・・・。

◎メイキング
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※「もうここを動かないっ!」とゴネるすず。

◎学び
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※本来ならこういった説明も本編の中で詳しく解説した方が良いんでは?
と思いがちだが、そこを潔くバッサリはしょったところに、成功の要因
があったんじゃなかろうか。

●映画『ちはやふる』完成披露試写会で広瀬すずを真剣佑と野村が取り合い?

※映画本編では出せなかった結論を、ここで出したちはや?
親父がクレイジーでも、隠し子がいても、イケメンなら全てOKじゃぁ!!w
(それ、リアルな新とごっちゃになってるゾイ!w)




☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日3月28日(水)の、「元気が出る言葉」は~?

『仕事が楽しければ 人生は極楽だ。仕事が義務ならば 人生は地獄だ。』
出展:「どん底」(岩波書店
発言者:マクシム・ゴーリキー。 ロシアの作家。1868年3月28日~1936年6月18日
『解説:アメリカの有名な経営者ジャック・ウェルチや、経済学者の竹中平蔵も紹介している有名な言葉。新入社員時に聞かされた人も多いだろう。ゴーリキーは戯曲「どん底」1作で今も知られる作家だが、この作品は主人公も筋もないという不思議な内容で、日本では黒澤明監督が翻案して1957年に映画化している。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

●「この、素晴らしき世界にて」舞台告知CM【劇団 亜劇 公式】(2分16秒)

 原作:マキシム・ゴーリキーどん底
 脚本・演出:石田徹弥
 プロデューサー:浅田義啓


★これまたゴーリキー違い
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※ミス・アヤメ・ゴーリキー!いやいや、ゴーリキ!伸ばさんといてっ!

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“学校をやめてから、京都へ遊びに行った。野に山に寺に社に、いずれも教場よりは愉快であった(『入社の辞』より)”

【1907年3月28日の漱石】初の新聞連載『虞美人草』の取材で京都に向かう

朝日新聞の発祥地は大阪である。創刊は明治12年(1879)1月。東京朝日新聞はそれから9年後の明治21年(1888)7月に、東京の「めさまし新聞」を買収・改題する形で創刊された。これを受けて、大阪本社で発行する朝日新聞大阪朝日新聞と改題された。/そんな歴史があるから、社主の村山龍平も大阪にいる。数え41歳の漱石朝日新聞入りを決めた直後、関西旅行を思い立ったのは、社主を含めた大阪朝日新聞の幹部らへ挨拶がてら、まもなく書き出す初の新聞連載小説『虞美人草』の材料の仕込みをしておきたいというのが主な理由だった。同時に区切りの休みを利用して、学生時代からの友人で京都帝国大学に勤務する狩野亨吉(かのう・こうきち)やドイツ語学者の菅虎雄(すが・とらお)と旧交を温めたいとも思っていた。

そんな漱石が東京・新橋から神戸行きの列車に乗り込んだのは、今から109年前の今日、すなわち明治40年(1907)3月28日の朝だった。現代なら、新幹線を利用して東京駅から2時間半足らずで京都駅に到着することができる。だが、当時は半日を要した。朝8時から列車に揺られ、漱石が京都に到着したのは夜の7時半過ぎ。停車場には、狩野亨吉と菅虎雄が迎えにきてくれていた。3人はこのあと、下鴨神社北側の狩野亨吉の家を拠点に、寺社や行楽地をめぐる10日余りを過ごすことになる。

じつは、漱石朝日新聞招聘(しょうへい)を社主の村山龍平に最初に勧めたのは、大阪朝日新聞主筆の鳥居素川(とりい・そせん)だったと伝えられている。素川も龍平も、当初、漱石を京都か大阪に定住させることを考えていた。漱石はそんなこととは露知らず、終始一貫、朝日入りしても東京で仕事を続けるつもりでいた。/東京朝日新聞主筆の池辺三山(いけべ・さんざん)が大阪側と折衝して、漱石の知らぬ間に、漱石の関西移住案はなくなっていたのだった。鳥居素川はのちに、漱石宛ての書簡の中に、《実は大兄(たいけい)を擁し同じ堡塁(ほるい)に拠(よ)り天下を引受(ひきうけ)勇戦仕度(つかまつりたく)存居(ぞんじおり)候も一躓再躓…》と、漱石の関西招聘に躓(つまず)いたことを、いささか残念そうに綴っている。

しかし、東京を離れて、松山、熊本、ロンドンに暮らし、「やはり自分は東京がいい」と再認識していた漱石先生。関西移住が条件なら、朝日新聞社入りは実現していなかったのではないか。半面、漱石が京阪で何年か過ごしていたら、谷崎潤一郎がそうだったように、ちょっと趣の異なる文学作品が誕生していたかもしれない。そんな想像もしてみたくなる。なにせ、松山暮らしから『坊っちゃん』を、熊本暮らしから『草枕』を生み出している漱石先生なのだから。なお、この時の京都滞在中、俳人で小説家の高浜虚子も、たまたま所要あって京都を訪れ、漱石と行動を共にする春雨の一日があった。虚子は、かつては京都第三高等学校に在籍し、少し前に書いた小説『風流懺法(ふうりゅうせんぽう)』には、茶屋一力での舞子の舞を描き込んだばかり。菅虎雄や狩野亨吉の案内とは異なる色艶のある京都の情趣を伝えるべく、漱石を連れて平八茶屋での昼食から都踊り見物、さらに一力の座敷に上がって芸子や舞子と遊ぶ一夕へといざなったという。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「京都旅行」「愉快」で動画検索してみました!!)

●京都旅行 | 2016 December | Kyoto,Japan | Travel Vlog


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※「京都旅行」という言葉の背後には、いつまでも「青春」という言葉が
寄り添っていると感ずる。多感な時期に行っとくべき場所ザンスよねーー。

●「青春の旅路」中村行延


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※中村行延さんは京都で「チャクチャク」という喫茶店をやっとられた。
今もあるのかしらん?(ウィキで調べたら2009年2月末まで、となってた)

ジョニーAのつぶやき:中村行延さんは、鶴瓶さんとヤンタン月曜日を担当していた人。一時期有名になったのは「百恵ちゃん祭り」で主演・百恵ちゃんの相手(彼氏)役に抜擢されたときだったっけ。