みなみ会館が閉まっていた。。。
gooブログ AMASHINと戦慄 さよなら京都みなみ会館
→ 『さて、前々回からお伝えしてる通り、京都の歴史ある老舗の映画館京都みなみ会館も、本日(2018年3月31日)を持って完全閉館。京都みなみ会館は、パチンコ屋が入居していた時期もあり、外観があまりにも下品でヒドかったが、京都駅の一歩手前の東寺という場所がよくて、駐車場もタダだから、一応映画鑑賞が趣味のひとつだった20~30代の頃は車でちょくちょく通ってた。/最近イオンなどに入ってるシネコンは、確かに近所にあって便利だが、やっているものといえば中高生向けの邦画ばっかで、まぁほとんど用がない。だから京都みなみ会館のような、ジャリ向けではない、いい作品を上映してくれる映画館が数を減らしていくのはなんとも寂しい。まぁ完全になくなってしまうというんではなく、移転先を探しまた再開するという話なので、そこまで感傷に耽るほどのことではないとは思うが。つか映画鑑賞そのものに興味をなくしてしまった今では、この度の閉館を惜しむ資格すらないのかもしれない。(中略)
閉館までのラスト一週間は、京都みなみ会館が選ぶ(映画通が選ぶってことなのかな?)名作映画作品群を、1000円均一料金で上映していたので、木曜にちょっと気になる映画がやっていたので決算休みを利用してここでの観おさめとばかりにいってきた。/鑑賞したのは、深作欣二監督の68年のカルトムービー『黒蜥蜴』。乱歩原作の『黒蜥蜴』を三島由紀夫が戯曲化したものを、これまた映画化したもので、女賊“黒蜥蜴”をまだ丸山の苗を名乗っていた頃の三輪明宏が演じることにより、異色のデカダンス風味が強調されたアーティスティックな作品に仕上がっている。本作はソフト化はされてなく、以前いきつけのバーだったところ(バーの名前は“パノラマ島”)で、『黒蜥蜴』をコンセプトとした周年イベントに呼ばれた際に、ネット上で落ちてたのをすでに予習鑑賞済みであったが、35mmフィルムでスクリーンで観るのもなかなかオツなのではないかと。
うん、観返してみてやっぱ面白かった。三輪明宏演じる黒蜥蜴は、どう観てもニューハーフの域を出ないんであるが(身体もゴツゴツしてるしね)、彼女(?)の持つ独特のナルシズム感が、黒蜥蜴のキャラクターをさらに強烈なものとしており、このいささかアホくさくキザったい男女恋愛もののストーリーを芸術的な域にまで昇華しているのだ。「でも、心の中ではあなたが泥棒で、わたしが探偵だったわ・・・あなたはとっくに盗んでいた・・・」最後のシーンで、思わず目頭を熱くしてしまったことを告白しておこう(俺って、だいたい二回目の方がくるんよね)。この『黒蜥蜴』鑑賞で、京都みなみ会館最後のしめくくりにしてもよかったんだが、次上映の『恐怖奇形人間』もちょっと興味があって、乱歩ものだし、1000円だし、実は観たことなかったので、少し迷った挙句ええいとばかりに当日チケットを購入。満員御礼。(中略)今までいい映画作品との出会いをほんとありがとう。そしてお疲れ様。また同じ「京都みなみ会館」という名で、このシックな内装でやってくれるのかはわからないが、再開してくれる日を楽しみに待っております。』
※ワチクシめも思い出深い作品がいくつも走馬灯のように脳内を駆け巡ったわーー。
いろんな人と行った、切ない思いとともに甦る、名作・迷作の数々。『恐怖奇形
人間』、『シャイン』、チャウ・シンチーの『食神』・・・などなど♪
あぁあー、またしても、『黒蜥蜴』を観る機会を失してしまっていたか!!
もっと早く気づいておれば、、、行けていたやも知れぬのに。。。む、無念!!
→ 『さて、前々回からお伝えしてる通り、京都の歴史ある老舗の映画館京都みなみ会館も、本日(2018年3月31日)を持って完全閉館。京都みなみ会館は、パチンコ屋が入居していた時期もあり、外観があまりにも下品でヒドかったが、京都駅の一歩手前の東寺という場所がよくて、駐車場もタダだから、一応映画鑑賞が趣味のひとつだった20~30代の頃は車でちょくちょく通ってた。/最近イオンなどに入ってるシネコンは、確かに近所にあって便利だが、やっているものといえば中高生向けの邦画ばっかで、まぁほとんど用がない。だから京都みなみ会館のような、ジャリ向けではない、いい作品を上映してくれる映画館が数を減らしていくのはなんとも寂しい。まぁ完全になくなってしまうというんではなく、移転先を探しまた再開するという話なので、そこまで感傷に耽るほどのことではないとは思うが。つか映画鑑賞そのものに興味をなくしてしまった今では、この度の閉館を惜しむ資格すらないのかもしれない。(中略)
閉館までのラスト一週間は、京都みなみ会館が選ぶ(映画通が選ぶってことなのかな?)名作映画作品群を、1000円均一料金で上映していたので、木曜にちょっと気になる映画がやっていたので決算休みを利用してここでの観おさめとばかりにいってきた。/鑑賞したのは、深作欣二監督の68年のカルトムービー『黒蜥蜴』。乱歩原作の『黒蜥蜴』を三島由紀夫が戯曲化したものを、これまた映画化したもので、女賊“黒蜥蜴”をまだ丸山の苗を名乗っていた頃の三輪明宏が演じることにより、異色のデカダンス風味が強調されたアーティスティックな作品に仕上がっている。本作はソフト化はされてなく、以前いきつけのバーだったところ(バーの名前は“パノラマ島”)で、『黒蜥蜴』をコンセプトとした周年イベントに呼ばれた際に、ネット上で落ちてたのをすでに予習鑑賞済みであったが、35mmフィルムでスクリーンで観るのもなかなかオツなのではないかと。
うん、観返してみてやっぱ面白かった。三輪明宏演じる黒蜥蜴は、どう観てもニューハーフの域を出ないんであるが(身体もゴツゴツしてるしね)、彼女(?)の持つ独特のナルシズム感が、黒蜥蜴のキャラクターをさらに強烈なものとしており、このいささかアホくさくキザったい男女恋愛もののストーリーを芸術的な域にまで昇華しているのだ。「でも、心の中ではあなたが泥棒で、わたしが探偵だったわ・・・あなたはとっくに盗んでいた・・・」最後のシーンで、思わず目頭を熱くしてしまったことを告白しておこう(俺って、だいたい二回目の方がくるんよね)。この『黒蜥蜴』鑑賞で、京都みなみ会館最後のしめくくりにしてもよかったんだが、次上映の『恐怖奇形人間』もちょっと興味があって、乱歩ものだし、1000円だし、実は観たことなかったので、少し迷った挙句ええいとばかりに当日チケットを購入。満員御礼。(中略)今までいい映画作品との出会いをほんとありがとう。そしてお疲れ様。また同じ「京都みなみ会館」という名で、このシックな内装でやってくれるのかはわからないが、再開してくれる日を楽しみに待っております。』
※ワチクシめも思い出深い作品がいくつも走馬灯のように脳内を駆け巡ったわーー。
いろんな人と行った、切ない思いとともに甦る、名作・迷作の数々。『恐怖奇形
人間』、『シャイン』、チャウ・シンチーの『食神』・・・などなど♪
あぁあー、またしても、『黒蜥蜴』を観る機会を失してしまっていたか!!
もっと早く気づいておれば、、、行けていたやも知れぬのに。。。む、無念!!
京都新聞 京都現存最古の映画館閉館へ みなみ会館、移転再開目指す
→ 『半世紀以上の歴史があり、一般映画の上映館としては京都市内で現存最古の「京都みなみ会館」(南区)が来年3月末で閉館することが30日、分かった。賃借していた建物が老朽化し、多額の修繕費を捻出できないのが主な理由。来年秋以降に近隣での移転再開を目指しているが、東寺近くの国道1号沿いで1980年代以降、アート系ミニシアターとしてファンに愛されてきた建物は取り壊される見込み。
戦後、映画館のあった場所に1963(昭和38)年末、2階が映画館となる現建物が建ち、「みなみ会館」として改装オープンした。当初は邦画封切館、後にポルノ上映館になった時期もあったが、88年に地元の巌本金属がオーナーになってからは、上映企画会社「RCS」に作品編成を委託し、アート系が定着した。/90年代のミニシアターブームに乗り、スクリーン数は一つながら多くの話題作を組み合わせて上映。溝口健二や市川雷蔵といった京都ゆかりの名作、ヌーベルバーグの旗手であるフランスのゴダール監督など、お薦めの洋画の特集もした。休日前にはオールナイト上映もあり、150の客席が埋まる時もあった。7年前にRCSとの提携を終えて以降は会館直営でこだわりの作品を上映してきた。吉田由利香館長(29)は「近くで来年中にも再開できるよう調整を進めている。映画館として新しい場所で発展できるようにしたい」と話す。現会館でのサヨナラ企画を今後展開する。京都市内のミニシアターは、下京区の「京都シネマ」(スクリーン数3)のほか、上京区の出町桝形商店街に「出町座」(同2)が近くオープンする予定。』
→ 『半世紀以上の歴史があり、一般映画の上映館としては京都市内で現存最古の「京都みなみ会館」(南区)が来年3月末で閉館することが30日、分かった。賃借していた建物が老朽化し、多額の修繕費を捻出できないのが主な理由。来年秋以降に近隣での移転再開を目指しているが、東寺近くの国道1号沿いで1980年代以降、アート系ミニシアターとしてファンに愛されてきた建物は取り壊される見込み。
戦後、映画館のあった場所に1963(昭和38)年末、2階が映画館となる現建物が建ち、「みなみ会館」として改装オープンした。当初は邦画封切館、後にポルノ上映館になった時期もあったが、88年に地元の巌本金属がオーナーになってからは、上映企画会社「RCS」に作品編成を委託し、アート系が定着した。/90年代のミニシアターブームに乗り、スクリーン数は一つながら多くの話題作を組み合わせて上映。溝口健二や市川雷蔵といった京都ゆかりの名作、ヌーベルバーグの旗手であるフランスのゴダール監督など、お薦めの洋画の特集もした。休日前にはオールナイト上映もあり、150の客席が埋まる時もあった。7年前にRCSとの提携を終えて以降は会館直営でこだわりの作品を上映してきた。吉田由利香館長(29)は「近くで来年中にも再開できるよう調整を進めている。映画館として新しい場所で発展できるようにしたい」と話す。現会館でのサヨナラ企画を今後展開する。京都市内のミニシアターは、下京区の「京都シネマ」(スクリーン数3)のほか、上京区の出町桝形商店街に「出町座」(同2)が近くオープンする予定。』
※来年中の移転再開を目指しているらしいので、期待しよう。
※ワチシは間に合いませんでした!ックゥ~~~ッ!(涙)
※凄まじいな、このラインナップ!『AKIRA』や『パプリカ』の爆音上映って、
予想するだに背筋がゾクゾクってなるや~。さらにアンタ、オールナイトで
『地獄でなぜ悪い』と『愛のむきだし』連続爆音上映って、、、死ぬやろww
●京都みなみ会館だよ。
※この道路の向かい側に駐車場があって、番号をフロントで伝えて
証明札貰うんだった。いろいろ記憶が戻ってきたな~~。
オールナイト覆面上映会(何がかかるか映画が始まるまで解らない、
いや、始まってからでさえ、何の映画を観てるのか解らんというシ
ュールな企画だった!)も行ったっけ。あの頃は体力あったんだなーーw
※この道路の向かい側に駐車場があって、番号をフロントで伝えて
証明札貰うんだった。いろいろ記憶が戻ってきたな~~。
オールナイト覆面上映会(何がかかるか映画が始まるまで解らない、
いや、始まってからでさえ、何の映画を観てるのか解らんというシ
ュールな企画だった!)も行ったっけ。あの頃は体力あったんだなーーw
※近くには、ストリップ小屋の「DX東寺劇場」とか、ジオン軍の生き残り、
ランバ・ラルが、お好み焼き屋のフリをして逆襲を企てている「慈恩弘国」
などもあるでよー。出来れば、あんまり離れていないところに再登場させ
て欲しいものなりよーーーーぅ!ではさらば!ジーク・ジオン!
『どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。』 |
出展:「ドン・キホーテ」(岩波書店) |
発言者:ミゲル・デ・セルバンテス (スペインの作家 1547年9月29日~1616年4月23日) |
◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・
BEST TIMES 「サン・ジョルディの日」はなぜバレンタインのように定着しなかったのか
→ 『土用丑の日のうなぎ、バレンタインデーのチョコレート、さらにはホワイトデーなる新たな記念日まで生み出してしまった商魂たくましきジャパニーズアキンド。だが、彼らの手を持ってしても普及させられなかったイベントも有る。それがサン・ジョルディの日。/こちらは現在独立を巡って注目を集めているスペインはカタルーニャ地方発祥。元々はキリスト教の聖人サン・ジョルディの命日である4月23日に男女が赤いバラを贈りあったのがサン・ジョルディの日。ところがこの日はスペインが誇る大ベストセラー「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスの命日でもあることから本の日ともされる。そこからバラだけでなくいろいろな生花や本を贈り合う風習に発展。
これに目をつけたのが日本の花屋さんと本屋さんの業界団体と代理店だった。サン・ジョルディの日は、男性は女性に赤いバラなどの花を、女性は一冊の本を贈り合う日として紹介され、平成3年頃からは主にラジオを中心にキャンペーンも展開されるようになった。うまく定着すれば本と生花というふたつの業界を活気づけてくれるはずだったサン・ジョルディの日だが、数次のキャンペーンも甲斐なく、このイベントが庶民に定着することはなかった。もちろん今でもサン・ジョルディの日にイベントを開催している本屋さんや花屋さんはある。だが誰もが知るイベントかと言われれば明らかに否。恵方巻きやハロウィンとは明暗を分ける形となってしまった。
両者の明暗を分けた理由の最も大きなものは運であり時流だろうが、筆者は手軽かどうかも鍵になったように思う。チョコや恵方巻きは用意が容易なのに対し、本を人にすすめるにはそれなりの読書量が必要となる。まして相手が異性となればなおさら。これに加えて開放性の有無もあっただろう。バレンタインチョコが義理チョコ、友チョコと広がっていき、ハロウィンのコスプレも見せ合うイベントとして成長したのに対し、サン・ジョルディのバラと書籍は互いが贈り合うという閉鎖したもの。このあたりが今ひとつ広がりを見せなかった理由だと筆者は推測する。/もっとも、だからこそサン・ジョルディの日はロマンティックであるとも言えるわけで、少子化に喘ぐ我が国の現状において、このイベントの復権は大いに待たれるところだったりするのである。』
→ 『土用丑の日のうなぎ、バレンタインデーのチョコレート、さらにはホワイトデーなる新たな記念日まで生み出してしまった商魂たくましきジャパニーズアキンド。だが、彼らの手を持ってしても普及させられなかったイベントも有る。それがサン・ジョルディの日。/こちらは現在独立を巡って注目を集めているスペインはカタルーニャ地方発祥。元々はキリスト教の聖人サン・ジョルディの命日である4月23日に男女が赤いバラを贈りあったのがサン・ジョルディの日。ところがこの日はスペインが誇る大ベストセラー「ドン・キホーテ」の作者セルバンテスの命日でもあることから本の日ともされる。そこからバラだけでなくいろいろな生花や本を贈り合う風習に発展。
これに目をつけたのが日本の花屋さんと本屋さんの業界団体と代理店だった。サン・ジョルディの日は、男性は女性に赤いバラなどの花を、女性は一冊の本を贈り合う日として紹介され、平成3年頃からは主にラジオを中心にキャンペーンも展開されるようになった。うまく定着すれば本と生花というふたつの業界を活気づけてくれるはずだったサン・ジョルディの日だが、数次のキャンペーンも甲斐なく、このイベントが庶民に定着することはなかった。もちろん今でもサン・ジョルディの日にイベントを開催している本屋さんや花屋さんはある。だが誰もが知るイベントかと言われれば明らかに否。恵方巻きやハロウィンとは明暗を分ける形となってしまった。
両者の明暗を分けた理由の最も大きなものは運であり時流だろうが、筆者は手軽かどうかも鍵になったように思う。チョコや恵方巻きは用意が容易なのに対し、本を人にすすめるにはそれなりの読書量が必要となる。まして相手が異性となればなおさら。これに加えて開放性の有無もあっただろう。バレンタインチョコが義理チョコ、友チョコと広がっていき、ハロウィンのコスプレも見せ合うイベントとして成長したのに対し、サン・ジョルディのバラと書籍は互いが贈り合うという閉鎖したもの。このあたりが今ひとつ広がりを見せなかった理由だと筆者は推測する。/もっとも、だからこそサン・ジョルディの日はロマンティックであるとも言えるわけで、少子化に喘ぐ我が国の現状において、このイベントの復権は大いに待たれるところだったりするのである。』
Amazon.co.jp ドン・キホーテ (岩波少年文庫 (506)) 単行本 – 2000/6/16 セルバンテス(著), 牛島信明(編さん, 翻訳)
→ 『■内容(「MARC」データベースより):スペインはラ・マンチャ地方の田舎騎士ドン・キホーテは、騎士道小説の読みすぎで正気を逸し、自ら遍歴の騎士となって世の不正をただそうと旅に出る。狂気と夢が引き起こす、滑稽な冒険物語。87年刊の新版。/■登録情報:/単行本 375ページ /出版社 岩波書店; 新版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4001145065 ISBN-13: 978-4001145069 /発売日 2000/6/16 /梱包サイズ 17.2 x 12 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:石川 5つ星のうち4.0 「読みやすい日本語訳で一気に読めます」2011年9月6日・・・非常に昔の作品ですので、難解かと思いきや、読みやすいです。日本語訳の妙技か、面白いエピソードを抜粋してボリュームを6分の1にしているためか、一気に読みきってしまいました。/ドン・キホーテにまつわる逸話と共に原作者の生い立ちなどがあとがきにまとめられているのですが、こちらも必読です!』
→ 『■内容(「MARC」データベースより):スペインはラ・マンチャ地方の田舎騎士ドン・キホーテは、騎士道小説の読みすぎで正気を逸し、自ら遍歴の騎士となって世の不正をただそうと旅に出る。狂気と夢が引き起こす、滑稽な冒険物語。87年刊の新版。/■登録情報:/単行本 375ページ /出版社 岩波書店; 新版 /言語 日本語 /ISBN-10: 4001145065 ISBN-13: 978-4001145069 /発売日 2000/6/16 /梱包サイズ 17.2 x 12 x 2.2 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.8 /■カスタマーレビュー:石川 5つ星のうち4.0 「読みやすい日本語訳で一気に読めます」2011年9月6日・・・非常に昔の作品ですので、難解かと思いきや、読みやすいです。日本語訳の妙技か、面白いエピソードを抜粋してボリュームを6分の1にしているためか、一気に読みきってしまいました。/ドン・キホーテにまつわる逸話と共に原作者の生い立ちなどがあとがきにまとめられているのですが、こちらも必読です!』
※いよいよ、ギリアム爺さんの長年のもくろみが達成される日が来るのかしらん?
今から119年前の今日、すなわち明治30年(1897)4月23日、熊本で英語教師をしていた30歳の漱石は、東京・根岸の正岡子規に手紙を書いていた。子規は、東京から遠く離れた熊本で暮らす漱石のことを慮(おもんぱか)り、叔父の加藤拓川(かとう・たくせん/外交官)に頼んでみるから翻訳官でもやったらどうか、そんなふうな手紙をよこしてくれていた。
/漱石は子規の配慮に深謝しつつ、こう返事をした。外務関係の翻訳官となると法律上の専門用語なども多いだろうし、間違いなくやっていけるという自信が持てない。もちろん1~2年見習いをすれば相当程度のことはこなせるだろうが、高等官並みの働きもできないのではないか。そんな状況で、紹介を受けたら、君や加藤氏の面目を損じてしまう恐れがある。せっかくだが、いまは差し控えるべきだと愚考する--。
そして、漱石は、《小生の目的御尋ね故(ゆえ)御明答申上たけれど、実は当人自らが所謂(いわゆる)わが身でわが身がわからない位》と迷いの中にある自分をさらけ出す。翻訳官として自信が持てないというのは、いささか謙遜の度合いが過ぎる気がしないでもない。むしろ、漱石はそうした仕事をやりたいと思わなかったのだろう。それでも、子規の親切心をありがたく思うから、こうした遠回しの言い方で断ったと推測できる。
漱石は、手紙の最後で胸の奥をこう吐露した。《単に希望を臚列(ろれつ/並べること)するならば、教師をやめて単に文学的の生活を送りたきなり。換言すれば文学三昧にて消光(しょうこう/暮らすこと)したきなり》/英語教師でも翻訳官でもなく、ひとりの文学者として文学的な仕事にだけ没頭して暮らしていきたい。それが正直な思いだが、簡単に文筆一本の生活になど入れない現実もわかっている。のちの文豪・漱石。3o歳の春は、まだはっきりと踏み進むべき道筋をつかみきれずにいたのである。
●デート~恋とはどんなものかしら~ 第3話の台詞や名言