「第11回コンフィデンスアワード・ドラマ賞」で4部門を受賞!メデタイッ!

ORICON NEWS“最も質の高いドラマ”に『アンナチュラル』~第11回「コンフィデンス」ドラマ賞で4部門を受賞
オリコンのグループ会社・oricon ME発行のエンタテインメントビジネス誌『コンフィデンス』が主催し、有識者と視聴者が共に支持する質の高いドラマを表彰する「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」が、第11回の結果を発表。18年1月期の主なドラマ及び、昨年9月から半年にわたって放送されたNHK連続テレビ小説など、全32作品が対象となった今回、「作品賞」には、TBS系金曜ドラマ『アンナチュラル』が選ばれた。また、同作を執筆した野木亜紀子氏が「脚本賞」を、生死に真っ向から向き合う法医解剖医を熱演した石原さとみが「主演女優賞」、井浦新が「助演男優賞」を受賞し、全7部門のうち『アンナチュラル』が4部門を制した。
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本作は“死因究明のスペシャリスト=法医解剖医”が集まる架空の「不自然死究明研究所(UDIラボ)」を舞台に、主人公の三澄ミコトらUDIのメンバーが不自然な死(アンナチュラル・デス)を遂げた死体の声を聞き死の真相を突き詰めていく、1話完結の法医学ミステリー。(中略)
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「死」という重いテーマを扱いながらも、野木氏の脚本による会話劇、ミコト(石原さとみ)や中堂(井浦新)ら個性豊か登場キャラクターの存在などによって、作品全体の空気感は実に明るくポップ。法医解剖医という一般的に馴染みの少ない職業についても、過不足ない説明とスピード感たっぷりの演出で見せ、そのなかで「死と向き合うことで生まれる希望」が印象的に描かれた。/また、本作を語る上で欠かせないのが音楽。得田真裕氏が手がけた劇伴、米津玄師による主題歌「Lemon」は物語との親和性が非常に高く、多くの視聴者の涙を誘った。ドラマとの相乗効果で「Lemon」のCDシングルは27.7万枚、デジタルシングル(単曲)は94.1万DL(ともに4/30付現在)というヒットに繋がった。エンタテインメントシーンに一石を投じたという意味でも評価を集め、ほぼ満場一致での決定となった。
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野木亜紀子氏コメント:演出の塚原あゆ子さんとは前からずっと一緒にドラマを作りたいと思っていました。好きな演出家の好きな映像で、好きな俳優さんたちが魅力的に演じてくださり、このような賞をいただくことができて、本当に嬉しいです。また、今回、石原さとみさんの新境地となるようなドラマにしたいと考えていたので、そのさとみさんが主演女優賞を獲ったことにも大変感激しています。法医学ものということもあり、調べねばならないことが多く、リアリティラインをどこに設定するかも苦労しましたが、いつまでも本打ちに付き合ってくれたプロデューサー陣と編成の皆様、調べ物を手伝ってくれた助監督さんや、監修の先生方など、多くの方の協力で、最後まで書き上げることができました。ありがとうございました。』

☆第11回「コンフィデンスアワード・ドラマ賞」結果一覧
作品賞:金曜ドラマ『アンナチュラル』(TBS系)
主演男優賞:志尊淳(ドラマ10『女子的生活』/NHK総合
主演女優賞:石原さとみ金曜ドラマ『アンナチュラル』/TBS系)
助演男優賞井浦新金曜ドラマ『アンナチュラル』/TBS系)
助演女優賞:田中裕子(『anone』/日本テレビ系)
脚本賞野木亜紀子氏(金曜ドラマ『アンナチュラル』/TBS系)
新人賞:清水尋也(『anone』/日本テレビ系)


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※いま、何周目だろう、「アンナチュ」連続再鑑賞中。伏線いっぱい見つ
かって楽~のし~~いよぉ~~~う♪

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※誰か思た・・・。中堂さんの雰囲気の欠片もない井浦新氏。素の井浦さんは
気さくで人当たりは良さそうだから、あの陰気な中堂さん役はきっと精神的に
参っただろうな~と推測させるに十分。受賞しただけの価値はあるってことか。

朝日新聞digital 石原さとみ、30代初の連ドラで爪跡残す
『石原といえば、「失恋ショコラティエ」や「5→9~私に恋したお坊さん」(ともにフジテレビ系)、「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」(日テレ系)など、連ドラではこれまで明るくてオシャレな女性を演じることが多かったが、今作では今までのイメージを一新。キュートな笑顔を封印して、生死とひたむきに向き合う解剖医という難役に挑み、抑えた演技でありながらも魅力的なミコトという女性像を作り上げた。なお、石原の受賞コメントは以下の通り。/石原さとみ「主演女優賞ももちろん嬉しいですが、作品賞をいただけたことがなにより嬉しいです。この作品は30代に入って最初の連ドラでした。20代も、その時々で目標を持ってやってきましたが、30代はとにかく脚本先行、わかりやすくいうと、Twitterのトレンドワードで作品タイトルや役名がトップにくるような。そんな作品を目標にしていたので、それが達成できたのが本当に嬉しかったです。野木さんは1話1話の中にいろいろな問いを与えてくれた気がします。答えのないさまざま問いと向き合う時間がとても好きでした。UDIラボの空間もとても好きでしたし、いつか戻れたら良いなと思っています。」』

●【保存版】米津玄師 × 野木亜紀子 アンナチュラル対談 [フルver](32分52秒)

※クリエイター同士のぶつかり合い、聴きごたえありますぅ~~。
ミコトさんと東海林さんからのコメントも、いと嬉し♪

オリコンニュース 「脚本先行、演じたことのない役に挑戦したい気持ちがあった」
『――ミコトの特殊なバックボーンをどう演じるか、キャラクター造形はとても難しかったと思います。/石原:撮影が始まり、監督と話していくなかでわかったのは感情の喜怒哀楽のなかで、テンションの数値が仮にゼロから100まであるとしたら、30から60を行ったり来たりしている、感情をずっとニュートラルな状態にコントロールできる子にしようということでした。――審査員からも「抑えた演技が素晴らしかった」という声が多数聞かれました。/石原:ギャップがありすぎないようにしたいとは考えていました。すごく良く笑う子ではないけど、陰なわけでもない。その中間をキープすることをプライベートでも常に意識していたから、それが結構辛くて…。ドラマが終わってプライベートに入った時に、やっと“自分ってこうだよな”って思い出したくらい。でもそうやって感情を抑えられるようになって、その期間は少し大人になったような気もしましたね(笑)。――その意味でもミコトという役柄を掴めたシーンがあれば教えてください。/石原:2話で神倉所長に「生きているときも助けられずに、死んでからも見なかったことにするんですか?」と言うシーンがあったのですが、そこをガツンと言うのではなく、諭すように“悲しみ”を多めに本番で演じたら、監督が駆け寄ってきてくれて、「素晴らしい!」と言ってくれたんです。その時に、この子のリミットというか、感情の幅が掴めました。
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――2話では凍死しかけるとか、叫ぶシーンもありました。/石原:どのシーンでも “これでミコト、大丈夫?”という自問自答は常にしていましたし、監督にも確認していました。実はクランクイン直後の1話のシーンでは当初、声のトーンが低かったんです。あのシーンではナチュラルにやりすぎて、雑な声の出し方になっていました。それが気になって、最終的には完成直前だったにもかかわらず、監督にお願いしてアフレコし直してもらったんです。――最終話の法廷のシーンでさえも見事に感情がコントロールされていました。/石原:とにかく集中を切らしたくなくて、(殺人現場や自殺、孤独死の現場で働く)特殊清掃員の方のブログを読んだり、現場にも来ていただいていた警察の方に質問したりして、実際に遺体を見た時にどういう感情を抱くのかとか、それこそトラウマになるくらい役作りに向き合いましたね。ただ、そうやって集中し、気持ちが入ると今度は表情が強くなったり、キツく見えたりする。そこは監督にも行き過ぎていたら言ってくださいと伝えていました。
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――UDIラボ全体も見事なチームワークでした。/石原:現場ではみんな、見られ方とか見せ方を気にせず、この子はこういう子というように自分の役に向き合っていました。自分のキャラクターはこういうものと、考えながらやっている姿は職人さんが集まった感じでしたね。――ミコトと中堂が背負っているものはとても重く、「不条理な死」と向き合う2人の姿に多くの人が共鳴していたようにも思います。/石原:すべてのキャラクターにバックボーンがありますから、それぞれが引っかかるセリフが違うんです。私だったら「殺人事件の半数以上は、親子兄弟夫婦といった親族間殺人」というセリフに対して、それを言う時の自分の感情としては、“家族を家族の殺人で失った人”のセリフですし、また、そのセリフを受ける人の反応も中堂さんや久部君、東海林でそれぞれ違う。“私、このセリフ、ここで引っかかるはずだ”だとか、台本を読んでいるだけではわからない部分が現場でわかったり。誰かがボソッといった一言に反応したり、そういうのが面白かったですね。
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――多くの視聴者も絶賛していましたが、野木さんの脚本も素晴らしかった。/石原:私は5話が一番印象的でした。中堂のように憎しみを原動力にするのはやっぱり苦しい。でも、もしかしたら、復讐できる相手がいるからこそ、“復讐できる幸せ”をあの犯人は抱いたのかもしれない。1話1話の中にいろいろな問いを野木さんが与えてくれて、そこに正解はないんです。その問いに対して自分がどういう答えを導きだすのか、どう受けとめるのかは、そのシーンごとにまったく違う。そうした問いと向き合うことがとても好きでした。――終盤、養母である三澄夏代の前で涙を見せたシーンは、先ほどお話されていたミコトの感情の幅を超えた瞬間でもあったように思います。/石原:ミコトは引きずっている姿を見せないけど、カラッと乗り越えているわけでもない。でも人間って意外とそうで。例えば親が寿命ではなく事故で亡くなったとして、それを“乗り越える”って何?って話だし、“乗り越えた”というように過去形にもできない。みんな、何がゴールかもわからない。だから命は一番センシティブな問題。親の不条理な死をネガティブに捉えて、感情の幅で言うなら30以下まで落ちた状態で留めておくのかというと、ミコトは30~60の間で抑える子、落ちない子でした。なのに、一番限界になったときに家族の前で、本当はそうしたくなかったけど、涙を流した。あの涙はあの場面だからこそでてきたんだと思っています。』

◎これぐらいで切り上げとかないと、「4月のギザ萌えヒロイン・ランキング」で
書くことなくなっちゃうので、、、とりあえず、お開きということで。。。
(by寅さん)



☆書籍「元気が出る言葉」&サライ「日めくり漱石」をお届け♪

(詳細は、1月2日の日記を参照のこと!)

☆さ~~て、本日4月28日(土)の、「元気が出る言葉」は~?

『どうしようもないのが「心」で、どうにかできるのが「意識」と考えることは可能だろう。そして「心」にアプローチするための手がかりが「意識」なのだろう。』
出展:「禅的生活」(筑摩書房
発言者:玄侑宗久 (小説家、臨済宗の僧侶 1956年4月28日~)
『解説:「一切唯心同」という禅語がある。すべての現象は心が作り出すものでしかない、ということ。しかし、その心というものが、どうにもコントロールできない。弱気にもなるし、嫉妬をするし、人を羨んだりする。ネガティブになるのだ。しかし、意識は自儘(ジママ=ワガママ)だ。そして意識は心に働きかけることができる。心はブレる。ゆえに、意識を仲間にしよう。』

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◎関連書籍、楽曲、映画(ドラマ)などなど・・・

Amazon.co.jp 禅的生活 (ちくま新書) 玄侑宗久(著)
『■内容(「BOOK」データベースより):生きにくい世の中である。不況、雇用不安などの外圧もさることながら、個人の内部に深く根差した、生きるための目標、足場の固め方までもが見えにくくなっている。だけど、しょせん人はこの身と心で生きてゆくしかない。それならいっそ、ものの見方をがらりと変えて、もっと楽に生きるための思考法を身につけてしまおう。
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作家にして禅僧である著者が、禅語をもとにその世界観をひもときながら、「今」「ここ」を充実させるための様々な智慧を、坐禅なしに伝授してしまおうという画期的にしてフラチな人生指南&禅入門の一冊。/■登録情報:/新書 237ページ /出版社 筑摩書房 /ISBN-10: 4480061452 ISBN-13: 978-4480061454 /発売日 2003/12/9 /梱包サイズ 17.2 x 10.8 x 1.6 cm /おすすめ度 5つ星のうち 3.5 /■カスタマーレビュー:sanjunio 5つ星のうち3.0 「禅の言葉をわかりやすく解説」2005年5月8日・・・禅の言葉を解説するだけでなく、一般庶民にもわかりやすく愛犬の姿も交えながら「なぜ迷いが生じるのか」、「悟った人にはどう見えるのか」、「日常をどう生きるか」と、大きなテーマに沿ってガイドしてくれている。作者は、現在、臨済宗妙心寺派福聚寺副住職となっているが、西洋哲学や脳神経学についてもいろいろ知っておられるようで、禅の教えを科学的に脳機能と関連付けて説明されておられるところが、ただの「やさしい禅入門」と違うところ。残念なのは、ちょっと文章が軽いこと。例えば、「お悟り表現のシャワーを浴びていただきたい」と、たくさんの禅の言葉が十分な解説もなしにでてきて、確かに「シャワー」なんだけれども、読んでいる方はただのチンプンカンプンなだけ。雑誌の記事ではないのだからじっくり練ってもらいたい。また、ご自分はまだ悟っておられないと書かれていらっしゃるが、受け売りの脳の話もよいが、もっと作者の体験や経験を書かれたら面白かったのに、と思う。道場入門後三ヶ月後の公案をいかに解いたかという話はもっともっと膨らませて書いて欲しかった。』

☆原作の映画化作品がコレ!↓
アブラクサスの祭 予告編


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※これ、題名がどうにも受け入れがたく、スルーしていた作品だが、
キャストとかを見ると、なかなか良さそうではあるんだよなーーー。

☆本日の、『日めくり漱石』は・・・
サライ 「夏目漱石」の記事一覧

“人間は道に従うよりほかに、やりようのないものだ(『野分』より)”

【1907年4月28日の漱石】初の新聞連載『虞美人草』の取材で荒川堤を散策する

今から109年前の今日、明治40年(1907)4月28日、40歳の漱石は荒川堤を歩きながら、目にした印象に残るものを手帳にメモしていた。《かやの原。野うるし。馬の足形(金平糖)。桜草。擬宝珠(ぎぼし)。原の遠景。白帆。遠くの森の若葉ニ微茫たる光線。(略)荒川堤の桜》

この頃の漱石は、近く執筆を始める連載小説のことが、つねに頭の中を占領していた。いつの日か原稿を書くことだけに没頭したいと願っていた漱石は、教職を辞して東京朝日新聞社入りすることがすでに内定していた。新聞社入りといっても毎日出社する義務はなく、自宅の書斎で新聞に掲載する小説や評論を書くのが仕事。入社発表後は、間をおかず初仕事として、新聞紙上に連載小説を執筆していく手はずとなっている。/文壇デビュー作『吾輩は猫である』の初回原稿の発表から、すでに2年余りが経過している。『坊っちゃん』や『草枕』も書き、すでに漱石の文名は高かった。それでも、これから筆一本で生きていく以上、漱石は新たに処女作を書くような意気込みで、日常からさまざまな素材を集めながら、少しずつ構想を練っているのであった。

その意気込みは、漱石朝日新聞に入社するにあたって発表した次のような一文にもよくあらわれている。《大学を辞して朝日新聞にはいったら逢う人が驚いた顔をしている。(略)大学屋が商売ならば新聞屋も商売である。(略)人生意気に感ずとか何とかいう。変わりものの余を変わりものに適するような境遇に置いてくれた朝日新聞のために、変わりものとして出来得る限りを尽くすのは余の嬉しき義務である》(『入社の辞』)

さて、この日の印象と手帳のメモは、後日、『虞美人草』の中の、宗近(むねちか)兄妹のこんな会話に生かされていくことになる。「もう花は散って仕舞ったじゃありませんか。今時分御花見だなんて」「いえ、上野や向島(むこうじま)は駄目だが荒川は今が盛りだよ。荒川から萱野へ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」/時期遅れの花見にふさわしい場所として「荒川」を挙げ、「桜草」をも配する洒落っけは、漱石先生自身の現地取材による実体験から捻り出されていたのである。

細かすぎて伝わらない関連動画など

(「荒川」「花見」で動画検索してみました!!)

●マツコ徘徊 ~餃子を買ってお花見~

・お花見の前に、荒川区にある商店街に立ち寄って食料やお酒を調達。

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●【お花見スポット・越谷】元荒川沿いの桜並木(3年前)


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ジョニーAのつぶやき:今も昔も、桜は綺麗なものでありんすのーーー。